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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第3章・前夜編

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第72話・一直線上の交渉

 デフィーナは手に持ったトランクを胸のあたりに持ち上げていた。


「ヒサヅカスゴミ、そのドグマはナラクのものよ。一瞬だけ時間を作るから、死ぬ気で取り返しなさい」


 僕はノリコを支えながら立ち上がった。四歩ほど先の空中に静止した白い玉、イマジンドグマが置かれている。


 そしてそれから一歩と拳の届く位置に、攻撃が見えない程速く、一撃必殺の鉄拳を放つ巨漢のジャスティスが、無表情でこちらを睨んでいた。



「ノリコさん、下がっててください、自分には人を守れるほどの余裕、無いんで……」


 僕は抱き寄せていたノリコを背中へとまわし、デフィーナに言い返した。


「あの……ヒサヅカスゴミってフルネームで呼ぶの、長いんでやめてくださいっすよ……」


「呼び方なんて決めてる場合じゃないでしょ。じゃあゴミカスで」


「……ひどっ」



 確かに呼び名など、どうでも良かった。デフィーナは正論しか言ってない。どちらかと言えば、毒のある言葉を吐き続けるデフィーナに対して、僕の心のおさまりが悪くて何か言いたかっただけだ。


 ただ、ドグマは回収しないといけない。それだけはハッキリと自覚していた。僕は腰を落として構えた。



「デフィーナさんは、この男、止められるんすか」


「そんなの知らないわよ、この男の実力も知らないし。とにかく死ぬ気でやってちょうだい。まあ……死んでもいいけど」



 頼ると言うにはあまりに不確定な正直過ぎる発言。ほんのさっきまで、僕に対して『まだ生きてたの?』やら『殺してあげる』とか言ってたデフィーナだ。『死んでもいい』はツンデレとかで言ってるのではない。ガチで言ってる。僕はデフィーナの後頭部を睨み付ける。


「嘘でも『任せろ』くらい言ってくださいっすよ、その悪態、本当にアルハさんそっくりっすね……」


「私は嘘は嫌いなのよ。私が飛び出したら、その一瞬だけよ、見逃したら死ぬと思いなさい」



 デフィーナが不用意に緊張感とプレッシャーを押し付けてくる中、僕は集中して息を飲んだ。そこへ後方の独房の中から、ストームの声が飛んで来た。



「兄貴!! こいつら罠ばっかり使うんだ!! その白い玉、音速でぶつかっても壊れねえぞ!!」



 デフィーナもトランクを胸元に上げて、駆け出す形に腰を落とし、エリオットも折れた剣のリーチを伸ばすように、柄の先だけ握るようにして構えていた。




 この先どう転ぶか分からない、緊張の高まる一瞬……


 ジャスティスが自らボクサーの構えを解いて、両腕を下ろし、背筋を伸ばした。そして現れてから初めて、低く、重い声で言葉を発した。



「そこにストームがいるなら、やめだ」



 やめだ。と言った。


 言葉通りなら戦闘終了宣言。しかしジャスティス以外は全員変わらず、いつ戦闘が始まっても良いように構え、誰もが言葉通りに受け取れないまま、時間が止まったようになった。


