第22話・守りたいものは何?
男が女子高生に覆い被さっている。
スマホの画面の映像だ。
薄暗い廃墟で二人きり。
女性はしゃがんで丸まって
『いやー!』と叫んでいる。
男は『マリアン!』と叫んで彼女の背中から無遠慮に腕を回している。
酷い映像だ。
そして、その男が僕だった。
僕の腕の中でヒメガミさんが震えている。
やわからな制服から感じる、背骨の感覚。
肩肘の奥が細かく震えて息を荒くしている。
意図して出せる震えじゃ無い、本物の震えだ。
スマホの画面をコチラに向けるのはクロノ。
車椅子の怪奇現象に見せかけて驚かし、僕がヒメガミさんを助けようとした所を撮影。
その実行犯がクロノで、首謀者がネオン。
僕の中では既に、感情を抑え込む為の糸が切れていた。
「こんな事して人を弄んで、何が楽しいんですか……」
階段下のネオンが、冷たく笑っている。
「楽しいかの話じゃない。ビジネスさ、ビジネスの話。ちょっとした小遣い稼ぎかな。」
目の前でクロノが『いやー!』が無限再生されるスマホの画面をいじっている。
「俺のスマホのデータが30万円な。それで売ってやるよ」
そう言ってチラリと睨みあげる視線に、僕は淡々と返した。
「ふざけてるんすか」
ネオンが腰に手を当て、首を傾けている。
「ふざけてないさ。本気だよ、不本意ではあるけどな。」
「不本意って、は?」
「本来の予定ではマリアンへの告白はな、ヒサヅカが告白するのに数日悩んで、決断出来なくて私が再度背中を押すって流れなんだよ。」
「いや、だって、シバさんが七夕だから急げって言ったんじゃないっすか!」
「そこまで言っても、お前みたいな根暗は普通迷うだろ。それが即日でプレゼント買って来るとかさ、想定してねえんだよ」
「ネオンさんがプレゼント渡すのは基本って……!」
「それを私が誘導する流れだった。それが一人で動いて部室のみんなの前で渡すとかさ、プロジェクトがボロボロになったわ、頭抱えたね」
ネオンさんが部室前で、僕の登場に驚いて沈黙していた、あれはそういうことか……
「短冊には帰りたいとか書いてたのにさ、お前は行動力の方向性が狂ってんだろ」
「狂ってるのはどっちですか。じゃあ僕が思い通りにならないから、こんな陰湿な事してるんすか」
「そんな無意味な事するかよ。ビジネスだって言ってるだろ、お前が相談したら、絶望の華を買うように仕向けて、プレゼントしてもらって、フラれるだけだった。そしたら、よくやった。お前は頑張ったって、褒めてやる。それで平和に終わったんだよ」
ヒメガミさんの体がピクリと動いた。
しかし変わらず震えている。
僕は再度ネオンさんを見おろした。
「絶望の華……あれ35万ですよ」
クロノがスマホをウチワのように僕に向けてくる。
「だからデータ代は負けてやって30万なんだろうが、カワダは今日も肝試し直前までバイトしてたぜ。」
僕は言葉が出なかった。
およそ僕の良心が許す範囲を越えていた。
ネオンがクロノに投げかける。
「そういやクロノ、ハルハラはどこだ?」
ハルハラ。三番目に出発した細長い男だ。
ネオンさんの態度からして、ハルハラもグル。
クロノは上の階の階段を見ながら答えた。
「そういや遅いな、カワダが先に外に出ないといけないって話なのに降りてこないから、探しに行ったんですけどね」
カワダもネオンさんの被害者。しかもアイツは騙されてる事を知らずに、せっせとヒメガミさんへの高額商品の代金を稼いでいる。
コイツらは人の好意を踏みにじる悪。
ダメだ、もう関わりたくない。
僕は顔を上げ、ネオンさんを見下ろした。
「なるほど、そういう事っすか。シバさん達の言いたいことは分かりました」
その一言にクロノが軽快に声を上げる。
「オッケー! 交渉成立な? 俺たち30万貰ったらそれ以上は一切要求しないからご安心を!」
「金は無いです。払うわけないでしょ」
僕は不遜に返した。
もうやる事は決まったから、迷いは無かった。
ネオンさんは、更にきつい視線を突きつけてくる。
「いいのかよ、映像ばら撒いたら、もうまともな学校生活なんて出来ないぞ」
「良いっすよ別に、また学校来るのやめるだけですし」
クロノが目を細めた。
「ははっ、マジで言ってんのか、お前?」
「そもそも僕は、最初から学校なんて来たくなかったんすよ。それを一日出てきただけで、この有り様。社会の厳しさがよく分かったので、僕はもう帰ります」
