第204話・僕が失った物。
聞くのが怖かった。
ここまで出された23名の死者、ブリアンの拉致、ネオさんの昏睡。
───メイアさんの死。
それらを上回ると言う、サザナさんの損失報告を聞くのを、僕の本能が拒絶していた。
「なんすか……一番重い損失って……」
サザナさんは僕に覆いかぶさって腹に指を置いた状態から、にやけた顔で遠ざかった。
そして僕の目の前になにか白い、棒状の物を差し出してきた。
その瞬間、僕の右手を掴んでいたデフィーナが、椅子を押して立ち上がった。
「ちょっと、マスター!!」
サザナさんはデフィーナの怒鳴りなど完全に無視して、僕のぼやけた視界の左端で呟いた。
「あれ、見えているのか? これは何だと思う?」
「え……? これっすか?」
僕は目を細めてピントを合わせ、サザナさんが持っている白い物を凝視した。
「腕……ですか?」
「正解、君の左腕だ」
「え、でも……」
左腕を触られている感じは無いし、左腕が取れている感じもしない。
「マスター、安静って話じゃなかったんですか?」
するとデフィーナが僕の右手を離し、僕の左腕だというものをサザナさんから奪い取り、僕の身体の左側に置いた。
サザナさんは身体を上げて、腰に手をついた。
「とまあ、このように、君は左目を失い、左半身は不随となった」
「ええ……っ!?」
言われて左手や左足に集中する。
確かに全く動かないどころか、付いている重みはあるが、そこにあるという実感すらない。
「私が大金をつぎ込んで投資しているのは、走者であるスゴミ君の可能性だ。君が一人でまともに動けないと言うのは、私にとって大きな損失なのだよ」
僕の瞳は右のデフィーナへと逃げていた。
デフィーナは僕を見おろして、冷淡に答える。
「それは本当の事よ。メイアの言うとおりに診察し続けて、確認したから」
僕は心にぽっかりと穴が空いたようだった。
メイアさんの死よりも重いかと言われたら違うが、自分の身体が動かない衝撃は実際のところ大きかった。
「そうっすか、じゃあ、僕はもう……」
僕の口から、ポロリとこぼれた言葉。
色々背負った責任以上に、この先へと進めない絶望感が蓋をしていた。
しかしサザナさんは一切止まらなかった。
「僕はもう……では無い。この世界でドグマを使えるのは、走者であるスゴミ君、君だけなんだ」
「いや、でも……」
サザナさんは断ち切った。
「でもじゃない。デフィーナ、次にエクリプスが出るのはいつだ?」
「分かりません、今日と明日は出ないとだけ……」
「……だそうだ。たとえ君がこのまま寝ていても、君の物語は待ってくれない。エクリプスは現れて、君が死んだら次の走者が補填されてくる」
僕のアゴがカタカタと震えだした。
「そんな、だって、無茶苦茶じゃないっすか……」
「無茶苦茶だとしても、私が決めた訳じゃない。君はデフィーナに戦わせるのか、車椅子に乗って戦うのか知らんが、生きている限り戦わなくてはならない」
「ハード過ぎますって……それなら僕、生きてちゃダメじゃないっすか……!!」
「ああ、君が死んで早めに次の走者に交代すると言うのならば、それは楽な選択肢だろう」
サザナさんはクロス君の車椅子に手をかけた。
「だがメイアはキング狩猟団の討伐を望んでいた。次の走者はエクリプスとは戦うだろうが、ドラキールとの因縁は無いから、ヒグツワ・シゲルと戦ってくれるとは限らない」
僕は焦ってデフィーナを見て、手を引っ張った。
「デ……デフィーナさん……!?」
「私はエクリプスが来たら、アサシンハートを着て戦うわ。あなたがナラクの物語をムーに持っていくと言ったからね」
サザナさんはクロス君の車椅子を軽く押して、部屋の外へと向けた。
「さぁて、可愛い可愛いネオちゃんのオムツを変えてやらんとな!!」
そして体だけ振り返る。
「スゴミ君、私は逃亡初日にも言ったが、情には流されない。賭けているのは君の走者としての可能性だけであり、君が諦めると言うのならば投資も打ち切る」
「ま、待って下さいっすよ、そんな事されたら僕達、終わりじゃないっすか!!」
