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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第3章・前夜編

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第82話・世界を統べるシナリオ

「なんで貸さないといけないんすか……」



 ノリコの遺体を抱いてては宿に入れない。事実だ。


 しかし僕を敵視して侮辱し続け、ノリコを死体としか呼ばないデフィーナに、ノリコを貸すなど出来るわけがなかった。



 デフィーナは当然の事を言ってる風に話している。


「私がノリコの死体を持って屋上から入るから、あんたは王子と普通にチェックインしなさい」



 施設の埋まっている右の岩壁を見た。


 垂直に近い断崖の上に岩を切り抜いたような窓と、さらに高い上の段にはアンティークの施された石柵が設けられている。


 屋上だとしたらあそこ、しかし道は繋がっておらず、高さもビルの三階ほどはある。



「屋上って……どこから行くんすか」


「だるいわね、私は説明してる時間があったら早く身体洗いたいのよ」 そう言いながら、指をあちこちさしながら説明を始めた。


「私だけ屋上から入れる。死体持ってたら入れない。おわり。あとは頭使って貰える?」




 開いた口が塞がらなかった。


 アルハとの廃病院の階段を思い出していた。アルハも相当いい加減だったけど、デフィーナを見てると、アルハの方がまだ説明してくれた気がしてしまう。



「なんて言うか、デフィーナさんって、アルハさんにめちゃくちゃ似てますけど、全然違いますよね」



 思ったままを口にしていた。


 文脈的に関係ない発言。挑発の意図があったわけじゃない。しかしその一言は自然と出ていた。



 それにデフィーナの態度が急変した。


 目を見開いて一瞬震え、なにか禁断の言葉を言われてしまったような、デフィーナが傷ついて、弱さを見せたような顔だった。


 すぐに寂しげな目に切り替わり、視線を逸らした。


「あんたごときが、アルハの、何を知ってるって言うのよ……」


「知らないっすよ、何も。だって教えてくれないじゃないっすか」



 デフィーナは目を逸らしたまま、頭からピョコンと跳ね出た髪の毛をいじり、ピンと弾いた。そして深い姿勢から僕を横目で睨みつける。



「もういいからさっさと死体を貸しなさい。私がかわりに持ち込んでやるっつってんのよ。嫌なら逮捕されるか、その辺に捨てるしかないと思うけど?」


「それならそう言ってくださいよ、デフィーナさんの考えてる事、分かんないんすよ……」



 理屈はあってる。どの道、一人じゃ進めない。


 彼女は殺す殺すと言ってるけど、一応要所では協力はしてくれる。だからそれに期待して預けてみることにした。


 僕は地面に膝を付き、ゆっくりとノリコの体を低い位置に持ってきた。


「首に力入ってないんで、持つ時に気をつけてくださいよ、折れたら可哀想ですし」



 そう言ってデフィーナの足を見た。。デフィーナは一歩も進まず、ノリコを受け取る姿勢ではなかった。


 棒立ち状態から、無表情でトランクを前に出している。


 そして唱えた。



「ドグマ開放──シスターズネイル」


「は? ちょっと……!!」


 僕はノリコの身体を見ていたが、すぐに視線を持ち上げた。


 トランクの両脇からメス付きの触手が六本、勢いよく飛び出して、うねり始めている。ジャスティスとの近接戦に対応してた触手だ。とても目で追える速度では無い。


 立ち上がろうとしたが、ノリコの重みを持って地についた膝は、簡単には地面を離れてはくれなかった。



 縄跳びの二重跳びをする時のような空気を切る音が僕の目の前で弾け出す。


「ちょっと!! 何する気っすか!!」


 僕は立ち上がろうとしたが、ノリコの重みで体勢を崩し、後ろへと体が跳ねて岩盤の道路へと尻をついた。


 その瞬間、腕に抱え続けていたノリコの重みが完全に消え去った。


 それと同時にデフィーナの触手のしなる音が止み、静かになる。


 冷酷で倫理観の壊れたデフィーナの「運ぶ」って、切り刻んでブロック肉みたいにして、屋上に投げ入れる。そういう事かと思った。




 急いで身を起こして正面を見る。それに合わせてデフィーナもチラリと僕の方を見た。



「何する気って、運ぶって言ってんでしょ」



 デフィーナのお腹の前に、まるで妊婦のようにカイコの繭のようなものが張り付いていた。それはよく見ると触手を編み込んで出来たハンモックであり、その中心に柔らかくノリコが横たわっている。



