第89話・祝福から遠い場所
白い
白いね! 白いよ、てんしさん!
明るい? そうだね!
夢の中かな? 夢の中だよ!
てんしさん! てんしさん!
天から正義のシシャがやって来るんだよ!
怖くないさ、僕が守ってあげるからね!!
ちょっと、なになに? あんたたち!!
楽しそうなことしてるじゃないのよ!!
あ、今シナリオの途中なんだよ!!
途中で入ったらダメだってば!!
なになに? シナリオ!?
超楽しいってやつ!? ウチもやるやるー!!
ダメだよ、やめてよ!!
君はてんしさんじゃないでしょ!!
天使だってぇ、やば! 超楽しそう!!
じゃあウチが無敵のヒーロー仮面するからね!!
やめてよ、ごめんね、待ってて、てんしさん!!
てんしさんごめんね!! あれ……?
てんしさん、どこなの?
───目が覚めた。
最悪だ。
最高に最悪の夢を見た気がする。
内容は覚えてない。
寒い、あまりにも寒い。
僕は眠っていたんだ。掛け布団が無い。
だから寒いんだ。
目を薄くあけ、正面を見る。
薄黒く湿気た、コンクリート床。
ひび割れた、コンクリートの壁。
電球一個に照らされた、コンクリートの天井。
まるで牢獄だ。
なんと言っても目の前には鉄格子の柵。規律よく並んだ鉄棒が冷たく出口を塞いでいる。
背中に温かみがあった。他人の体温だ。
僕の意識は覚醒した。
「ちょっと!! ストームさん、毛布全部取らないで下さいっすよ!!」
僕は身体を震わして飛び起きた。
昨日、宿にチェックインしたのだが、僕の寝床は宿ではなかった。
隣で寝ていたのはストームだ。寝言を言っている。
「うるせぇな……甘いのはスレイが食えって、むにゃむにゃ……」
「はあ、なんで僕がこんな目に。マジでコイツ、ノリコちゃんと取り替えてくださいっすよ……」
僕はストームと二人、冷たい牢獄の中にいた。
ドンッ! ドン、ドンッ!!
窓の外から軽快な音花火の音が入り込んでくる。
毛布にくるまって寝転ぶストームの頭の上に、小さな換気口が空いている。換気口に窓はなく、光のさしこむ鉄格子だ。
遠くから聞こえる、華やかなラッパのファンファーレ。楽しそうなドラムの音。
キャーキャーと湧き立つ黄色い歓声。
今日はブリアンとエリオットの結婚式。
祝福の日。
しかし僕は今、祝福からはもっとも遠い場所にいた。
僕は部屋の出口の鉄格子へと走り、冷えた鉄棒をつかみながら叫びあげた。
「ちょっと、出してくださいよ。敵が出るんですってば!! 僕はね、捕まってる場合じゃ無いんですから!!」
崖の上でノリコを埋葬した後にホテルに戻ったら警察がいたのだ。要件は死体らしきものを見たという従業員からの通報。
ノリコの遺体が見られていたようで、その確認に来ていたのだ。
だがそれはエリオット王子が王族の身分を明かしつつ、確保したストームの事だろうと言って冷静に対処。暗殺者ストームを引き渡したいと言う要件に見事にすり替えていた。
そこまでは良かった。
その後、身分の確認が始まったのがまずかった。
ブリディエットは要塞都市であり、違法入国は即逮捕なのだが、異世界から来た僕はどう足掻いても身分を証明出来なかった。
