第76話・トゥートゥ・アセンド・ワラエ・ラブタン!
車の助手席程の広さの空間に、二人の姿があった。
真っ暗な地下のエレベーターを、脱出ポッドはグングン登って行く。
僕の膝の上には、足を大きく開いてまたがるノリコ。
抱き合う身体は濡れて密着。狭いポッド内で聞こえる呼吸音。その全てがリアルだった。
「痛……っ、痛た……はあ、ごめん、血で汚しちゃって」
「そんな事……それより身体……!!」
ノリコの背中に空いた穴から、鼓動の度に血が噴き出していた。彼女の口から吹き出る血が、僕の服の濡れた面積を広げていく。
暗闇の中、ポッド内の小さな照明だけが、ノリコの白くなった顔を照らしていた。
「ラブたんまで、攻撃、貫通しなかったんだね、良かったあ、怪我も、してない……?」
ノリコが掠れた声を出す。自分が致命傷を負っているのに、最初に気にかけるのは僕のことだった。
正面から抱き合ったノリコの体温が、みるみる下がっていき、僕の身体に密着しながら、力なく滑り落ちていく。
「こんな事あって良いわけないっすよ。外に出たら治療を……!!」
「さむいね。息が、うまく出来ない……や」
ノリコの声がヒューヒューと濁った呼吸音にまじって聞こえる。しゃべる度に口から血が出てくる。きっと肺に穴が空いているんだ。
「はは、ラブたんの身体、あつーい、ね? 元気だね、抱き合って……興奮しちゃった、のか?」
僕が熱いんじゃ無い。ノリコが冷たいんだ。血を失ったからだ。
ポッドへの入り方が悪かった? ノリコの背中をドグマでガードしていれば?
あらゆる『たられば』が押し寄せる。やり直しの効かない後悔に、思考が回らない。
「こんな時に……冗談なんか……」
「こんな時、だからだよ。面白かった? 面白かったらね、笑うのが、礼儀でしょ?」
「笑えないっすよ、こんな時に……」
ノリコの頭は僕の右肩に乗っている。その少し内側に、寄り添うように指先が添えられている。その指の先が弱々しくも動き、僕のシャツを引っ掻いた。
「ラブたん……ウチね、助からないの、分かる。足からね、死ぬのが、上がって来てる」
「ダメっすよ、生きないと……」
肩にかけていたノリコの手が、ゆっくりと力を失い落ちていく。僕はその手をすかさず下から掴んだ。その手は既に氷のように冷たかった。
「最後だから、言わせて、ウチね、ラブたんの事……好きだった」
「僕たち、まだ出会って三日目っすよ……」
色々な事があった。自分で三日といいながら、信じられないほどに、濃い付き合いに思えた。同じ命懸けの吊り橋を共に渡った。語り合った。だから長いと感じた。そういう事なんだと思った。
しかし、ノリコの答えは違った。
「時間ね、関係ないよ、最初の日から。バイク乗った。後ろで、ウチを、信じてた。信じて、黙って、しがみついてた。この子、守らんと。って思った。必死だったの……夢中だった」
「そんなことで……」
「そんなことだよ……ねぇ、簡単。笑って、ラブたん」
ノリコは密着から顔を横にして、覗き込むように目を見つめた。
暗闇の中、彼女の深い群青の瞳に溶け込みそうだった。
「笑えないっすよ……」
するとノリコは僕の耳元に口を置いて、囁くように話し始めた。脱出ポッドのモーター音の中、ギリギリ聞こえる音量だった。
「おお愛するラブたん様、先立つ不幸をお許しください。ウチは死んでも肩に取り憑いて、風呂もトイレも見守っていますからぁ」
「はは、なんすかソレ、今言うことっすか……」
瀕死の人間のセリフとは思えないその発言に、思わず声が上擦っていた。
「あ、笑った、その調子。ラブたんはね、生きて、笑ってて欲しい。怖くてもね、泣いてたらね、ダメなんだよ」
掴んだ手、冷え切った手にわずかに震えが走る。
「ヤバい時ほどね。越えたら、超楽しいー。ってなるから、信じてね。面白そうに、見せるの。ヒトは、楽しい時がね、最強だから」
息が浅い。言葉を繋ぐのも辛そうになっている。
呆気に取られていた。死にそうなのは彼女なのに、心配されてるのは自分。
必死の説得も、僕が生き抜くための助言。
「ノリコちゃんは、本当に強いっすよ」
「そう……? ウチはラブたんの、最強モエモエかも。だったら……ウチのゴーグル、あげるね。コレね、呪いのノリコちゃんゴーグルだよ」
「何を縁起でもないこと言ってんすか……」
「これ付けたらね、ノリコちゃんと一体化。ウチがラブたんの中にいて、いつもね、わははーって、笑わせるから。それはそれは、恐ろしい呪いなんだよ」
ノリコは震える手を必死に動かし、額のゴーグルを外そうとした。とても届きそうに無い力の無さに、僕はそっと手を添えて、それを一緒に外した。
「ありがと、貰って、くれるんだね」
ふと協力していた。ゴーグル引き受けは形見を受け取ると言う行為だ。
僕の無意識は彼女の死が覆らない事を理解していた。
「うん……ごめん……」
