第87話・ネオの内側2
僕の目の前には5メートルの崖。
ネオさんはガジェットを使って難なく登ってみせた。
僕のドグマの変形は、ノリコのちゃぶ台『秘密の食卓』のみ。
「新しい形を作って登れって事っすか……」
目の前のデフィーナは、無言で少し身体をこちらに傾けた。
それは触手のネットの中で横たわるノリコの遺体を見せつけるような動きだった。
そして触手を二本地面に突き刺した。
そのままデフィーナの体がふわりと浮かび上がり、僕の目線の高さで一旦停止した。そして無言で睨みつけてくる。
僕は苦笑混じりに反応した。
「それを真似しろと……?」
「何も言ってないでしょ、どうせあんたは、もうすぐ死ぬんだから」
デフィーナの目は冷徹だった。答えてくれる気など無さそうだし、走者交代の構想は変わってないようだ。
しかし僕はやる気を出していた。
ノリコに貰ったゴーグルを頭からおろして目に被せた。
「そう言って、待ってくれてるじゃ無いっすか! そうっすよね、ここで躓いているようじゃエクリプスになんて勝てない。やることは分かって来たっすよ!」
「あっそ」
デフィーナは流し目ですまし顔。
僕はその目の前にドグマを掲げて、叫んだ。
「ドグマ解放!! ───シスターズネイル!」
何も起きない。
ドグマはまったく反応せず、頑なに白い球体のままだ。デフィーナは肩をすくめた。
「シスターズネイルは、ナラクがイメージした私の精神へのモチーフ。あんたごときが使えるわけないでしょ」
「知らないっすよ、そんなの、いま初めて言ったじゃないっすか……」
「守れるように使いこなすんじゃなかったの? 自害するなら崖から飛び降りるのが早いわよ」
そう言ってため息を吐いたデフィーナはノリコを抱いたまま触手を伸ばし、崖の上へと当たり前のように登っていった。
僕はそれに対して叫んでしまった。
「ちょ、ちょっとくらい何かヒントくださいっすよ! アルハは支持者なんすよね! 支持してくださいよ!!」
崖の上から、デフィーナの声が降ってくる。
「イマジンドグマなのよ。イメージが合わなきゃ形になるわけないでしょ。その玉と同じ、白いものでも想像してみたら?」
僕は崖の上のデフィーナを見つめていた。
今かなり普通に教えてくれた。死ねとか自害しろとか言ってたくせに。ちゃんと教えてくれた。それでも、あくまでデフィーナにしては。だけど。
僕は手の中のドグマを見つめた。
白くて、長くて、柔軟で、紐のような。
きっと、僕の身近で想像できる何かじゃないとダメだ。
「整いました!!」
僕はドグマを前に突き出し、力強く唱えた。
「ドグマ解放! ───そうめん!!」
ドグマの角がうねりだした。
玉がちょっとだけ尖って蠢き……
そしてすぐに元に戻った。
「あっ、惜しい! でも見たっすか今の?」
僕は崖の上を見た。緑髪の二人が僕を見下ろしている。
「ほら、ここ尖って、ちょっと行けそうだったっすよね!? この感じで何か作れば良いんですよね!!」
デフィーナの目は既に排水溝のヘドロでも見るような目だった。その目でデフィーナが冷淡に言い捨てる。
「才能ゼロね。ネオ、もう埋めていいでしょ、穴を掘って入れれば良いのよね」
「ああ、たのむ」
ネオさんは普通に短く答えていた。
「ちょ、待ってくださいっすよ!! 僕もノリコちゃん見送るんですから!!」
崖の上を見上げる。デフィーナの姿はもう無い。
代わりにドレス姿のネオさんが、腰に手を当てて仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
僕は焦りながらも、ドグマと崖の上を見比べながらぶつぶつ言って考えていた。
「やばい、急がないと。白くて、想像できるもの。階段……? 白くない、さっき昇ってきた岩盤のイメージしかない。やはり紐系。白くて、柔軟で……」