常に冷静な王子も、少し考え込んでいた。
「まいりましたね、防壕国家で身分が証明出来ないのは、少し厄介で手配に時間がかかります」
さらにその時、僕はデフィーナと共に部屋に戻されており、警察が部屋に入って来た時、捕まるとは思っておらず、ドグマを手にしていなかった。
ドグマはホテルの机に置きっぱなしで、僕以外は動かせない。
警察に両脇を抑えられた僕に対して、デフィーナが最後に言った言葉は……
「ああ、死んだわね。さよなら、ヒサヅカスゴミ」
無慈悲であった。
そうだ。敵が来る。黒爪のエクリプスがやってくる。
それはアルハであるデフィーナの宣告。おそらく確定事項。
ここは牢獄内で武器も逃げ場もない。
外では結婚式が始まり、僕の元には狂気の時間がやってくる。
「ノリコちゃん様、ノリコちゃん様!! この超ピンチに笑ってられるほど、僕は強くないんすよ。どうすればいいんすかぁ!!」
膝をついて絶望を叫んでいると、僕の背中で包帯でグルグル巻きになったストームが目を覚ました。
「なんだ、やかましいな。一晩牢屋にいたくらいで喚きやがって」
僕は振り向いてストームの元へと駆け寄った。
「呑気過ぎますよストームさん!! 敵が来るかもしれないんすよ!!」
ストームは毛布を巻きながらあくびをした。
「はぁーあ、バカかてめぇは、敵が来たら、ぶっ殺せばいいだろ」
マジで言ってんのかコイツ。
エクリプスなんて人間が太刀打ち出来るものじゃない。
最低でもドグマは必要。デフィーナさんもそう言ってた。
「勝てないですよ。それに僕らだけじゃ無いんすよ! 周りでも死人が出るんですから!!」
ストームは仰向けに包帯だらけの顔で、悪魔のようにニヤけた。
「だからな、てめぇは頭使えよ。ここには囚人と看守しかいねぇ。囚人なんて死んでもいいし、看守が死ねば逃げられるだろうが。敵はいつ来てくれんだよ」
絶句した。
「もっともらしいけど、イカれてるっすね……」
だが追い詰められた僕は、ストームの言う事も一理あるのかもしれないと思い始めていた。
エクリプスは壁に穴をあけて襲って来る。上手くすれば脱出の機会もあるかもしれない。
すると、廊下の方からノイズ交じりのテレビ音声が流れてきた。
廊下の奥の待機室の小さい机に置かれた、古びたブラウン管テレビによる放映だった。
「本日、ついに歴史の扉が開かれます」
爽やかでハッキリとしたアナウンサーの声。結婚式の中継だ。
僕は近寄って冷たい鉄格子に顔を押し付け、隙間から廊下の先の待機室に置かれたテレビを見ようとしていた。
「ブリディエット公国と、ドラキール帝国。群雄割拠する防壕国家間の戦争に差す光として、ここに正式な和平を結び、新たな未来を共に築くと宣言いたします」
パー♪ パッパパー♪
アナウンサーに合わせ、ファンファーレが鳴り響く。
「その証として今、王女ブリアン・ブリディエット様と、国王エリオット・ド・ラクロワ陛下の
婚礼の儀が執り行われます」
キャー! 姫様ー!!
キャー!! 王子様ー!!
