第78話・静寂の送り火
メリケンサック。
いわゆる、鉄拳というものだ。
拳で殴る部分を金属製の打撃具を取り付けて覆い、パンチの破壊力を増す道具。
目の前の暗殺者、ジャスティスの拳からは、親指程のボルトナットが三本突き出している。それは皮膚を破って骨格に直接ねじ込まれているようであり、コイツの人生が人を殴る為のものだと、語っているようだった。
ジャスティスは速度と攻撃のボクサーの構えを解き、受けと貫通力の空手の構えに切り替えた。僕のドグマ解放、秘密の食卓の防御力が無限大であり、ネオさんがトラップ起動の準備の号令をかけたからだ。
ネオさんが呟いた。
「なるほど、そっちの型の方が本命か」
僕には構えの意味は分かったが、練度までは分からない。プロっぽい動きなら同じに見えてしまう。
「ネオさんは格闘技も詳しいんすか……?」
「いいや、趣味じゃない。でもあいつはストームが手も足も出ないって話だったな、それに私は違和感があった。ストームは十分強い」
「確かに、ストームは強かったっすけど……」
「ストームは空中を飛び回って、音速で突っ込んでくるスタイルだ。それが手も足も出ないって話なら、やつの構えは最低でも音速で突っ込むストームを、余裕で迎えうてるくらいの精度と、衝撃波を突き抜ける貫通力があるという事になる」
ネオさんはそう言うと、キメラフォームのアサルトライフルを一発だけ、試し打ちのように放った。
タンッ!! カンッ!!
一般人の僕目線、発射と同時に着弾したようにみえた。しかしジャスティスは顔色ひとつ変えずに拳を少しだけ動かして、銃弾をボルトでガードして弾いていた。
ネオさんは特に驚くでもなく目を細めていた。
「なるほど、銃は効かないってやつね」
ジャスティスの反応速度が速すぎる。
そして僕のドグマの前に、無駄な攻撃はしない。殺すための攻撃のみをする。それがジャスティスの正義の在り方。そう言ってるかのような無言の無表情でありながら、その殺意の目は僕たちを釘付けにしていた。
ネオさんもジャスティスも、低く構えている。僕はノリコを抱えたまま、ドグマの盾の張り付いた右腕だけをジャスティス側に向けて、構えも知らずに棒立ちしていた。
そしてネオさんが先に不敵に笑った。
「待ちの方が得意ってか? そんなに来て欲しいなら、こっちからいくぞ……!! 全方位ライノアセンド!」
ボッ! ボボッ! ボォォン!
ライノアセンド。ネオさんの定番トラップ、マンホールの蓋の爆発罠だ。周囲の視界にあるマンホールの蓋が一斉に爆発した。
閑静なビル街の裏通りに、火柱と轟音が響き渡り、硝煙と土煙が混ざり合い、特撮のクライマックスのような光景が広がる。空中高く飛び上がった蓋が空中で無数の黒点となっているのが見えた。その数10か20か……数え切れない。
ジャスティスは目を細め、空中を警戒するようにさらに低く構える。そこにネオさんは、動かないまま、普通にアサルトライフルを連射した。
さっきと同じ射撃を連射してるだけだが、低く構えていたジャスティスは、踏み出せなかった。その場でアサルトライフルの弾丸を叩き落とし始めたが、数発は腕や脚に直撃していた。
それを見てネオさんが軽口を叩く。
「どうした、よそ見して、上でなんか飛んでたのか?」
ジャスティスは姿勢を起こし、空手の構えはそのままに、高い位置で構え直した。しかし、その表情は微塵も変わらない。
そして、次はジャスティスが動いた。超速の影の動きではなく、見える速度だが、とてつもなく速く上体をゆらゆら揺らしながら、足取りを掴ませないステップだった。
ネオさんはそれを見ると即座に号令を放つ。
「全方位ジラフハンガー!!」
裏通り全域のコンクリートのビルの壁から、一斉に長くて硬質な鉄骨が針のようにせり出してきた。得意の鉄骨罠ジラフハンガーは一瞬で煙の巻く裏通りを、鉄骨の森へと変えた。
ジャスティスは全方位から襲ってくる鉄骨を素早くて交わしながら、鉄骨を足場にして鉄骨のジャングルジムのようになった空間を駆け上がる。
「ジャスティス、屋根に乗ったっすよ!!」
僕はすかさず報告、ネオさんは後ろから僕に近寄り、そっと引っ付いてきた。
「スゴミ、ガードの中入るぞ、背中合わせで正面をガードだ! 盾は空間じゃなくて、お前本体に固定しろ!」
素早い指示と共に、僕の背中に背中を合わせた。一瞬で僕の鼻腔をアロエの様な甘い香りと、コーヒーのビターな香りが占有。ネオさんが突き出したホットパンツ越しの暖かい尻が、僕の尻に張り付いた。
「僕本体に固定ってなんすか……!?」
「持ち歩いてるだろ、その感覚でいい、衝撃を打ち消さないで、衝撃に乗るようにしろ!!」
ネオさんの突然の指示は、かなりアバウトで感覚任せの指示だった。しかし今の僕はネオさんに背中を預ける。それだけがこの戦場に立つための最低条件だと理解していた。
「了解っす!! やってみます!!」
それを受け、ネオさんは背中を伸ばして、僕の背中にぴったりと背中を合わせた。僕がノリコを縦気味に抱きながらドグマの盾を正面に構えると同時に、ネオさんが号令を唱える。
「トランスヒッポート! ! スカンクヒット!!」
ネオさんが乗ってきたトラック。トランスヒッポートと名付けていた、そのトラックが道を封鎖するようにして、僕の正面にあった。
正面が顎のように開いたままだったボディが閉じ、トラックの後方で爆発が起きた。トラックはその爆発の衝撃で僕に突進して来る。
「ぶつかる……!!」
防御しないと死ぬ!! いや、衝撃に乗る。それがネオさんの指示だ。僕は盾を構える腕に力を込め、腕の中のノリコを思い切り抱きしめて一体化した。それにネオさんの手が背中から加わり、僕の腰を掴んでいた。
ガァァン!
