第37話・核心への侵入。
ブリアン姫がバスローブ一枚の姿で僕の胸の中にいる。
僕はその背中に手を回している。
ここはラブホテルの二階。二人の間に緊張が走る。
姫の身体は震えてはいないが、動きは小動物のように硬直。
ホテルの外で銃撃音があった。姫は暗殺対象。
僕達は丸腰で、ホテル内部は階段がひとつ。
もし敵に位置を知られていたら最後だ。助からない。
ただ身を寄せて、儚く祈るだけだった。
しかし外からの機関銃の音は1回だけで
壁の向こうから遠く声が聞こえてくる。
「向こうだ、行け! 行けー!!」
複数人のブーツの足音がホテルから遠ざかって行った。
僕は冷や汗をかきながら、小さく確認した。
「あれ、行ったみたいっすね……
姫様狙いではない発砲事件……?」
姫は深く息を吐いた。
「はあ……驚いたわ……テロかもね。
内政が不安定だから、良くあるって聞いたわ。」
「それは、物騒な国っすね……」
姫が屈んだ体勢から身を起こす瞬間
二人の前髪と前髪が触れあって、目が合った。
姫の頭はそこで停止、前髪が絡み合ったまま
しばらくそのまま見つめ合う。
身を寄せたままの体勢でお互いにローブは一枚
姫の眉が垂れ下がり、目が細く潤み、唇を震わせていた。
「姫……様……?」
冷静になれ、飲まれるな。この人は婚約中だ、結婚式は四日後。
相手は帝国の国王。間違いがあってはいけない。
僕は姫の背からそっと手を離し、肩に手を置いた。
そして爆発物を扱うように、ゆっくりとその顔を遠ざけた。
その時、ブリアンの目から一粒、涙が流れ落ちた。
「ねえ、どうしてなのかしら……」
「えっ……?」
「私、エリオット様の事を本気で愛しているのよ」
「は……はい。」
「この結婚で、私は彼と共に完成されるのよ。」
「完成……っすか、幸せとかじゃなくて……」
「4年前にね、エリオット様の国に訪れた際に
告白して頂いたのよ。その時の言葉なの。」
「告白が完成っすか、どういう意味で?」
ブリアンは目を閉じて答えた。
「僕は、君を持って完成される。
完成された僕と永遠に歩みを進めて欲しい。
って、それがエリオット様に頂いた、告白の言葉なの……」
「いやあ、なんていうか……言う事違いますね
完成超人王様は、スケールも大きいんすね……」
「私、手紙を頂いたのよ、それを4年間毎日読んで……
結婚の日をずっとずっと待っていたのよ」
そうだ、この人は結婚する。
目の前で壊れそうな顔をしていて、手を握り
しようと思えば、抱きしめる事も
キスすることだって出来てしまいそうな
ベッド上の、この距離感で……
僕は姫に握られたままの左手を二人の視線の間に持ち上げた。
「姫様。そしたらっすよ、この手はまずいですよ……」
そういって、彼女の手の隙間を縫い、下に抜けようとした。
その逃げようとする手を彼女は再び捕まえた。
そして今度は爪が立つほどにきつく握りしめる。
「ちょっと……姫様!?」
「ねえ、なのに、なんで暗殺計画なんて
どうして、そんな話になるの……?」
彼女の目から次々に涙がこぼれてくる。
「私、本気で国の事を考えてた、戦争だっていやよ
無くなれば良いって、私の国は決して裕福じゃないわ
それを解決できる、私の身体一つで……なのに」
止まらなかった、握った手の力は増していく。
「ねえ、スゴミ…… 私って結婚できると思う?
