第73話・受け止める覚悟
その攻撃は、風に乗った蜘蛛の糸のように揺らめいていた。
たわんだ巻き糸のように折り重なり、クラッカーの紙テープのようにふわりと、触手の網を形成していた。
「ドグマ解放、シスターズネイル」
僕が見ていない背中側でデフィーナがそう呟いていた。
ネイルの言葉通り、触手の先にはメスのような刃物状の形成物がついており、敵を切り刻むための武器である事は明らかだった。
バスンッ!!
壁から出てきたジャスティスの二撃目の剛拳がデフィーナに向かって放たれるも、その網のバリアが拳を捉えて防御に入る。しかし拳の威力が高すぎた。網のバリアは大きくたわんで押し込まれ、バリアの中のデフィーナ本人が上半身を逸らし、網越しの拳を回避した。
「ちっ、戦車砲より威力あるじゃないの」
デフィーナはそう愚痴を漏らすと、網のバリアを解除。トランクから飛び出した六本の触手を超高速でしならせ始めた。
そのメス状の触手が唸った旋風で、巻き上がっていた砂埃が四散し、霧が晴れたような光景となる。
それを見たジャスティスは壁から出てきてゆらりと構えた。
「反応速度はあるが、なるほど、大体分かった」
僕は僕の胸で震えるノリコの肩を、冷えたその体温を感じ、目の前で息をまくジャスティスの姿を見ると、叫ばずにはいられなかった。
「お前……っ!! ジャスティスとか名乗って、奇襲、不意打ち、騙し討ちに味方殺し!! おかしくないっすか!? ストームの方が、まだ正々堂々としてたっすよ!!」
無論、相手はプロの暗殺者だ。
そんな都合が通る相手じゃない事は分かっていた。しかし今の僕はそう叫びたかった。突然の、このクソみたいな理不尽でマグナさんを殺し、ノリコさんを傷付ける凶悪な男。それに対する、気持ちだけの抵抗だった。
ジャスティスは僕とエリオットの方は見向きもせずに、デフィーナだけを凝視していた。そして低く答える。
「初見でこの小娘の殺意だけが完成されていた。俺の敵になりうるのはコイツ1人だけだったが、底は見えた。コイツが死ねば後は一秒もかからん」
そう言うと、先程までの慎重な構えも立ち振る舞いもなく、触手をふりまわすデフィーナに向かって歩いて近寄り始めた。
エリオットが僕たちの前に剣をおろした。
「すぐに走って逃げてください。 デフィーナ、あなたの実力、信じていますよ……」
僕は力の抜けたノリコを抱きしめながら、その背中をバンバンと叩いた。
「ノリコさん、立てますか!! 立って……!!」
そうするとノリコは顔を上げて、僕の肩からその向こう側を覗き見た。僕の後ろにあるもの、それは独房の入口と、空中のドグマと、マグナさんの身体だ。
ノリコは僕の身体を押しのけて立ち上がり、そのまま真っ直ぐとマグナの元へと走り出した。
「マグナーッ!!」
その瞬間だった、デフィーナに向かうハズのジャスティスの歩みが一瞬止まり、ノリコの方を見た。そして崩れたコンクリート壁から、コンクリートの破片を一つ手に取った。
僕はその意味を直感的に理解した。背中を向けて走るノリコは、ジャスティスにとって即座に100%狩り取れる『的』なんだと。
「やめろーっ!!」
僕には立ち上がって後ろに走る時間など無かった。
僕は後ろに一回転、転がりながら足をつき、見ないままでドグマがあると思った位置へと手を伸ばした。そしてその手にドグマの硬い感触を感じ、倒れ込みながらも少しだけ動かした。そしてその勢いのまま再び転んだ。
大の字でコンクリートに背中を打った、その瞬間、寝転ぶ僕の顔の上で、動かすのに成功したドグマの球体の端に、コンクリート辺がぶつかり、弾け飛んだ。
ジャスティスはコンクリート片をノリコに向かって投げていた。弾けたコンクリートの欠片は天井に跳弾し、手榴弾の破裂音のような鋭い音と共に砂埃と化し、天井に銃で撃った後のような跡を残した。
