恋愛ラブラブ脱童貞大作戦
いきなりだけど、俺の相棒・山下翔太は童貞だ。
……いや、それ自体は悪いことじゃない。むしろ健全。健全過ぎて逆に不健全なレベルだけど、問題はそこじゃねぇ。
コイツの童貞っぷりが、もう異常値なんだ。
女子と目が合えば即赤面。
名前を呼ばれれば声が裏返る。
机に突っ伏して「今のはフラグかもしれん……」とか頻繁に呟く。
——お前の人生、永遠にチュートリアルから進まないギャルゲーか。
勇者なのにレベル1でスライムすら倒せない、そんな感じ。
いやむしろ、戦闘が始まる前に村人Aから逃げ回ってるタイプ。
そんな翔太と俺が仲良くなったきっかけは、単純に「席が隣同士」だったから。
あいつがシャーペンを落とすたびに拾ってやってたら、気づいたら親友になってた。
今思えば、あれが友情イベントのフラグだったんだろうな。
「アイテムを拾った」→「信頼度が上がった!」みたいな。
意味はよく分からないが、俺的には面白いからオールオーケー。
んで、俺の名前は高橋悠。中カーストの真ん中あたり。
面白いこと言って居場所を確保してる、そういうタイプだ。
たまに自分でも思う。——俺って「ボケ担当」なのか「参謀キャラ」なのか。
まあ今日に限っては間違いなく参謀。だって今、机を前に腕を組んでる俺、めっちゃ軍師っぽい。
脳内で「戦国武将の作戦会議」みたいな効果音が流れてるしな。
で、今。
俺と翔太は、放課後の空き教室で机を突き合わせていた。
夕陽が差し込んで床に影が伸びる。誰もいない教室は俺たちだけの「作戦会議室」だ。
——実際はただの空き教室なんだけど、俺の中では完全に「恋愛シミュレーション研究所」である。
「……なあ悠。俺、どうしたら桜井さんと仲良くなれるかな?」
翔太がポツリとつぶやく。
桜井美咲。クラスでも好感度の高い女子。
柔らかい雰囲気で誰にでも優しい。ちょっと天然気味だけど、そこがまた男子、女子共に好感度に繋がるとかいう最強の女子。
——もう、ラスボス倒した後の隠しダンジョンでしか手に入らない究極装備。そんな存在感。
どうやってもレベル1の勇者に務まる相手じゃない。しかもその勇者は紛うことなきピッカピカの童貞。
素足で逃げ出すレベル。
でも俺的には面白いからこれもオールオーケー。
全力で笑いながら応援してる。
ちなみに翔太が桜井美咲を好きになったのは、中間テストのプリントを返却された日のこと。
翔太が机からプリントを落としたとき、桜井美咲が拾って「はい」って笑顔で渡してくれた。
それだけ。それだけで即・陥落。流石の童貞だ。何でコイツはこんなに面白いんだろうか?
その議題で小論文100ページは書ける自信がある。
「俺の心のHPが一瞬でゼロになった」とか言ってたけど、いやそれ恋だよ。恋ダメージ。童貞にのみ実装された特殊パラメータが動いてる。
……そんな子に一言もまともに話しかけられないのが、この童貞男子、山下翔太である。
つまり、俺に課されたミッションは、恋のキューピッド役。面白参謀の腕が鳴るぜ!
