第64話・屈折する信念
暗号通信の紙をネオさんが解析していた。
「マジかよ……」
穴だらけのロングテープのようなデータ紙を手にしたネオさんの顔は、他人の流し忘れの便所にでも当たったかのような、嫌悪感に満ちた表情だった。
サザナさんからの緊急連絡と言う名目で届いた、姫様の護衛依頼の追加情報と言う話らしい。
メインルームに集まっているのは、居候の僕、リーダーのネオさん、相棒のノリコさん、護衛対象のブリアン姫、やるときはやる背景のオッサンであるマグナさん。
マグナさんは相変わらず壁際で作業をしていて、自分の世界に入り込んでいる。
苦い顔をしたネオさんを覗き込むようにして、ノリコが、アッケラカンに質問する。
「サザナっちからの連絡って、何ー?」
ネオさんは、眉間にシワを寄せながら目を細めてブリアンを睨むと、落ち着いて話し始めた。
「まあ、ごちゃごちゃ回りくどく書いてあるけど、要約すると、ドラキール帝国の国王、エリオット・ド・ラクロワ が基地に来る。だな」
その一言に対して、ブリアンとノリコが一斉に湧いた。
「えっ!? エリオット様が来て下さるの!?」
「マジマジ!? 悲劇の王子様じゃん!!」
ブリアンの目がキラキラと輝き、ノリコの目も
ギラギラと輝いた。
僕は恐る恐る前に出て声をあげた。
「ドラキール国王って……姫様の婚約相手っすよね?」
ノリコは両手を上げて、片足でクルクル回りだす。
「そうだよー! 超イケメンって噂だよー!!」
ブリアンは神に祈るようなポーズで恍惚とする。
「ああっ、きっと私のことが心配で、予定を早めてくださったのね!」
ドラキール国王……ホテルでブリアンから聞いた、彼女の婚約相手だと言う、顔良し、頭良し、国政良しと紹介された完璧超人だ。
ノリコとブリアンの期待値の高まりに、僕は言い知れぬ不安を感じていた。そして喜ぶ二人とは裏腹に、ネオさんの機嫌はますます悪くなっていく。ネオさんはデータ紙をぐしゃっと丸めて壁に投げつけた。
「ったく、なんでココに直接集めるんだよ、国絡みは『ブリブリお嬢』だけで、いっぱいだってのに」
そのネオさんの悪態と発言に、惚けていたブリアンが一瞬で現実に戻って来る。
「ちょっと!? ブリブリお嬢って、私のこと!?」
「ブリアン・ブリディエットお嬢様。略してブリブリお嬢だ。間違ってねーだろ」
「なによそれ! 王子が来たら、どうなるかわかってるわね!?」
「やかましい王子なら、入口で追い返す」
「ダ、ダメに決まってるでしょ!? 相手はあのドラキールの国王なのよ! なによこの……ジョバジョバジョババ!!」
ネオとブリアンの不毛な言い争いが始まっていた。ブリアンの態度はまるで出会った初日のようだったが。ブリアンが発した語呂の悪い蔑称が僕にネオさんのシーツのシミを思い出させる。
「あっ、あの姫様……ジョバジョバはまずいかと……」
すると気付いたようにネオさんの顔が一気に赤くなり、冷静さを失った。
「おい、ざけんな! 今のは取り下げろ! 本気で追い出すぞ!」
「なによ! あなたが先に貶したのよ!!」
「ひ、姫様……ここは一回、引いた方が……」
怒るネオさんと、負けじと返すブリアン姫の間に入り、僕はオロオロしながら二人の顔を交互に見ていた。するとネオさんは部屋の隅で機械をいじっているマグナさんに向かって叫んだ。
「おいマグナ! 王子が来たら機械イジリ禁止な! 妙な動きしたらつまみ出せよ!」
マグナはネオさんの指示を完全に無視。無言で機械をいじり続けている。
「チッ……ノリコ、あとでアイツにフォーク刺しとけ」
「アイアイサー!!」
