第60話・狂気の暴風雨7
噴水の公園には、台風が過ぎ去った後のような静寂だけがあった。
めくれたレンガと、渦を描くように一方向に横倒しになった樹木、そして濡れたレンガに散らかる葉とレンガ片。その噴水の英雄像の前に、ネオとストームが血まみれになって倒れていた。
その静寂に遠くからバイクのエンジンが近寄って来る。スゴミを乗せたノリコのバイクが、一直線にネオの元へと突っ走って来ていた。
「ネオー!!」 ノリコが叫んでバイクを停車する。
僕はその光景に口を抑えた。二人の皮膚には無数の裂傷、水を吸ったレンガに滲む赤色。血の鉄臭さが鼻を突き、胃がひっくり返りそうになる。
「ものすごい血が……こんなに……」
「ほらボサッと見てないで!! ネオっち抱っこして!!」
ノリコの指示でネオさんの元へと駆け寄り、うつ伏せで倒れたネオさんの肩と腰に手を当てて、仰向けに返した。ぐったりと力の抜けたネオさんの身体は重くなっており、肩から感じる体温も低くなっていた。次に脇と膝裏に手を滑り込ませて立ち上がった。
手に、服に、べっとりと血が染みる。まるで自分の罪の証明手形の様に、僕の肌と服に赤が滲んでいった。
「ごめんなさい…ごめんなさい...」
僕の目には涙が溜まっていた。ネオさんの首が座らず、後ろにのけ反って胸を張りだしているのを、ノリコが持ち上げて僕の肩に乗せてきた。ネオさんの前髪が僕の頬を撫で、血の匂いを石鹸の匂いが上書きしていく。
ノリコがネオの口元に耳をつけて、息を確認していた。
「よし、生きてる、助かるからねっ!! ついてきて!!」
そういうとノリコは、バイクに乗って走るよりも早く、公園の端の脱出ポッドの出口へと向かい、バイクに乗ったままポッドの搭乗口に足をかける。
「脱出ポッドのロック解除されてるから! 中に入れるよ! あとはマグナが処置するからね!!」
僕は振動を極力与えないように慎重に、それでも可能な限りの最速でそこまで駆け寄った。
そしてポッドに座らせるようにゆっくりとネオさんの身体を収めると、システムが作動して扉が閉まり、血濡れで目を閉じたネオさんが、地下施設へと搬送されていく。
僕がその光景を見て震えていると、ノリコは僕の背中をバンバンと強めに叩いた。
「オッサンは器用だから治療は任せとけ!! それともスゴミっちがネオっちの治療したいのか!? 服を剥いてな!? キャースケベー!!」
「ちょっと、今そういうノリじゃ……」
ノリコは痛いくらいに、バシンと一発背中を叩いた。
「やれることはやっただろ!! 落ちこんどる場合かっ!! それとも辛くてノリコちゃんに慰めてほしいのかぁ!? 」
ノリコが両手を広げて、僕を受け入れるようなポーズを取る。
「なんか、気を遣わせてすみません。僕はドグマ手に入れて、何か出来るんじゃって、ちょっと思ったんです、それなのにやった行動が、ネオさんに敵を差し向ける事だったなんて……」
その時、不快な金属音が僕らの元に近寄って来た。
ガリィィン、ガリィイン……
ストームが立ち上がり、剣を引きずって歩いて来ていた。その全身は血まみれで、顔面は土気色、身体中に張り付いた粘つくトリモチが、ササミのように千切りになっている。
「スゴミ、あぁ、ハァ……テメェは、そっち側だったか……」
剣を引きずりながら、よろよろと焦点が合わない顔のまま、身体を支えている。ノリコが僕の襟首をつかんで引っ張り、バイクの座席をボンボンと叩いた。乗れという合図だ。そのジェスチャーをしながら、ストームに話しかけている。
「お前―っ!! まだ動くのか!! ネオっちが言ってたゾンビ説はマジだったな!!」
僕はノリコのバイクに手をかけながらストームに振り向き、涙を流しながら睨んだ。
