第69話・本音と思惑の通過点
「出来たらって、あんたね……」
デフィーナは怒りのこもった表情で僕の正面に立ち、ゆるぎない殺意のこもった瞳で僕を見つめていた。僕には怒りの意味が分からなかった。無差別殺人をしてくるカイブツになんて、出来たら会いたくない。そんなの当然だろう。
それを、まるで馬鹿なことを言ってるような態度で彼女は語りだそうとしていたのだ。
その不穏にならざるを得ない口論の発端を、スレイの無邪気が強制停止し、全員がスレイを見送ったまま微妙な空気が部屋を包んでいた。
微妙な空気が再発火に変わる前に、エリオット王子が僕とデフィーナの間に入り、背の低いデフィーナを気遣うように視線を落とすと、諭すように語り掛けた。
「デフィーナ、私たちは今、争っている場合では無いんだ、話を前に進めなくては行けない」
「なんなのよ、まったく……」
デフィーナは苛立ちを抑えないが、再びそっぽを向いて不干渉の意を示した。そして続けてエリオットが話し出す。
「話を戻そう。我がドラキール帝国軍は予定通り、明日この国に到着する。それまでにブリアンに何かあってはならない」
すると今度はネオさんが彼女の意志を示してきた。
「だったら報酬は二日分でいいからさ、姫様を引き取って出てってくれねぇかな。今すぐに」
デフィーナが黙って落ち着きかけた空気を、ネオさんはぶっきらぼうに再加熱させようとしていた。それに対して、ブリアンが焦って前に出る。
「ちょっと!? ネオ、それ本気で言ってるの?」
ネオさんはブリアンの方など見てすらいない。完全に無視。エリオットを見て回答を待っていた。エリオットは胸に手を当てて静かに話し始める。
「理解はしているつもりだよ。最も迷惑をかかっているのは君たちだ。だが襲撃してきたストームは、クロウガストという武装組織の一員だった。暗殺の依頼が継続している限り、彼を捕らえただけでは終わらない」
僕はそれを聞いて片足を引いていた。
「そんな……じゃあ、ストームみたいなイカれたヤツが、また来るかもしれないってことっすか」
ネオは傷を覆う治療パッドをさすりながら答える。
「外に出てたら、ほぼ確実に来るな。その辺はサザナが情報を追っている」
「それもあって、私自身、急いでここへ来る判断をしたんだ」
そう言ったエリオットは、腰に携えた煌びやかに装飾を施された剣に手を置いて答えた。そういえば暗殺者が来ている危機だというのに、王子の単独行動で従者がデフィーナ一人だけというのも気になった。そして僕は気になるとすぐに口走っていた。
「そういえば……王子様なのに護衛の人とかって、居ないんですか?」
それに答えたのはネオさんだった。
「私の基地は、許可してないやつが一人で入ったら、自動で殺すように罠が仕掛けられている。王子は許可したけど、そんなに誰でも許可しねぇんだよ」
それに続くようにデフィーナが冷淡に語った。
「護衛なんて使えない奴を何人つけても同じでしょ。くだらない質問する前に、少しは頭を使いなさい」
デフィーナはこちらを見ていない。答えてくれたと言うより、ストレスのはけ口を僕にしているようにすら思えた。何度黙らせても相変わらず隙を見せると毒を吐き続けるデフィーナに、エリオットは振り向いた。
「君たち二人は、仲が悪いのかな?」
「ええ、死んでほしいと思ってるわ」
デフィーナは視線を変えずに即答した。しかし僕はもはやデフィーナの毒吐きに対して動じていなかった。言われすぎて慣れたのか、呆れたのか、ハッキリと口に出せる感覚では無かったが、言わなくていいような事を、わざわざ全て口にしたがる。その意志に何かを感じていたのかもしれない。
「王子様、大丈夫です。理由は知りませんが、デフィーナさんは僕のことを本当に殺したいくらい嫌いみたいなんです。だけど本当に殺そうとはしてこないんで、多分、今のところは大丈夫です」
そうだ、アルハは僕を殺すと決めたら、すぐに殺そうとしてきた。デフィーナは口は悪いけど、サザナさんの指示からか、僕に手を出すのは自制してくれている。
その発言を聞くと、デフィーナは片手で横に下げていたトランクを前に出して、両手で掴んだ。そして視線だけ僕に向ける。
「自衛は許可されてるわ、かかってくれば、八つ裂きにしてあげるけど?」
「かかって行かないんで、安心してください」
「ラブたん……」
デフィーナの挑発に僕は即答で返した。そしてそのやりとりをノリコが横で心配そうな顔で見ている。ノリコには話した。デフィーナの生き写しであるアルハに本気で首を狙われて、殺されかけたこと。
僕はノリコに視線を送り、軽く微笑んで見せた。
「平気っすよ」
エリオットはそんな僕らを見つめていた。
「君達が良いなら構わないのだが、本題がある。今は事を先に進めるため、協力してもらいたい」
するとネオさんが腕を組み、片足に体重をかけるようなポーズで揺れてから、王子に対して刺すように問いかけた。
「おい王子、ここに来た本当の理由、姫の引取りじゃねぇだろ」
エリオットは視線だけをネオに向けた。エリオットの言葉が返ってくる前に、ネオは立て続けに話し出した。
「王子がここに来たのは、ストームへの尋問が目的だよな」