「よし、任せろ。ここは俺が作戦立案してやる」
「えっ……お、お前が?」
「そうだ。名付けて——第一作戦!消しゴム貸し大作戦!」
「……ダサッ!てかそれ、本当に効果あるのか?」
「バッカヤロウ!お前、恋愛マンガはだいたい消しゴムから始まるっつうのは常識だぞ!?」
「え、そうなの……?」
「そうだ!疑うな!信じろ!実行だ!走れ童貞!風の如く!」
机を叩いて盛り上がる俺。
呆れ半分、不安半分で頷く翔太。
こうして、俺たちのアホすぎる恋愛ラブラブ脱童貞大作戦が幕を開けた。
「よし、じゃあ作戦名、消しゴム貸し大作戦の詳細を発表する!」
俺はドヤ顔で机を叩いた。
翔太は引きつった笑みを浮かべる。
「……やっぱりダサいよな、その名前」
「うるせぇ!言っただろ!?ラブコメの始まりは大体消しゴムって相場が決まってんだ!」
「ほんとにかよ……」
「その通り!疑うな童貞!童貞が加速するぞ!」
「童貞が加速するって何だよ!?」
——で、実際の決行日。
午後の授業。教室の窓からは風に揺れるカーテン、先生の単調な声がBGMのように流れる。
俺は机の下で翔太の足がソワソワ動いてるのを見て「お前、緊張で足踏みしてるマリオか」って心の中で突っ込んでた。
そんなとき、事件は起こった。
前の席に座る桜井美咲の消しゴムがコロコロと転がって床へ。
「チャンスだ翔太!いけ!」俺が小声で囁く。
「お、おう!」翔太は勇気を振り絞って椅子から飛び出す。
……が。
「あっ、桜井さん消しゴム落としたよ」
隣の女子がサッと拾い上げて差し出していた。
「ありがとー」桜井美咲がにこっと笑う。
翔太、机の下で硬直。ガックリと肩を落とした。
俺はその哀愁漂う背中を見て、心の底からこう思った。
——お前、足の速さまで童貞かよ。
反射神経ゼロって、もう恋愛以前に体育の成績どうなってんだ。
「よっしゃ!次いくぞ次!」
俺は勢いで立ち上がる。
「第二作戦——プリント落とし大作戦!」
「……作戦名の既視感すごいよ」
「いいんだよ!単純が一番効くんだ!いいから動くんだよ!侵略すること童貞の如し!」
「それ、意味全然違くね?」
放課後、翔太はわざと廊下でプリントを落とした。
狙い通り、美咲がそれを拾ってくれる。
「これ、山下くんのだよね?はい」
にこっと笑顔で差し出す桜井美咲。
この作戦は成功……したかに思えた。だが。
「わ……字、すごいね」
桜井美咲がプリントに目を落とし、苦笑い。
「ほんとだ、何て書いてんの?」
後ろから見ていた男子まで首を突っ込む。
「古代文字か? ヒエログリフ?」
「いや、暗号だろこれ」
おいおい、周囲まで騒ぎ始めたじゃねえか。
仕方ない、コレはラブラブ参謀たる俺のフォローが必須だな。
腕を組んで宣言する。
「解読班を召集する必要があるな。強者共よ!集まれ!」
翔太の顔は案の定、真っ赤。
俺は腹を抱えて笑った。
クラスの奴らはワイワイと楽しそうに解読を始めた。
それを俺は上手いこと翔太のツッコミを引き出す形で、笑いに昇格させる。
「笑い取れただけ進歩!芸人の才能あるぞ!」
「泣くぞ俺!」
「さあ、次は第三作戦——廊下すれ違い挨拶大作戦!」
「また大作戦かよ……」
「うるせぇ!とにかくやれ!いいか?ポイントは自然に、だ『やあ』でも『お疲れ』でもとにかく声を掛けろ!」
「俺が自然にできるわけねぇだろ……」
「問題ねぇ!お前のその童貞力を解放するんだ!」
「意味分かんないからなそれ!?」
——そして、数日後、ついにチャンス到来。
廊下の向こうから、桜井美咲と友達の藤井真央が歩いてくる。
翔太はガチガチに緊張しながら歩を進める。
ドクン、ドクン、と心臓の音が俺の席まで聞こえてきそうだった。
「い、今だ……」
小さくつぶやいて、翔太は口を開いた。
「あ……おつか……っす!」
やつが発した言葉は、声が裏返って、もはや言語として成立してなかった。
「え?なに?」
桜井美咲が小首を傾げる。
その横で藤井真央が、手で口を押さえて肩を震わせている。笑い堪えられてないのバレバレだ。
俺は陰で大爆笑。
「山下くん、また教室でね」
と、桜井美咲は一言翔太に声を掛けて去っていった。
翔太は即座に顔を真っ赤にして俯いた。
俺は心の中でツッコむ。
——お前の発声、まだ声変わり中かよ。思春期真っ只中すぎて青春の教科書に載せたいレベルだ。
「まだまだ行くぞ!第四作戦——教科書忘れ大作戦!」
俺は机をバンッと叩いた。
翔太は即座に眉をひそめる。
「……絶対うまくいかないと思うんだが」
「いいから!忘れたふりして『一緒に見せてもらう』んだ!距離ゼロ作戦だぞ!」
「いや俺、演技とかできねぇって……」
「大丈夫だ!迸るパトスと童貞の親和性を舐めんなよ!」
「童貞を舐めてるのは悠だろ……」
——で、決行日。
授業が始まって数分後、先生が「じゃあ教科書を開け」と言う。
翔太、机の中でゴソゴソ……。
「……あれ?おっかしいなぁ? ここに入れたはずなのに〜」
棒読み。完全に棒読み。
机の中をガサガサかき回す仕草も、わざとらしさ満点。
何だコイツは。俺のことを笑い殺そうとしてるのか?いいからお前は恋愛ラブラブ脱童貞大作戦に集中しろって。
「山下……?教科書忘れた?」
後ろの席の男子が小声で心配そうに声をかけてきた。
女子もチラチラ見てる。
「ち、違う!これは……」
慌てて取り出した教科書を抱えて、結局ひとりで赤面。
「先生!俺教科書忘れたから翔太に見せてもらいます!」
俺がそう言ったことで、何となくさっきの流れは無かったことになった。
授業中、俺は横で思った。
——お前、こんな小さな嘘もつけないから童貞なんだぞ?
