第6話・君の信念で貫いて───
猛暑のアスファルトの表面が揺らめいている。
「聖戦」を宣言した真っ白な天使さん。
その手には、美とグロテスクの境界にある血の大剣が握られている、それが揺れるたびに空間がねじ曲がり、周囲が虹のようにうねっていた。
「スゴミ君! 準備は良いかな?」
「良くないですよ! 何しようとしてるんすか!」
背後からアルハが叫び上げた。
「無駄よ! 始まってしまったのよ! さっさとあんたの玉を出しなさい!!」
「また言ってんすか! 自分は露出趣味ありませんから!!」
「はあ!?」
アルハは常にキレ気味で、天使さんは近寄れば笑顔で殺しに来そう、その二人の中間に立つ僕は、意味不明な状況に既にパニック状態だった。
天使さんは両手を腰あたりに広げ、聖母のように包み込むポーズをとる。
「スゴミ君! 天使さんはね! 君の全てを、受け止めてあげるよ!!」
「受け止め!? 何の話してるんすか!?」
僕は後ずさろうとしたが動かない。一歩動こうと片足をあげれば、バランスを崩して転んでしまうと確信していた。
「だからね……!」
天使さんは聖母のポーズから、ニコニコしながら剣をバトンのように回転させ、肩の高さまで上げると、こちらに向けて鋭く構えた。
「 君の信念で、貫いて─── 」
凛々しい瞳が僕をとらえた。その瞳には、ただ一人情けなく狼狽える、自分自身が映し出されていた。
「貫くって……何を!?」
天使さんがアスファルトを蹴って突撃した。激しい炸裂音と共に足元の砂利とアスファルトが弾け飛び、空間に虹の光輪が浮かび上がる。
その剣が僕の心臓を狙い、一直線に赤い軌道を描いた。
「なにボサっとしてんのよ!」
その瞬間、背後からアルハが駆け出し、僕の襟首を掴んで後ろへと投げ飛ばした。アルハは彫刻ナイフを手にしており、それを天使さんの突きに合わせて、剣の軌道をわずかに逸らす。火花が散って虹色に空気が歪んだ。
「く……っ!」
天使さんの突きが伸びきると、まるで爆発物でも使ったかのように正面に衝撃波が走り、アスファルトがめくれて吹き飛んだ。アルハは剣の直撃は防いだものの、その衝撃波を受け、腕から出血する。
血が熱のアスファルトを黒く濡らす。僕は腰を抜かしながらも、二人の激突にツッコミを入れた。
「何でいきなり斬り合ってるんすか! 危ないじゃないっすか! 」
僕はどこまでも一般人だった、二人の衝突に完全について行けてない、いや、こんなのついていけてたら人間じゃない。
アルハはステップで天使から距離を取る。
「アホなこと言ってないで、立ちなさい! あなたが天使を殺すのよ! 」
「天使を殺す!? 僕に殺人しろって言うんすか!!」
天使さんは剣を右に左に、大道芸のように振り回している、その周囲一帯が虹色に歪んで空中アートを描いているようだった。可愛い。
「スゴミ君のキラキラ輝く心を見せて!天使さんはね、とっても楽しみなんだよ!」
「知りませんって! 本当に! 二人が知り合いなら、二人でやってたら良いじゃないっすか!これ、 僕いります!? 何この状況!!」
僕のボルテージが上がると、アルハのキレ口調も加速していく。
「あんたしか玉を持ってないからでしょ! なんで出さないのよ! このゴミクズ!!」
「天使さんも気になるなあ! スゴミ君の玉は、大きくて輝いてるはずだよ!」
「なんで二人して僕の玉なんて見たくて争ってるんですか! 光るわけないでしょ!変態なんですか!!」
アルハの顔が一気に赤く染まった。
「はあ!? ドグマの話でしょ、 持ってるわよね!?」
「ドグマ…? 初耳ですし 持ってないですよ! いきなり天使さんが現れて、君が現れて、斬り合いの殺し合い始めて、それで僕に殺人をしろだあ!? 頭おかしいんすか! 常識ないんすか! 殺人は犯罪です!」
「スゴミ君は天才だね!君の輝くドグマに天使さんは夢中になっているよ!!」
「知りません!天使さんが剣を持ってるのも、犯罪ですからね!!」
アルハが叫びあげる。
「大体、順番がおかしいでしょ!!なんで私より先に天使に会って手を繋いでんのよ!そもそも…それが全て間違ってるじゃないの!!」
「知りませんって!おかしいも何も、何が起きてるんすか!」
「天使さんはね!スゴミ君と手を繋げて嬉しかったから……」
言いながら天使さんは、振り回していた剣を頭上に掲げると、体操競技の決めポーズのようにぴたりと止まり、首を傾げた。
「一緒に物語を進めようね、天使さんもね!君のように光をまとって飛んでいく、天使さんなんだよ!!」
「……は? どういうこと?」
「危ない! 攻撃よ!!」
僕は中腰で天使さんの意味不明さに呆気にとられていた。すると横から勢いのいいドロップキックが飛んできた。
「いたっ!!」
アルハが割り込んできた、僕はしゃがんだままの姿勢からアスファルトをゴロゴロと転がり、学校の擁壁ブロックに当たって止まった、目を開くと、天使さんの攻撃が始まっている。
空中に描いた虹色の空気の軌道が変形し、無数の槍となっていた、まるで虹色の棒キャンディ。光の槍は一斉に発射され、その魚群のような虹色の中心にアルハがいた。
槍はアスファルトを削り、または直線上の建物に突き刺さっては、ガトリング砲の銃痕のように建物をえぐった、アルハは至るところに槍が貫通し、血まみれで服が肌に張り付いている。
「うぐ……っ!」
「ちょっと……!!」
あまりの光景に、僕は身を乗り出した、だがその瞬間、聞こえないはずの声が僕の鼓膜を突き抜け、脳内に直接響いた。
『 最 低 』
体がかたまった。飛び出せない。
天使さんの嬉しそうな赤い瞳と、アルハの刺し殺すかのような赤い瞳が、同時に僕に向けられた。
期待する瞳と、害虫でも見るような瞳。
それを受け、擁壁に寄りかかりながら、震える足でフラフラと立ち上がった。
「やめ、やめましょうよ……」
言いかけたところで再び脳に刺さる呪いの言葉…
『 最 低 』
出過ぎた真似は怪我の元、英雄は必ずしも報われない。
───ダメだ。喋れない。
僕はこの二人の争いを止めたくないし、仲裁になど入りたくない。
ただ本当に、帰りたい。
血まみれのアルハを前に、天使さんは微笑みかけた。
「スゴミ君は、最高だからね!」
割れそうな頭痛に頭を押さえ、瞳孔が開く、自分でも割り切れない感情に、心臓がギシリと軋み、もう片腕で自分のシャツを握った。
帰りたい、本当に僕は帰りたい……。