第79話・それぞれの正義へ
奴は黒煙と火災の渦巻くビルの脇から姿を現した。
トラックに積載された大量の爆薬が、狭路の両脇に整然と並ぶビルの壁面を抉り飛ばして天候を変えた。
空のない地下都市に、コンクリートの雨と、すすの雪。
その中を平然と虎のように、筋肉質な肩を揺らして迫ってくる。
男の名は、コードネーム、ジャスティス。
軍服のようなズボンの裾は破け、赤いスカーフが背後からの火災風に乗ってはためいている。
ネオさんは、その吹き抜ける風を眺めていた。爆発ポニーテールが風に暴れ、目を細めながら声を投げかけた。
「おお、よく生きてたなぁ、正義の味方って、爆風の中から現れるの、好きだもんなあ」
「爆発させたのはお前だろ」
もっともな意見を返すジャスティス。その顔はアメコミのヴィラン登場コマのように、一切の変化はなく、怒りも、焦りも感じさせず、獲物を狙う捕食者のような目が明確な殺意だけを感じさせている。
そしてジャスティスは構えた。今度は機動力のボクサーの構えでも、受けの空手でもなく、腕を頭のあたりまで上げ、片膝を前に出した軽快な動作だった。
僕はノリコをぎゅっと抱えながら、逃走用のマンホールの位置だけは見失わないように考えていた。
「なんすか、あの構えは……」
「ムエタイじゃねぇか?」
「どういうヤツなんすか……」
「知らんな、近づいて殴るんだろ」
「それは、そうでしょうけど……」
ネオさんはジャスティスの強さを見ても、しぶとさを見ても、動揺するような姿勢は見せなかった。ノリコがやられた直後だけど、戦闘へのスイッチの切り替えがしっかり出来ているんだ。
ジャスティスがムエタイの構えのまま、トントンとつま先で跳ねてリズムを刻みだした。それに対してネオさんは指をジャスティスに向けて号令をかける。
「トラップGO、フライングマンタ」
ジャスティスの右後方。四角い交通標識がギュルリと首の向きを変え、標識の支柱がカクンと折れ曲がりながら、標識が頭を外して投げつけた。
ジャスティスの死角からの、標識手裏剣の攻撃だ。
爆破火災の余韻の音の中を、気配もなくジャスティスを一直線に切り裂こうとしている。
しかし奴は気づいていた。
ステップから素早く後ろに回し蹴りをすると、ちょうど飛んでいる標識のど真ん中をとらえ、標識はひしゃげて真横へと吹っ飛んでいく。
「ダメっすよ!!」
「やっぱ足技系ね、ジラフハンガー」
ネオさんは完全な不意打ちのフライングマンタの失敗を全く気にせず、次の号令に入った。
ジラフハンガーは得意のビルからせり出す鉄骨攻撃。
ネオさんから視界に入る通路の全てが、突き出した鉄骨の森で埋め尽くされる。ジャスティスの回転蹴りの終わり際に、一本の鉄骨がジャスティスの脇腹を突き刺した。
刺した。ように見えた。
ジャスティスは突き出す鉄骨の動きに合わせて一回転。脇腹へのダメージを回避しながら、鉄骨に稲妻のような肘打ちを行い、寺の鐘のような重い金属音が反響してくる。
ジャスティスは肘からもボルトが出ており、その強烈な肘打ちは、頑強な鉄骨をもへし折った。
「鉄骨、折った!?」
「グレネードアント」
ネオさんはそれでも動じず、淡々と専用銃火器、キメラフォームの変形号令を唱える。
彼女は腰周りにぶら下がった大きなベルトから、白い鶏卵のようなパーツを取り外してキメラフォームの銃身の下部にガチっとハメ込み、即座に砲弾を放った。
鉄骨の森に閉じ込められたジャスティスは、へし折った柱を飛び越えようとした。その脱出経路に卵のような砲弾が走っていく。
ヤツの頭上の柱へと砲弾が命中。当たった柱が折れる程の激しい爆発を起こして、直下のジャスティスを巻き込んだ。
それを見てネオさんはライフル下ろして不遜に呟いた。
「鉄骨折るくらい、誰にでも出来る」
「はは……武器じゃないっすか……」
「殺し合いに武器使わないのは、馬鹿だけだろ」
そんな会話をしてるうちに、グレネードの硝煙が晴れた。
ジャスティスは飛び越えようとしていた鉄骨を片手で掴み、その下に潜り込んでおり、ダメージは受けていなかった。再び鉄骨の上に登ろうとする動きに対して、ネオさんの次の号令は既に発動していた。
「サーペントドライブ!」
四方からワイヤーのような束が飛び出し、ジャスティスの張り付いていた鉄骨に絡みつく。抜けようとした道を塞ぐ、蜘蛛の巣のような樹脂の天井を形成、さらに動きを制限するように詰めていく。
