第81・断崖上の宣誓。
デフィーナは僕を殺す気だった。
なのに脱出ポッドの順番を譲ってくれた。
基地に残る方が危険だ。
ノリコはストームに順番を譲らなければ生きていた。
アルハと同じだ、強い意志を感じるのに、未だに行動原理が分からない。
脱出ポッドが上昇を終え。出口の扉がカシャリと開いた。
脱出ポッドの座席は、せり上がって吐き出す構造だ。僕はその前に立ち上がった。
そこは幾度となく見た天井付きの地下都市。今回はビル街ではなくて、崖のような道路の脇にある、小さな資材置き場だった。
降りた先、地下都市の人工照明を背にして、整った制服に身を包んだ高身長の青年。エリオット王子が立っていた。
その待機姿勢までが慎ましく、完璧な姿勢と落ち着いた表情を完成させている。
そこに一瞬だけ眉に力が入った。きっとデフィーナが出て来ると思っていたのだろう。しかしすぐに穏やかな表情に戻った。
「スゴミ君が出て来るとはね、驚いたよ。無事で何よりだった。ノリコさんは怪我を?」
僕はその柔らかい対応に少しの安堵を覚えつつも、言葉を探すようにして、わずかに口を開いた。
「いえ、ノリコさんはもう……」
エリオットの目元が、ほんの一瞬だけ揺れて姿勢を引いた。だが、それもすぐに整えられる。
「そうか、それは悲劇だった」 彼は胸に手を当てた。「僕にもう少し力があれば、ジャスティスを足止め出来ていたかも知れない。巻き込んでしまって、すまない事をした」
「いえ、王子が足止めしてくれたから、自分は生き残れました。王子の方こそ、よくご無事で……」
王子は目を細めて脱出ポッドを見た。
「デフィーナのおかげだよ。ネオさんが現れて煙幕が晴れた後も、デフィーナがジャスティスを抑えてくれていたんだ。しかし敵は急に方向を変えた。とても追える速度じゃなかったよ」
「バイクにストームくっつけてたからっすね、ブリアンとストームを狙ってるって言ってました」
「なるほど、僕らの始末より口封じが優先だったんだね。可能性を見落としていた、謝罪で済む話では無いが、今は謝罪しか出来ない、申し訳ない」
王子の目は慈しむようであり、強く、冷静だった。
確かに元はと言えば王子と姫の結婚、それを妨害する暗殺計画が発端だ。ネオさんの仕事がその護衛で、ノリコはチームメンバー。
僕は突然巻き込まれた。
でもそれが無ければ、ノリコとの関係も無かったし、僕がいなくてもジャスティスは来ただろう。
何が正解だった? 誰が正しかった? 分からない。ただノリコを殺したのはジャスティスだ。
ジャスティスが悪い。それだけは確かだ。
「ホントに、王子のせいでは無いですから……」
「ありがとう、私にも守れなかった命がいくつもある。この世界は戦乱であり残酷だ。この先にも多くの失われる命があるだろう、全てを止めることは出来ない」
照明を背にした王子の顔は、真っすぐに僕の目を見ていた。
あれだけの事があって、この落ち着いた姿。ジャスティスが来た時の即時の反応といい、くぐった修羅場の数が違うんだろう。
「しかし平和統一とクロウガストの検挙。それによって救われる命が必ずある。ノリコさんは取り返しのつかない悲劇となってしまった。私はせめてその悲劇を胸に刻み、この世界の完成へと進んでいくことにするよ」
シューン、キン。
王子の語りに鐘を鳴らすように、脱出ポッドが登ってくる音が響いた。
中に居たのはもちろんデフィーナ。
なのだが何故かこちらに尻を向け、片手でスカートをまくって長い太ももを晒し、もう片手で脱出ポッドの壁に手をついてバランスを取っていた。
その体勢でりきんだ足が震えているという、クールさどころか尊厳すら無い姿だった。
「な、なにしてんすか……」
ポッドの座席が傾斜して、デフィーナはそのポーズのまま滑り降りた。地に足がつくと、彼女はすぐに振り返って僕に対して指を突きつけ、怒鳴りあげてきた。
「ちょっと、ジャスティス相手に失禁してたなら言いなさいよね! 本当に気持ち悪いやつね、アンタは!!」
「えっ、失禁……!? してないっすよ!?」
「ズボン濡れてんじゃないの!! 座席も汚れてるし、そんな格好で大人しく順番、譲られてんじゃないわよ!!」
言われて気づいた。ポッドの座席から水が流れている。マンホールの滑り台を滑った時の水でズボンがビシャビシャだったんだ。
「ちょ、ち、違いますよ!! それただの水ですから!!」
「あー! 気持ち悪い、王子、早く宿に向かってちょうだい、身体を流さないと匂いが残るから!」
エリオットもデフィーナのキレ顔には目を開いて驚いている様子だった。しかし発言しだすまでに息を整え、声を出す時には平静なトーンに安定している。
「そうだね、宿へと向かおう。ブリアン達も先に入っているハズだ」
そう言ってエリオットは資材置き場から崖沿いの道路へと歩き出した。
デフィーナはスカートを伸ばして手ではたくと自分の手の匂いを嗅ぎながら、再び僕を睨んだ。
