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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第6章・宿命編

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第187話・女神の矜持。2

 ブリアンの右手で、宝剣が揺れていた。

 黄金のアンティークに、散りばめられた宝石がギラリと光る。


「だって女神像は、私が居る時に使えるんじゃないの……!?」


 感情的になるブリアン。

 僕とブリアンの間、頭ひとつ小さいデフィーナが、ブリアンを見上げている。


「それはスゴミの感情次第でしょ。コイツは私を女として見てるのよ」


 刃物を持つブリアンから一歩も引かずに直立して、冷静なまま挑発的とも取れる態度をしている。

 女神像の生成条件を理解しているからこそ、ブリアンの瞳は揺れ続けていた。


「そんな冷たい顔して、愛も知らないとか言ってたくせに……なにしたらそうなるワケ!?」


 僕は後頭部に手を置いて、腰をかがめながら口を挟んだ。

「あの……ドグマの仕様って言うか……」


 僕が話を始めた途端に、デフィーナが被せて話し始めた。

 震えて顔を歪めるブリアンの目の前で、声色ひとつも変えない説明が始まった。


「まずスゴミが下敷きになったのよね。だから私が上から入って、口つけたんだけど、刺激が足りないみたいだから、深く押し込んでみたら、限界になって、出てきたのよ」


 デフィーナの説明が進む程にブリアンの眉間にシワが寄っていく。

 その説明に、クロス君は下を向いて聞かないフリをしていた。

 後ろの老人達はかえって、痩せた顔を上げてデフィーナを見つめ、目を細めていた。


 ブリアンの宝刀を握る腕が震える。


「戦いに行ったんでしょ? そこまでする必要って……あったの?」


「やるしか無かったんですもの、おかげで私もビショ濡れになったわ」


「堂々と言うわね……抱っこされて帰ってきたのって、そういう事なの……?」


 ブリアンの両手が、正面で宝剣に重なった。


 黙って聞いていたら、とんでもない解釈違いが起きている。

 僕は焦って、デフィーナの肩を掴んで会話を割りに入った。

「デフィーナさん、説明が下手すぎるんすよ!!」


「何が? そのまま言っただけでしょ」


 僕はデフィーナを横にどけて、ブリアンの目を見て説明した。


「僕たちエクリプスの巨体に踏み潰される所だったんすよ!! ギガフォートレスの時みたいな感じっす!!」


「ギガフォートレス……」

 ブリアンはふらつき、頭を押さえた。


「それで水中に閉じ込められて、くっついちゃって、だから……」


「事故だったって事……?」


「そうっすよ、仕方なく女神像が出たって言うか……本当に死ぬところで……」


 デフィーナは僕の顔を睨むように見あげていた。


 ブリアンは左手で胸に手を当ててた。

「そ、そうよね……? 戦いに行ったんだもんね……?」


 デフィーナはブリアンを見上げた。

「そう言ったじゃないの。最初からエクリプスと女神像の話だったでしょ」


 僕はデフィーナの肩に置いた手に、力を入れて引いた。

「デフィーナさん、もうやめにしましょう……」


 ブリアンは瞬きをしながら、何かしゃべろうと口を動かしていたが、声はなかった。


 重い沈黙が場を包んだ。

 水没した村は茶色い水が淀んで動き、静かな風が頭だけを出す木々の葉を揺らした。


 僕は話題を切りだした。

「ってか、村の人は? なんで部屋の屋根に居るんすか?」


 ブリアンはそっと体を避けて後ろを見た。

「村の人達は無事よ。避難しているんだけど、この方達は……」


 言い淀むブリアン、脇で自身の足の切断部を見つめるクロス君。

 ブリアンの後ろで座り込むのは四人の老人。

 老人のうち、一番近くにいた一人の男性が、顔をあげた。


「足切りじゃよ、難民の掟じゃ……」


 白髭を蓄え、濃いシワの入った老人の、冷たい瞳だった。

