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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第1章・始動編

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第12話・物語の回答。

 ファーストキスって何の味~♪


 甘酸っぱい? それとも ほろ苦い?

 チェリチェリベリベリ……ミルキーキッス♪


 僕の好きなアニメ

『魔法少女マジカルエンジェル』のエンディングテーマ

『チェリ・ベリ・メリー・カフェインキッス』だ。



 ファーストキスがなんの味かって?

 そんなものは決まってる。

 血液だ、血の味だ。

 僕にとってそれが今、明白な事実となった。


 アルハに刺された首の刺し傷がミシミシ痛む。

 自分を殺しに来たアルハへの挑発と即答のカウンター。

 僕の理論的な逃げ場を完全封鎖する彼女の戦術が、僕のファーストキスとなった。


 僕は呆けていた。


 緊張も力も、怒りも焦りも、一瞬の快楽で全部崩れた。

 それでもまだ、ナイフを握ったアルハの腕だけはしっかりと掴んでいた。


 アルハは自分からキスしてきたくせにその顔は赤くなり、僕と床とでうろたえるような視線の反復横跳び。

 恥じらってるのか、苛立ってるのかも分からない。



「ねぇ、聞いてんの?」

「えっ、あ、はい……」



「言う通りにチューしましたけど?」

「あ、ありがとうございます……」



「これで彼女ってことで、いいのよね?」

「むしろ自分でいいんすか」



「私の言うこと、聞くんでしょ?」

「はい、もちろんです」



「もう逃げない?」

「逃げないです」



 それを確認すると、彼女は頷いてゆっくりナイフを手放した。


 カチャリと乾いた音が床に響く。

 僕も自然とアルハの腕を開放した。

 脱力した腕が肩から垂れ下がり、腰が砕けていた。


 アルハは破れたシャツを重ねるように整えて、首を振りながらネクタイを軽く締めた。

 僕の胸を手のひらで乱暴に押し返して壁際から抜け出していく。


 そして僕のデスク前の椅子に腰を下ろす。


 血がこびりついたベッド、割れた窓。

 外の空には黒いピラミッド。

 夕陽が射しこんで部屋は赤く染まっていた。


「少し話すわ。そこに座って」


 アルハが腕を組みながら、椅子の前の床を指さした。


 僕は言われるままに床に正座した。

 女王の椅子に座るアルハと、その前の下僕。

 膝に手をのせて目線は床。

 僕は血と死と口づけで服従を誓わされた自室の敗者だ。


 しかし、言いたい事だけは口に出す。


「あの……また天使さんが来たとして、僕が逃げなくても勝てないっすよ」


「あれはもう殺したわよ」


「殺したって……」


 平然と当たり前のように話すアルハ。

 僕が天使戦で最後に見た光景は、迫りくるトラックだ。

 そしてその向こうでは、地面に倒れて背中に剣を突き刺されたアルハが確かに映っていた。


 あの時、明確にアルハは負けていた。


「どうやって殺したんすか」

「刺し殺したのよ」


「負けてましたよね」

「もう死んだんだから、どうでもいいでしょ」


 話をすると言ったのに、あまりに適当な対応が始まっていた。


「えっと、じゃあ、天使さんの目的とか…」


「天使の目的は敵になる事よ。ドグマを掴んだ者が最初に殺すべき敵として現れるのよ」


 それはなんとなく分かったけど、そうだったとしても急すぎて意味が分からなかった。


「そのドグマっての、僕は持ってなかったと思うんですけど……」


「ドグマを発動したから、物語が始まって天使が来たのよ。持ってないわけ無いでしょ」


「全く身に覚えがないんですけど……」


「天使が来る前に白い玉を掴んでないの? 持ってなかったみたいだけど」


 天使さんも、玉って言ってた。


 たしかにあったんだ、太陽に手を伸ばした時に掴んだ白い玉。

 天使さんの突然の出現と、勘違いのせいでめちゃくちゃだったけど。

 野球ボールだと思って投げちゃったから、取りに行けば良いのか?