ゴーグルを握った瞬間、それを悟って涙がこぼれ落ちた。
「あと、もうひとつ、最後に……いい?」
「なに……?」
わずかに震える彼女の唇。冷たく乾いた唇が、湿った一言を紡ぎ出す。
「ちゅーして、ラブたん」
ノリコの身体から力が抜けていく。その目尻から、涙が一筋。
僕はノリコの身体を抱き上げ、自分から唇を重ねることで回答した。ノリコの体がブルっと震える。
冷たい唇が、僕の唇から体温を奪っていくような感覚だった。
ロマンチックも快感も無い。彼女の死を見送る為の儀式だと感じた。
ノリコは弱った下唇で続きを求めてくる。その求めに答えるように、体温を分け与えた。
唇が止まり、静かに離れる。
糸も引かない、乾いたキスだった。
近づき合って、見つめ合う。
「アルハと、違うでしょ。自分からは、初めてだね?」
「うん……」
「ウチはね、ここでおしまい。ラブたんはね、生きて、幸せな相手を、選んでね?」
「ノリコちゃん……」
「ラブたん。帰れるといいねぇ。言ってた世界。フィギュアだらけのお部屋……」
「うん、帰りたい。もう帰りたいっすよ、僕は……」
言いながら目からはボロボロと涙が止まらなかった。
唇で触れて理解した。彼女は死ぬ。
その目も細く、視点が合わなくなっていく。
最後にノリコに見えるように、僕は顔を離して無理に笑った。
泣いたまま、歯を噛んで、見せつけるように。
口角を引きつらせて、送り出すように。
不器用な、不格好な演技だ。
そんな歪んだ笑顔でも、最後にノリコが喜んでくれるように。
精一杯に引きつらせて、笑った。
「ああ……嬉しい、最高にかっこいい、ぞ……ラブたん」
ノリコの目から光が消えて、瞳孔が広がりながら、ゆっくり閉じてゆく。
別れだ。ノリコの冷えた身体から、決定的な何かが抜けていく。
本当にそう思った。
その瞬間だった。
ノリコの全身が突如、痺れるように痙攣した。
「うぇっ! あギダば? ォゲなォルムな……!?」
頭髪が逆立ち、寝起きに電気ショックをかけたような顔で目を見開き、瞳孔が小瓶に閉じ込められたミツバチのように暴れ、喘ぐような声にもならない音を発していた。
「なに、なんすか……!?」
それはまるで除霊映画。
悪魔が取り憑いた怪奇現象のようなその姿に、それまでの僕の悲しみは吹っ飛んで、驚愕と困惑に圧倒されていた。
「ノ、ノリコさん!?」
その直後、確かにノリコの目が生き生きとした光を取り戻していた。
丸く可愛く広がって、パチパチと煌めき始めていた。
死にそうなトーンなど一切見せず、ハッキリと喋りだした。
「そうだ! ウチの帰る場所、ここにあった!!」
「えっ?」
「ラブたんだ!! ただいま!!」
「え……あ、おかえり?」
どう見ても完全に生き返っている。
ハツラツとした言葉の元気な帰還報告だった。
そして腕にも力がこもり、冷たいままの手で、僕の手を強く握り返して、目を細めた。
「ああ、楽しかったなあ。ウチはね、幸せ者だよ! 大好きだ。笑えよラブたん! エンジェルハートは君のため。ってね!!」
「え、それ……」
そして、その言葉が終わった瞬間、ノリコの全身から完全に力が抜けた。
電源の落ちた人形のように目を閉じ、体が一気に重くなったと感じた。
その顔は、苦しみひとつ感じさせない、安らかな顔だった。
僕は完全に呆気に取られていた。
ドッキリでも仕掛けられたかのような強烈な印象が残る。
本当は元気で演技していて、僕をからかってるのかとすら思った。
むしろ、そうであって欲しかった。
「ノリコさん、ノリコさん?」
冷たくなった身体を抱きしめたまま、僕は彼女の死を信じられなくなっていた。
「今マジカルエンジェル歌いましたよね? ねぇ、ノリコちゃん?」
しかし、改めて抱き寄せるノリコの身体からは、確実な死を感じていた。
間違いなく死んでいる。僕の膝の上にいるのはノリコの死体。
ノリコの最後の言葉『エンジェルハートは君のため』コレは、僕の推しアニメ『魔法少女マジカルエンジェル』のオープニングテーマの、サビ2のラストのユニゾンコーラス締めの歌詞だ。僕が動画サイトで毎日再生して、思えば口ずさんでいる。
そんな曲。
それは異世界である、地下国家、ブリディエットの住人であるノリコが知ってるハズの無い曲だった。教えてもいないし、口ずさんでもいない。
僕が困惑に囚われていると、ノリコの安らかな寝顔を光が照らした。
ポッドが出口に到着していた。
扉が開き、地下都市の人工照明が明るく差し込んでいる。
ポッドは到着すると座席がせり上がって、搭乗者を外に排出する仕組みになっている。
僕は急いでノリコの身体を抱いて、滑り台のようになった脱出ポッドから立ち上がった。
ノリコをお姫様抱っこに持ち替え、周囲を見渡す。
最初の日にブリアン姫と一緒に追い出された、地下都市の街はずれのビル街の裏通りだ。
しかし先にポッドに放り込んだはずのストームの姿がどこにも無かった。