「えっ、そうなの!?」
ネオさんの推測に対して、すぐにブリアンが高い声で反応したが、エリオットは黙ってネオを見つめていた。そして、しばらくして緩やかに話し始めた。
「ネオさん、あなたは本当に聡明なお方ですね。私の第一の目的はブリアン姫の安全の確保です。それは間違いありませんが、傭兵団クロウガストの一員を生きて捕らえたとというのは大きい。出来れば同時に話を聞きたいと思っていたのは事実です」
王子の冷静過ぎる対応に対し、僕からも不安を含んだ言葉が漏れていた。
「王子様は姫の安全確保に来たんじゃないんすか? ネオさんは、なんでそんな事分かるんすか……」
ネオさんは髪を揺らして胸を張り出し、淡々と説明を開始した。
「この地下基地はな、私とナラクの秘密基地だ。そして防壕都市ブリディエットは、ほぼ全て私のトラップと化している。単純な殺し合いなら私がこの都市で負ける事は無い。それはサザナもよく分かってる」
自信ありげな説明で始まったが、事実しか言っていないのが分かった。僕や姫様みたいな荷物が無ければ、この都市はどこにいてもネオさんの手の中にいるようなものだ。たしかに負けるわけがない。
「だから、姫の護衛なんて私に任せておけば良いのに、サザナわざわざは王子を基地に送り込む形で面会させた。そのトリガーはストームの確保報告」
「確かに、タイミングは一致してるねぇ」
ノリコは頭の後ろに手を組んで、合いの手だけ出すようにそう言った。
そしてネオさんは組んだ腕の片方をキュッと伸ばした。不意の動きだろうが、それによって、パツパツの黒インナーに包まれた乳袋が張り出され、同時に問いかけた。
「王子にはあって、私に無いものが、何か分かるか?」
その問題に対して、焦るように最速で回答したのはブリアンだった。
「ちょっとネオ! 王子には『あるもの』って、そういう話はいくらあなたでも、するべきでは無いわ……!!」
「は……?」
ブリアンは真っ赤になって食ってかかっていた。
「だってあなた、殿方についてるものって、王に対して失礼にもほどがあるわよ!!」
ネオさんは顔をしかめながら溜息をひとつ吐き、胸元で組んでいた腕を解いた。 縦に張っていた胸が、たゆんと揺れて落ち、そして王子を見てハッキリと答えた。
「王子にあるもの、それは軍隊を指揮する力、軍事力だ」
「あ、ああ……そっち!! そっちよね、驚かせないでよもう!!」
ブリアンは声が裏返るほどに焦り、そう吐き捨てて、何も言わなかったかのように外を向いた。それを見てノリコは身を乗り出してケラケラ笑いだした。
「ちょっと姫様ー!! 殿方についてるって何ー!? なんの事考えてたのー!? 結婚前だからですか!! キャー!!」
僕はノリコの手を引いた。
「ノリコちゃん、今はそういうのは、ちょっと……」
ネオさんは顔に手を当てて、ブリアンを見ながらニヤけて続けていた。真面目な事を言ってるが、声が引きつって笑ってるのが分かった。
「つまり王子はな、ストームから傭兵団クロウガストの情報を抜き出し、傭兵団を殲滅、もしくは懐柔したい。そんなとこだろ」
それに対し、王子は一切態度を崩さず、冷静に答えた。
「ネオさん、あなたは本当に鋭い。ほぼ正解ですが、ひとつだけ違います。私がクロウガストの制圧を進めているのは、彼らが戦争の火種となるからです」
語るエリオットの口調は丁寧で優しかったが、その目の奥に熱がこもったような光があるのが分かった。
「彼らはどこの防壕国家の権力者ともパイプをもっており、特に侵攻戦を行う国には戦力貸し出しを行って戦争を煽り、それを商売としています。平和的な統一を目指す上で、彼らの存在は見過ごせません」
それにブリアンが生き返ったように便乗する。
「そうよ、王子はね、常に平和の為に動いてらっしゃるのよ!! 結婚式だって、ブリディエットととの和平締結の象徴になるんだから!!」
名誉挽回を図っているのだろうが、さっきの煩悩まみれの反応を見た後では、彼女の言葉に重みを感じる者はいなかった。特に姫のフォローをするでもなく、エリオットは続ける。
「私は国から離れていても軍を指揮できます。ドラキールには強き将軍達がおりますので、クロウガストの拠点や組織形態が見えてくれば、すぐに拿捕できることでしょう」
「じゃあクロウガストは、ドラキールにまとめて潰してもらうのが早いかもな。向かうか、ストームの独房に」
ネオさんがそう言って、メインルームの出口、僕とノリコが立ちっぱなしの扉の前に近寄ってくる。歩くネオさんの背中に向けて、ブリアンは唱えた。
「聞き出すと言ってもあいつ、知らないって言って、何も答えないじゃないの!!」
ネオさんは振り返らず、冷たく答えた。
「さっきは道具も使ってないからな。ここからが本番だよ」
「道具っすか……」
きっと口を割らせるための道具だ。健全なものではないことは容易に想像がつく。これから起こるであろう壮絶な光景を考えると、その緊張感に息が詰まり、誰もが言葉を発する事が出来ずにいた。
その静寂の中、ただ淡々とコーヒーカップの底をなぞる、マグナさんのスプーンの音だけが、カチャ、カチャ……と寂しく響いていた。




