第189話・女神の矜持。4
初めて会った時は、わがまま姫だった。
世間知らずで威張っていて、見栄っ張りのお嬢様。
良くいる王国物語の嫌われ役の令嬢。
それが最初の印象だった。
しかし実際の彼女は、国を本気で思っていて、強い王に憧れて、無理していただけだった。
共に逃げ込んだホテルで感じた、彼女の体温、震え、涙の瞳を覚えている。
彼女は結婚に憧れ、暗殺に怯える、普通の少女だった。
ブリディエット公国王女、ブリアン・ブリディエット。
それが彼女の名前だ。
彼女が、僕のせいで死ぬ。
たった今、王子が作った悲劇を壊すと、自分の運命に宣戦布告をした。
そして身を呈して僕を守り、敵まみれの水中に引きずり込まれた。
一瞬で駆け巡る記憶の中で、彼女の痕跡を追っていた。
正面には水没した村、淀んで何も見えない濁流。
サメ型のエクリプスが黒い装甲をみせては潜り、ビレを旋回させ、不規則に不気味な水面を描き出している。
その枯葉色の地獄へと伸びる、デフィーナが使う一本のドグマ紐。
それだけが頼りだった。
僕はデフィーナの肩に手を置き、彼女のトランクから伸びる一本の触手、シスターズネイルを掴んでいた。
デフィーナは身体こそ抵抗しなかったが、顔を引きつらせていた。
「ロストしてるわ! もう探せないわよ!!」
デフィーナは効率的だ。
ブリアンは可能なら助けるけど、無理には追わない。
その判断が即座に出来ている。
「ブリアンに戦えって言ったの、僕でした……」
「はぁ!? それがなに? 次が来るわよ!!」
デフィーナは声を裏返した。
エクリプス数体のヒレが、屋根際の僕を目掛けて一斉に突撃を開始した。
僕はエクリプスより先の水面に集中していた。
思考の邪魔だ。気にかけてる場合じゃない。
ただ一点、ブリアンを想起するのに全てを賭けていた。
ブリアンは、国の為の政略結婚に、身を捧げていた。
王子を四年間信じ、心の支えにし、結婚に臨んだ。
そして裏切られ、震えるその手で王子を射殺した。
ブリアンは指名手配になった。
国を奪われ、家族を奪われ、未来を奪われた。
自害しようとしたり、自暴自棄になっていた彼女に、『生きろ』と言ったのは僕だ。
全てを捨てようとしていた彼女の為に、僕は帝国と戦うと宣言した。
ブリアンが生きる為の責任を負ったつもりだった。
だけどそれは、ブリアンも帝国と戦うという事だ。
ブリアンは、名誉も尊厳も無視して、逃げ続ける道を選ぼうとしていた。
僕と駆け落ちして静かに暮らす道だ。
乗ることは出来たし、乗りかけた。
でも僕は、それを妥協と断った。
彼女を戦わせるのが怖い?
言い訳だ。
偽善だ。
この村に彼女を連れてきてしまったのは、僕だ。
彼女を戦場に連れて来たのが、この僕だったんだ。
全て、僕の選択が、僕をここへ連れてきた。
シグマは言っていた。
ドグマの記憶が重なれば、記憶の定点に連れて行ってくれると。
僕の首筋に、ブリアンの小さく早い鼓動が重なる。
彼女の傷ついた首すじ、頸動脈の振動音だ。
首に張り付いた、寂しがりウサギのネックレスが。そこにいる。
そのシンボルが、正面の冷たい水中で、引っ張られるルアーのように揺れている。
「女神さん、あなたを本物の女神にしてやるっすよっ!!」
シスターズネイルの先端が、ブリアンの身体に触れたの感じた。
同時にデフィーナが反応する。
「嘘っ!? 捉えたわ……!!」
デフィーナは肩に乗る僕の手を跳ね除け、身体を深く落とし、引っ張る体勢へと入った。
「巻き付けた! でも、一本じゃ引き合いに勝てない……!!」
デフィーナは必死に引いているが、苦しい顔だった。
足が屋根の上を滑り、だんだんと水面へと前進している。
向かって来ていたエクリプス五体が、水面に黒い背中を表した。
僕は触手を引いて胸に当て、唱えた。
「僕が信じた、真の女神はここにいる」
触手を両手で掴み、水面に向けて叫んだ。
「答えてください……!! マジカルエンジェル、ネプチューンハート!!」
それを唱えた瞬間、シスターズネイルの触手がちぎれた。
「ああっ!!」 デフィーナから高い感嘆が零れた。
エクリプスは水面から飛び出し、五本の水柱が、僕たちへと向けて放物線をえがいた。
「ダメ……ッ!!」
デフィーナは目を閉じて頭だけを伏せた。
しかし攻撃は届かなかった。
飛びかかったエクリプスは、空中で大口を開いたまま、停止していた。
エクリプスから繋がる水柱も、アクリル素材のように固まって動かない。
水が停止している。
目を開けたデフィーナは、周囲を見渡し始める。
「なにをしたの……!? これは……!!」
ミミズの巣のようにうねっていた水面が、時間を止めたようにピタリと静止していた。
葉が風にざわめき、僕の髪も揺れる中、水だけが凍ったように動かない。
泳いでいたエクリプスの内、水面に体を出していた者は、そのヒレをビクビクと動かすのみで、完全に身動きが取れなくなっていた。
ネオさんもボートを動かせず、慌てだした。
「なんだこれ……動かない……!!」
誰もが息を飲んだ、静寂の刹那。
