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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第3章・前夜編

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第84話・デフィーナの本当1

 殺人女のデフィーナが、僕の部屋のベッドで浴衣を着崩している。



 胸に肌着はつけていないようだ。


 中途半端に開いた浴衣に隙間に、鎖骨からヘソまでのラインを露出させている。


 元戦争の防空壕という宿の部屋は六畳程度。全周囲が岩で覆われており窓はない。部屋の奥にベッドがあってデフィーナがおり、手前のソファにはノリコの遺体が横たわる。


 ネオさんが帰るまでと、その正面で硬い椅子に座る僕。


 まるで囚人の監獄だ。



 デフィーナはチェックインしていないので自分の部屋が無い。とはいえ距離が近いし無防備にも限度がある。とても目を合わせられない。


 僕は目の前のノリコの遺体を見つめながら、必死に抗議していた。




「なんなんすか、その格好、ちゃんと服着てくださいよ!!」


「はあ? ゴミカスがポッドで失禁なんてするから、私は服を洗うハメになったのよ、アンタの責任でしょ」


 何故かジャスティス相手にビビって失禁から、ポッドで失禁にグレードアップしている。失禁してないけど。


「それ水だって言いましたよね!? 浴衣なのは良いんすよ、ちゃんと着てくれって言ってんすよ!」



 デフィーナは一瞬押し黙った。


「細かい事を、やかましいわね。アンタはその死体が良いんでしょ、こっち見ないでくれる?」


「え?」 それを言われて、つい見てしまった。


 今のは何? ノリコへの嫉妬? ツンデレ?

 ありえない、この女から殺意と侮辱以外の感情が……



 などと考える間もなく、視界に入ったその姿に圧倒された。強烈な太ももが目に入った。


 デフィーナは壁に背をあずけ、足を折り曲げた格好をしており、細い足首だけが内股の下着を隠し、その両脇の真っ白な太ももが、こちらに向けられていたのだ。



 慌ててノリコの顔に視線を戻した。もう一言も喋れなかった。



 とにかくノリコに集中する。


 気持ちを落ち着けようと冷静になってノリコの顔を眺めていると、変化が起きているのに気づいた。


 死後三時間ほど経過したその顔は、真っ白というより青に近くなり始め、血液が下がったからか、仰向けの顔は頬骨が浮き出て、口も開き始めていた。


 そして運んだ時の揺れで前髪が動き、閉じた瞼にかかっている事に気づいた。



「ノリコちゃん……」


 僕はその髪を軽くつまんで、そっと顔の側面へと避けた。



 すると視界の端で、デフィーナの姿が動くのが分かった。


 見てはいけないという気持ちで、ノリコの顔に集中しているのだが、デフィーナは遠慮なく、まっすぐに僕に近寄ってきている。



「なに、なんの用っすか!?」



 振り向かないように、首の固定に意識を集中、目を見開いてノリコ以外見ないように意識した。


 だがデフィーナは止まらない。近い、近い、近づいて、いいにおいがふわりと香った。


「自分、見てないっすよ、なに……!!」



 デフィーナは僕の目の前まで来て停止した。右手に迫る白い生足。


 そして……




 パサッ


 ノリコの顔にハンカチをかけられた。



「ちょっと、何してるんすか……!!」



 その瞬間、ノリコの顔が見えなくなったことで意識が揺らぎ、反射的にデフィーナの方に振り向いてしまった。


 目の前には生のヘソと、短すぎる浴衣から長く伸びる足、前からでも見える臀部の膨らみ。


 そして石鹸のいい匂いが鼻から直接突き刺さって脳を貫いた。


「あ、ヤバ……」


 動揺しすぎて股を閉じて腕をすくめ、デフィーナを見上げる。



「なにしに……!!」




 見上げた先、天井の電球から逆光を受け、暗がりの中のデフィーナの目は、金色でありながら閻魔の審判のような暗黒に沈んだ色で、僕を見下していた。




「あんた、最低ね」




 突然の一言。


 アルハにも言われた、僕のトラウマに抉りこむ言葉。『最低』


 僕の全身に冷や汗が走り、手の先から痒みと鳥肌が上がってくる。


「何が……」



 デフィーナはそのまま呆れたような声で続けた。


「女の顔が醜くなるのを眺めるなんて、残酷な趣味してるわ」




「すみません……」


 謝罪は反射だった。意味など無い。僕は趣味でそうしていたわけじゃない。

 しかし心臓が止まりそうになった。首の筋肉が言う事を効かない。息が詰まって首が上がらない。


 無防備にさらけ出された彼女の腹部の中央。なめらかな肌と、しなやかな腹筋の中心に、くにゃりと曲がったヘソがある。僕の瞳孔の中にはそれだけしか映らなかった。



 唾液が制御なく、ただ喉の奥を伝ってくる。息が止まった。


 そのまましばらく沈黙していると、デフィーナが右足を崩して、左足を伸ばす動きで浴衣の裾が揺れた。僕の目玉だけがその動きを無意識に追っている。そして彼女は腰に手を当てて休憩姿勢に組み替えながら静かに切り出した。