「ゴミカス。その机いつまで出してんの。臨戦態勢ってわけ? 私とやりたいってなら、この場でやってあげるけど」
「あっ……え、ドグマって元に戻せるんすか」
デフィーナは面倒くさそうに目を細め、返事も無くエリオットにつづいて歩き始めた。僕の事など気にせず、ずっと手の匂いを嗅いでいる。
僕はそれを目で追いつつも、出しっぱなしの机を小さく出来るならと思い、腕に張り付いたドグマに命令をする。
「えっと、ドグマよ、元にもどれ……?」
ドグマを見てみるが、まったく動かなかった。『いつまで出してるの』と言われても戻し方を教えてくれない。色々試すしかない。
次はちょっと格好つけて、ネオさんの真似をしてみる。
「機能停止!! 秘密の食卓!!」
まったく反応無し。
僕が立ち止まっていると、エリオットが振り向いて声をかけてきた。
「スゴミ君、付いて来てもらえるかな、サザナさんから宿泊先の情報だけ受け取っているんだ」
それに重ねてデフィーナが口を挟む。
「何してんのよゴミクズ。足引っ張ってないで、さっさとドグマをしまいなさい」
「いや、しまえと言われましても……」
邪魔ではあるけど、分からないならどうしようも無い。とりあえず張り付きと追順は機能してるから脇腹にしまい、ついて行くことを優先しようと思った。
その時だった。
すうっと、ドグマの机は音もなく縮み、ぐにゃりと形を変えて、元の白い球体に戻った。ドグマの本来の形『玉』と言うやつだ。
そして触ってもいないのに、腕から脇腹へとぬるりと移動する。
「そうか、しまうって意識すれば良いのか」
ドグマは玉を基本形として形を変えられる。デフィーナを見てそこまで分かり、しまうと意識すると元に戻る。それがデフィーナのセリフで分かった。
しかしこれが『教えてくれたこと』として数えられるのかは微妙な所だ。
エリオットを先頭にしてしばらく歩いた。歩く時間があるので、途中でデフィーナに何度か声をかけてみた。
「あの……ドグマについて聞きたいんすけど……」
「やかましい」
「あの……アルハさんの事なんすけど……」
「気持ち悪い」
「あの……天使さんって知ってます?」
「しつこい」
まったく会話をしてくれなかった。
「着いたね、あそこのようだ」
エリオットが振り返った。
宿泊施設に着いた。それは崖沿いに崖に埋まるような形で建てられたローマの神殿のような建物で、入口には機関銃を持った警備員が立っていた。
僕は周囲を見回した。ブリアンを連れて宿を探した初日、ほぼ誰とも会ってないのに軍は僕達を見つけて追ってきていたからだ。
「しっかりした宿っすけど、大丈夫なんすかね、追手とか……」
デフィーナは目を細めたまま呆れたように回答した。
「マスターが手配したんだから、ここで良いのよ」
さっきまで全部スルーしてたくせに、なぜマウント取る時だけ喋る……
「マスターって、サザナさんのことっすよね。裏で色々してくれてるんすね」
「当然でしょ。相手は王子だし、金はいくらでも搾り取れると言ってたわね」
「それ本人の前で言うんすか……」
「事実でしょ」
僕の顔は困惑に歪んでいた。
そのままの顔で王子の方を見る。するとエリオットは振り向いて、柔らかく笑みを添えながら声をかけた。
「手厳しいですね。もちろん謝礼は惜しまないつもりですが」
「ほら、マスターは間違えてないのよ」
あまりにも気まずい。デフィーナは毒舌だけど、誰にでも遠慮が無いというか、場も空気も読まず、配慮が欠損している感じがする。この会話の遠慮なさと噛み合わなさが、ますますアルハを思い出させる。
立ち尽くしていると、デフィーナが僕の腕元を指をさした。
「ゴミカス、死体持ったまま宿に入るつもり?」
「えっ?」
僕の胸元には死後30分ほど経ったノリコの遺体。既に抱き続ける重みにも慣れていた。
抱き上げたノリコの身体の、僕に接触してる部分にだけが温まり、そこだけ厚着をしているようだった。
僕は回答に迷った。ノリコを連れていたら宿泊施設には入れない。残酷だが事実だ。
だがその事実から目をそらすかのように返した。
「あの……ゴミカスって呼ぶの、やめてくれないっすか、それにノリコさんのことも、名前で呼んでほしいっすね」
するとデフィーナは黙り込んで地面を見た。そして顎に指を当てて何かを考え始めている。僕は何も難しい事は言っていない。普通に呼べと言っただけであり、何を考える必要があるのか分からなかった。
するとデフィーナはふっと息を抜き、顔を上げて純朴な目で言葉を落としてきた。
「じゃあゴミ。宿入るからノリコの死体を貸しなさい」
僕は瞬きが止まらなかった。
確かに僕の要求通りゴミカス呼びをやめて、ノリコの名前を呼んでいるが、やめて欲しい事を根本的に何も解決させてない事に衝撃が走り、この人に何言っても無駄だと思わせるほどだったからだ。
そしてなにより、コイツにノリコを預けるなんて、絶対にしたくなかった。




