第49話・一本道での接近
廊下からブリアンの悲鳴が響き、スレイの名を呼んだ。
侵入者が既に部屋の外まで来ていて、二人がその手に掛かっている。
僕に迷う時間などは無かった。メインルームの扉を開けて廊下に出る。
その数メートル先に、監視カメラで見たあの女が立っていた。
黒いコートに黒のハット、足元には倒れ込むスレイ。
ブリアンの姿は既にどこにも見えない。
黒い女は僕に気づくとゆっくりと笑った。
その目は蛇のように冷たく、愉悦に歪んだ口元から舌をチロリと出す。
そして指をこちらに向けてきた。
あの時カメラ越しに『バン』といった、あの仕草。
僕は震える手のままで拳銃を構えた。
「動いたら撃つ! 姫様をどこにやった!!」
女は答えもせず、ゆっくりとこちらに向かって歩きだした。
コツ、コツ、ハイヒールが床を叩く音が、規則正しく迫ってくる。
「本当に撃つぞ!! 止まれ!!」
僕の精一杯の威嚇の言葉が空気に溶けていく。
理性は引き金を引けと言っている、でも手が震えて指が動かない。
引き金ひとつ引くだけのことに、全身の神経が拒絶を起こす。
そして女は構えられた銃口まで近づき、その胸を銃口に押しつけた。
銃口が女の胸の中に埋まる。
その身長は180cmはあるかもしれない、僕からは見上げる体格。
そして室内灯を逆光にして暗くなったその顔が、ゆっくりと歪んでいく。
「ふふふ……なんだ、君は。可愛いな」
背筋がゾッっとして、恐怖に腸が軋んだ。
しかし、吠えた……
「姫様をどこにやった、って聞いてんすよ!!」
女はしゃがみ込み目を細めた。
銃口の目の前に自分の顔面を持ってきて僕を見上げる。
僕の指が反射的に引き金から浮いた。
女はそれを見て拳銃を指さす。
「セーフティがかかったままだぞ」
その一言に、世界が止まった。僕は自分の手元の銃だけを見た。
映画やアニメでよく見るセリフだと思った。
しかしいざ自分がそれをやっていたことに血の気が引く。
僕が初めて銃を握った人間で、銃を打つ覚悟も無い一般人だと
この女は最初から、一目で見抜いていたのだ。
女はそのままの状態で首だけ後ろを振り返った。
「来いよデフィーナ、面白いのが居るぞ」
半ニヤケで仲間を呼ぶ女。もう一人? 無理だ……
この女の圧力だけでもどうにかなりそうなのに
ネオさんのトラップ拠点を抜けてくる刺客がもう1人
しかもブリアン姫やスレイはすぐ片づけた癖に
僕に対しては余裕で弄ぶようなこの態度。
すると奥の曲がり角から、もう1人の人影が出てきた。
身長の低い女性だった。
ピンと伸びた背筋で両手を前に揃えてアタッシュケースを持っている。
全身の姿は一言で言えばメイド。黒い衣装に白いフリル。
緑色の髪にヘッドギア、そして顔は人を平気で殺しそうな冷たい目。
冷たさを纏った金色の瞳だった。
そのマネキンのような無表情に、僕は見覚えがあった。
「この顔……」
それを見間違えようがなかった。あの姿、あの顔、この冷酷な無表情。
……アルハさんだ。
アルハさんは黒髪赤目、このデフィーナと言う子は緑髪金目。
色は全然違うが彼女にしかない雰囲気があった。
そこに存在するという空気に、アルハだという確信があった。
身の周りの異変が始まった天使降臨の日
天使さんと一緒に現れて家まで僕を殺しに来て彼女になり
肝試しの夜の、廃病院のバケモノとの戦いで身を呈して僕を救ってくれた。
アルハさんの死に際の言葉が耳の奥で再生される。
――また必ず、会える日が来る。
姫神さんは、同じ顔のブリアンとして現れた。
祢音さんも、同じ顔のネオさんとして出てきた。
だから、いずれ来そうだとは思っていた。