「ストーム……お前、ネオさんになんてことを……」
ストームは喋る度に口から血を垂れ流す。服はボロボロ、歯は浮いて、目は虚ろ、本当に死体が歩いてるかのような、ゾンビのような風貌。しかし、剣を握る拳にだけは、ギリギリと力がこもっている。
「割り込んで……逃がしやがってよぉ、まだ殺してねえんだ、終わってねえぞ……」
「もう、いいじゃないっすか!! いい加減にしてくださいよ!!」
「おいスゴミ。お前がネオの仲間ならお前も殺す。でもその前に、バイク女はちょこまかウゼェから、ぶっ殺す」
「ストーム……」
ストームの止まらない殺意に、僕の中身の無い説得など、意味を持っていなかった。
ノリコが僕の手をグイグイと引いた。早くバイクに乗れの合図だ。
「ラブたん!! ぶっころ馬鹿なんて無視だよ!!」
僕はノリコの言うとおりにバイクに飛び乗った。ストームはよろめいて、膝をついた。アゴが浮いて、身体中が震えている。そして自分の足を拳で殴りつけている。
「ハァアアアア!! クソが!! 動け、動けっ! 殺す!! 殺す、殺す、ぶち殺す!!」
水で濡れた頭を、血の滲んだ指でかきむしり、ぐしゃぐしゃの金髪が血で染まってオレンジ色のメッシュに変わっていく。顔面を片手で擦り、血で真っ赤の顔を洗うようにして叫ぶ。
「うぉおおおおおお!!!」
叫びながら頭から新しい血の道が額を流れてきている。とても正気の人間のやる事には見えない。その咆哮の圧力に僕は息を飲んでいた。
しかし、ノリコはそれを見て悪態をつく
「やっかましいねぇ、寝てたら良いのに」
ストームは拳を見つめ、声の限り叫びあげている、
「よし、行ける!! 殺れるぞ俺は!! ネオには勝った!! あとは雑魚だけ!! 全員ぶっ殺すだけ!!」
瞳孔が小さくて白めの広い、焦点の合わないストームの目がノリコを視線に捕えグニャリと歪んだ。
「来たぜぇ!! 完・全・回・復!だーっ!!」
僕はそれを見てノリコの腰を掴んだ。
「か……回復してるっすよ!?」
ノリコはそれを冷めた目で見る。
「違うよ、強がりだ。アイツは、もう限界」
ストームは一瞬気を失った様に倒れかけ、二、三歩横に傾くが剣をぐっと握り、握力のみでありえない角度で踏ん張り、姿勢を正すと、口元をぬぐって口から血液混じりの唾を吐き捨てた。
「よし」
ノリコがグリップを捻ってバイクのエンジンをふかして発進した。
「行くよっ!!」 ブォォォオオオン!
後方のストームも剣のエンジンのレバーを思い切り引いて再点火する。
「ハハハ……!!! 逃がさねえぞ!! バイク女ァ!! スゴミィ!!」
ストームの剣が空中に吹き飛び、それにしがみついたストームの軌道に血と水の飛沫が走り、再びバイクのチェイス戦が始まった。
ノリコは公園から、広い道を使って距離を稼ごうとした。ストームには見つかるが、狭い道を通ると度々通行人が出て来て、避ける手間を省くためだった。そしてストームの追撃をかわしながら出たのは、街の外周だった。
建物が途切れて道だけになり、都市の巨大な壁に沿って崖になっていて、下は深い堀の川になっている。都市防衛のために広く射線を確保するための構造だ。
視界は開けて、速度の制限なし。ノリコのバイクは自由に動き回ることが出来た。ストームは空中から追いかけるが、直線距離が長いとノリコのバイクの地力の方が断然有利だった。
「イイイヤッホオオ!! 当てれるもんなら、当てて見なー!!」
ノリコのバイクは左右に激しくスラローム。前後にガクガク揺れながらも、タイヤは地面をしっかり噛んで安定した走りを見せていた。僕はノリコの腰に必死でしがみついている。
「うわ! ちょっと揺らしすぎっすよ、暴れ過ぎっすから!!」