ハッキリと言い切った。
アルハだってどっか行ったんだ。
学校に来た理由なんて殺すと脅されただけ。
流されてここまで来ただけだ。
僕の明確な意思は帰ることだけ。
そして沈黙。
クロノもネオンも、言葉を失っていた。
当たり前だろう。
この人達に僕の不登校をやめさせる理由なんてない。
そして、それを見て僕は続けた。
「あの、もう帰るんで、マリアン立たせるの手伝ってもらって良いっすか」
腕の中でまだ、ヒメガミさんが震えていた。
それを見て、ネオンさんが軽く投げかける。
「おい、マリアン、もういいぞ」
「もういい……ってなんすか、怖がってて立てないんですから、手伝ってくださいよ」
僕の角度からだけは見えた。ヒメガミさんが泣いている。その涙は床のホコリを弾いて床の本来の色を洗い出していた。
ヒメガミさんが僕のシャツの裾をつかんだ。
「ぐすっ、ケホケホっ…」
ヒメガミさんの泣き咽ぶ声が漏れた。
それと同時にクロノが踏み込み、申し訳なさげに覗き込んだ。
「え、姫、まじで? 姫がビビるのは演出って聞いてて俺……」
クロノがゆっくりと近寄り始めた。
するとヒメガミさんは丸まったまま、力を込めて叫んだ。
「イヤ! みんな嫌い! 来ないで!!」
「そんな……」
クロノはたじろいで固まり、ネオンさんの方を見ている。
僕はヒメガミさんの髪にそっと触れ、うつむく視線の中に入るように顔を覗き込ませた。
「大丈夫っすかヒメガミさん。立ってここから出ましょう……」
「ごめんなさい。ごめんなさい私、さっきの本当に怖くて……私」
少し顔を上げて僕を見たヒメガミさんの目は涙で溢れかえっていた。
「何も起きてません。怖くないですから、立てますか、肩貸します?」
肘をトントンと叩くと、ヒメガミさんは黙って脇をあげた。手をさしこめるように隙間を開けてくれたんだ。
僕は迷いなくその隙間、肩の下から胸の脇へと手を差し込もうとする。
するとネオンさんが大きな声をあげて、階段を上がろうと動いた。
「おい、なに無料でマリアンに触ろうとしてんだよ!」
その一言に僕の感情が噴き出した。
「だから手伝って下さいって言ってんじゃないっすか! シバさんはマリアンの理解者なんですよね、ずっと友達だったんですよね! 今のマリアン本気で怖がってるんですよ! なんで頭良いくせにそんな事も分からないんですか! シバさんがすぐに上がってきて、肩貸すべきじゃないんすか!!」
ネオンさんの足が止まり、眉間にシワをよせて刺すように言い放った。
「はあ? なんだよお前、やっぱり馬鹿か? もしかして絶望の華が欲しいって短冊、誰が書いたのか忘れたのかよ」
「……あ?」
とっさに体を起こす。
震えるヒメガミさんの後頭部を見た。
そうだ、この子が短冊に願いを書いた。
僕の目の前で楽しそうに。
『ジラ・トゥエルフの絶望の華が欲しいです。』
ほぼ朝一番の出来事だった。
高級アクセが欲しいと言う願い。
あれがネオンさんの仕込み……?
あんなに楽しそうに書いてたのに、その理由は僕やカワダに買わせる為だったということだ。
ってなると、どこから始まってたんだ?
朝の挨拶からか?
なんなんだこの陰湿なシナリオは……
うずくまるヒメガミさんを見ていると、シャツの隙間から見えるうなじに、何かあるのに気づいた。
ゴールドのチェーン。
ネックレスだ。
僕には高級ブランドなんて分からない。
どこの誰に買って貰ったとも、金額も分からないアクセサリーが、当たり前のようにそこにあり、彼女の汗に絡みついて光っている。
「ヒメガミさんも、グルだったんすか……」
そう思うと、僕の心と共に身体が離れていった。
彼女のしなやかな肩に触れるのが嫌になった。
自然と手を離そうと思っていた。
そして肌から手を浮かせようとした。
その時、彼女は叫んだ。
「いや! ごめんなさい! ヒサヅカ君、離さないで。怖いのよ私、いやっ!!」
反射的に行動していた。
自分でも何故か分からなかった。
彼女の肩をつかみ直していた。
肩の骨組み、薄く包む柔らかな皮膚。薄い制服。
自身の心に問いかける。
なぜ?
たった今、理解しんじゃないか。
こんな物欲女と関わりたくない。
弱くて震えた声を出す僕の敵。
本当に今、幻滅したばかりなのに……
なんで僕は彼女を支えるこの手を離せないんだろう。




