第26話・それぞれの価値
「見てないわよ。」
彼女の一言は短かった。
それが僕の感情を、一気に限界値へと引き上げた。
「嘘だ!! だって……そんな! 先に二人が……!」
僕は言うより早く、駆け出していた。
踊り場から一階へ……
すると、アルハに背中から襟首をつかまれた。
体が止まり、後ろに仰け反って転ばされる。
埃まみれの踊り場で尻もちをついた。
「な、何するんですか!!」
「死ぬけど。」
アルハは一階を指さした。
その先ではクロノの遺体を晒しあげた蜘蛛のカイブツが
腕を超高速でうねらせて、殺人フィールドを形成している。
「僕には死んで欲しかったんじゃ無いんすか…」
「多少状況が変わったのよ。手を貸しなさい。」
僕はアルハに『女子とすれ違ったか』を聞いた。
アルハは『見てないわよ』と答えた。
有り得なかった。
先に逃げたのは、ヒメガミさんとネオンさん。
二人は踊り場から一階へ降りて外へ向かった。
アルハは、外から一階を通り踊り場に来た。
すれ違って無いなどあってはいけない。
「僕たち、6人で来たんですよ!
そのうち3人が殺されました!
あと二人、下に逃げたはずなんです!!」
「そうなのね、だとしても、私達も敵倒さないと
この踊り場を出れないわよ。」
アルハは、人が死んでいて自分達も危機なのに冷静
いや冷徹か、冷酷というべき態度だった。
「じゃあ下に行きましょう!
どうやったらアレ倒せるんですか……!」
「私は上に行きたいって言ってるでしょ。
上にドグマがある、それを手に入れれば戦えるわ。」
「そうかもしれないですけど、マリアンとネオンさんが……
逃げた子達が逃げられて無いかも知れないんですよ!」
アルハは気だるそうな目をむけた。
「ったく、誰よそいつら。知らないって言ってるでしょ
そんなのよりドグマの確保が優先……って……」
アルハは不意に二階を見つめ、言い淀んだ。
「ねえ、二階に敵は一体って言ってなかった?」
「え、一体ですよ、Tシャツの……」
その時、二階で揺れるカワダのバケモノの裏に
新しく黒い柱が立っていた。
音も無く現れており、現れた瞬間は見ていなかった。
「四体目の敵……四人目の死体……?」
震えが止まらなかった。
「だって僕は、命懸けで囮になって……
それでネオンさん達が逃げて……!!」
「はあ……これは、とてつもなくだるいわね。」
塊が繊維状にほぐれていき、暗黒のカーテンが開かれた。
その毛のような、おぞましい暗黒の中心に、人影があった。
アルハと同じ、女子生徒の制服。
全身にかぎ爪や釣り針のようなものが引っかかり
身体を張り出すように固定。
そして、顔面の上半分が無い。死体だった。
「嘘だなんで、どうして、ありえな……
ダメダメダメ! ダメですから!! だ……誰?」
繊維状の構造がまとまって、蜘蛛の腕になる時
女子の首の裏から、黒の長髪と緑のリボンが滑り落ちた。
「ネオン……さん……」
──後だ!後でまた、改めてしっかり話をしよう。
──スゴミ……死ぬなよ。
「なんでネオンさんが先に死んでるんすか!!
話をしようって言ったじゃないすか、話ってなんですか!
僕らまだ何も解決して無いし、マリアンお願いしますって!」
胃液が逆流しそうなり、息がつまる。それでも叫んだ。
「……マリアン!!」
ネオンさんの死体の指が痙攣してヒクヒクと動いている。
顔面は無い。確実に死んでるが、死後間もないと感じた。
「アルハさん!下へ行きます!マリアンを助けなきゃ!
まだノコギリの音してない!生きてますよ!!」
アルハは変わらずの無表情でにらみあげる。
「私は上に行くのよ。」
「こんな時に何言ってるんすか!
人命優先でお願いしますよ!」
「だるいわね、どうせもう死んでるでしょ」
パァン!!
その言葉を聞いた瞬間、右手が動いていた。
アルハの頬を思い切りひっぱたいていた。
アルハはありえない程の驚愕の顔で固まる。
僕は生まれて初めて女の子を殴ってしまった。しかし……
「ドグマドグマって、やかましいんすよ!!
マリアン泣いて震えてますよ!助けたいんです!
知識あるなら、協力してくださいよ!!」
言い終わると同時……
アルハから『絶対に殺してやる』と声が聞こえてきそうな程
強烈な眼光が放たれた。
その目だけで、僕は心臓が止まりそうになる。
そして彼女は口を開いた。
「 最低ね 」
『最低』 僕にとって呪いの言葉だ。
出過ぎた真似をして、助けた相手に恨まれる。
酷い話だ、ろくな事にならない。……でも。
「最低でもなんでも良いっすよ!!
死んだら最低すら言って貰えないじゃないっすか!
あの敵の倒し方を教えてくださいよアルハさん!
そしたらドグマ回収だって天使討伐だって……
なんだって手伝いますよ!!」
アルハは言葉を投げる度に険しく、憎悪が蓄積していく。
「ったく、わたしには協力しないくせに、
図々しいにも程があるでしょ」
叩かれた頬を擦りながら、にらんでいる。
「ちょっと顔貸しなさい。」
その潰れそうな程の怒りの顔のまま
指でちょいちょいと誘う仕草をとった。
確実に殴り返される。そう思った。
一発は一発だと、先にぶったのは僕だった。
大人しく顔を差し出し、目を閉じて衝撃への警戒……
アルハがバットを手放した。
カンッ
先端が床に着く音が踊り場に反響。
同時にアゴをつかまれた、そしてもう片手は後頭部へ回り込み
首をへし折られると思い、目を開けた、その時。
カランカラーン……
アルハの柔らかい唇が僕の唇を包み込んでいた。
正面からキスをされていた。
「アルハさ……えっ!?」
キスは一瞬だった、意味が分からないが
唇がしっとりして気持ちが良い。
カラカラ……コンッ
バットが踊り場の手すりの支柱まで転がって止まる。
「え、なにこれ、ネオンさん死んでるんですよ
こんな時に……何してるんすか……」
アルハは顔を赤くして、横を向いていた。
「朝、学校で別れたでしょ。
だから今まで他人だけど、キスしたから彼女に戻ったわね?」
「え……はあ」
一般的な理屈ではないが
アルハさんの中ではそういう理屈らしい。
「いや、だからなんすか、ヒメガミさんを助けに……」
アルハは僕の胸の前まで来ると
僕の手を取って自分の腰に回し、僕に寄り添ってきた。
髪のやわらかさと、花のような香りが感覚を狂わせる。
「クズカス。私を抱っこしなさい。」
「何がしたいんすか……」
「協力しろって、あなたが言ったんでしょ、
私は効率悪いのは嫌いなのよ、賢しいのは無しで
最速で片付けるから、さっさとしなさい。」