「暴れないとアイツの攻撃よけれないだろー!! やっばぁ!! ノリコちゃんのお胸も揺れてる!! 押さえこんでよ、ラブたーん!!」
ノリコはしっかりとハンドルを握ってガチ運転しているが、テンションは狂ったように高かった。
「なんでネオさんがあんなことになってんのに、そんなテンション高いんすか!?」
「ばっきゃろー! テンションアゲなきゃやってられっかー!! 人間、楽しい時が最強なんだぜ!! 泣いてビビって竦んでちゃ、渡れる橋も渡れねぇだろうがよー!!」
後方、ストームが姿を現し爆発飛行で迫って来る。
「ちょこまかと逃げやがってよぉ……」
ノリコはそれをミラーで確認、振り向かないで操作している。
「来たぞラブたん! 全くしつこいよなー! 笑えー!!」
バイクを追うストームの顔面は既に生きてる人間の色ではない、頬も出ていて体内の血液をどれくらい失ったらあんな顔になるのかと思う程であり、明らかな瀕死、しかし目は光っていて殺意が漲っている。
前の人の狂気も、後ろの人の狂気も、僕にはとても理解出来なかった。
「はは……はっ……」
「いいぞぉー! 楽しくなってきたなぁ!! もっと腹から声出して笑えー! 元気ビンビンでなぁ!!」
ストームは飛行して追いかけながら周囲を見渡す。
「ここ広いな、あのバイク女、ジョババが居なくなって、コース取り甘くなったか……? ここなら一気にぶち抜けるな」
ストームは高く飛び上がり、空中でバイクのレバーをガチガチと切り替えた。そして青白い光がエンジンの内側からあふれ出してくる。僕は振り返ってそれを目視していた。
「ノリコさん、ストームがめっちゃ光ってます!!」
「やばっ、来る!! アレ見たよ、バチクソ速いやつだ!! もっと揺らすよっ!!」
ストームの虚ろな目に光が灯る。
「急転直下神風爆雷 解放!!」
ストームは自由落下しながら剣を正面に構えた。
「そうだ!! ジョババは退場した!! トラップは出てこねえ!! ただのバイクが音速から逃げられる訳ねえだろうが!!」
ストームは剣を突き出したまま、地面すれすれまで降下すると、グリップをひねった。
「正面突破!! 一撃必殺だ!!」
ボォンッ!! バシュウウウウウン――!!
音が消えて、空間が爆ぜる。 音速突破の衝撃波が周囲の土と岩盤をえぐり飛ばし、混じる土煙と水蒸気だけを残し、大剣を正面へ弾丸のように吹き飛ばしていく。スサノオ・テンペスト、特攻。
しかしノリコはそのタイミングを完璧に見切っていた。音速で突っ込んで来る大剣の光る瞬間だけを見て、ストームの発射前にバイクを大きく右に移動して大きくかわすノリコ。しかし、ストームが過ぎ去ったあとに、破裂する空気が爆風のようにバイク襲った。
「うわっち!!」
ノリコはこの時、初めて転びそうなよろけを見せた。後輪がずるずると地面を横滑りし始め、ノリコは咄嗟の判断で更にバイクを横滑りに傾けさせた。ノリコのブーツと僕の靴が同時に地面を踏みつけながら滑って行き、堀の縁のギリギリを十数メートル横滑りしながらようやく止まった。
バイクを立て直すと、ノリコは息を荒げて、額に汗を溜め、その顔も驚愕に染まっていた。僕も転ぶかと思うのと、真横に覗ける深い堀の崖を見て心底恐怖に染まっていたが、ノリコに声をかけた。
「ノリコさん!! 大丈夫っすか!!」
すると、ハッと気づいたように首を上げ、すぐにハイテンションなリアクションを開始する。
「お花畑見えたわー!! なんじゃありゃ!! あんなの何度も避けれんぞ!!」
ストームは遠く向こうで着地し、こちらに振り向いていた。
その隙にノリコはバイクを急旋回。今までの道を逆走するようにバイクを走り出させた。