第91話・DE-D・type
「ひぃあ、やめっ!! 助け……」
カォオーン!!
ショベルカーのバケット同士を噛み合わせたような壊音が、監獄のコンクリートの中を反響していた。
「おい、看守、看守ー!! だせ、食われる、殺されるっ!!」
まるでパニック映画に放り込まれたような、裂けるような悲鳴。イキり散らしていた屈強な男たちの断末魔。
監獄は地獄の処刑場と化していた。
僕の正面の牢屋のクロス君からは、僕の隣の部屋の様子が見えているようだった。
「エクリプスだ!! この国にもエクリプスが攻めてきたんだ!!」
牢屋の通気口の外から、男や女の悲鳴が聞こえてくる。
「なんだコイツら!!」「キャア! 助けて、誰か助け……!!」
そして廊下のテレビの中継が再開した。
音が始まると同時に機関銃の音や悲鳴が聞こえてきた。
「緊急情報です。都市内に謎の巨大兵器が大量に出現。第一級警戒宣言が発令されました。皆様、落ち着いて防衛行動を、家からは決して出歩かないように……」
ジジ……ガガ……ピー……ブツッ。
そのテレビの待機室を、看守達が駆けていく。
「緊急配備だ、ショットガン使用許可!」
「囚人達はどうしますかっ!」
「手が回らん、善良な市民が優先だ!」
「は、はいっ!!」
看守達の声が遠ざかって行く。
僕の顔から血の気が引き、腸の順番がぐちゃぐちゃになるような不快感が腹を襲った。
「なんすかこれ、エクリプス? 本当にエクリプス!? ドグマの物語の走者、キュリオスを殺しにくるって話じゃなかったんすか……!!」
巨大兵器が大量出現……?
廃病院で起きた事件の比じゃない。
滅ぶ、本当にこの都市が、ブリアンの国が……!
その時、腰が砕けて立てないストームが、包帯だらけのミイラのような姿で床を這ってこちらに向かってきた。
「さ、下がれ……! こっちへ来た!!」
ストームは目を見開き、顔中の包帯から血を滲ませながら、僕の顔を床から見上げていた。
僕の監房の換気口を見上げる。
レンガ一個分ほどの穴から、外の光が差し込んでいた。
その光が日蝕のように黒く埋まった。
僕は床のストームの腕に手を伸ばして、自分の元まで引っ張った。
その直後だった。
ガゴォオオン!! ガタン、バコン。カラカラカラ……
コンクリート壁が弾ける音と共に牢屋の中が一気に明るくなり、砂煙が視界を包んだ。
まずメイアが叫んだ。
「いやぁああ!!」
そしてクロスが叫んだ。
「デーダッドだ。デストロイタイプだ……!!」
エクリプスにタイプと通称……?
もしかして僕より知ってる?
そんな確認を取る暇は無い。
タイプなんて知らない。こいつは人を食い殺す。
僕は砂煙にむせ返りながらも、目を細く開けて正面を見た。
戦慄、恐怖、嫌悪感。
僕の底に眠る生存本能が、全力でその存在を拒絶していた。
引っ張ったストームの足元には、塊のままのコンクリート壁。
助けなければストームは下敷きだった。
厚み50センチはあろうかという壁が、まるでビスケットのように崩れて、都市の照明の光を大きく取り込む天窓に施工されていた。
そしてその中央に、漆黒の影があった。
ベースは人型。まるで電車一両をそのまま縦に置いたような質量感。剥き出しになった筋繊維のような、赤身のような濡れた肉の上に、黒い棘のような鎧が幾重にも重なり、ヤマアラシのように体を覆っている。
そして顔。
大型トラックサイズのカブトムシのような黒い外骨格が全体を覆っており、目は無い。
大きく裂けた口には人間のような平たい歯が並び、その口から絶えず血液と原油を混ぜたような、赤黒い粘性の液体を垂れ流している。
「コイツがデストロイタイプ……」
そして、光を背にした天窓の画角の外から、黒い爪がやってきた。
そこでようやく廃病院の蜘蛛のバケモノのシルエットを思い出す。
その爪は、人の手のような形でありながら、指の一本一本が電柱のような長さの黒い刀と化している。
それがコンクリート壁を容易に叩き割ったのだとすぐに想像がついた。
エクリプスはその爪を丁寧にたたみ、イカの足のようにすぼめて牢屋の中へと伸ばしてくる。
僕にはその歪んだ口元が、まるでクレーンゲームで景品を狙う子供のように楽しんでいるように見えた。
ストームが歯を噛んだ。
「くっそ、デカすぎんだろ、外に抜けらればよぉ……」
そうだ、思えばストームの宣言通りになった。
敵が来て穴が開いた。囚人が犠牲になった。看守は迎え撃ちに出た。
脱獄チャンスではある。
宿に戻ってドグマを手に入れなくちゃいけない。
じゃあストームを掴ませて、そのスキに開いた穴から這い出て逃げるか?
