ゴーストキャットエフェクト
2258年の日本の夜。もはや地面が見えないほど高い建物が乱立している都会は、約200年前と同じでまったく眠気を知らないみたいだった。
この国は浮かれているのか、照らしているネオンはピンクや真っ青、黄色やオレンジ色など目に悪そうな色で、それに伴ってわけの分からないうるさい音が至る所で聞こえてくる。
中心地としては一般人でもお手軽に借りられるマンションの1500階のベランダで、一人の女性がタバコを吸っていた。下着に半袖シャツを羽織っているだけの女性は、手すり壁に肘をつきながら放心状態のようなぽけーっとした表情で目の前の風景を見ていた。目の前の景色は、向かいに高層の建物があるのと、間には宙を浮いて走っている大量の車しか見えなかった。
一本目が吸い終わり、横に置いてある、水を入れた空缶の中に吸殻を入れる。建物や家電、乗り物などがずっと進化し続けるなか、タバコやそれを処理する行動など、こういう細かい所はおじいちゃんから聞いているのと変わらないんだなと女性は思った。
二本目を取り出そうとした時、一匹の半透明な猫が唐突にやって来た。
そしてこう言った。
「タバコ、一本ちょうだい」
「はぁ〜?」
猫は手すり壁にちょこんと綺麗に可愛く座っていたため、その愛くるしさとは裏腹な言葉に、つい女性は声が大きくなってしまった。
「駄目にきまってんでしょ!」
「なんで?」
うっすらな顔が首を傾げる。目やヒゲが無く、朧げなフォルムなのに、それだけで猫という生き物は可愛かった。
「体に悪いじゃない」
「私、もう死んでるし」
「……あっ…………」
あらゆるものが解明されたこの世の中、幽霊やオカルトなども説明できてしまうようになったつまらない世界において、霊体もこの猫のようにある程度体を残せるようになっていた。
人間が他の動物と話せるようになったのも、現実世界と瓜二つなVR世界を作って自分を神と名乗り、好き勝手を手軽に出来るようになったのも、全ては【科学】で片付けられていた。それが当たり前になっているため、女性は目の前の猫が霊体だということをすっかり忘れて接していた。
「でも……あれよ、あれ……動物虐待になるし」
「もう死んでるから虐待されても痛くないわよ?んもうっ!私が良いって言っているんだから良いじゃないっ!」
苛立ちながら四つ足で立つ。何故かこの怒ったような声で女性は(あ、声も可愛い)と思った。
「んん〜……」
女性は悩む。
もしここでタバコを渡してしまったら、(あぁ、猫にタバコを吸わせてしまった人間なんだ)と、これからの人生で絶対後味悪くなってしまうためなるべく避けたかった。
ここで女性は、話題逸らしがてら素朴な疑問を猫にぶつけてみることにした。
「ちなみに、なんで吸いたいの?」
「吸ったら答える」
女性の問いに猫はすんなり答える。
「何か理由があるの?」
「吸ったら答える」
「飼ってた人が吸ってたとか?」
「吸ったら答える」
「ずるいっ!」
「知りたいなら教えてあげるからタバコちょうだい」
「んん〜……」
「誰も見てないんだし、ねっ?」
目を強くつぶり唸っていた女性は、観念してはぁ〜っと深く溜め息をつきながら項垂れた。もう何を言っても返されてしまい、自分はそれを打ち返せないだろうと悟った。昔から口喧嘩やプレゼンは大の苦手だった。
顔を下に向けたまま横に置いてあるタバコの箱を取って軽く振ると、そこから器用に1本だけが半分飛び出しその状態のまま猫の前に近付けた。
「はい……」
「うふっ。ありがとう」
霊体の猫に口は見えないが咥えたのだろう、タバコが箱から取り出されたがまるで宙に浮いているように見えた。
「んっ」
次に猫は咥えているタバコの先端を女性に向けた。女性は右小指に付けている多機能指輪から小さく火を出して差しだした。その火にタバコの先端が触れる。
念願のタバコに火がついた。猫は眠らない街に体を向けて灰を吸う。
「ケホッ」
小さい猫の咳と共にタバコがベランダから飛び降りた。
「あっ」
「あぁぁぁぁぁぁー!!!」
一人と一匹が真っ暗な真下へと目を落とす。火がついたままのタバコはあっという間に漆黒に吸収され消息不明となってしまい、残ったのは、驚いたような顔をした女性と、どんな表情をしているかわからない幽霊猫だった。
「もったいない……」
猫にタバコを差し出した時と同じく項垂れる女性。猫はまだ、もう見えないはずのタバコへ目を向けていた。
「ごめんなさい」
猫が謝る。ただその口調には反省の色はなく淡々とした感じだった。反省していないのに気付かない女性が言う。
「……いいよ。私も初めてはむせたから気持ちわかる…。…それで?なんで吸いたかったの?」
女性は聞きたかった事を改めて猫に聞いてみた。
「…私の、人間の家族だったお父さんが吸っていたの。生きていた頃の私が吸いたいと言っても優しく諭されて吸わせてくれなかった。ほらあるじゃない、駄目だと言われれば言われるほど気になっちゃうやつ。だから」
「……なんか、普通だった」
「普通ってひどいっ!」
「ふふっ」
「……ふふふっ」
女性と猫が一緒に小さく笑う。傍からみれば、長年連れ添っている友達のように見えた。
お互いに軽く笑ったあとの沈黙。そして、真面目な口調で猫が女性に聞く。
「ねえ?もし、さっき落ちたタバコのおかげで人ひとりの命が助かるけど、落とす前から、その人のこれからの人生が…とてもとても大変になってしまうとわかっていたら、あなたはタバコを落とす?」
唐突な質問に猫に顔を向ける。猫はネオンが眩しい風景を見据えていた。
「んん〜どうだろう。……もしもだけど、例えばその人は自分にとって大切な人?」
「うん」
「なら落とす」
「なんで?」
「だって、大切な人だから。その後が大変だとしても、やっぱり、自分の好きな人の命を助けられるならやるでしょう」
「……わたしたち、気が合いそうね」
その時、ただでさえ半透明で不透明な猫の足がなくなっていた。だが、猫は体勢を崩していない。下からだんだん、ゆっくりと猫が消滅していっている。そんな体の異変に気付いていないかのように、明るく猫は言う。
「ねっ、もう1本ちょうだい」
今度は迷わず、さっきみたいに1本だけ箱からだして差し出し、猫はそれを咥える。そして火を付ける。次に女性は自分の口にタバコを咥えて火を付ける。人間の女性と、幽霊の猫が、ピンクやら紫やら目が痛くなるようなビル群を見ながらタバコを吸っている光景は、地球が誕生して何十億年と経っている近未来でも中々見られないシチュエーションだと女性は思った。
さきほどとは違い、器用にタバコを離さず煙を夜の街へと吐き出す。まるで、いつも吸っているかのように慣れた様子だった。その証拠に、猫は煙でハートを作っていた。
「フゥ〜。美味しい」
「それは良かったわ、可愛い不良さん」
「ふふっ。あなたのおかげでもう未練なんてないわ。ありがとうね」
「いえいえ…」
ポトッ。
小さい音だったがうるさく頭に響くような感覚に襲われた女性が猫の方を見ると、火のついているタバコが手すり壁に落ちていた。瞬間、夜になっても喧騒が絶えない都会に、数秒の静寂が女性に訪れた。
「……あげて良かったかも」
女性は、火が途中まで燻っているタバコを拾い、口をつける部分に軽く息を吹きかけてから咥える。ほのかにササミの味がした。




