第61話・信じるカタチ
バイクが出せる速度は時速300km程である。
これは新幹線の速度に匹敵するが、常人が公道で操作して達し得る速度では無い。いわゆるカタログスペックというものだ。
そして、スゴミを後ろに乗せたノリコのバイクは、地下街の外周の未舗装の沿岸を時速60〜90km程で逃走していた。
ストームが操る起動剣ガストライダーの必殺機構
『急転直下神風爆雷』は音速を超えて衝撃波を発している為、最低でも時速1224kmを超えている。
それは神風爆雷の語源ともなる大日本帝国の戦闘機、零戦の航空速度の二倍以上にあたる。
音速の弾丸となったストームは、通り過ぎるだけで空間を破壊する衝撃波を放ち、ノリコを追い詰めていた。
僕はノリコの背中にしがみつきながら叫んでいた。
「やばくないっすかアレ!!」
「ヤバすぎだって! だからネオっち、狭い通路だけ選んで逃げてたんだ!! 外周ヤバいよ、やらかしたー!!」
ノリコは口調こそふざけているが、両手でハンドルを握り、腰は落としていた。軍用車両の機関銃に狙われてる時ですら尻を振って挑発していたノリコが、真面目に運転している。それだけで危険度は実感できてしまう。
「じゃあ街の中へ戻らないとっすよ!!」
「街に入るのに曲がる一瞬、速度落ちるもん!! 絶対それ狙いだよアイツ!! うわ―ん! ラブたん助けて! 守ってぇーん!!」
「あ……はい、そうだ…僕が…原因で……」
「ちょっち! そこは落ち込むとこじゃなーい!! ツッコんで盛り上げてくれないと! ええー!? 僕がっすか―!? って言って欲しいの!! 心がつらい!!」
「いや、でも僕が撒いた種なんです。ドグマの使い方も分からず……」
後ろのストームの様子を確認しながらノリコの運転に身を任せていると、毒舌デフィーナの厳しい声が脳裏で蘇る。
――「彼女を守る時しか戦えないクズに、教えることなんてないわ」
僕の傷口を抉るような、胸に刺さる言葉。天使が降りてきたあの日から、僕はただの一人も守れていない。
けれど同時にデフィーナのその言葉は、希望にもなっていた。教えることなんて無いと放ったその毒が、最大の手掛かりとなっている。
あの時、廃病院での肝試し。
僕は一度だけ敵に立ち向かった。アルハを抱いて、守る一心で階段を駆け抜けた。短い夢を見てる間に、クモの怪物を一匹粉砕した。その時は反動すら感じなかった。無敵の攻撃に思えた。
天使さんとの戦いで、アルハは当然のように言っていた。ドグマを使って天使を殺せと。
あのイカれた強さの天使を倒す。
ドグマにはきっとそれを成すだけの力があるって事なんだ。
クモを倒したあの突進ができたなら。
今もう一度、あれが再現できたなら……
ドグマを知るもの全員が、ドグマについて教えてくれない。病院戦のタックルの発動条件が分からない。
アルハが居たから? 守る気持ちの重さ? 守れるのは彼女の契約がある人だけ? キスをしたから?
でもデフィーナはその戦い方をクズと断じた。
デフィーナの性格がアルハならば、その発言は真実だ。だから彼女を守ることは必要条件では無い。デフィーナは、それを教えてくれていた。
ノリコは僕をおちょくってくるが、ラブたんだの甘えろだろ言って来て、どこまでが冗談か分からない。
心臓がギュッと縮み、足は冷たくなり、手のひらは汗でベタベタだ。だけど言うしかない。言葉にすれば少しは変わる気がする。
僕はノリコの腰にすがりついていた腕に、ぐっと力をこめた。
「うおっ! どうしたラブたん! ツッコむ気になったのか!?」
すかさずからかいを入れてくるノリコに、僕は真剣に投げかけた。
「ノリコさん!!」
「なんだなんだ! プロポーズか!? もう仕方ないなー! 生き残れたらいいぞ!!」
「ノリコさんを、守らせてください!!」
「……えっ?」
ノリコの茶化しをスルーして、自分の頼みを言い切った。すると、ノリコの声は露骨に困惑のトーンに変化した。それでも僕は続けた。
「ストームから逃げ切るの、難しいと思ってます! でも僕はノリコさんの事を守りたくて……!」
その一言に割り込むように、ノリコは急に真面目な語りを始めた。
「 嬉しいよ、スゴミくん!」
その一言でまず僕のセリフを断ち切り、一拍置いてから続けた。
「でもさ、無理すんな!! どうせ自分だけ飛び降りて犠牲になるとか、そういうやつでしょ!? ダメだからそれ!! ノリコちゃんが頑張って避けるから! ウチを信じなさい!!」
「いや、違……」
その反応を見た瞬間、悟った。
──『この人は守れない』
アルハは僕の腕の中で完全に身を委ねていた。天使さんと戦った時もそうだ。僕が何かを成すものだと、僕の事を知りもしないのに、無条件に委ねてくれていた。
ノリコさんは違う。彼女が信じてるのは自分のバイクの腕前だ。と言うか、僕を頼るような存在として見てない。
「いや……」 言いかけて止まる。
さっき悟った事が確信に変わったからだ。
この空気では、仮にノリコさんが、あのタックルを試す事を許可してくれても『できない』と言う確信が沸いた。信じられていないし守る為の力は発動しない。
ノリコさんは強い。自分ごときが守ると宣言する相手じゃない。
僕は気が滅入ると後頭部をかくクセがある。この時不意にノリコの腰を手放して後頭部をかいた。
その瞬間、ドグマに触れた。後頭部にはずっとドグマがついていた。僕はそれがそこにあることさえ忘れていた。
ストームと初めて会った時も、スレイさんに道を聞いた時も、ネオさんの戦闘に割り込んだ時も、サザナさんにつけられた今日の朝から、ずっと音も重さも示さずそこに付いてたんだ。
触れても、何も起きない。箱から出したあのときは簡単に手に掴めたのに。アルハもサザナさんも、ドグマを掴んだ事は特別な事のように言っていた。
なのになんで、僕の言うことは聞いてくれないんだ……?