人生プレイ難易度ハードモードでスタートしてんのか。
「気を取り直して!第五作戦——ハンカチ紳士大作戦!」
「……また名前からして嫌な予感しかしないんだが」
「いいんだよ!女の子がハンカチ落としたらサッと拾って渡す!これ以上ない紳士イベントだ!」
「いやそんな都合よく……」
「大丈夫だ!童貞の呼吸は万物をロジカルティックにアジャストする万能の呼吸法なり!」
「訳が分からない!」
そして数日後。
体育館の片隅で、桜井美咲が汗を拭いたあと、机の上に置いていたハンカチを落とした。
「来たぞチャンスだ翔太!」
「お、おう!」
翔太は猛ダッシュで拾い上げ、差し出す。
……が、いざ目の前に立つと顔が真っ赤。声も震える。もう童貞感最高潮。行けるか、生粋の童貞野郎、山下翔太!
「さ、桜井……さ、ん……これ……!」
手のひらがプルプル震えてて、まるで爆弾処理班。産まれたての小鹿の方がまだ安定感あるわ。
桜井美咲は少し驚いた顔をした後、柔らかく微笑んだ。
「あ、ありがとね」
——ただそれだけのやり取りなのに、翔太はその場で硬直。
耳まで真っ赤。ハンカチ返すだけで蒸発しそうってどういうことだ。
お前の沸点ヘリウムより低いんじゃね?
「お前、熱でも出てんのか?冷えピタ全身に貼り付けるか?」
「ち、違うわ!全身に貼り付けたら動けなくなるから!」
俺が小声で聞くと、翔太は慌てながらツッコむ。
その姿があまりに滑稽で、周りの数人がクスクス笑っていた。続けていつもの漫才を繰り広げて場を和ませる。
……まあ、進展ゼロだけどな!
「まだ諦めるな!第六作戦——図書館偶然遭遇大作戦!」
「……絶対バレるだろ、そんなの」
「いいんだよ!“あ、偶然だね”ってやつはラブコメの金字塔なんだ!」
「偶然装うのに“作戦”って矛盾してんだろ……」
「最強の矛と最強の盾に打ち勝つ唯一の存在、それが童貞だ!」
「古事の全否定すんな!」
——で、放課後。
俺と翔太は校内の図書館へ。
木の匂いがする静かな空間。本棚に光が差し込んで、ページをめくる音だけが響いている。
「……桜井さん、ほんとに来んのか?」
「大丈夫だ、ここは女子人気スポットだ。勉強するフリして待ち構えろ!」
翔太は参考書を広げてガチガチに固まっている。参考書が上下逆になってるのに気付いてない所が良いポイント。悪いポイントは奴が童貞なことだな。
数分後、本当に桜井美咲と藤井真央が入ってきた。
「ほら来たぞ!偶然だ偶然!」
俺が小声で囁いた瞬間、翔太は慌てて立ち上がり……
ゴンッ!!