「私は君やブリアンと違って、正義感で動いてるわけでは無いのでね。君が戦いたくないならば、ネオが目覚めた後にネオの意見だけ聞いてここを去る事にするよ」
デフィーナが僕の右手を握り直した。
「スゴミ、マスターは冷血よ。そうすると言ったらするわ」
「冷血とは失礼だな。私もスゴミ君の成長は見てたんだ、全く情が無いというワケでも無い」
サザナさんは廊下へと出て遠ざかりながら告げた。
「私が去っても、数日この都市にいられるように手配はしておくし、ドラキールに情報も売らないよ。好きなだけ感謝してくれ」
その言い振りに、右目の目尻がヒクヒクと痙攣した。
「デフィーナさんは!? どうするんすか!! 従者なんですよね!!」
「置いて行くさ、支持者は元々、走者のものだからね」
廊下に響く声を最後に、サザナさんとの会話が終了した。
僕は右胸までが動くようになっていた。
サザナさんとの会話に食い入って、わずかに持ち上がっていた胸と首を、枕へと落とした。
胸の中心に空いた穴に、はめ込む感情が分からなくなっていた。
「はあ……なにが伝説を刻むんだよ。こんなになっちゃって……」
デフィーナが僕の右手を、ドグマへと乗せて、その上に重ねた。
「動けない状態でも使えるドグマ能力を使いなさい。アサシンハートを使う時も、シスターズネイルをあなたに繋ぎ続けていれば、常時補給出来るんじゃないの?」
「ははっ、有線のラジコンじゃないっすか……そんなの、限度ありますから……」
右目から涙が止めどなく流れ続けた。
デフィーナがもう片手でタオルを手に取り、僕の涙を無言で拭いてくれた。
「残ってるのは私とドグマ。あなたは、あるものを使って何とかするしか無いわよ」
柔らかなタオルの感触とハーブ系の石鹸の香りがふわりと香った。
その匂いと言う電気信号が脳内に伝わると、左目の奥がジンジンと痛みを増して来た。
「いたっ、いたたた……」
デフィーナはもう片手で左頬に触れた。
触られた感覚が無い。
「モルヒネで痛み止めしてるんだけど、使い過ぎるなって言われてんのよね、耐えれる痛み?」
「耐えれるか……? 耐えれるかなんて、そんな……こんなの、耐えられないっすよ……」
無い左目が熱くなっている感触がある。
左目の包帯の中のガーゼに、涙か血液かも分からない液体が染み出している。
「耐えられないなら打つしか無いわね。マスター呼んで来るけど、一人で待てる?」
「嫌ですよ、もう。一人は辛いっすよ……」
デフィーナは困惑した顔で僕の肩に手を置いた。
グチャグチャの感情は、デフィーナの配慮すらも置き去りにしていた。
そして夢で見た、天使さんの応援の姿が脳裏をよぎる。
「ああ……天使さん……やっぱりもう、帰っても良いっすか……?」
うわごとのように呟いた。
その瞬間だった。
デフィーナの身体が電流を受けたようにビリっと震えた。
僕に触れていた両手が爪を立て、身体がピンと伸びている。
「えっ、デフィーナさん……?」
デフィーナの首が左右に振れて、両手が震えはじめた。
「あ、あ……ありえない、ありえないでしょ、なに、何なのよコレ……!!」
デフィーナの声は泣きだしそうだった。
その突然の変化は今までに見た事の無い怯え方だった。
直後、天井の上でガラスが割れる音がパリンと響く。
僕はハッとして茶色の天井に視線を送った。
「えっ、敵襲っすか!? もしかして、エクリプス……!?」
僕がドグマを掴んで胸を起こそうとすると、デフィーナが血相を変えて僕の両肩を押さえつけた。
「スゴミ!! 私に命令して!! 行くなって、スゴミの命令だけを聞くようにって、早く!!」
「え……っ、いきなりどうしたんすか? デフィーナさん、都合よく使われるのは嫌だって……」
「良いから早く……!! 私、あなたの言う事だったら、なんでも聞くから……!!」
デフィーナの涙目が僕の視力でも判別できた。
分からないけど、ただ事では無いし、デフィーナはいつだって大真面目だ。
僕は流されるまま、デフィーナに命令をした。
「あの……どこにも、行かないでください……」