「石投げでこの威力……!?」
倒れる瞬間僕が考えていたのは、ノリコさんの後頭部を守る事だった。ドグマは確かにそれに応えてくれていた。
投げのモーションを完了したジャスティスに、今度はデフィーナから接近、触手の猛攻が迫って行った。ジャスティスはそれらを難なく無表情でたたき落とし続けるが、デフィーナに釘付け状態となった。デフィーナは攻めに入っていたが、その表情は苦しそうに見えた。
「なんでこれが捌けるのよ……!!」
愚痴を言いながら攻めに出るデフィーナを横目に、エリオットはすぐさま僕に声をかけた。
「よくやりました、ここは任せて、そのまま下がってください……!!」
僕はすぐに立ち上がって、ドグマを掴んで走り出した。
ノリコはマグナさんの肩をしきりに叩いていた。ぐったりして、血の海に浮いたようになった彼の身体を叩く音に、昨日の夜のような張りのある音は返って来なかった。
「おいオッサン逃げるぞ!! 気付けー!! フォークぶっ刺すぞコラ!! 無視するなー!!」
ノリコは軽口を叩いてるようで、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
そして僕は近付いて、思わず口を覆った。マグナさんの太い首が変な形に折れ曲がり、普段からギョロっとしていたその目が、飛び出しそうなほどに見開いて、瞬き一つしていない。
僕は一瞬ジャスティスを確認した。デフィーナとエリオットがこちらに背中を向け、その向こうにジャスティスがいる。デフィーナの触手攻撃は続いているが、ジャスティスはそれを捌きながら着実に進んでおり、デフィーナは攻撃しながら後退するしか無い状況になっていた。
僕はノリコさんの脇に両手をつっこみ、引っ張って立ち上がらせた。
「ノリコさん、ダメです!! 行きましょう、僕たちまで死んだら、マグナさんの気持ちも無駄になりますからっ!!」
「なんでよっ!! ラブたんはマグナの事なんて知らないから、知らないから平気でそんな事言うんだよ!!」
ノリコの叫びに胸が痛む、しかし廊下の先で触手が空気を裂く音と、それを弾く拳の音が近寄って来る。
「違いますっ!! 僕もマグナさんにネックレス直して貰いました!! でも、その思いだって、ちゃんと持って逃げなきゃ、そこで終わりじゃないっすか!!」
僕らが怒鳴りあっていると、今度はデフィーナがキレ出した。
「あー!! やかましい!! 邪魔だって言ってんでしょうが、死にたいならさっさと死ね!!」
その一言にノリコがデフィーナの方へと振り向いた。そこに流れてくる、デフィーナとジャスティスの衝突の風圧。エリオットは剣を構えているが、二人の戦いに割り込む事は出来ずにいた。そして振り返る。
「これは悲劇です。マグナさんが支払った命を無駄にしない為、早く逃げてください」
しかしその言葉も、ノリコの心に届いてる様子は無かった。ノリコは僕の腕を振り切り、再びしゃがみこんでしまった。
その時だった。
ジャスティスの背後、ネオさん達が逃げて行った通路から機関銃の銃声が響き、コンクリート壁を削った。
その音にジャスティスは数歩身を引き、デフィーナの間合いから脱出。奴が後ろを見ると同時に、バイクのエンジン音が廊下中に響き渡った。そのエンジン音にノリコは首を上げて振り向いた。
「あの音、ウチのバイク……」
逃走経路だった通路の奥から、白い廃棄ガスと共にノリコのバイクに跨ったネオさんが現れた。
「ネオさん!!」
その手には機関銃、いや、ネオさんの専用可変銃器、キメラフォームが握られている。
「ノリコ、 G8ポッドから脱出!! スゴミ、バイク受け止めろ!!」
ネオさんの登場から行動開始までは異常に早かった。指示はそのふたつだけで、こちらが聞き取れてるかの確認は無し。