 僕はその言葉だけで、背中がゾワッとした。


「足……切り……」


 全員がうつむいて、誰とも視線が合わなかった。


 クロス君が足の切断面を擦りながら、声を震わせた。

「村が移動する程の緊急時には、自分の荷物を持って逃げられない人は置いていく。っていう、難民のルールがあるんだよ」


「なんすかそれ、酷くないっすか……」


 老人に交じって一人、中年の女性がいた。

 伸びっぱなしの解れた髪、やせ細り目の下には深いクマがある。

 一番奥で座り込み、咳き込みながら僕を睨んでいた。

「誰だって、こんなルール、好きで守って、無いわよ……ケホッ、難民のくらしは、楽じゃないのよ……」


 ブリアンは頷いて、僕を見つめた。

「メイアもクロス君を置いて去るのに、泣いて抵抗していたわ。それを村の大人達が引いて、連れていったのよ」


「そんな……」


 僕がクロス君に視線を落とすと、ブリアンもクロス君を見つめた。

「でもクロス君が部屋の鍵を持ってきてくれたのよ。私は閉じ込められたままで、水没を受け入れるしか無かったから……」


 クロス君は僕を見あげて笑顔を作った。

「ネオお姉ちゃんがね、エクリプスと戦って、みんなの信頼を得たんだよ! だから、後で迎えに来るからって鍵だけ渡してくれてね……!!」


「それで、水が来たから、皆を屋根に乗せたのよ」

 ブリアンは左の水面に視線を落とした。

 木箱がいくつか浮いている。

 足場に使ったんだろうが、ブリアン一人で五名を屋根に乗せたとなれば、その努力がうかがえる。


「大変だったんすね……」

 僕は周囲を見渡した。


 一面は淀んだ茶色の水面。

 木は葉先だけを水上に残して沈み、人が立てる深さではない。

 木造の民家は屋根の瓦の重みでかろうじて踏みとどまっているようだった。


「じゃあ、待ってたらネオさん来てくれるって事っすよね……!! だったら僕も一緒に待ちますよ……!!」


 その時、足元で水が波立ち、屋根の端を叩いた。

 水位はゆっくりだが確実に上がっている。


 ブリアンは両手を胸の前で重ねた。

 黄金の鞘の宝剣が強く光を反射する。


「そうね。いざとなれば、女神の円卓に集まって乗りましょう」


 僕は宝剣を見て首を傾げた。

「ってか、そのナイフはなんなんすか……」


 質問した瞬間。

 ブリアンの表情が凍りついた。


 彼女はゆっくり刃を持ち上げ、見つめた。


「これは……BBの部屋に隠されていたのよ」

 声が震えていた。

「エリオットは、私があの部屋に入るって分かっていて、この剣を置いたの」


「なんでそんな事、分かるんです……?」


 ブリアンは刃を半分引き抜いた。

 水音だけが響く。


「言葉が彫られていたわ……」


 一度だけ視線を逸らし、息を整え、

 無表情で読み上げた。


「君の純粋さが強さになる事を信じている。悲劇を前にしても、諦めてはいけないよ」


 僕は息を飲んだ。

「それ完全に……王子の言葉じゃないっすか……」


「そうよ。デフィーナが村人を倒していたら私は捕まらなかったし、あなたが居たら逃げられたかもしれない。でも私は村人に向き合う事を選んだ」


 ブリアンの声は静かだった。


「私がここに来て、そうする事まで、彼は分かっていたのよ……」


 クロス君が濁流を見つめたまま呟いた。

「そんな事って……ありえるんですかね……」


「考えるほど、そうとしか思えなかった」

 ブリアンは目を閉じた。

「どうすれば彼の呪いから抜けられるのか、分からなくなって……壊れそうだった」


 彼女は首筋に触れた。


 そこには赤く腫れた小さな切り傷。


 一瞬、何も言えなかった。


「だからこのナイフで……彼のシナリオを終わらせようと思ったのよ」


「ダメっすよ!! それこそ悲劇じゃないっすか!!」


「ええ。あなたが居れば止めてくれると思った」

 ブリアンは胸元のウサギのネックレスを握った。

「痛みで体が揺れた時、この子が胸を叩いたのよ」

 まっすぐ僕を見る。