「ゴミカス、なにを出せんの?」


「えっ、出せるって……?」



 突然なんかと思った。僕の視線は彼女の太ももに落ちた。同時に僕の声が上擦る。



「えっ! なんの話っすか!?」


 急に首が筋力を取り戻し、デフィーナの顔を見あげた。


 ちょうど無表情から気だるそうな顔に変わる瞬間だった。



「ドグマの話に決まってんでしょ、机と、あとは何を出せんのよ?」



 視界は強烈だった。


 なめらかな腹部に、アバラの角とみぞおち。そこから広がる、ささやかな膨らみかけが適当に重なる浴衣の薄布の奥へと滑り込んでいく。


 しかしデフィーナから初めて、挑発でも侮辱でもない、まともな質問を受けた気がした。



 僕は変な気持ちは抑えて精一杯に答えた。


「出せるってか、ノリコさんを守りたいって思ったら机に変形したんすよ。それだけっすけど、あと、固定は出来ます」



「ふーん。じゃあ、彼女を守る時だけしか戦えないのは変わらないと」


 デフィーナの声はかつてなく平穏だった。



「そうかも。いや……」


 脇腹にあったドグマを手にとって、少し考えてみる。ネオさんと連携した時は、ネオさんの指示に従って動かせた。


 ノリコにはゴーグルを貰った。


 大切なのはノリコとの思い出だ。


 秘密の食卓はきっといつでもだせる。そんな確信がある。そう思った瞬間、ドグマは変形過程も経ずに、画面が切り替わったかのように机の形に変化した。



 それを見て言葉を続ける。


「机の盾はいつでも出せます。それにジャスティスのやつは許せないっす。あいつはノリコさんを殺しましたけど、ノリコさんは標的でも何でも無くて、ただそこに居たから殺されたと言うか」



 整理が付いていなかった。ジャスティスは憎い。でもじゃあ、僕がドグマを使ってジャスティスを殺すのかと言われたら、無理な気がする。


 実際ストームを倒した時も、勝ってノリコを守った喜びよりも、ストームを殺してしまったかの不安の方が上だった。



 そこにデフィーナの容赦ない一言が被せられる。


「ノリコを死体にしたのは守る力を使わなかったからでしょ、それはあなたの責任じゃないの?」


 分かってる事を言ってくる。自分自身、それが一番辛いのに。

 だがそれは事実だ。僕はドグマを両手で掴み、元の球状に戻した。



「守りたかったっすよ。戦うってイメージは全然わかないけど、盾が使えるようになって、ノリコさんを守れたって思ってました、最後に油断しちゃったから……」


 目が潤みだした。頭皮に染み込んで来たノリコの血液の温度を覚えている。


「僕は守れなかったんすよ。でもゴーグル貰って、辛くても笑ってるからって、ノリコさんと約束して、それで……」



 感情が溢れだしてくる。つい三時間前の屈辱が腹の底から沸騰を始めていた。

 しかしそれにピシャッと蓋をするように、デフィーナが差しこんでくる。



「言いたいこと、まとめてくれる? なに言ってんのか意味不明なんだけど」



 なんなんだ、この女は。キツすぎんだろ。

 感傷は一気に苛立ちに変わった。しかし、見上げた。


 逆光の中で光る金色の目。それだけを見上げていた。

 今は彼女が放つ魅力も、香りも、他は気にならなかった。




「僕は、ちゃんと人を守れるように、ドグマを使いこなしたいと思ってます」


 視線は逸らさなかった。彼女の目だけを見つめてそう言い切った。

 デフィーナの返答を待った。数秒の見つめ合いののち、デフィーナは腕を組んで目を細めた。




「あっそう、じゃあ言っとくけど、そろそろエクリプスが出るわよ」



「え……?」 唖然とした。


 この女は何を言ってんだいきなり。そんな話してなかったよな。僕はドグマを使いたいと言っただけだ。


 エクリプス……? 廃病院のカイブツ……?


「エクリプスって、黒い爪の怪物の話してます?」


「それ以外なにがあんのよ」




 いやデフィーナは突然だが、最近エクリプスがよく出るとは王子も言っていた。ネオさんもエクリプスの存在は知ってた。



 でも、それがブリディエットに?


 明日が王子とブリアンの結婚式なのに? 


 あんなのが来たら、絶対に人が死ぬのに?




「なんでそんな事が分かるんすか!」


 僕は思わず声を荒げて立ち上がっていた。僕より頭ひとつ小さいデフィーナが、超至近距離からにらみあげてくる。



「分かるに決まってるでしょ、私は、獅子神シシガミナラクのアルハなんだから」


「ナラク、アルハ!? デフィーナさん、やっぱりアルハさんだったんすか!?」



 情報処理が追いつかない。エクリプスもアルハも、話がいきなり過ぎる。

 ナラクさんはネオさんのかつての仲間で、僕のドグマの持ち主で、亡くなった人のハズだ。



「デフィーナさんがアルハって、どういう事っすか? 記憶持ちのアルハさんの転生者って事です?」



「転生者ってなによ。どうでもいいでしょ」

 デフィーナはドグマを掴んでいる僕の手首を掴んで、顔の前までひねり上げてきた。


「アルハってのは役職よ。支持者アルハはドグマの物語を観測する目」

 デフィーナは僕の腕から手を離し、僕の胸にその指を突きつける。


「私の名前はデフィーナ。アルハの一人であるデフィーナ。これはナラクが名付けた名前よ」



 確かにデフィーナさんがアルハに似ているとは思っていた。

 しかしその事実は僕の中で飲み込み切れない困惑として渦を巻いていた。

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