そして、視界の端にある物が映りこんだ。
「あっ!」
思わず声が漏れた。
気づいてしまった。
いや、気づかない方がおかしい。
男ならば気づかない方がどうかしてる。
崖の上のネオさんは、普段からホットパンツで堂々たる立ち振る舞い。動きも大胆で大雑把。
それなのに、今日に限ってはブリアンのドレスでスカート。
恩人だ、考えてはいけない。
ノリコの埋葬だ、不謹慎だ。
でも、本能的な反応だ、止められない。
風が吹けば、スカートが揺れて
自然と目線が引っ張られる。
心の声が、つぶやきとして漏れていた。
「ネオさんの下着、思いっきり見えてる……」
それはゴーグル越しの5メートル先の光景。
純白のレースを象られた丸みを帯びた二等辺三角形。美と欲望の聖域……
でもダメだ。
見た事なんてバレたら、ノリコの埋葬どころか僕も一緒に埋葬される。
しかし、考えてはいけないと思うほどに、思考はそれに支配されていく。
そして……
ネオさんが甲高い悲鳴を上げる。
勇猛な彼女らしくもない、乙女の悲鳴だった。
「ひゃう!? え、ええ!?」
ゴーグル越しに薄目で見上げてみる。
ネオさんが思い切りスカートをめくり上げている。
下着をモロにさらけ出していた。
だが本人はスカートの中を確認しているだけだ。
見せつける意図とかではなくて、単なる確認。
ただそれだけのつもりの様子だった。
「え!? いつ取られた!?」
混乱した様子で下着をさするようにまさぐっている。
自分がちゃんと履いていることを確認し終わると、
下着に指を突っ込み、パチンと弾いた。
「いや、ある。そうだよ、あるよなぁ!!」
そう言って急いでスカートを押さえつけて隠し、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「おい! てめぇソレ! ふざけてんのか、何のつもりだ!!」
「え、なんすか……」
何を怒ってるのか分からなかった。
唖然として黙って見上げていると
数秒も経たずにネオの態度が変わる。
「ああそうか、お前はそういうやつなんだな、見守って損した、もういい!」
そう言ってネオさんはスカートをなびかせて崖の奥へと消えて行った。
「デフィーナ! さっさと埋めるぞ!!」
僕の顔は青ざめていった。
「えっ!? 見たのバレた……? 一瞬しか見てないのに!?」
しかし気づけば、手にあった硬いドグマの感触が完全に無くなっていた。
代わりに何か、軽くて柔らかいものが、手のひらを包んでいた。
視線を下げて手元を見る。
ドグマが変形していた。
それはネオさんの白い下着そっくりの形。
微細なレース、シルクの質感までリアルに再現された、完全に本物としか言いようのない現実。
ネオさんのパンツと化したドグマの形だった。
それが僕の手に、しっかり握られていた。
「ええ……!? 白い形って……そうじゃないっすよね!?」
とりあえず、もう崖を登る手段はもう無いことを悟った。
早くしないと埋葬が終わる。
僕はホテルの階段駆け下り、ホールを出て脇の崖の道へ、山のような通路を回り道で坂を駆け上がった。
数分後……
僕は崖の上の園地へと到着した。
園地には道という道はなく、平面ではあるが崖の上、草の茂みと数本の木が生えているだけのグリーンプラントのような台座だった。
僕は息を切らし、額にも背にも汗、園地の脇の登れそうな勾配に無理矢理体をねじ込んで入って来た。
ネオさんとデフィーナは、すでに穴を掘り終えて、ノリコの体は穴の中央に横たえられていた。
顔にはハンカチ、手を腹の上で組みなおされ、軽く花まで添えられている。
僕は息も絶え絶えに抗議した。
「はぁ、はぁ、ひどいっすよ、本当に見捨てるなんて」
ウェディングドレスのネオさんが、冷ややかな目で振り返る。
「ひどいのはお前だろ、あんなパン……」 クールに言いかけ、一瞬止まって声が裏返る。
