第90話・壁の向こう
外は晴れ舞台。僕は監獄。
武器も逃げ場もありません。
「敵が来るってどういう事?」
向かいの監房。知り合ったばかりの女性。赤毛のメイアは不安気な顔を見せた。
僕が恐れているのは、無差別惨殺のエクリプス。しかし、それを話しても彼女の不安を煽るだけ。なんの解決にもならない事は分かっていた。
「ほ、ほら、後ろのストームってやつがさ、殺し屋に命を狙われてるんすよ、それが来るんじゃないかな。って話っすよ」
誤魔化した。嘘ではない。
事実としてジャスティスはストームを狙っている。
もしかしたら本当に来るかもしれない。
ストームはチラリと見ていた。目が合って声をかけた。
「ってか、本当にジャスティス来たらどうするんすか。ストームさんのこと殺すって言ってましたけど」
「兄貴は来るならもう来てる。来てねぇって事は、場所がバレてねぇか、他に都合があるかだ。まあ来たら終いだ。俺は兄貴には勝てねぇ」
ストームは軽く言って、天井へと目を逸らすと、暇そうに目を細めていた。
「ブリアン姫は狙われるんじゃ……」
「兄貴は見た奴だいたい全員殺すから。結婚式みてぇな派手な所にはワザワザ行かねぇ。俺は結婚式だろうが何人雑魚護衛がいようが、正面から行くけどな。姫は俺が殺す。結婚式が全部終わるまでにやらねぇと、兄貴に取られるな」
そういうとストームは毛布を被り直して目を閉じた。
「暗殺、まだやる気だったすか……」
それを聞いてメイアが質問してくる。
「ブリアン姫って、王子様の結婚相手よね、狙われてるの?」
「はい、僕は昨日までブリアン姫の護衛についてたんすよ」
すると次はメイアの後ろ、車椅子のクロス君が身を乗り出した。
「そんな、それはエリオット様に報告しないとっ!」
「あ、王子は知ってます。僕は昨日、一日ですけど王子と一緒に行動していて、刺客とも戦ってたんすよね」
僕は軽く返しただけのつもりだったが、その一言に対してメイアの食いつきが凄まじかった。
「えっ! あなたエリオット様と一緒に行動してたの!? すごいわ、彼はどうでしたか!?」
「どうでしたと言われても、冷静で、頼りになって、あと、優しかったっすね」
それを聞くとメイアは安堵の笑みを浮かべ、胸に手を当てて目を潤ませてから、クロスの車椅子へと駆け寄った。
「ああ、まさにエリオット様だわ。良かった、それを聞けただけでもここまで来た甲斐があったわね!」
「う、うん。できればお会いしたかったけどね」
年相応の快活さのメイアと、少し冷静なクロス君。そんな二人の反応を見ていると気になる事があった。
「そちらこそ、エリオット王子と知り合いだったんすか?」
「ええ、私たちエリオット様に命を救って頂いて、今はドラキール領の村落に住まわせて貰ってるの」
メイアはしゃがんでクロスの車椅子の手すりに手をかけながら、こちらを見ている。服はボロボロだ。入国する金もないと言っていた。
見るからにブリディエットの住民より貧しそうだ。
「やっぱり、戦争の影響、なんすかね……」
「ええ、まあ……そんなところね」
メイアは目を逸らし、クロスの足に視線を落とした。
ちょうどヒザの皿より下が無い両足に、包帯とも言えぬ、よれたTシャツをちぎった様なものが巻きついている。
すると、クロスはメイアの肩に手を置き、幼いのに鋭い目つきで僕に視線を合わせた。
「悲劇を隠さず、口にせよ。だよね、お姉ちゃん」
「クロス、よしなさい……!」
何か言うのを止めたそうにしているメイアに見向きもせず、クロスは力強く僕に説明を始めた。
「戦争じゃないんだ、エクリプスって怪物がいるんだ! 僕たちの国は防衛力の高さで有名だったんだ。それが二年前、その怪物に滅ぼされたんですよ!」
「エクリプス、黒い爪の……!?」
「そうだよ!!」
メイアが申し訳なさそうに鉄格子まで歩いてきて僕を見た。
「ごめんなさい、脅かすつもりじゃなかったの」
僕は驚愕していた。僕の方から言わないようにと気を使っていた敵の存在を、目の前の二人は知っているどころか、被害者だったなんて。