出来ない。
「スゴミさん……!!」
後ろでメイアが僕を気遣う声をあげている。
状況は彼女も同じ、こんなものは順番待ちだ。
僕はメイアさんとクロス君を見捨てられない。
それなら……
僕はゴーグルに手をかけた。それを即座に下ろして目を覆った。
そして高らかに叫んだ。
「よっしゃあ、ノリコちゃんパワー全開! このピンチ、乗り越えたら超楽しいってやつですよねぇ!!」
「スゴミ……さん?」
後ろでメイアが困惑している。
痛い? ドン引き? わかってる。
それでも僕は、笑って挑む。怖いから。
「わっはは、ストーム! 一体化すんぞ、股ぐら開け!!」
「ああっ!?」「ええっ!?」
ストームのキレた口調が返って来る。
メイアの恥ずかしがる声が聞こえてくる。
だがそれで良い。
構わないんだ。構ってる暇はないから。
エクリプスの爪が部屋の中で大きく開き、室内全部が攻撃範囲である事を示している。
「肩車っすよ! 一時停戦、生き残るっすよ!!」
「はぁ!?」
僕はそう言ってストームの尻側から頭を突っ込み、ストームを肩の上に担いだ。ストームの身体は細くて小柄。剣を持って飛び回るための絞られた筋肉だ。女子のように軽い。
そして僕は牢屋の鉄格子に背中を当てた。ひやりと伝わる格子の冷気。ストームが僕の頭を掴んで叫ぶ。
「なんだこれ、どうすんだよ!!」
「鉄柵につかまってください、ギリギリで分離して避けます!!」
目の前でエクリプスの爪が部屋いっぱいに広がり、壁にギャリギャリと傷をつけながら迫ってくる。
爪の高さは僕の目線の高さ。両サイドから密室罠の鉄格子のように挟み込もうとしてくる。
爪が僕の顔の両サイドに来た時。
「今だストーム、天井に張り付け!!」
そう言ってストームの足を放り投げ、自分は鉄格子に背中を当てて体を滑らせ、一気に床に張り付く姿勢を取った。
仰向けで寝転ぶ形から見えたのはストームの背中。鉄格子を握って腕の力だけで天井に張り付いている。凄まじい筋力と体幹だ。
そしてその下には、僕たちを捕まえようとしたエクリプスの爪。
エクリプスの電柱のような刀の爪は、牢屋の鉄格子をグミのように容易に折り曲げて切断していた。
僕は起き上がりながら、エクリプスの爪を避けて切断された鉄格子のスキマから廊下へと躍り出た。
「引き付け成功、檻から出ます!!」
「お……おうっ!!」
ストームも鉄格子を掴んだ姿勢から身体を振り子のように器用に動かし、檻の外へと飛び出した。
屈んだ姿勢、ヒメガミさんのネックレスが揺れていた。
僕はエクリプスの特徴を思い出したんだ。
病院のエクリプスがアルハを捕まえて連れ去った時のことだ。
奴らは音も無く一撃必殺で人間を殺せるのに、わざわざ爪で捕まえてから晒しあげるようにして顔面をノコギリで切断していた。
この巨大エクリプスも同じ生体だとしたら、と考えた。
隣の房の囚人は、痛みを訴えてから食われた。
つまり、生きた状態で口に運ばれた。
エクリプスは構造も目的も知らない。
でも明確にコイツらは、生きた人間を特定の方法で殺すって事だ。こだわりがあるということ。
だから肩車をした。
僕とストームが一体化すれば、僕+ストームの長さの中心を狙って掴んでくると予想した。
その通りだった。
そのおかげで、爪の位置が上にズレて、僕が床に滑り込むためのスキマがうまれた。
「いやー、ギリギリでしたねぇ! めっちゃドキドキしてますよ!!」
興奮気味の僕に注意するように、クロス君が車椅子を動かして檻の手前まで来た。
「次が来ますよ……!!」
エクリプスは爪を外に出し、目のない甲殻の顔でこちらを見ているようだった。
僕はその地点から、一人で全力を出して待機室へと走った。
ようやく見えたブラウン管テレビの映像。
それは横向きで映る街の景色だった。
きっとカメラを投げ捨てて逃げたのだろう。
逃げる人々の走る足だけがバタバタと映り、ビルから煙が上がっていた。




