第95話・立ち向かう意思
天井をコンクリートの柱で覆われた、ドーム状の地下都市。
天井までの高さは800メートルあるとのことで、スカイツリーが丸々収まるスケール感だ。
全周囲の壁は削りだした岩壁とコンクリートの支柱。その中に広がるなだらかな丘陵。そこに乱立した雑居ビル群。むき出しの配管と古臭い看板。
それがブリアンの国。防壕都市ブリディエットだった。
世界大戦で大空襲を受け、その防衛のために作られた地下要塞の都市。
その都市に煙が立ちのぼり、悲鳴をあげていた。
空襲のようなサイレンが鳴り続け、市民は走り続けていた。
所々、ビルの合間に黒い装甲の巨大な影が蠢いていた。
街中で幾つものデストロイタイプが暴れており、戦車砲と機関銃の音が常時鳴りやまない。
「どこから入って来たんすか、コイツら……」
メイアさんとクロス君は、都市に入る前に逮捕されたと言っていた。つまりこの都市は天井の外、地上の警戒もしっかりしているという事だ。それなのにどこから湧いたとも分からぬこの軍勢。クロス君の住んでいた防壕都市が簡単に陥落したというのも仕方ないと思えた。
僕は拘置所にメイアさんとクロス君を残し、デフィーナさんを護衛につけてきた。
別れ際、デフィーナは戦えない二人の護衛を即答で受けてくれていた。
『結婚しましょう』と言って指輪を渡しただけで、デフィーナは既に新婚気分というか、僕の事を夫として認識していた。
「極端なんすよね……なんでも」
しかし彼女ほど心強い護衛は他に居ない。
拘置所は牢屋だけど、だからこそ壁は分厚い。襲ってきたエクリプス、デストロイタイプには簡単に壁を破壊されたが、デストロイタイプは数も多くないし、小型タイプが侵入しにくい構造で、戦える手段があるなら牢獄の中の方がかえって安全だとクロス君が判断していた。
丘の一番上、ブリアンの城が都市の壁に埋まるように存在していた。
そこに、他のデストロイタイプとは明らかに違う、ひときわ巨大な影があった。
送電線の鉄塔くらいの巨大さがあるように見える。その巨大な黒い影が絶えずオレンジの爆発を受け、黒煙を纏い続けている。きっと目の前に軍隊がいて、押し返そうと応戦しているんだ。
街の人々は、その巨大な影を中心に反対側に向かって逃げている。
僕はひたすらに、その流れに逆らい、巨大な影を目指して走っていた。
城に近づくにつれ、段々と景色が変わってくる。
空気には火薬のにおいが混じり始めた。
道端には血痕や黒い装甲、ビルの壁への銃撃の跡などが目立ち始めている。
血痕は言うまでもなく犠牲者の血だろう。
壁の穴も抵抗した人間がエクリプスを射撃したんだろうと分かる。
黒い装甲はエクリプスの残骸だ。大きさは人間サイズからヒグマくらいのサイズまで様々だが、みんな腐肉に黒い装甲を無理矢理はめ込んだような見た目をしている。
そしてドグマが無くても、兵器を使えば倒せるという事が証明されている。
しかし……
「なんか、足りないっすよね……」
人間の遺体がどこにもなかった。
別に人の遺体を見たいわけでは無い。
でもエクリプスが人間を捕食すると分かった今、血痕が残っていて死体が無い理由は一つしかないだろう。
超巨大エクリプスが近くに見える所まで走ってきた。
ブリアンの城の前の大通り、都市の出口の橋まで一直線に繋がる大通りだ。
城の手前が広場になっており、広場から階段がビルの二階分ほどの高さで降りてきている。その下にまた広場がある。
僕は下段の広場を走っていた。中央に噴水がある閑静な憩いの場が、今は血痕とエクリプスの残骸であふれている。
しかし動いているエクリプスと人間はいなかった。既に終わった戦場という雰囲気。
その中を走っていると、城前の階段を勢いよく駆けおりてくる一人の影があった。
「ストームさん、どうしたんですか!!」
それは先にブリアンを殺すと言って飛び出して行ったストームだった。
腕になにか白くて大きな、袋のようなものを抱えていた。
まるで大型エクリプスから逃げるように駆けてくるストームに声をかける。
「おお、スゴミかっ! ネオのやつが居たから『正々堂々ぶっ殺す』って宣言したらよ、コイツを押し付けられちまって……!!」
そう言って腕に抱きかかえていた袋のようなモノを見せるストーム。
それは袋ではなく、白い拘束着に身を包んだスレイちゃんであった。
「スレイちゃんをネオさんが……!?」
「そうだ、いま忙しいから、いま襲うのは卑怯だって言われてよ。スレイがいると集中出来ないから、安全な所に連れて行ったら相手するって言うんだよ!」
それで大人しく引き下がる殺し屋もどうかとは思うが、そういえばノリコちゃんも言っていた。
『ネオっちはみんなの出来る事と、出来ない事を分かってるんだよ!』
つまり、ストームは既にネオさんにとって、スレイちゃん保護のための使える駒って事だ。
僕が微妙な心境で顔を歪ませていると、ストームは思いついたように口を開いた。
「そうだ! スゴミ、お前がスレイ持ってけ。そうしたら俺はもう一度ネオとブリアンをぶっ殺しに行けるからよぉ!」
スレイは僕の顔をチラりとみると、何も言わず優しく微笑んだ。
僕はそれを見て、ストームの横を抜けて走り始めた。