「だからスゴミ。あなたを待つって決めて、ここに残ったの」


 水が屋根の縁を越え、足元に触れた。


 彼女の言葉の重みに、身体が震えた。

 宝剣の輝きよりも、くすんだ小さなネックレスの光が目に焼き付く。


「女神……さん……」


「ブリアンよ。あなたがくれたその名前が、私を生かしてくれた」


 彼女はデフィーナを避け、一歩前へ出る。

 そして僕の手を両手で包んだ。


「それで私」

 流れる木箱がコンクリートの屋根をコツンと叩いた。

「エリオットの悲劇の呪いを解く方法……分かったのよ」


「悲劇の呪い……」


「彼が作ったのは、ルールとレール。この村みたいな悲劇の村を作り出して、悲劇のルールに従わせる。それが、あの人の支配の形よ」

 ブリアンは、水に沈んだ村を指さした。

「この村を見て。水に沈んではいるけど……家は流れてないし、死人も出ていないわ」


 僕の手を強く握り、胸元まで持ち上げた。


「あなたがエクリプスを足止めしてくれたからよ。私は、それが運命を変えたと思ってる」


「はい……止めきれなかったっすけど……」


「あんなの、誰にも止められないわ」

 即答だった。

「でもあなたは倒して戻ってきた。私は、そうなるって信じていた」


 クロス君がチラリと僕を見る。

「姫様はずっと言ってました。スゴミさんが帰ってくるって……」


 ブリアンは強い瞳のまま、一度だけ頷いた。

 そして半分以上が沈んだ、部屋の前の石碑へ視線を向ける。


「エリオットに勝つ方法はね、この村の悲劇を壊すことよ」


「悲劇を壊す……?」


「足切りっていうルールで悲劇を生み出して、人の心を引き裂く」

 片手を解いて、裏の老人たちが見えるように身体を避けた。

「村の人達はきっと、『悲劇を越える』とか言って、見捨てたことを正当化するわ。それもエリオットの呪い」

 わずかに息を吸う。

「だから私達は、一人も死なせないって決めたの。村を水没から救い出して、村の掟を破ってみせる」


「出来るんすか……そんな事……」


「あなたのドグマがあれば出来るわ」

 迷いのない声で、僕が立つドグマのちゃぶ台へと片足をかけた。

「だってこれ、やってることめちゃくちゃだもの。なんだって出来るわよ」


 抱きつくような距離感で、顔を近づけた。



「私はね、いつまでも泣いてるばかりのお姫様じゃないのよ」


 その目の両脇には、涙を流して乾いた、白い跡が残っていた。

 強い視線が真っ直ぐに向けられる。


「あなたが支えてくれるから、私はあなたと共に戦える」


 そして宣言するように言った。


「この村に、悲劇なんて起こさせはしないわ」



 その時だった。


 BBの部屋の屋根の奥手、林の手前となっている濁流の水面から、真っ黒なサメの背ビレのようなシルエットが浮き出した。


 デフィーナが鋭く言い放つ。

「エクリプス、水棲型よ……!!」


 誰もが反応しきれない一瞬の間に、背ビレを持つものは水から飛び上がった。


 それはサメかイルカのような、細長い装甲に覆われたエクリプスだった。

 エクリプスは空中で頭の部分を大きく広げた。


 装甲の内側のドロドロの赤黒い肉を見せながら、身体の前半分は完全に分裂して広がり、タコが触手を広げているような形だった。


 そこから一瞬で、屋根の一番奥で咳き込んでいた中年女性が噛みつかれた。


「ああっ!!」 短い悲鳴。


 彼女は一瞬で水中へと引きずりこまれ、血の赤と濁流の茶色が、飛沫となって混ざり合った。


「ドグマ開放───!!」


 僕は反射的にドグマの変形を唱えようとしたが、見えない水中の敵相手に、何を唱えれば良いか分からなかった。


 それとほぼ同時に、ブリアンは即座に宝剣の鞘を投げ捨てた。


「いい加減にしてよね……!!」


 ブリアンは叫びながら駆け出し、女性の血の浮いた濁流の水面へと飛び込んでいった。

 濁った水が跳ね上がり、悲劇の水位は部屋の屋根を包み始めていた。

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