 そしてデフィーナは触手を二本地面に突き刺すと、そのつま先がふわりと宙に浮き、ゆらゆらとバランスを整えると、触手を伸ばしてエレベーターのように一気に上って行った。


 そして三階のビルほどの高さの屋上へと、自分身体を放り投げると、触手を回収して瞬く間に消えていった。


 僕は呆気にとられていた。



「ドグマってそんな使い方も出来るんすか……」


「助けられましたね、ドグマ解放……不思議な力です」


 後ろからエリオットが僕の横の崖側にまで出てきて、静かに呟いた。そして尻もちをついた僕に白い手袋に包まれた手を差し出した。



「彼女は口は悪いですが、配慮の出来る方です、我々もチェックインを済ませましょう」



 ノリコを包む繭のようなネットは、確かに配慮に満たされていた。あっちの方が僕の腕の中よりよっぽど快適だろう。


 しかし気持ちの下振れ的に、どうにも素直に賛同することはできず、曖昧に返して自力で立ち上がった。



「そう……なんすかね」



 そう言ってエリオットの正面に立つと、彼は僕の服に目をやり、悲しみの色のようなダークエメラルドの貴族的な上着を脱ぎ始めた。



「スゴミ君、胸についた血が目立ちます。私の上着を抱えて隠し、従者のふりをしてください」


 長時間血塗れのノリコを抱えていた。Tシャツについた血液は黒くなり始め、手のひらを濡らしていた血も固まって、水垢のような層を描いていた。


「確かに、そうっすね。ありがとうございます。でも綺麗な服、汚れちゃうっすよ……」


「彼女の血が汚れである訳がありません」示し合わせたツッコミのような即答だった。

「気にしないでください、替えは手配すれば手に入ります」


 そう言って彼は上着を四つに折りたたみ、丁寧に手渡してきた。受け取るしかなかった。僕がそれを両手で受け取ると同時に次の話に進んだ。



「ではチェックインはこちらで取ります。スゴミ君、フルネームを伺っても?」


久塚ひさづか 凄巳すごみです、久しい石塚のすごい蛇です。干支の巳年の巳」


「なるほど、良い名前です。改めて、私はドラキール王国の国王、エリオット・ド・ラクロワ」


「どうもっす。みんなそうですけど、日本語使ってるのに、国も名前も日本っぽくないですよね」



 そうだ、地味に気になって発言してしまったが、ここはブリディエット公国で、王子はドラキール王国。ブリアン姫は帝国って言ってた気もするけど……差なんて知らない。


 王子は姿勢を正して聞き返した。



「ニホンというと、大日本帝国の事ですか?」


「大日本帝国って、戦争の映画くらいでしか聞いた事無いっすけど……」



 エリオットは顎に手を当てて、腕を組んだ。


「不思議な方だ、戦争を映画の脚本にするなど、この時勢に考える人などいないでしょう」


 ノリコが言ってた。ここは大空襲時代の防空壕をめっちゃ掘ったら出来た国だって。



「B29とか、零戦とか、原爆なら映画で見た気がします」


「ボーイング29型爆撃機と、零式戦闘機の事ですか? ずいぶん軍事事情に詳しいですね」



 やっぱり戦闘機はあるんだ……


「私もフランスからの入植王族三世なので、大日本帝国の事情は勉強不足でして、原爆は分かりませんが、今度調べておきますよ」



 フランスもあるんだ……でもやばい、自分から振ったけど、途中から何言ってるか分からない……


「そういえば戦争、続いてるんすよね、80年戦争ってやつですか」


 そうだ80年戦争、ブリアンが言ってた。よく思い出した自分。



「80年戦争と言うと、第二次世界大戦ですね。今は大国も衰退して内乱期、大日本帝国の中枢は陥落し、防壕都市国家同士の戦争の方が身近ではありますが」



 ダメだ、学校に行ってない僕には単語レベルで何を言ってるか分からない。戦争に違いなんてあるのか、僕には曖昧にしか理解できなかった。


「防空壕同士で……争ってるって事っすよね?」


「そうですね、防壕国家都市は、対空襲の要塞都市です。戦争の主軸は地上の白兵戦となります。私はブリアンと共に、まずこの防壕国家戦争を終わらせます」


 語り出したエリオットは、崖の道から一望出来るブリディエットの街並みを眺めた。


「この国との和平がなされれば、手が届きます。私たちは大日本帝国に代わる新国家を立ち上げ、世界経済への復帰をしたいと思っているんです。今はそのシナリオを書いている最中なんですよ」



「……そうなんすね」


 ダメだ、すごくすごい事を言ってるのは分かるけど、さっぱり分からない。


 でも、ノリコみたいな人が笑って生きられる国を作ろうとしてくれているなら……


「自分、国とか政治のことはよく分からないっすけど、平和が一番だと思います。応援してるっすよ」


「ありがとうスゴミ君。だからこそブリアンを守ってくれた君の行動が、私にとってはとても尊いものなんだよ」



 エリオットの美しいブロンドの髪を地下都市の風が撫でた。綺麗な肌で、絶妙に話についていけてない僕にも、彼は優しい微笑みをかけてくれる。



「さぁ……宿へ向かいましょう」



 僕はエリオットから受け取った上着の位置を確認し、血が見えないように抱きしめて、宿へと向かうエリオットの背中を追って歩き出した。




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