「僕じゃ人を運びながら逃げるなんて出来ませんよ! 拘置所でデフィーナさんが防衛戦してるんで、そこまで連れて行けば安全だと思います!!」
「おいコラ、スゴミてめぇ!!」
ストームは走り抜ける僕の背中に怒声を浴びせた。
拘置所にいた時と同じ、本物の殺意はあるのだが……
ストームの腕の中で、スレイがストームの襟首をチョイチョイと引いた。
「ねぇ、ストーム。行こ?」 小さくねだるようにストームを見上げていた。
「あ、ああ……」
ストームはそのまま広場から走り去っていった。
僕はその滑稽ともいえるストームの背中を見て小さな哀愁を感じていた。
「多分あの人、もうネオさんにまともに相手してもらえないんだろうな……」
その光景を見送りつつ、僕は城の前の広い階段を走って登り切った。
そこでようやく、超巨大エクリプスの全貌を目の当たりにする。
大きさは石油タンカーをそのまま縦に突き刺したような黒い塊だった。他の人型のエクリプスと違って、植物に近い形状をしている。
頂上部が隆起して傘のように広がり、腰ほどの位置にはぐるりと一周、花弁のようなヒダがついており、そのヒダより下はむき出しの木の根のように、細い爪状の構造が大量に伸びて地面に噛みついている。
その本体は動く気配が無いのだが、今まで見た中で最も恐ろしい機構がそれにはあった。
腰回りの花弁の裏側から、まるでキノコが胞子を降らせるかのように、蜘蛛型のエクリプスを無限に生み続けているのだ。
それは僕が廃病院で見た、六体のエクリプスと同じものに見える。
それを無限生産する。エクリプスの母体のような存在だった。
「なんなんすか……このヤバいやつは」
しかしそれと同時に、巨大エクリプスの足元では、絶えず爆発が起きていた。
エクリプスの正面にダークブルーの軍服を着た兵士達が並び、絶えず射撃を繰り返していたのだ。
凄まじいのは、蜘蛛のエクリプスは常に生み出されているが、その足元から広がる前に軍隊によって射殺されている事だった。
そしてその軍隊の後方の戦車の上に、一際目立つ白い服の男が立っていた。
エリオット王子だった。
純白のタキシードに薔薇のコサージュ。スボンが返り血とホコリで汚れ、結婚式の最中に急遽、軍事指揮に移ったのだろうと想像ができる。
「前衛、第二列と交代! 補給部隊とローテーションを保て! ロケット砲、5秒間隔で継続発射!」
凛々しい声で戦線の指揮を取っていた。
僕はそこへと駆け寄った。
「王子様……!」
エリオットは僕に気づき、戦車の上から振り返った。
「スゴミ君か、無事で良かった」
「ええ。王子こそご無事で何よりです」
「何とかね。君の顔を見て少しだけ気が楽になったよ」
目の前の巨大エクリプスとの戦闘が続いている。
こんなのを前にして臆さず戦い続けているなんて……
僕は息を飲んで質問した。
「姫様はどこへ?」
「ブリアンはブリディエット軍と城内に避難した。しかし何体かのエクリプスが既に城の中へと侵入してしまったんだ」
「ネオさんは……!?」
「ネオはスレイ嬢を庇っていたが、ストームの到着に『ちょうどいい』と言って彼女を預け、そのまま城内へ向かった」
「ちょうどいい……ですね」
エリオットの目は真剣に僕を見据えていた。
「スゴミ君。君は逮捕されたはずだが、今ここにいる。それは牢屋を抜け出し、逃げる人波を掻き分けてここへ来たという事だ。ならば相応の目的と覚悟がある。そう思って良いんだね?」
エリオットの洞察力に驚いた、まったくその通りだったので、回答に迷いは無かった。
「はい、僕は姫様の無事を確認しに来ました」
「頼もしい。ならばその覚悟、疑いようもない。君は既にストームとジャスティスの侵攻を抑えた立派な戦士だ。その功績を見込んで、ブリアンの救出を依頼したい」
その時だった。 目の前で戦っていた兵士が叫びだした。
「うわああ! 敵の爪が増えました!!」
巨大エクリプスの表面で折りたたまれていた爪が展開し、蠢きだしていた。
一本が本体の倍ほどの長さになっており、黒い刀のようにビルに突き刺さっている。
二本もあれば学校のグラウンド全てが攻撃範囲の規模だ。
即座にエリオットが指示を飛ばす。
「ネットランチャーを使え! 動きを止めてから戦車砲で叩き折れ!!」
「了解! ネットランチャー用意!」
「落ち着いて、よく狙え。この一撃に国民の命がかかっている!!」
「はっ! お任せください!!」
凛々しい顔に通る声で檄を飛ばすエリオット。
その指示だけ終えるとスっと僕に振り返った。
「私はここを離れられない。スゴミ君、ブリアンは城内の上の階にいるハズだ。ネオと協力して彼女を外へ連れ出してほしい。この世界には彼女が必要なんだ」
僕はウサギのネックレスを拳でにぎり、王子の目を見た。
「分かりました、必ず……!」
「隣人の為に引き金を引くものは英雄である。悲劇に立ち向かう者に、女神の加護があらんことを」
エリオットは胸に手を当て、宣誓のポーズを取った。
「さあ、行ってくれ」
僕はうなずくと燃え落ちる城門の影へと走り出した。
その大きな入口の扉は開けっ放しになり、大理石の門構えが石切機で切りつけられたかのように、綺麗な切り傷を残していた。
その鋭利な傷跡が、侵入したエクリプスの禍々しさを物語っていた。