 その発言にエリオットが対応した。


「やめだ。というのは、どういう事ですか」


 ジャスティスは真剣だが、どこかに心を置いてきたような、光の無い顔をしている。そして回答し始める。


「俺は最初の攻撃で廊下にいる全員を始末するつもりだった。しかし攻撃は阻止され、既にブリアンに逃げられた。それならば今はストームの解放を優先したい」


 そしてジャスティスはストームの独房の入口を指さした。


「今から俺はその部屋まで歩いていく。お前たちは部屋の向こうまで黙って下がれ、そうすれば殺さないでやる」



 それに対してエリオットは折れた剣先を揺らし、崩れ落ちたマグナに視線を合わせた。


「こちらは既に、一人を失っているのですが」


「知るか。交渉は黙って下がるか、下がらず死ぬかだ」


 そう言ってジャスティスはゆっくりとドグマを避けるように歩き始めた。


「射程に入り次第、前に居るやつから順に殴り殺す」



 この展開に僕は動揺していた。下がるべきなのか、行くべきなのか、全く判断がつかなかった。しかしデフィーナの闘志は一切揺るがず、受ける気で小さく一言を発した。



「やるわよ」 



 それをエリオットは剣をデフィーナの前に下ろして制止した。


「いえ、下がりましょう。これ以上の損失は避けるべきですし、スゴミ君とノリコさんの安全が優先です」


「なんなのよ、だるいわね……」


 デフィーナは王子の決定にも容赦なく悪態を示していた。しかし決定がなされた途端にトランクを下ろして姿勢を正し、後退をし始めた。


 僕はそんな中、ジャスティスに提案した。彼はストームが兄貴と慕っていて、暗殺より仲間の保護を優先している。話せる人なんじゃ無いかと思っていた。



「あの……その玉だけ、取らせてくれないっすか……」


 ジャスティスは歩みを緩めもせず、ドグマの横を通過した。そして冷たい視線を上から放った。


「射程に入るまで、そこにいたら殺す。それ以外は無い」


 その声に、誰も抗うことはできなかった。ジャスティスの静かな圧が、場全体を支配していた。僕はノリコを抱いた左腕に力を込めた。



「ノリコさん、退きましょう、生き残り優先っすよ」


「うん……」


 四人ははジャスティスの前から、前を向いたまま後ずさりし、ストームの部屋の前を明け渡す位置まで歩いていった。


 そしてジャスティスがストームの部屋の前に立つ。


 エリオットは小さく耳打ちするように告げた。


「ジャスティスが部屋に入ったタイミングです。彼がストームを解放するには、首輪の破壊が必須になります。その隙に脱出を……」


 部屋の中から、高ぶったストームの声が聞こえてくる。



「兄貴! この首輪なんだよ! これが取れなくて……!」


 ジャスティスは話しかけるストームを見てすらいない。彼が見ているのは、僕達の方向だった。そのはずだった。しかし正確には誰とも目は合っていなかった。見ていたのは壁だ。廊下に並ぶ僕達の、独房側の壁に視線を合わせていた。


 その後、デフィーナだけに一瞥を送り……



 姿が消えた。そして、爆音。


 ボッ!! ゴォン!!


 独房の中から、ストームの悲鳴が響く。


「ぐあああああああ!!」




 一瞬、何が起きたのか誰にも分からなかった。しかし部屋の中から噴き出す粉塵と、ストームの絶叫が全てを語っていた。ジャスティスはストームを始末したのだ。


 しかし僕は困惑に正直な反応をとっていた。


「た、助けに来たんじゃないんすか!?」


 すぐさまエリオットが前に出て剣を構えた。


「嘘です、騙されていました! 戦闘せず、ストームの口封じを確実にするために!!」



「私、嘘って嫌いなのよね。ドグマ開放――シスターズネイル!!」



 デフィーナのボヤきとドグマ解放の一言が僕の右から聞こえた。しかし僕の視線は正面左側、ジャスティスが消えた独房の入口に注目していた。デフィーナが何をしているのか見る余裕は無い。


 そして僕の正面で剣を構えたエリオットが背中を向けたま叫んだ。



「来ます! 走れ!!」


 僕は左後方にいたノリコの肩をとり、ネオさんが向かったのと同じ、廊下の奥へと左回りで振り向いた。その回転の途中だった。


 独房の壁が正面になった瞬間、壁が激しい爆裂音と共に内側から粉砕されて、崩れ落ちた。


 砕け散ったコンクリートの破片が、爆風とともに吹き抜ける。


 そして壁に空いた穴から、ジャスティスが飛び出してきた。


 それは僕とノリコの目の前だ。エリオットをスルーし、壁を抜けて回り込みして来た。さっき壁を見ていたのはこれをする為の計算だ。壁の厚みと距離感を確かめていたんだったと理解した。


 それだけの理解は繋がったが、この後飛んでくる拳に対して、生き残る道は繋がらなかった。


 僕は訳も分からず、ノリコを包むように抱きしめたが、拳は僕の前で止まっていた。拳には大口径の金属製のボルトが直接ねじ込まれており、文字通りの『鉄拳』となっていた。


 その拳の一撃を止めていたのは、僕の顔の両脇を通るように伸びた、白い紙テープのような物体だった。紙テープの先には、医療用のメスのように尖った刃の構造がついており、その触手の刃がジャスティスの鉄拳に対して六本突き立てられ、押し合っていた。


 そして背中から鋭い怒声が僕を刺した。



「邪魔よ、ゴミクズ……!!」


 その一言と同時に、僕のふくらはぎを蹴り飛ばす足が伸びた。デフィーナだ。デフィーナが何かをしていて、デフィーナとジャスティスの間に僕達が挟まっていて、邪魔になっていると理解した。



「はい……っ!!」


 僕は即座にノリコを引っ張って右へと倒れ込み、デフィーナとジャスティスの間を外れた。僕は床に尻をつき、ノリコは僕の股の間から僕の胸へと寄りかかっている。


 壁抜けの奇襲をかけてきたジャスティスは、そのデフィーナの動きを見て呟いた。



「やはり貴様が主戦力か」



 床に座り込んだ僕が目の前に見たのは、対峙するデフィーナとジャスティスだ。


 デフィーナのトランクの脇には、三つの穴が空いていた。その穴がトランクの両サイドに空いてるようで、穴から白い紙テープ状の触手が6本、うねるように飛び出して、ジャスティスの攻撃に対抗している。


 ジャスティスの一撃目が下がると同時に、その刃のテープは絡まり合い、空中に網の壁を構築し始めた。



 僕はその光景に圧倒されつつも、身体を離そうとノリコと重なり合ったまま、ズリズリと後退しようともがいていた。



 白い刃が空中に網を描く……




「これが、ドグマ解放……」


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