ノリコは踊り続けていたが、指示された瞬間ビシッと敬礼して、わざとらしい了解を示した。
「マグナさんにフォーク刺すのって、日常なんすね……」
一国の王と一国の姫が、地下の秘密基地で一堂に会する。
言葉だけ聞くと歴史的なイベントな感じがするが、ブリアン姫を守ると言う名目で基地に置かせてもらってるだけのこの僕に、明日以降の帰る場所はあるのだろうか。
そっちの方が僕にとっては大きなイベントとなっていた。
一方……スゴミたちが知らないストームの独房でも、小さなひとつのイベントが進行していた。
大きな照明が落とされ、薄暗い灯りだけの独房に、うわごとのような寝言がぽつりと響く。
「うっ……くふふ、やめろって……」
その声はストームだった。スレイの来訪につられて寝落ちしていたストームは、ゆっくりと目を覚ました。合わない視点でぼんやりと天井を見上げている。
「あぁ……寝てたわ」
起きて初めて自分が寝ていた事を自覚した彼の体には毛布がかかり、頭の下には、暖かく柔らかな感触があった。
そしてボサボサの金髪を、細く冷たい指が、ゆっくり、ゆっくりと撫でていた。
「なんだ……気持ちいいな……」
その心地よさに身を委ね、もう一度寝てしまおうかと思いかけた瞬間、ストームはハッと我に返り、自分の置かれた状況を思い出す。
「あっ!? ここジョババの基地じゃねえか!!」
慌てて目を見開くと、目の前にスレイの顔があった。スレイは眠そうな半目に深いクマが残る目で、優しく微笑んでいた。
「あ……おはよぉ……」
「なんだぁ!?」
ストームは独房のベッドでスレイの膝枕を受けていた。
ストームは慌てて身を起こそうとするが、興奮時のアドレナリン分泌の効果が切れており、身体中が回復のために痛みを受け入れる状態になっていた。
戦闘での重症の影響が大きく、特に肩周りは完全に痺れて動かない状態になっている。
「痛った……!!」
「大丈夫……? お水……取ってきたから……」
スレイはストームの背中を支えて起き上がらせ、ベッド脇の台に置いてあったコップを取って差し出した。
「お、おう……悪ぃな」
ストームはごく自然にコップを受け取り、ためらいもなく一息で飲み干した。水が喉に染み渡ると、戦いで流れた血液を直接流し込んでいるかのような充足感に、身体の乾きが潤っていくのを感じていた。
最後の一滴まで飲んで喉を鳴らし、そして息をついて、コップの底をしばらく眺める。
透明なガラスコップの底で、自分の腹筋とスレイの片手が円形の屈折によってぐちゃぐちゃに混ざり合って見える。
ストームは顔を上げ、真横にいるスレイに視線を合わせながら、つぶやいた。
「さて、起きたなら……殺し合いを……」
そう言いかけて、言葉の続きを飲み込んでしまった。飲み終わったコップをスレイがそっと受け取りながら、気の抜けるような笑顔でストームを見つめていたからだ。
「お前誰だ、リストには無かったな」
「私はね……スレイだよ。ここでね、住んでるの」
「ふーん……」
ストームは再びコップに視線を落とした。ガラスコップの側面にはスレイの華奢な拘束着が、より細く屈折して紐のように写っていた。
「あ……お水、もっと飲む……?」
背中を支えるスレイの片腕の体温が、彼女への殺意を放熱していく。
「ああ、いいならくれよ」
「一度寝かすね、待っててね……」
そういうとスレイは両手でゆっくりとストームの背中をベッドに下ろし、嬉しそうに立ち上がった。そして体を揺らしながら、ゆっくりと部屋を出ていく。
一人残されたストームは、ぽつりと呟いた。
「調子狂うな、なんだアイツ……」