「いや、よく無事でしたね……」
クロスはその後ろから、声を震わせながらも、止まることなく力強く語りつづけた。
「お父さんも、お母さんも、みんな食われたんだ。僕の足もだ」
彼は膝より先の無い足をさすっている。
「でも王子様が、ドラキール軍が助けに来てくれたんだ! 僕たちの国はドラキールと何の関係もない都市だったのに! それなのに都市が住めなくなるまで、最後まで抵抗してくれて……!」
僕は口を覆っていた。
国と言ったら地下都市のことだ。おそらくは数万人が住んでいる都市。
それが二年前エクリプスによって滅亡している。
胸のウサギネックレスを触った。
僕もエクリプスによって身近な六名の犠牲者を晒された。だが都市ごと殺すなんて規模が違い過ぎる。
「国ごと滅ぼすって、どんなエクリプスだったんすか……」
語り続けるクロスには熱がこもっていた。つらい体験を口にする、その痛々しさまでが伝わって来る。
「残酷なやつらだったよ。全てを壊して殺すんだ。滅亡なんて数日だった。みんな絶望していた」
クロスは声が震え、泣きだしそうにうつむいて拳を握っているのが分かる。
「それでも王子は言ったんだ!『悲劇を越えて、力とせよ』だから僕たちは諦めないんだ。村を作って……」
ガシャァン!!
その時、隣の房から鉄格子の揺れる音が聞こえた。
僕は素早くそちらの方を向いて身構えた。
ついに来たのか、エクリプスが……!?
そう思った。
しかし聞こえてきたのはイカつい男の、低い怒声だった。
「おいコラぁ、うっせーぞ、ガキども! いつまで騒いでんだよ!」
別の房の囚人だった。顔は見えないが、声の威圧だけで身が縮む。
喧嘩、脅しを日常にしている人間だと、声だけで分かる態度だった。
それで火がついたように、別の房からも声が届く。
「おいおい、盛り上がっちゃってぇ、何イチャついてんだよぉ? 女が居るよなあ? なあ?」
酒で焼けてしゃがれたような、嫌味ったらしい声だった。
「乳デカ姫の結婚式の話かぁ? 俺も見てぇよなあ、乳姫の生結婚式なぁ! おい女ぁ、代わりに格子にでも乳挟んで見せてくれよォ!!」
下衆な声に便乗して、囚人達が盛り上がり始める。
「おお〜それいい! ちょっと見せて見せて〜!」
メイアの目がスッと鋭くなる。格子から下がって沈黙を続けていた。
しかし囚人達はヒートアップして行く。
「おいおい、無視かよぉ?」「今すげー喋ってたじゃん!」
「 シカトされんのキッツゥ。こっちは礼儀正しくお願いしてんのによぉ!」
僕は昨日から逮捕され収監、逃げられず戦えもしない絶望感。
デフィーナの予言。襲撃に怯えて寝るのも怖かった。
でも先程まで、空気は少し和らいでいた。
絶望の中でも諦めないクロス君の目に感心した。
そこに割り込んで来る、低俗な声。
よどみ……
もともとストレスの限界だった。左右の牢屋を見る。
この部屋から見えるのは、正面のメイアの檻と、その両隣の囚人の腕と頭髪くらい。
口走っていた。
「うるさいんすよ!!」
湧きあがっていた囚人が静まり、一人が即座に反応する。
「はあ?」
「そういう話してなかったっすよね! なんなんすか、あんたら、気持ち悪いんすよ!!」
喧嘩なんて売りたくない。
僕は揉め事がきらいだ、人も殴れない。
しかしここは牢屋。相手の拳は届かない。
そのせいだったのかも知れない。
我慢が効かず、僕は先に反論してしまっていた。
それが囚人の怒りに触れた。
「おう? なに言ってんだよ。てめぇ、調子こいてんじゃねぇよ」
「ガキが舐めた口きいてると、都市の壁に埋め立ててやっからな?」
少し浮ついていた囚人達のトーンが一斉に下がる。
僕は黙り込んだ。勢いで言ったけど、反撃されるのを考えていなかった。
「おい、テメェ、聞いてんのかコラァ!!」「喧嘩売ったよなあ!!」
「出たら覚悟しとけよな! ガキ一人くらい、いつでも消せるんだよ!!」
囚人たちの怒りと同調が止まらない。
その瞬間、更なる音が背中で響いた。
バゴォォオン!!