そして次の号令。
「スクイッドミスト」
キメラフォームから吹き出す煙幕だ。
その黒い煙を正面に向かって噴射。濃密な黒煙が立ちこめ、ジャスティスまでの視界を遮る。僕とネオさんも煙の中にのまれていく。
伸ばした腕の先が見えなくなるほどの漆黒の中で、ネオさんが僕の靴を二回、ノックするように蹴った。
僕が離脱するタイミングなんだ。
その指示を出されたんだと、すぐに分かった。
黒い空気の中、ネオさんの横顔と脇が見えた。
ヘッドギアに付いている、赤い飛行翼のようなユニットをひとつ取り外している。
そして号令をかけた。
「カナリアシュート、スゴミの悲鳴」
「……え?」
僕の名前が号令に入っていた。
そう思ったのも束の間、取り外したユニットから僕の悲鳴が吹き出してきた。『うわあああああ!!』自分の声に驚愕した。そんなのいつ録音されてたんだろう。
しかしカナリアシュートと呼ばれたそのユニットは、自分自身の無様な悲鳴を発しながらジェット噴射を開始。ロケット花火のようにジャスティスとは逆方向の路地の向こうへと吹っ飛んでいった。『うわあああ!!』僕の声を何度もあげながら。
「なにあれ……」
唖然としていると、今度はさっきよりも強く蹴られた。あの僕の声が囮だから早く行けって意味だ。
僕はノリコの身体をしっかりと抱き直し、暗くて底の見えないマンホールの縁へと足を運んだ。
振り返ると、煙の中でネオさんはキメラフォームを、構えるでもなく、緩く腰の位置に下げている。
彼女はこの後もジャスティスと戦い続ける。その決意は背中から伝わってきた。
『お願いします……!』 心の中でそう呟いた。カナリアシュートの美声を無駄にしないように……
マンホールの奥は真っ暗で何も見えない。高い、暗い、底無しの穴に見える。本能的な恐怖はあるけれど、迷いはなかった。僕はそのまま、マンホールの闇へと身体を滑らせた。
気にしたのはノリコの身体が穴の壁に当たらないように、しっかりと包み込むことだけだ。
頭上、入った穴の入口の向こうから、ネオさんの声が洞窟内のようにエコーする。
「ディスエイブル!!」
すべてのトラップが解除される号令だ。
飛び出していた鉄骨の森はスッと収納され、吹っ飛んでいたマンホールの蓋は磁力で「カンッ」と元の位置に吸い寄せられていく。
サーペントドライブの樹脂膜も、小さなプレートへと縮こまる。
スクイッドミストの黒煙が晴れ、再びネオとジャスティスが向き合って歩いた。ジャスティスはネオに問いかけていく。
「そのやり方が、貴様の正義か」
「私、非合法組織だからなあ、正義は語れないかなあ」
ネオは相変わらず、スカしたような態度を崩さない。それに対してジャスティスは構えを取らず、ただ歩きながら問いかける。
「少年はどうした」
「走って逃げたよ。僕の正義はー逃げる事っすー! とか言って、泣き喚きながらな」
ネオはスゴミが言ってもいないセリフを声を裏返して茶化しながらジャスティスに伝えた。
ジャスティスの表情は動かない。右足を前に出し、足を肩幅ほどに開いて、腰を落とした。
「そうか。では予定通り貴様からストームとブリアンの居場所を聞こうか」
「おいおい、少年は殺すんじゃなかったのか? 相手に貫かれてんぞ、正義?」
「それは彼の正義だ。俺の正義は最初からストームとブリアンの抹殺。揺らぐ事はない」
「チッ、邪魔されてヘコまないなら正義じゃねえだろ、面白くねぇなお前。ガジェットGEAR・ドラゴンフライ」
ネオは眉を寄せ、姿勢を低くした。同時にブーツからローラーとブースターが展開、駆動音がキュインキュインと鳴り響いた。
「で、なんのスポーツよ、そのポーズ」
「全て暗殺術だ」
「はっ、あっそ、接近戦ね」
ネオの顔は余裕に満ちた笑顔だった。
ブースターで飛べば余裕で逃げられると思っているわけではない。
彼女にとっての正義のひとつは、既に守る事を達成していたからだ。既に勝利の余韻に浸っていた。
火災の奥から吹いた黒煙交じりの谷風が、地面を殴って不完全燃焼の煤の匂いを運んでくる。
ネオは髪を揺らして腰を落とし、ライフルを胸に引きつけてから、細い指を立てて煽り飛ばす。
「一般市民様に優しい正義の味方の方が、好みなんだけどな。私は」
「お前が一般市民のワケが無いだろう」
ジャスティスは相変わらず顔色ひとつ変えず即答し、ボクシングのステップに入った。




