騎士の執念──お荷物と呼ばれた少年の決意
「ランカスター……?」
俺は呆然と呟いた。
寝室の扉の向こう。
彼女から初めて家名で呼ばれたとき。
その冷たい響きが、十五の俺の幼稚な祈りを粉々に砕いた。
王配候補という立場を利用した既成事実作り。
開戦前夜に寝室へ押しかけ、
「朝までいさせて欲しい」
などと甘えた懇願を口にした、あまりに無様な玉砕だった。
父に殴られ、冷たい石畳に膝をついた俺は、ようやく悟ったのだ。
幼い頃から当たり前のように一緒に過ごし、笑い合っていたかつての日々は、もう二度と戻らないと。
「殿下にとって、今のお前の方がよっぽどお荷物だ」
父の言葉は、昨日まで鏡の前で磨き上げていた
「公爵令息」としての誇りを、跡形もなく踏みつぶした。
彼女はその重荷の一欠片さえも、俺に分け与えてはくれなかったのだ。
今の俺には彼女の隣に立つ資格も、力もない。
翌朝、決起演説のため壇上に立つ彼女は、これまでのどの瞬間よりも美しかった。
「民よ!兵よ!忘れるな!
百年にも及ぶ我が国の平穏は、天から降ってきたものではない。血を吐き、泥を啜りながら築いてきた先祖たちの献身の結晶だ。
……今、その灯火をガレリアに踏みにじらせるわけにはいかない!」
彼女の鋭い声が、広場を制する。
「我が名はリーゼロッテ!ノルズランド王国王位継承者として誓う。私は決して逃げぬ。我が命が尽きるその瞬間まで、私はこの国の盾となる!」
地鳴りのような咆哮が広場を震わせる。
壇上の彼女は、もう、俺の知っているリーゼではなかった。
その姿があまりに眩しくて、昨夜の自分が吐き気がするほど惨めに感じた。
このままでいいのか?自身に問う。
当たり前に享受してきた次期王配の椅子はもうない。
他の誰かが彼女の隣に立つことを考えると、怒りで喉が焼けそうになる。
──そんなのは、死んでも嫌だ。
幼い頃から当たり前の関係だと思っていた。
彼女の隣に立つことが、俺に課された役割だと思っていた。
ガレリアの侵攻によって窮地に立つだろう彼女を、すぐ側で支えなければと妄信していた。
しかし、今やっと自覚する。
手の届かない存在になってようやく思い知らされる。
ああ、なんだ……俺は彼女に恋をしていたんだ。
細い指先を彩る少し丸い爪も、怒るとツンと尖らせる唇も。
雪の中で声を立てて笑ったとき、ピンク色に染まる頬と鼻先も。
全てが俺のものだと叫びたいこの気持ちを、愛と呼ばずになんと呼ぶのだ。
──だったら尚更、今のままの俺では何もかもが足りない。
もう間違えることは許されない。
このまま、置いていかれるなんて真っ平だ。
彼女が盾になるというならば、俺はその背を狙うすべてを、闇の中から引きずり出す刃になろう。
翌朝、俺は軍務局の執務室へと向かった。
窓口の将校が、兄の書いた推薦状と俺の顔を見比べ、困惑に声を震わせる。
「ランカスター殿。……本気、ですか。これは視察の類ではない。昨日の式典も、あなたは殿下の……」
「手続きを」
短く、それだけを言った。
喉の奥が砂を噛んだように乾いている。
渡された冷たい鉄の認識票を、掌の中で握り潰すようにして受け取った。
最後までお読みいただきありがとうございます。
リーゼロッテが守ろうとした「平和」と、クラウスが捨てた「安泰」
第1・2話の再会シーンの裏側にあった、15歳の彼の絶望と狂気を感じていただけたでしょうか。
握りしめた認識票の冷たさが、ここから二人の運命を激しく変えていきます。
次回は、いよいよ第4話【雪を溶かす体温──戦鬼の渇望の果てに】
ようやく一人の男として彼女に触れたクラウス。
十年の空白が埋まる瞬間を、一緒に感じていただけたら嬉しいです。
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