頭から手を戻した。
その手のひらに、白い球体が張り付いていた。後頭部に付いてたドグマが取れて、手の中に移っていた。
ただ、それだけだった。
「……えっ?」
違和感だけが残った。
僕はドグマを眺めた。なんで今になって取れる? 戦えるのか? どうやって? 硬いし握って『ドグマパンチ』とか……?
後ろを見るとストームは距離を離さず着いて来ている。顔は疲労感が強いが、殺意が衰えてる感じは全くしない。音速攻撃なんてストーム本人への負担も大きいはずだ。彼は確実に当たるタイミングを狙っている。
そして音速で突っ込んでくるストームに、喧嘩もしたことない僕のパンチが合うわけがない。
使い道不明。初めて手にくっついたときは、外すことすらできなかった。制御不能。
サザナさんが取ってくれなかったら……
「あれ……?」
この時、僕は矛盾に気付いた。
―――『想像力の高い者でないと、それは動かすことすらできない』
サザナさん自身は、トランクで運べるだけで、ドグマは動かせないと言ってた。なのにあのとき手からドグマを後頭部に移した。
いいや違う。おかしい、辻褄が合わない。
サザナさんが操作出来るなら、そもそもトランクはいらない。あの時サザナさんは、ドグマを操作していない。となると?
あの時手からドグマを外したのは僕自身だ。思い込んでいた。ドグマを知ってそうな人に耳元で囁かれて、取れたと思い込まされただけだ。
ドグマは後頭部にくっついたんじゃない。僕が後頭部にくっついたと思い込んでいただけなんだ。ここまでゼロ距離で、空中を浮遊して追いかけて来ていた。
ただ、それだけ。
そう思うと、ドグマは手の平の中で、ぐるりと回った。回す操作なんてしていない。ただ、僕の手に掴まれてるのでは無い。手の平の中に浮いているだけだ。その考察を肯定しているようにすら見えた。
だとするなら、つまり……
目に光が灯った。
僕はノリコの身体をしっかりと抱きしめて、耳に顔をちかづけた。
「ノリコさん! グネグネ走るのやめて、一直線で逃げてください!」
「は? 一直線!? それ追いつかれて即死亡コースでしょそれ! ああー! まさかデートのお誘い!? 三途の川で水着大会でもしたいってか!?」
「冗談じゃないんすよ!! 本気で言ってます!!」
「だったらマジで死ぬから無理!! ノリコちゃんのバイクは最強!! 頑張って避けるから信じてて!」
ノリコは頑なに断って来る。だが僕は曲げなかった。ノリコの背中に大声で懇願をした。
「ノリコさん! 僕はノリコさんを信じてるっすよ! だからノリコさんも僕を信じてくれませんか!!」
「言うのは良いよ! でも現実見てね!! このバイク音速なんて出ないから!!」
「ノリコさんこそですよ! このまま逃げても、壁で折り返したり、街に入ろうとした時に、その減速で捕まるって事なんすよね!?」
「分かってんじゃん!!」
「だから一直線です! 考えがあるんです! 信じてください! お願いします!!」
「考えって、何!?」
「ドグマですよ! 引き抜いた聖剣ってやつです!! それで何とかしますから!! ただ、説明してる時間は無いんです!! 僕はノリコさんが綺麗にまっすぐ走れると信じてます!! それじゃダメですか!!」
ノリコの顔がうつむいた。サイドミラーを使い、ストームの姿を確認している。しかし、すぐに顔を上げ振り向いた。
「あーもうっ! それ断れんヤツじゃん! ラブたん、本気なんだね?」
「本気です、一直線お願いします!」
その一言に、ノリコはハンドルを掴んだまま仰け反ると、僕にその背中を強く押し付けてきた。
「よっしゃ分かった! ウチもラブたん信じるよ! ストームは任せた! 一直線は任せろ! ノリコちゃんは100m鉄パイプの上だって踏み外さないからな!!」
「頼もしいっすね! お願いするっすよ!!」
「オーイエー!! 愛してくれよなあ!!」
「はい、信じて……いや、……愛してるっすよ!! ノリコちゃん!!」
「くぅううう!! 楽しくなるのは、これからだぁ―!!」
ブオオオオン!!
ノリコがアクセルを思い切り捻ると、バイクが一気に加速した。