ドグマがトラックを受け止める。その勢いで僕の身体も後方に仰け反って吹き飛ばされそうになったが、その背中をネオさんが押し返して支えた。
そしてネオさんの靴にはローラーが飛び出していた。ローラーで滑りながら、僕の背中を支え続けている。
「ジラフ、解除!!」
次にネオさんが放ったのは、短い省略形の号令だった。ネオさんの正面を埋めつくしていた鉄骨の森が一斉に引っ込み、吹っ飛んでいく僕たちに道を開いた。
そのままの勢いで50メートルほどを滑走。僕の靴底はペラペラになるまで一気に削れた。僕の心臓はバクバクにヒートアップし、生きた心地のしない緊張が全身を包んでいた。
「な、なんすかコレ、狙ってやったんすか!? ヤバくないっすか……!?」
「ああ、狙った。ヤバい防御力だな、そのドグマ」
ネオさんの声は明るく、楽しそうだった。結果は二人とも無傷。腕の中のノリコさんは既に死んでいるのだが、新しい外傷は無い。
そして屋根の上に避けたジャスティスから、一気に50メートルの距離を確保。ジャスティスは視線だけでこちらを追って眺めていた。
結果だけ見ればネオさんの作戦は全て上手くいっている。あとは僕の心がついて行かなくてはいけない。僕は唾液を飲み込み、少し抱き崩れたノリコの身体をトントンとステップを踏みながら抱え直した。
「うおお!! 上手くいったっすよ!! 見ててねノリコちゃん!!」
声と膝の震える僕をネオさんは流し見て、そっと呟いた。
「フッ……そうだな、見てろよノリコ」
50メートル先のビルの壁の上に立つジャスティス。その足元には、後方だけが爆発して僕達を突き飛ばしたトラックが傾いて停車していた。
それに対してネオさんは、指をパチンと鳴らして指さした。
「トランスヒッポート、エンドバースト」
ボッゴォォオン!!
その号令でトラックが即座に大爆発を起こした。真っ赤な爆炎が容赦なくビルの壁を削り取り、ビルを傾け、粉塵と残骸がポップコーンのようにビルの屋上を越えて跳ね上がっていた。
そのイカれた規模の爆発の、ほぼ真上にジャスティスがいた。赤と黒の螺旋が渦巻くその遠目の惨状に、奴の消息を追うことは出来なかった。
その見慣れぬ規模の黒煙が、僕の心を再び現実へと引き戻していた。
「あの……や、やり過ぎでは……?」
「フーッ、良いボムかいたな!!」
しかしネオさんは、やはりどこか楽しそうに見えた。しかし、それも一瞬で、すぐに真剣な顔になり、僕の肩に手を置いて顔を近づけてくる。
「いいかスゴミ、私はトラックで回収するつもりでここに来た。ジャスティスが追ってきてるのは見えてなかったからな」
「そりゃ、モノレールを素手で登るなんて僕も思いませんでしたよ……」
「そしてトラックは使っちまった、だからここからは別行動で逃げるしかない」
「逃げる……んすか?」
「ああ逃げる。ジャスティスは平気だ。殺せてないから、すぐに出てくる」
「え……っ」
そう言ってネオさんは、靴の先で僕の靴をノックするように叩いてから、足元にあった蓋が吹っ飛んだ後のマンホールの穴を足でさして見せた。
「良いかよく聞け、私がタイミングを指示するから、そのタイミングで、このマンホールに飛び込め。すると拠点に戻れる。拠点に戻ったら、E4と書かれたポッドで地上に出ろ、その後については手配しておく」
「ネオさんは……!?」
「私のトラップ包囲網は一人のほうが機能するし、ブーツにブースターとローラがついてるから、一人行動なら逃げられる、お前は違うだろ」
ネオの声に迷いはなかった。その言葉に自分の立場を思い出す。ドグマの盾は完全防御だけど、防御による貢献よりも、ネオさんの足を引っ張ってる重みの方が大きいのが事実だった。
「はい、了解っす……」
僕は力なく返事を返すと、指示されたマンホールの奥の見えない暗闇に目を落とした。
すると、ネオさんは僕の脇腹を銃で小突いて来た。
「おい、タイミングまで穴は見るなよ。ジャスティスに勘づかれる」
「は、はい……っ!」
僕は緊張を抑えて、黒煙の立ち上る爆発現場に視線を移した。すると煙の中から、左脚の衣装が焼けて、素足に軍靴を履いたジャスティスがゆったりと煙を分けて姿を現した。
火災の風で、首に巻いたヒーローのような赤いスカーフがなびいている。その姿に息を飲んで、肩に力を込める僕の肩に、ネオさんがそっと手を置いた。
「スゴミ……お前に託す。ノリコを頼むぞ」
それは優しくも、暖かい言葉だった。僕はそれを役割だと認識して、短く、威勢よく答えた。
「はいっ!!」




