第205話・僕は帰ります。
「ああ!? 僕のドグマ、僕のドグマだぞ、それ!!」
僕のドグマが学ランの巨漢、スガミ・カイに回収された。
叫んで手を伸ばす僕に対して、カイはドグマを脇に固めたデフィーナの頬へと押し当てて見せた。
「ちげぇよ!! ドグマは走者の物だ。走者が物語に殺されるたびに、アルハが無慈悲に回収して蓄積していくんだよ!! 走者が死ぬ度に増える、経験値アイテムみたいなもんだなぁ。全くひでぇ話さ!!」
僕は右手を暴れさせた。
左にいるカイのドグマには全く届かないし体も痛いが、とにかく必死だった。
「許されないっすよ、そんなの、絶対に……!! 大体、支持者を殺したら、世界が滅ぶんですからね!!」
「まぁまぁ、そうイキるなって素人君。滅ぶことは知ってるさ」
カイはデフィーナの首に、太い腕を回して引き上げた。
「だから俺はしばらくこの世界で過ごして、デフィーナさんを殺して、次の世界に旅立つってワケだからな」
僕は右足を思い切り曲げた。
右足をバネにして無理矢理飛び上がり、カイの手に収まるドグマへと手を伸ばした。
「そんな事するなら、ドグマとデフィーナさんは返せよ!! 僕がこの世界の物語を走るんすから!!」
カイは余裕の顔で僕の右手を避けた。
「バカだなあ、交代だって言ったろ? 走者の交代が起きるとな、前代はどうあがいても12時間で死ぬようになってんだよ。もう手遅れってやつなんだよなあ」
「12時間で……死ぬ!? 僕がっすか……!?」
カイはデフィーナを強引に引っ張って入口へと向けて振り返った。
「そうだよ。今まで何度かあったんだが、何をしたって必ず12時間キッカリで突然死さ」
僕を軽く指さした。
「でもお前は最後に物知りの俺に会えて良かったな。分かった寿命は12時間。あとは美味い物でも食って、遺書でも書いて、のんびり過ごせや」
パンッ! デフィーナの尻を強く叩いた。
「コイツは俺が可愛がっとくから、心配すんな! くははは!!」
そう言ってカイはデフィーナの肩に体重を乗せて、廊下の奥へと消えて行った。
僕の怒りは、限界を超えていた。
「くっそぉおお!! なんなんだよアイツ、バグってなんだよ!!」
暴れた。 右しか動かない身体を目一杯に。
「なんで僕が、こんな目に……僕が何をしたって言うんすか……!!」
もがいた。 ベッドのシーツが破けそうな程に引っ張って。
しかし何も変わらなかった。
僕の視界には、茶色くぼやけた天井。
僕が出す音以外の存在しない、静かな一室。
ヒグツワ・シゲルに奪われた。仲間たちと、左半身の自由。
頼る人もおらず、寝返りすらもうてない体。
スガミ・カイに奪われた、ドグマとデフィーナ、確定した寿命。
目の前で連れ去られるのに、手すらも届かなかった。
「シグマ!! 聞いて無いんすか!! 物語にヤバい奴いますよ!!」
静寂。
ダメだ。
あの人は物語を作ったけど、無数にいる走者を一人一人なんて見ていない。
僕もシグマの物語に消費される、ひとつの部品に過ぎない。
「天使さん、天使さん……!! 物語が終わらせられる前に、お話できませんか……!!」
目を閉じて、天使さんをイメージした。
しかし何かに届くような気はしない。
ドグマが無いからだ。
僕の身の回りの超常現象は全てドグマのせいだった。
ドグマを取り戻すしかない。
僕は右手を室内灯に向けた。
「僕のドグマは、ここに……ある……」
ドグマ回収の呪文を唱えようとした。
するとドグマの存在をわずかに感じた。
スガミ・カイに奪われた僕のドグマ。
それはカイのドグマに吸収されて、カイの制御下にあるようだ。僕の言う事を聞かないから回収できない。
しかし、今の僕にも掴めるドグマが一つだけ存在した。
位置は足の向こう側、十数キロか、かなり遠いという事だけが分かる。
「女神さんの……ネプチューンハートっすか!!」
感じ取ったのは、ブリアンに着せたドグマの衣装。
着せたままにすることを選んで手元に無かったので、奪われていなかった。
これを回収すれば、僕はドグマを取り戻すことが出来る。
そう思ってネプチューンハートのドグマを意識した瞬間、僕の首筋に強烈な心音が響いてきた。
トットットット……恐怖か焦燥か、とにかく早く脈打って、緊張が伝わって来る。