本棚の角に頭をぶつけた。
「うわっ……!」と情けない声が漏れる。
桜井美咲と藤井真央がびっくりして近づいてきた。
「大丈夫!?山下くん」
桜井美咲が心配そうに覗き込む。
翔太は顔を真っ赤にして「だ、大丈夫……」と蚊の鳴くような声で答える。
藤井真央は横で「も〜、ドジすぎ!」と笑っている。
……偶然の遭遇どころか、ただの負傷イベントになっちまったじゃねぇか。
念の為湿布を用意しといて良かったぜ。
俺はため息をつきながら結論した。
——お前、最強の矛には貫かれて、最強の盾には塞がれてるじゃねえか、この雑魚童貞野郎。
「まだまだ続くぜ! 第七作戦——弁当シェア大作戦!」
昼休みの教室で、俺は勢いよく箸を振りかざした。
翔太はすでにゲッソリ顔。
「……また名前からしてヤバいんだけど」
「うるせぇ! お前が自分の弁当をちょっと差し出して、“よかったらどうぞ”ってやるんだ! ほら、恋愛ドラマでよくあるだろ!」
「そんな自然にできるかよ……」
「行ける!人間の三大欲求は、食欲、睡眠欲、童貞欲だ!」
「アブラハム・マズローに謝れ!」
——で、決行日。
昼休み、桜井美咲が友達と一緒に弁当を広げるタイミングを狙って、翔太もそっと席を立つ。
ぎこちない動きで、桜井美咲の机の近くに歩み寄り……
「よ、よかったら……ちょっと食べる?」
差し出したその瞬間——翔太はバランスを崩した。
弁当箱が傾き、白米とおかずが机から床へダイブ。
「うわあああっ!!」
クラス中から悲鳴と笑いが入り混じった声が上がる。
翔太は必死に拾い集めようとして、余計に散らかす始末。
「お前、何で“シェア”が“フードテロ”に変わってんだよ」
俺は翔太と一緒になって弁当だった残骸を片付けながら小声でツッコんだ。
桜井美咲は気まずそうに微笑んで、「大丈夫?」と声をかけてくれる。
……が、翔太の心のライフゲージはゼロだ。
「さあ、ネクストチャンスの時間だ! 第八作戦——バレー大活躍大作戦だ!」
体育の授業前、翔太のジャージ姿を見て俺は宣言した。
翔太は青ざめた顔で首を振る。
「ムリだって! 俺、運動神経ゴミなんだから!」
「バカ! だからこそ見せ場作れば株爆上がりだ! スーパープレーで女子の歓声ゲットだぜ!」
「スーパープレーなんかできるかよ!」
「俺がフォローするから任せろ!だからトスを呼んでくれ!エース!」
「胸熱シーンを台無しにするんじゃねぇ!」
——そして体育館。
男女混合のバレーボールの授業。
桜井美咲も藤井真央も同じチーム。翔太はサーブを打つ姿からしてガチガチに固まっている。なんだ、針金のサービスのエース狙いだったのか?
「おい、集中しろ! ここで活躍すりゃお前の未来はバラ色だ!」
俺の檄を受けて、翔太がスパイクに挑む。
ジャンプ、振りかぶり、そして——
ブンッ! 空振り。
直後、相手が打ち返したボールが——ドゴッ!
翔太の顔面に直撃。
「ぎゃあああ!!」
翔太はその場に崩れ落ち、体育館が笑いの渦に包まれた。
女子たちが心配して駆け寄るが、赤っ恥にまみれた翔太は半泣き状態。
——お前、活躍どころか笑いの神になってんじゃねぇか。
ある意味スーパーエースだな。
因みに試合は俺がフォローしまくって勝った。
そして、試合後に桜井美咲が翔太にタオルを差し入れしていた。
ある意味これも進展だな。
「ラスト!第九作戦——ゴミ捨て紳士大作戦!」
「……名前からして嫌な予感しかしない」
「いいんだよ!桜井美咲のゴミを颯爽と拾って捨ててやれ!紳士度100%!」
「そもそもそんな都合よく……」
「行けるって!お前の童貞力を運命力に変換するんだ!」
「だから童貞力ってなんだよ!?」
そして数日後、その瞬間は本当に来た。
桜井美咲がノートを破った紙を丸めて、ゴミ箱に投げる。
……が、惜しくも外れ。
「来たぞチャンスだ翔太!」
「お、おう!」
翔太が慌てて駆け寄り、紙くずを拾って投げる。
……が、ゴミ箱のフチに直撃。
バウンドして床に散乱。
「うわっ……!」
一枚、二枚、三枚……あっという間に白い紙片が床に散らばる。
慌てて翔太が拾い集めようとするが、焦りすぎて余計に手が滑って二次災害。
成る程、コレが童貞の運命力か。それをわざわざ俺に示すとは、成長したな童貞!
「ちょ、山下〜!w」
「任せろ、俺が拾う!」
「いや俺も!」
クラス中が総出で拾い始めるという謎の団体戦に発展。
翔太は真っ赤な顔で床に這いつくばっていた。
俺は心の中で叫んだ。
——お前、運命力もクソ雑魚ナメクジなんかい!
紳士どころか散らかし王子だぞ!