「なっ!? お前、それ!」
ネオさんは近寄って来て僕の腕を掴み、ひねり上げた。
「いだ!! いだだだ!!」
「なんでそのまま持って来てんだよ!! ふざけてんのか、今すぐしまえ!!」
捻り上げられた手の中に、ドグマで作った下着がそのまま握られていた。
「いやコレはその、あの、追いかけるのに必死で!!」
捻り上げられた腕を強引に手前におろし、必死に叫んでいた。
するとデフィーナが近寄ってきて、下着のドグマをマジマジと観察しだした。
「レースにシルクの質感まで、気持ち悪いくらい精巧な造形ね」
真剣な目でそれを見ていた。意図する所は分からない。僕はネオさんに掴まれた腕をもう片腕で押さえながら、デフィーナに聞いた。
「えっと、褒めてます?」
デフィーナは身を起こして、にらみつけてきた。
「これでどうやって敵を殺すのよ」
「ですよね……」
ネオさんは僕の腕を放り投げ、サイズ不足のドレスの零れ落ちそうな胸の前で腕を組んで、じっと僕に視線を当てた。
「お前なぁ、私も自分で言いたくなけどなぁ。私って命の恩人だよな。それに向かって、そういうことするの、酷いとか思わないのか?」
「いや、ほんと申し訳ないっす。出したくて出したんじゃなくて、でもその、きづいたら、こうなってて……」
僕は頭をかいた。でも少し進んだ気はしていた。ノリコとの食卓に続く、二つ目の形。
感覚的に掴み始めた、ドグマの核心。僕は興奮気味に身を乗り出していた。
「純粋に、綺麗だなって思ったんすよ!! そう、感動したんです!! 多分そういう気持ちが重要なんじゃないっすか!? これって、次に繋がると思うんすよ!!」
僕はネオさんに迫る勢いでそう語っていた。パンツを握りしめて。
「綺麗で感動っておま……っ」
ネオさんは露骨に赤くなり、額に手をあてて目を逸らした。
単純な褒めと押しに弱いの、どんな状況からでも発動するのか……
「あ、あの、すみません」
僕の小さな謝罪に、ネオさんはそのまま半分振り返り、ノリコの遺体に目をやる。
「まったく、そんなもん形にしてさ。ノリコだって悲しむだろうが」
「……はい。」
僕もノリコを見た。寝そべった身体の顔の上に布が一枚。
その下の記憶に焼き付いた笑顔、所かまわず悪戯してくる、その姿が頭から離れない。
『ギャハハ』と笑う無邪気をはらんだ挑発的な顔。
それを思うと、ネオさんの発言、『悲しむだろうが』に違和感を感じずにはいられなかった。
「いや、ノリコちゃんだったら……」
僕はノリコのゴーグルを外して頭に置き、自分の目でネオさんをまっすぐに見据えた。
「ドグマのパンツ化なんて見たら、大爆笑して、めっちゃからかうと思います」
「バカ、さすがにそんなこと……」
ネオさんは一瞬引いたように顔を歪めたが。
「いや、そうかも」 否定しなかった。
二人の耳にはその声が聞こえていた。『キャァア! ラブたん変態かー!? パンツ出すとか超ウケるじゃん、ウチのも出せるか、出してみー!?』
高台の小さな園地に風が吹いた。ネオさんは思わず肩が笑っていた。
「ま、まあ、いいから、もうそれ戻せ。ずっと握られてるとソワソワすんだよ」
「は、はいっす。ドグマをしまうイメージ!!」
ネオさんのパンツを正面に掲げる。
戻らない。
パンツのままだ。
ネオさんの目に熱が再び灯り、殺意のようなオーラが染み出し始めている。
「あ、あれ!? 戻らないっすよ!? な、なんでなんすか、デフィーナさん!!」
デフィーナがあきれ顔で言い放つ。
「とんでもないドスケベ変態のゴミクズだわ。どうやらそれが相当お気に入りのようね」
「もうやだ……」
殺意の頂点に上りそうだったネオさんは、その場で顔を覆ってうずくまってしまった。
デフィーナが手を出し、パンツをパサリとはたいた。
「敵が出たら、それで戦って、そのまま死になさい」
「それは、否定できないっすね」