僕の首に鎖で締めるような熱さが走った。ウサギのネックレスの形に、首筋に赤い跡が浮かび上がる。
そこにわずかな共感覚が入って来た。
ブリアンは恐怖している。
ブリアンが着ているドグマの衣装を、誰かが掴んで引っ張っているのを感じる。
ブリアンから衣装を剥ぎ取って、全裸にしようとしている。
それに気付いた瞬間に、僕は拳を思い切り握った。
「誰っすか!! ふざけんなよ!!」
握った事で、ブリアンの衣装に薔薇の棘が生えたイメージが入って来た。
ドグマが肉のような熱いものに食い込んでいる。
ブリアンの服を剥ぎ取ろうとしていた奴の手に、棘をさしてやった。
それと同時に、ネックレスの形の熱さは消えて、伝わって来ていた心音はゆっくりと落ち着いていった。
ネプチューンハートの衣装を手が撫でて、優しい涙が落ちた感覚があった。
完全に共感覚をしたワケではないが、ブリアンが僕に感謝をしている。
そう解釈するしかないと思った。
「女神さんの衣装は……回収しちゃダメだ」
全てを奪われた僕だけど、ブリアンの尊厳を考えると、とてもそれを奪って武器にする事などは出来なかった。
そこに、廊下から車椅子の音が近寄って来た。
クロス君だ。彼は僕の部屋の入り口に着くなり、心配そうに声をあげた。
「だ、大丈夫!? スゴミお兄ちゃん、騒いでたみたいだけど……」
怒りと焦りの限界にあった僕だが、クロス君の声掛けに少しだけ落ち着いた。
車椅子の子供に当たる意味も無いし、何かを説明してもしょうがない。
僕はひとまず誤魔化した。
「クロス君……ごめんね、ちょっと色々あったから……」
するとクロス君は食器にスプーンをこする音を鳴らした。
「そうだよね!! おかゆ……持ってきたんだ!! デフィーナさんいないなら、僕が食べさせてあげるね……!!」
「ああ……うん、ありがとう」
今すぐ何かできるわけでは無い。
僕は冷静に考える為に、受け入れる事にした。
クロス君の安心したような一息が聞こえ、車椅子が近寄ってくる。
温かい米ぬかの香り、玄米のおかゆだろうか、白米と違って香りが濃厚だ。
クロス君がスプーンを動かし、掬ったおかゆにフーフーと息を吹きかける。
僕の左から身を乗り出して、口元へとスプーンを運んでくれたので、僕は口を開けておかゆを口に含んだ。
口の中には塩気の効いた旨味がじんわりと広がってきて、身体が求めていた栄養だと感じた。
「熱くない? 大丈夫ですか……?」
「うん、とっても美味しいよ。ありがとう」
クロス君の顔は見えない角度だが、ワァ、と声が漏れて、笑顔になっているのが分かる。
「良かった、たくさんあるけど、ゆっくり食べてね……!!」
「う、うん……」
僕の心はざわついていた。
これからデフィーナが酷い目にあうだろうし、僕の命は12時間も無い。
するとクロス君に、自分でも嫌だと分かる質問を投げかけていた。
「クロス君は足も無いし、メイアさんも死んじゃったのに、なんでそんなに元気なんすか?」
「え……それは……」
クロス君は持ち上げていたスプーンをゆっくりと皿の中に戻した。
一拍おいて、小さく喋りだした。
「僕が一番つらかったのって、二年前で……家族と両足をエクリプスに食べられて……」
スプーンを手放し、おかゆを乗せていたお盆を車椅子の肘置きに置いた。
「あの時はずっと泣いてたんだよ。でも、エリオット王子の言葉の通りに、悲劇を力にって、思って……」
声が震えはじめていた。
僕は静かに謝った。
「ごめん、変な事聞いちゃったね……」
するとクロス君は顔をあげ、食い気味に言葉を並べた。
「いや、聞いてよスゴミお兄ちゃん!! 僕は全部奪われて最悪だったんだ!! それでもミナミヅキ牧師やメイアお姉ちゃんが助けてくれて、だから、少しでもみんなの役に立ちたいって、ずっと何かしたいって、それで……!!」
「そっか……」
僕は右目を細めて天井を見た。
「立派だよ、クロス君は……僕はメイアさんには、本当に申し訳ないなって……」
「そんなこと!! メイアお姉ちゃんは立派にミナハを守って、ネオさんも救って、それで死んだんですよ!! メイアお姉ちゃんは戦士です!! 僕の誇りなんです!!」
「そうか……そうだよね、本当に立派っすよ……」