僕の名前が指示の中にあった。『バイク受け止めろ』それだけの指示で、ネオさんはキメラフォームのアサルトライフルの銃口をこちらに向けた。
銃を構えたネオさんに近いのはジャスティス。とはいえ、その向きからデフィーナ、エリオット、僕、ノリコと、一直線上に全員いる。
そしてネオさんの攻撃が始まるよりも先、一番早く動いたのはジャスティスだった。即座に独房の壁の穴から独房内に飛び込んで、銃撃と触手の挟み撃ちから抜け出した。
それと同時にネオさんは唱えた。
「スクイッドミスト!!」
ネオさんが握っているライフル、キメラフォームの正面から黒い煙幕が飛び出し、廊下に一瞬で広がっていく。それは奥から黒い気体の壁が迫ってくるようだった。
そして煙の中から次の号令。
「ファルコンストライク、バースト!!」
黒い煙が壁の奥に引き込まれながら、真っ黒な煙の中に赤い光が煌めいた。そしてロケットの推進エンジンの様なジェット音が響き渡り、煙の中からノリコのバイクだけが飛び出してきた。
デフィーナとエリオットはすかさず独房の壁へと張り付いて回避。避けてくれなければ王子ごと轢き殺しているコースだった。
さらにネオの次の号令が素早く走る。
「おすわり……!!」
おすわりは、ストームに付けられたスレイブドッグの起動号令だが、バイクの後部には、もう1つのスレイブドッグが取り付けられていた。
それによりバイクの首輪とストームの首輪の電磁石が同時起動し、その強力な磁力同士が引き合い、ストームの身体は独房の中からすっ飛んできてバイクに張り付いた。
その勢いでバイクは傾きながら、僕とノリコの場所へと突っ込んできた。僕はドグマを前に突き出して構えた。
「危ないじゃ無いっすかあ!!」
ガチ、パッシャーン!!
僕のドグマを空間固定していた。バイクはそのヘッドライトをドグマに叩きつけて止まり、タイヤはギュルギュルと空転。タイヤのゴムが焦げる匂いを撒き散らし始めた。
「受け止めれたっすけど……!!」
なんとか、僕もノリコも無傷。
煙幕の中では何が起きているか分からないし、デフィーナもエリオットの姿も見えないが、ただその漆黒の奥で、銃声と炸裂音が響き渡り、登場したネオさんを巻き込んで、ジャスティスを相手取った戦場と化していることは分かった。
一方、バイクを止めつづける僕の横を、ノリコが駆けていた。
「よっしゃあ!! バイクゲットだ、ナイスよ、ラブたん!!」
ノリコはそう言うと、素早くバイクの上へと飛び上がった。そしてハンドル操作をしてバイクのタイヤの空転を止めて見せた。
そして、バイクの前で固まる僕に対して、手を伸ばした。
「悪いなラブたん、心配かけて……!! ノリコちゃんと一緒に駆け落ちでもしようかー!? なんかコブ付きだけどなあ!!」
その声は先程まで泣いていたとは思えないほどに、底抜けに明るく、楽しそうな笑顔だった。
僕はバイクを押さえていたドグマの空間固定を解除して、バイクの後部座席へと向かった。
バイクの後ろには、頭から血を流して、ぐったりとしたストームが、首輪と腕輪の力だけで張り付いている。
「コブと言うには、重いっすけどね……」
僕は垂れ下がったストームの足の下からドグマを潜り込ませ、不格好ながらドグマをバイクに対して固定。仮座席のようにしてから、ノリコの後ろに飛び乗った。
「これが三人乗りの新しい形なのかもなあ !! よっしゃあ!! 行くぜぇーっ!!」
ノリコは目元に涙の痕を残したまま、歯を見せて笑っている。その姿はあまりにも強くて、あまりにも眩しかった。
ノリコの雄叫びに答えるように、煙幕の黒の奥から、エリオットの声が届いた。
「私達の事は気にせず、先に行ってください!!」
お互いに姿は見えないが、そこからのノリコに迷いは無かった。ノリコはピースで敬礼をして叫んだ。
「ご武運を!!」
僕もそれを追うように、声を張った。
「……ご武運を!!」