広場の中央から、枯葉色の泥水だった水面が、南国のビーチのような澄んだブルーへと変色して一気に広がった。
透明度が増したことで、広場の地面までがくっきりと見え、絵画のように止まった水中に、エクリプスがさらに無数にいたことが暴かれた。
サメサイズの鯉の群れのように流れを作っており、ゾッとする光景だった。
広場だけで五十体はおり、奥の林からも次々と増援向かって来ているのが見える。
デフィーナが唇を震わせていた。
「これ防衛戦してたら……死んでたわね……」
僕は青く輝く広場の中央を見つめていた。
「ええ。でもこれで、女神さんのご注文通りの、完全勝利ってやつっすよ」
僕の視界の中心に、天使の姿があった。
胸を大きく出した純白のドレスに、ラメ入りの青いリボンが、渦潮のように線をえがく。
ハートのクリスタルを散りばめて、槍のような黄金のティアラがキラキラと光を反射する。
ブリアンは白鳥のような四枚の羽根を広げた。
「清純の理に導かれ、ネプチューンハート、ただ今降臨。黒く淀んだその穢れ、浄化させて頂きます」
ブリアンの細い指先から、水流が螺旋をえがき、長槍をイメージさせる魔法のステッキが握られた。
それを見た僕は、一瞬で興奮が沸騰して、拳を握って突き出していた。
「キター! ネプチューンハートの変身バンクのセリフ再現……!! ネプチューンハートは水着回において無敗なんすよ!!」
ブリアンの解かれた長髪がアッシュ色に淡く光り、うねる波のように揺れていた。
ブリアンは槍のステッキを高く掲げた。
「必殺ハート、ピュア・アクア・アプリューション!!」
湖面が光り、風が止んだ。
ブリアンが掲げるステッキの先で、洪水状態だった水が一気に集まり始めた。
大量の水は渦を描いて、エクリプスを巻き込んだまま、巨大な水球へと成長していく。
そこに、圧縮が始まった。
水の玉が、ギュン、ギュンと小さくなっていき、中にいたエクリプス達の装甲はへし折られ、すり潰されるように赤黒い液体を吐いていった。
その液体も、水に溶けると同時に、即座に透明になっていく。
硬質な甲殻がバキバキに破壊されているのに、小川のせせらぎのような流水音以外は何も聞こえてこない。
神聖さを感じさせる、美しい殲滅だった。
ものの十数秒で、広場と森の奥にまで広がるエクリプスの隊列を、圧縮水球の中で捻り潰していき制圧は完了。
水球は最後にビー玉程のサイズまで圧縮されたのち、ハートの形に弾けて霧となり、小さな虹をえがいてみせた。
ブリアンは自慢気な顔でステッキを下ろし、両手で掴んだ。
「女神って言われんのも、悪くないわね!!」
その発言はキャラクターものではなく、ブリアン本人の声だった。
クロス君は身を乗り出して興奮していた。
「なにこれすごい、凄すぎるよ! 本物の英雄だよ!!」
ネオさんはゴムボートに乗ったまま、広場の地面に着地して、呆然としていた。
「マジか……どういう現象だよ……」
風が吹き、乾いた砂埃を巻き上げた。
僕の足元、屋根の下から、飛び込んだ老婆の声が聞こえてくる。
「ありゃ、夢でも見てたのかね、やだねぇ……」
僕の後ろにいた老人は手を合わせて頭を下げていた。
「いやぁ、天神様の奇跡じゃあ……」
僕は笑って駆け出し、部屋の屋根を飛び降りた。
「奇跡を起こす女神が居るんすから、これは必然っすよ……!!」
宙に浮いていたブリアンは、目を閉じてフワリと地面へと降りて、へたりこんだ。
「ああ、使い切った感がすごいわね……デフィーナが補給求めるのって、これだったのね……」
僕はそこへと駆けつけた。
「大丈夫っすか……女神さん」
「大丈夫よ。驚いたけど、お陰様で生まれ変わったような、晴れ晴れとした気分だわ……」
僕はブリアンへと手を差し伸べた。
「立てます……?」
ブリアンは僕の手を強く握った。
彼女の衣装となったドグマが、意志を使い切った状態なのが分かった。
この握手で僕の意志が彼女に流れ込んでいく。
ブリアンは疲れきった姿から、スっと立ち上がって、凛々しい笑顔を向けた。
「当然よ。マジカルエンジェルは何度でも立ち上がる」
僕は、その言葉に目を潤ませていた。
「第二十四話、とんでもドカ食い大作戦。のセリフっすね……!!」
そこにネオさんが駆けてくる。
「おいおい、すげぇ装備だな。デフィーナの装備が露出度ヤバかったから、マジカルエンジェルって他のもヤバいもんだと思ってたよ」
「誰がヤバいですって? アサシンハートはもう着ないんだから、やめてもらえる?」
デフィーナが怒りながら歩いてきた。
ブリアンは自分の衣装を見ながら、口を広げて笑顔でくるりと回って見せた。
「私、この衣装好きよっ! 可愛いし、まるで生まれた時から身体の一部だったみたいだもの……! 似合ってると思わない?」
僕はそれを見て体温が上がっていた。
後頭部に手を当てて、ニヤケながら答えた。
「いやぁ、めちゃくちゃ似合ってるっすよ……」
ネオさんが腕を組んで僕の事を見つめた。
「この魔法少女っての、私でも成れんのか?」
僕はネオさんの身体に目を移した。