クロス君は再び食器を持ち、スプーンをあげて身を乗り出した。
「だから僕も、負けずに役に立ちますから!! さあ、ご飯食べてください!! 最強ドグマ使いのスゴミさんが元気にならないと、始まりませんからね!!」
僕はその一口だけを口で受け取り、クロス君に質問した。
「あの……僕のゴーグル、どこに有るか知ってるっすか?」
クロス君は僕が寝ているベッドの上を指さした。
「それならベッドの上にあるよ! でも壊れちゃってるけど……」
「取ってもらっても良いっすか。大事な親友の物なんすよ」
僕が右手を持ち上げると、クロス君はすぐに身を乗り出してゴーグルを取ってくれた。
右手に収まったノリコのゴーグルは、左のグラスが割れて血がこびり付き、フレームも歪んでいた。
僕はそれを片手で頭を通して取り付けた。
ゴムバンドが左の骨を押して痛みが走る。
クロス君がすかさず注意をする。
「それ……割れてるから危ないよ!!」
「しー、静かに……」
僕は目を閉じて、ノリコの存在をイメージした。
ドグマの能力、意識の定点で、生前のノリコの意識にアクセスできる。
それによってノリコとの通信を試みた。
しかし、耳の奥からは何も聞こえてこない。
当然、僕の手元にドグマが無いからだ。
「やっぱり、ノリコちゃんもダメってわけっすね……」
僕はゆっくりと右目を開けた。
ゴーグル越しに見た茶色の天井に、迷路のように入り組んだ、不気味とも言える木目がハッキリと見えていた。
視力が回復したのか、ゴーグルに度が入っていたのか、理由は分からない。
ただ今まで全てがぼやけていた世界が、ハッキリと見えて来た。
ゴーグルの中で、涙が一粒こぼれた。
「ああ、木目を数えられるのって、こんなに幸せだったんすね……」
クロス君は不思議そうにして、僕を覗き込んだり、天井を見たりしていた。
「ん……? え、どういうこと?」
僕は木目の辿る、入り組んだ道を追っていた。
狭い道、太い道、行き止まりに、ヘアピンカーブ。
まるでノリコと走った、ブリディエットの街並みだと思った。
「僕もね、ノリコちゃんって立派な人に助けられてね、言葉を貰ったんすよ……」
「ノリコさん……ですか、ゴーストライダーの人?」
クロス君はドグマ能力や兵器の事をよく覚える。
強いもの、英雄とかが好きなんだろう。
僕の右目に光が戻り、声のトーンは上がって行った。
「そうっすよ……ノリコちゃんは言ったんすよ。辛い時こそ、乗り越えたら楽しいぞって、だからワハハって笑うんだぞってね!!」
僕は右ひじを使って、身体を左側へと傾けた。
クロス君のキョトンとした顔が、僕の目線と同じ高さにあった。
「僕いま、めちゃくちゃ辛いんすよ……!! だからこれ乗り越えたら、めちゃくちゃ楽しいと思わないっすか!!」
「いや……まあ、そうかもしれないけど……」
「デフィーナさんがね、攫われたんすよ!! それと一緒に、僕のドグマも奪われちゃいました……!!」
クロス君は目を丸くして驚き、おかゆが揺れてお盆の上に数滴こぼれた。
「えっ!? それってヤバくないですか!? サザナさんに報告しないと!!」
「ダメっす!! あの人はここで甘えたら、絶対に僕を見捨てますから!!」
「そんなこと言ってる場合!? どうする気なんですか!!」
「僕が追いかけます!! クロス君の車椅子、貸してくれないっすか!!」
クロス君はおどおどしながら、廊下の奥をチラチラと見ていた。
「絶対安静だって、メイア姉さんも言ってましたよ!? その身体じゃ無理ですって、大人の人呼んで……」
「半分は動くんで!! 無理だ怖いやって、泣いてビビって止まってたんじゃ、渡れる橋も渡れないんすよ!!」
次第に身を乗り出していく僕に対して、クロス君は車椅子を引いた。
「めちゃくちゃじゃないですか……!!」
「めちゃくちゃだとしても、僕は今、行かないといけないんすよ!!」
足を使ってベッドから落ちそうな程に体を伸ばした。
クロス君の車椅子の手すりへと手をかけて引っ張った。
「ほら届いた! 今の僕には何も無いんすよ、だからここから全部を取り返します!!」
目を見開いたクロス君の目をまっすぐに見つめた。
「全部奪い返して、僕は必ずここへと、帰って来てやるんすよ!!」
クロス君の小さな顔が、喉を鳴らした。