デフィーナは立ち上がり、僕の胸倉をつかんだ。
「そんな弱いの、命令じゃないわ!! 私は命令しろって……」
その瞬間だった。
「アルハ!! 俺に従え!!」
野太い男の声が左から聞こえた。
僕は驚いて左へと目を向けた。部屋の入り口には大きな男の影が立っている。
白いシャツに、黒い学ランを着ているのがその影から分かった。
明らかに知らない、初めて聞く声だった。
男は続けた。
「アルハ、『はい』以外しゃべるな。こっちへ来い」
「……はい」
デフィーナは抑揚無く返事して、僕から手を離した。
そして僕を見もせずにベッドを回り込んで男の元へと向かった。
その異常事態に僕の神経はピリついていき、右手でアトラスの剣を握った。
「あ、あんた……誰なんすか……」
男は僕の顔を覗き込んだ。
「いやぁ、これは酷くやられたなあ、心が折れちまったんだなあ、可哀想に……」
同情してるようなセリフだが、嘲笑っているトーンだった。
僕のストレスが一気に上がる。
「はあ……? 誰かって聞いてんすよ」
男は歩くデフィーナを見ながら笑い始めた。
「くははは、お前、アルハに随分必死に縋られてたよなあ?」
デフィーナが男の元まで到着すると、男はデフィーナの肩を乱暴に掴み、肩を組んで僕を覗き込んで来た。
「アルハ!! 一回だけ話せ!! コイツに俺が誰で、今のお前が何なのかを説明してやれ!!」
僕の目の前で男に締め付けられながら、デフィーナの口が開いた。
「コイツはスゴミに代わってこの世界に配属された、新しい走者。須賀見 魁よ。私は支持者として、コイツのペアになったのよ」
僕はデフィーナの言ってる事が飲み込めないでいた。
「え? 新しい走者って……死んだら交替なんじゃ無いんすか!? だって僕、死んで無いっすよ……!!」
カイはため息交じりに余裕の声だった。
「ああ、分かる、分かるよその気持ち。信じたくないよなあ。このドグマの物語とかいうクソゲーに巻き込まれてなあ、辛くて心折れちゃうもんなあ」
アトラスの剣を握る右手に段々と力が戻って来た。
「何を、知ったような口を……」
「まあ全部知ってるからな。これはクソゲーのバグさ。死にかけで心が折れるとな、死んだ判定になるみたいでさぁ、走者が生きてんのに、走者が補填されるんだよ」
「はあ? あんた、走者だってなら、僕達の仲間じゃ無いんすか……!? なんでデフィーナさんに乱暴するんですか!!」
カイはデフィーナの頬に頬を摺り寄せながら、髪の毛をぐしゃりと掴んで引っ張った。
「痛っ……」 デフィーナの口から苦悶が漏れる。
「痛がるな!!」 カイの暴力的な命令で、デフィーナは涙目で黙った。
「アルハはな、強い命令には絶対に従うんだよ。どんな命令でもな。そりゃあもう、嫌そうな顔して従順になんでもしてくれるんだぜ? お前は知らないみたいで損してたなあ」
「何言ってんすか、お前……デフィーナさんに何させる気なんすか!!」
「くはは!! 何させるのかまで聞くのは流石に変態趣味が過ぎんだろ!!」
カイはデフィーナの髪を引っ張って、首を持ち上げた。
「おいアルハ、お前はアルハの目で俺の過去は見てるんだよな。だから焦ってたんだもんなぁ?」
僕はついにアトラスの剣を持ち上げた。
「お前ぇ!! デフィーナさんを離せ、酷い事するなよ!!」
「嫌だね、するね!! おい、デフィーナとか言うアルハ。この童貞のガキに俺がどういう走者なのか教えてやれよ!!」
デフィーナは痛みに耐えて目を閉じながら、口を開いた。
「スガミ・カイは、物語から逃げて、アルハに暴力を振るい、アルハを殺して次の世界へ移動する、クソ以下の走者よ!!」
僕はアトラスの剣を右手から左側へと振ろうとした。
しかし目の前にデフィーナがいて振りぬく事は出来ない。
カイは僕の剣の柄を奪い取り、球体のドグマへと変形して手の中に収めた。
「とまあ、そういうワケだ。そういう事なんでドグマは貰っていくぜ、前代の走者、お疲れさん!!」
僕はデフィーナと、ドグマまでもを失ってしまった。