こうして俺たちの「恋愛ラブラブ脱童貞大作戦」第一部は、見事に全敗で幕を閉じた。
勝率ゼロ。勝ち筋ゼロ。
だが観客満足度だけは100%。
「……まあ、ある意味成功だな」
俺は机に突っ伏す翔太の背中を叩きながら、そう結論づけた。
さて、ものの見事に童貞が童貞らしさを発揮し続けて、全てが綺麗に敗北となった本作戦——「脱童貞大作戦」の次回構想を俺が練っていたとある休み時間。
「ちょっと山下さぁ」
藤井真央が笑いながら翔太の机に寄ってきた。
桜井美咲も一緒だ。
「この前から変なことばっかしてどうしたの? マジでウケんだけど! あれ何? 童貞ムーブってやつ? 図鑑に載ってるなら“希少種”のページにありそうじゃん! キャハハ!」
その言葉に続き、教室に笑いが広がる。
「童貞ムーブw」「確かにw」なんて囁きも混じって。
桜井美咲は「もう、真央〜」と苦笑いしていたが、笑いの輪は止まらない。
翔太の顔は真っ赤。肩をすくめて縮こまっちまった。
消え入りそうなその姿を見た瞬間、俺の中で何かがカチリと音を立てた。
机に肘をつき、俺は藤井真央をじっと見た。
「……そりゃあ、違えだろ」
「え?」藤井真央が目を瞬かせる。
教室の空気が一瞬だけ止まった。
笑い声が、すっと消えていく。
「翔太のことは確かに俺が一番笑ってるし、これからも笑う。でもな、そうやって外野が好き勝手に笑うのは違うだろ」
声が、勝手に低くなっていた。
いつも軽口しか叩かない俺の声色に、翔太が驚いたように顔を上げる。
桜井美咲も藤井真央も、目を丸くして黙り込んだ。
……しまった。つい本気出しちまった。
こんなん、俺のキャラじゃねえ。
だがもう引けねぇ。あいつの、あんな顔を見ちまったら、止まれる訳がねえ。
「こいつは童貞だしポンコツだよ。でも、俺の相棒なんだ。俺だけは最後まで笑い続けるけどよ、それでも何があっても絶対にフォローするつもりだ。ただ辱める笑いに変えるつもりなんか、一ミリだってねぇよ」
クラスに微妙な空気が流れて、笑いは完全に消えた。
藤井真央が少し気まずそうに頭をかき、息を吐いた。
「……ごめん、山下。ちょっと調子に乗ってた。悪気はなかったんだけど、キツかったかな」
翔太は下を向いたまま、小さな声で「……別に」とだけ返す。
その声が震えてたのを、俺だけは気づいてた。
俺は何も答えず、ただ鼻で笑った。
それでいい。わざわざ言葉にしなくても、翔太には伝わってる。
放課後。
俺と翔太は並んで下駄箱を出た。
ワックスの匂いと革靴のにおいが混ざった独特の空気。
夕日が差し込んで、床に長い影を落としている。
グラウンドからはサッカーボールを蹴る音と「ナイス!」って声。遠くからは吹
奏楽部のトランペットがかすかに響いてくる。
——青春の放課後、ってやつだな。
「……悪かったな、さっき」
翔太がボソッと呟いた。
「何がだよ」
「俺のせいで……変な空気になったろ」
「バッカ。あれは俺が勝手にやったことだ。お前のせいじゃねえ」
「でも……」
俺はまだ納得のいっていない翔太に、肩を竦めて答える。
「でももへったくれもねぇよ。俺が面白く笑うためにやってるだけだっての」
翔太は俯いたまま黙り込む。
しばらく沈黙が続いて、小さな声が返ってきた。
「……ありがとな」
その声はかすかに震えていて、でも確かに届いた。
俺は鼻で笑い、翔太の肩を軽く小突いた。
「礼なんかいらねぇよ。俺が笑うために守ってんだ」
「……意味分かんねぇ」
「分かんなくていいんだよ、童貞」
翔太が顔を真っ赤にして「童貞童貞言うな!」と怒鳴り、俺はククッと笑った。
くだらないやり取りを続けながら校門を出た、その時だった。
「山下くん!」
振り向くと、桜井美咲が手を振っていた。
夕日に照らされたシルエットがまぶしいくらいに映える。
翔太、即フリーズ。
「今日もありがとう。……またね!」
軽やかに一言。それだけ言って、笑顔で去っていく。
声も仕草も自然体で、でも翔太にとっては特別に響く。
翔太はその場で赤面、口パクパク。
俺は横でニヤリと笑った。
「……おい翔太」
「な、なんだよ……」
「フラグ、立ったな」
「う、うるせぇ!」
翔太が真っ赤な顔で俺の腕を軽く殴ってくる。
俺は腹を抱えて笑いながら、それをひらりと避けた。
——こうして、俺たちの「恋愛ラブラブ脱童貞大作戦」は、新たな展開を迎え、しかし変わらない調子で、まだまだ続いていく。
次の日の放課後……空き教室のドアが軋む。俺たちの作戦会議室は、まだ予約でいっぱいだった。