ガリッ……ジジッ……バチ……
テレビが机に乗っているのは見えたが、テレビの縁が見えるだけで、画面は全く見えなかった。
「くそっ、ちょうど見えないじゃないっすか、なんであんな位置にテレビを……」
すると、僕の牢屋の向かいの牢屋にも、鉄柵に顔を挟み込んでいる女性がいた。
「もぉー!! なんなのよ、コレ。牢屋から見えないようにするなら、テレビなんて置くんじゃないわよ!!」
女性は三つ編みにした赤毛で、服は古くてヨレヨレ。つぎはぎだらけの白衣を着ていた。更に牢屋のその奥には車椅子に座った少年が心配そうに見ている。どうやら足が無い。
「お姉ちゃん、やめなよ。そんなに押し付けたら顔に跡つくよ」
少年の衣装もくたびれているが、声はハッキリとしていた。女性はそれでも鉄柵に顔をねじり込もうとし続けている。
「クロス、あんたの頭なら通るんじゃない? ちょっと王子の様子だけでも見てみなさいよ」
「僕が見ても意味ないって、お姉ちゃんが見たいんでしょ?」
僕はそのやり取りを、鉄柵に顔を当てたまま、横目に聞いていた。
「ダメだ……何も見えないっすね」
「ああ、もう、なんなのこれ、モヤモヤするわね」
僕と向かいの女性は同時に柵から顔を離していた。すると格子を両手で掴んだ、同じ姿勢で目が合った。
女性はすぐさま僕の顔を見て噴き出していた。
「ふふっ、ヤバ、あなた、顔にものすごい跡ついてるわよ」
そう言う女性の顔にも、鼻の脇に真っ赤なラインが一直線に走っていた。
「あなたも、ガッツリついてますけどね……」
「えっ、嘘でしょ、嫌だわぁ」
そう言って驚いた顔で自身の顔をペタペタと触りだす。
その姿が滑稽に見えたのと、緊張状態が緩んだのとで、つい笑いが込み上げてきた。
「ははっ、まあ牢屋ですし、人の目を気にしてもしょうがないっすよ」
それを言うと女性は笑顔になって首を傾げた。
「へぇ、あなた面白いわね、名前聞いても良い?」
「僕はスゴミっすね。後ろにいるのはストーム」
「私はメイアよ、後ろのはクロス。あなた達も結婚式見に来て捕まったの?」
「ええと、事情は色々あるんすけど、僕は不法入国の疑いで、後ろの人は殺人未遂っすね」
その紹介に、仰向けのまま天井を見つめるストームが割り込んだ。
「未遂じゃねえよ。継続中だ」
「それもっとダメじゃないっすか……」
それを聞いてメイアは引き気味に笑った。
「あはは、物騒な人と同じ部屋になっちゃったのね」
僕はメイアのさっきの言葉が気になって聞き返してみる。
「あなた達もって言いましたけど、メイアさんは結婚式を見に来て捕まったんすか?」
メイアは一瞬後ろのクロスに目をやり、すぐに振り向いて答えた。
「そうよ。エリオット様のご婚儀と聞いて駆け付けたんだけど、正規入国はお金かかるし、ブリディエットへの入り口を探してたらね、逮捕されちゃった。結果的に国には入れたけどね」
そうか、この人はこの防壕都市の外の人なのか。僕がまだ行ったことのない、この都市の外……
「それは、不運だったっすね……」
「ええ、でもテレビは国内放送だと思うし、聞けただけでも良かったかも。あとはエリオット様の声だけでも聞ければね」
すると、再びストームが後ろから口を挟んでくる。
「はっ、結婚なんて済んでも関係ねえぞ。俺はブリアンをぶっ殺すからなあ」
僕は苦い顔をしてストームの方に振り向いた。
ストームは僕のドグマに肩を抉り飛ばされ、ジャスティスに顔面を叩きつぶされて重傷。腰は砕けて一人で立つことも出来ない状態なのだが、強がりなのか本気なのか、強気な姿勢は一切崩さなかった。
そして、次のストームの発言に、僕の神経は現実に引き戻されることになった。
「で、敵ってのは、いつ来てくれんだよ」
敵、それはエクリプスのことだ。
奴らは無慈悲に近くの人から惨殺していく、理不尽の化身。
「敵って何? さっきも叫んでたわよね、ここに来るって話なの?」
振り向いている僕の裏、鉄格子の向こうからメイアが質問した。
そうだ。エクリプスがここに来るとして、犠牲者が出るとして……
囚人とストームは悪党だから百歩譲って仕方ない。
僕だってドグマ所持者だから、千歩くらい譲ったら仕方ないと言えるかもしれない。
しかし、目の前のメイアさんとクロス君。
この二人はどう見ても悪党じゃないし、エクリプスとの因果は無い。
「だ、ダメっすよ、始まったら……!!」
寒くて冷えたんじゃない。僕の背中に冷たい感覚がよじ登って来ていた。
廊下の奥、見えないテレビが、ノイズを発していた。