しかし今ここで敵として出てくるのか
デフィーナと呼ばれていた、アルハさんの生き写し
彼女は目の前まで歩いてきて、僕の顔をじっくり見てくる。
その後、しゃがみこむ黒服の女に報告するように視線を下げた。
「コイツが、ヒサヅカ スゴミですね」
「ほう、コイツが、ヒサヅカ スゴミね」
僕のフルネームはホテルで姫様に言った以外は言ってない。
どうやって知ったんだ、顔見ただけで分かるのか。
天使さんとアルハも僕の名前を知っていた。
この人たちにとっては、そういうものなのか…
デフィーナが姿勢をただして手前にトランクを構えた。
「マスター、こいつ殺しても良いですか?」
目が冷たかった。
殺すと脅したのではない、本当に僕を殺そうと思っていて
それの許可だけを欲しているのが分かる顔だった。
黒服女は立ち上がり、腕を組み、手のひらを顔にあて
指で二回頬を叩いて考えるように間を伸ばす。
そして僕と彼女の目が合うと短く回答した。
「…………ダメだ。」
「チッ!」
思い切り聞こえる舌打ちがデフィーナから漏れた。
……その時
開けて来たメインルームの扉の裏からノリコが顔をだす
「ねね、ラブたん、終わった?」
最悪のタイミングだった。銃は撃てない。セーフティーがどれか分からない。
向こうはいつでも殺せるはずなのに僕だけ何故か生かされてる。
そんな状況でノリコを守るなんて、無理がすぐに分かる状況だった。
「ノリコさんダメっす!! 今出てきちゃ……!!」
振り返り、走りだそうとしたその瞬間、ノリコが目を丸くした。
「あ! サザナっちじゃん!!」
僕はその一言に、体が固まる。
「え? 知り合い?」
すると、示し合わせたかのようにブリアンが通路の角から顔を出した。
「ノリコ!気をつけて!そいつ変態よ!!」
「えっ? えっ?」
混乱する僕を無視して、次はスレイがムクリと起き上がった。
「ふああ、寝ちゃった。あれ、お客さん……?」
「んっ、え?」
唐突な情報のラッシュに僕の頭はパンクしていた。
サザナは突如立ち上がり、素早いカニ歩きで僕の背後を通り抜ける。
そしてノリコを抱きしめて頬擦りを始めた
「いやあ! ノリコちゃんも久しぶりだねぇ!
感動の再開に軽いスキンシップでもさせておくれ!」
「ちょ、やめっ! 変なとこ触るな!! ラブたん助けて!! コイツが侵入者だよ!!」
―――情報屋サザナ。ノリコが変態だと恐れていたのは、この人だったのか。
僕はその急展開に疲れがどっと押し寄せ、腰が砕けてその場にへたりこんだ。
その後全員が集まりメインルームにて机を取り囲む。
そしてそこまでの状況を僕がまとめていた。
「つまり、サザナさんは身内だから正面から普通に入って来ただけ。
姫様はセクハラされてうずくまってただけ。
スレイさんは通路で寝てただけ。
玄関での『 バン 』はインターホンでネオさんに挨拶しただけ。
警報が鳴ったのは、デフィーナさんが攻撃指示と思ってカメラを壊したから」
ソファで足を組んだサザナが、黒い手袋を軽く打ち合わせ、拍手を送った。
「良いなぁ君、素晴らしいまとめだ、わかりやすくて結構。
ただ一つ誤解がある。 姫にしたのはセクハラではない。
可愛かったからちょっと撫でただけだ。」
「アレを撫でただけって言うのは、どうなのかしら…」
声が落ちて頭を抱えるブリアン、本当に何をされていたんだ。
そしてノリコが朝食を机に運びながらツッコミに回る。
「それをセクハラって言うんじゃい!!」
「ノリコさんも大概っすけどね。」
ノリコさんがペース持ってかれてるを見てるだけで分かる。
情報屋のサザナさんという人は確かにとんでもない人だった。