私って、あと四日間……生きられると思う?」
──彼女の核心だった。
僕は息を飲んだ。
「それは……」
──僕が守りますから! って言えたら……
どんなに楽だろうか。僕には力が無い。
彼女の目が震えていた。それがブリアンの核心。
夢に見た結婚を前に、命を狙われ、護衛は無力な僕一人。
不安で壊れそうで、縋るものが無い孤独だった姫の
藁をも掴むような、心の根の音だった。
「私……まだ生きていたいのよ。」
口がぽっかりと空いた顔で、真正面を見つめている。
胸元で強く握られた彼女の手、祈るようなその形。
それを見て、僕の頭の中で最悪の映像が浮かんでいた。
それはヒメガミさんの最後の姿。
顔の鼻より上を切除され、口をぽっかりと空けた、無惨な遺体。
ネックレスを祈るように握り込み硬直した悲痛な最後。
全く同じ顔を持つ目の前のブリアン姫に、その姿が重なる。
自分の手が震えだす。心臓が痛む。
「姫には……ぼ、僕が……ついてますから……」
言ったそばから、下を向いた。
――僕がついてるからなんだ。何が出来る。気休めだ。
「ありがとう……スゴミ。」
ブリアンの頭が、祈るようにして結んだ二人の手に触れた。
その祈りを実現出来る力が無い。それは虚空の祈り。
僕はそれ以上、彼女を見ていられなかった。
――感謝されても、守り切れなければ終わり。
「あの……姫様、着替えましょう
バスローブの姿じゃ、いざって時逃げられないっすよ」
ブリアンは顔をあげた。
「えっ……ええ、そうね。」
彼女を手をそっと離し、ベッドを滑り降りた。
「じゃあ僕は脱衣所で着替えてきますんで
着替え終わったら教えてください」
「ねえ、着替えは背中合わせで、良いんじゃない?」
「えっ……」
「ほ、ほら……怖いでしょ、その……部屋違うと」
ブリアンはそう言ってベッドから降りると
脱衣所前の脱衣カゴを手に取り、僕の所まで持ってきた。
「はい、後ろ向いて着替えるのよ。見たら死刑だから。」
そう言って僕の学生服の入ったカゴを差し出してくる。
「わ……分かりました、絶対見ません。」
僕はそれを受け取り、姫に背を向けて壁を正面に見た。
脱衣カゴを床に置き、バスローブを脱ぎ落とす。
その時、足の裏に落ちた自分のバスローブの上に
もう一枚、彼女のバスローブが落ちてきた。
それと同時に見える、姫のかかと。
今、背中合わせのに、裸の姫がいる。
「見たら死刑、見たら死刑、見たら死刑……」
念仏のように唱えながら、カゴの制服を拾おうとした。
その時だった。
壁の中から異音を感じた。
ウィィィイイイイン!!ジジジ……ガガガ……!
モーター音と、何かを削るような音……
そして直後、目の前の壁を突き抜けるように
細長いノコギリの刃が飛び出してきた。
ノコギリの刃はそのまま進んで、壁に切れ込みを入れていく。
「ノコギリ……!? か、壁切り……!」
僕の脳裏に速攻で蘇る悪夢、廃病院の天井切りの蜘蛛のバケモノ。
壁の切込みから腕を伸ばして、対応不可能の一撃必殺。
真後ろには裸のブリアン姫、部屋が別だったら対処出来なかった。
だが今はまだ守れる。僕に迷う余地は一切無かった。
「姫様!! なにか来ました!!」
「えっ?」
僕は手で握っていたシャツを投げ捨てて振り返り
ブリアンの背中をつかみ、抱いて押し込むようにベッドへと飛び込んだ。
その時の彼女は上下が下着一枚だったが、そんな事は関係なかった。
何が来たんだ……? またバケモノか、それとも暗殺者か?
とにかく動きを確認、確認だけしてすぐ逃げる!
僕はベッドに押し込んだブリアンの背中を、きつく抱きしめた。
「すみません! 少し我慢してください……!」
壁切りノコギリが一周して壁に穴が空き、外の光が入り込んできた。
その光の中を、ぬるりと人影のようなものが這いずって侵入して来る。
「出たっすね……! 行きますよ。姫様!!」
逆光に目が慣れ、影の正体が明らかになった。
その姿は、空色のバイクウェアにゴーグル……
侵入者は高らかに片手をあげた。
「やっほー!君たちー!!元気にやってたかぁー!」
この人はネオさんの拠点にいた、めっちゃテンション高かった人……
「ノリコさん……!?」
「はーい! ラブリーノリコちゃんでーす! 愛を嗅ぎつけ、ただいま見参!!
って、あいやーっ!!こいつは元気にやりまくりだねーっ!
うっはー! においがっ!むせるっ!においがーっ!」
「……は?」
完全に理解が追いつかなかった。
ホラー映画を夢オチにされられたかのような、ノリコの登場。
その呆れかえる空気に僕は完全に圧倒され、思考が停止していた。
でも、僕がこの甘い地獄から目覚めるには、丁度良かったのかもしれない。