石造りの壁が震えるほどの轟音だった。
石壁が軋み、砂の落ちる音がサラサラと、静寂の中を流れる。
「うるせぇんだよ、こっちは寝てんだぞ!!」
ストームだった。
壁を殴った手から血が噴き出しながらも、コンクリートの壁に跡を残していた。
「ザコ共が、ガタガタ抜かしてんじゃねぇ、まとめてぶち殺されてぇのかコラァ!!」
その声はどの囚人よりも荒く、重く、本物の大量殺人者の殺気をもっていた。中身の無い脅しのはずなのに混じりっけのない『殺す』という意思が、その場の全員にハッキリと伝わった。
しばしの静寂。
牢屋の中には、砕けた石の転がる音だけが奏でられていた。
すると廊下の奥から、バタバタと足音が近づく。
それは看守達だった。
「おい何ごとだ、静かにしろ、貴様ら!!」
囚人たちは黙って壁の陰に引っ込んでいく。
ようやく場の空気が落ち着いた。
メイアが手のひらを縦に伸ばし、謝罪のポーズを取る。
「ご、ごめんね! 騒ぎになっちゃって」
それを見て僕は眉をひそめていた。
「メイアさん、悪くないですから。それより、ひどいこと言われて、大丈夫っすか」
メイアは穏やかに返す。
「大丈夫よ、別に! 珍しい事でもないし」
逆に気を使われた感じがした。
こんなのが珍しくないなんて、それこそが悲劇だ。
と、その時。もう一度響く壁の音。
バゴォーン!! ズォォン! ゴゴゴ……
さっきのストームの壁殴り以上の音が鳴り響き、建物全体が激しく揺れた。
僕はあわててすぐに振り返った。
「ストームさん! 静かにしないと、また看守来ますよ!」
ストームを見ると、半分起き上がろうとしつつも、格子窓の外を見上げていた。
目が飛び出しそうな程の顔で硬直し、身震いしている。
「お、俺じゃねぇ……! バケモンが居る……!」
ストームは真上の格子窓を指さしている。それは換気と光を入れるだけの小さい窓。
僕がいる牢屋の内側から見えるのは、都市の天井と地下照明の明かりだけだ。
窓の外には何も見えない。
「バケモノ……エクリプス?」
僕が戦ったエクリプスは蜘蛛のエクリプスだ。
足を曲げた状態で2メートルほどの高さがあり、中心に人間の遺体を晒しあげ、音もなく壁をくり抜いて攻撃してくる『敵』だ。
2メートルで無音の暗殺者。
それが僕のエクリプスのイメージ。
しかし、今のは起きた音があまりにも大きい。
直後……
ギャリィィィン!!
金属のクジラの遠吠えのような、ノコギリとノコギリを無理やり噛み合わせて引いたような異音が鳴り響いた。
隣の房から囚人の声が聞こえる。
「なんだコイツ」「バケモノ、デカ……爪っ!!」
「うわ、離せ!! 痛っ、離せコラァ!!」
ガッコォーン。
「ああああ! 食われた、なんだコイツ、おい、ここからだせぇえ!」