「天使さんが来る前に掴んでましたよ、白い玉」

「それがドグマよ、それをどうしたのよ」

「学校に投げ入れましたけど…」


 それを聞くと、アルハは頭を抱えて深く肩を落とした。


「はあ、だるい……なんで? なんでそうなるのよ……」


「こっちが聞きたいですよ、なんなんすかアレ」


「ドグマは物語を始めるもの。ドグマが掴むと、まずアルハが説明しに行って、ドグマを発動すると天使が来るようになってんのよ。それで戦闘が始まる」


「つまり、ドグマってのを掴むと、チュートリアル戦が始まるって事っすか?」


 それを質問すると、アルハは一瞬天井を見て考えた。

 そしてすぐに視線を落とす。


「ああ、チュートリアルね。大体その認識かしら。それを物語の序章って言うのよ」


「でも先に来たの、天使さんでしたし、アルハさんが来るまでは、優しくお話してくれましたけど」


「それはあんたが異常者なんだわ」

「異常者なのは天使さんでは」


 僕が言い返す度にアルハの目が細くなった、そしてついにはキレはじめる。


「ほんとにアンタだるいわね。私はもう殺さないから、自害とかしてくれないかしら」


 アルハは椅子に深く腰をかけてそっぽ向いている。


 話を聞いた感じでは、アルハさんは説明役みたいだ。

 でも、説明担当がこんなに適当で説明しなくて、ムカつく事ってありますかね……?

 チュートリアルなら、もっと会話スキップしたくなるくらい、丁寧に教えてくれるべきでは……?


 言ってもしょうがないので、ひとつずつ聞いていく。


「極論やめてくださいよ、ドグマ掴んで物語ですよね、天使さんがもう死んでるなら、どうするんすか」


「天使なんて最初の敵よ、敵はずっと来るわよ」

「冗談じゃないっすよ、降りたいんすけど」

「無理よ、始まってしまったもの」


 薄々そんな気はしていたけど、絶望感が高すぎる。


「じゃあどうすれば良いんすか」

「ドグマがないなら、死ぬしかないわね」


「極論やめてって言いましたよね。じゃあドグマは投げたんで、取りに行けってことっすか?」


「投げたんでしょ? あるわけ無いじゃない」


  だめだ進まない、イライラしてきた。


「そんなの探してみないと分からないじゃないっすか! 物語が始まってるんですよね? アルハさんは説明担当なんですよね? 敵が来るならどうすれば良いのかを説明してくださいよ!」


 彼女は考えるように天井を見上げ、髪をかき上げた。ひどくイラついている。


「あーもう、なんでアンタ生き残ってんのよ。ドグマ無いなら普通死ぬでしょ、だるいわ……」


「こっちは命かかってるんで、真面目にやってください。結局ドグマってなんなんすか」


 彼女は天井を見たまま止まり、静かに視線をこちらに落とした。


「ドグマの物語はあなたの運命で、戦うためのもの。敵を倒してドグマの物語を進めるのよ」


 ちょっと分かって来たか?

  つまり物語に敵が出て来て、勝つのにドグマが必須装備。

 敵を倒せば物語が進んで終わりに近づく。

 僕はドグマを投げ捨てたから、装備無しで天使に負けたって事だ。


 ここはもう一段階掘れそうだ。


「運命って何すか! 物語と敵ってなんすか! それをもっと具体的に!」


「運命も物語も人それぞれよ、具体的になんて言われても知らないわよ」


「言ってる事、コロコロ変わってません?」


「そんなこと言われても、私は事実しか言ってないし、効率の悪い説明は嫌いなのよね。」


 「もう説明役チェンジしてくれませんかね……」


 「運命でこうなってるから無理ね。あなたが死んでくれれば終わるけど」


 めちゃくちゃだ。

 なんで自分からわざわざ部屋まできたくせに、ここまで説明を面倒くさがるのか。


 もはやそっちの方が気になってくる。


「なんでそんなに面倒なんすか、一回言えば終わりじゃないっすか」


 アルハはアゴに手を当て、初めて言葉を選ぶように真剣に考え始めた。

 そして、僕のデスクに置かれていた小さな本棚から、昆虫図鑑を手に取り、静かにページをめくりだす。


 セミのページを探し出すと、それを開いて見せてきた。


「説明する事は多いんだけど、頭が悪くてすぐ死ぬセミに、辞書を読んで暗記させろ。って言われてるくらい、無駄な事をしてる感じね。だからだるいのよ」


 ミーンミン……  ミッ……!


 窓の外で壁にぶちあったセミの断末魔が聞こえてくる。


「なんすかそれ、僕がすぐに死ぬから説明無駄って事っすか」


「ドグマを廃棄した一般人なんだから、次の敵が来たらすぐ死ぬでしょ」


「でもそんな一般人に、さっき無防備に押さえられてましたよね、アルハさん」


 アルハはその一言に怒りだし、ついには椅子を蹴って立ち上がった。


「やかましいわね! ああいえばこういう! キリが無いわ!」


 そして腰に手を当てて、視線だけ落としてくる。


「とりあえず明日から学校に来なさい、私はそれだけ言うつもりだったのに、ゴチャゴチャ質問してきて鬱陶しい!!」 


「学校、九年間行ってないっすよ、今さらですけど」


「九年…...っ!?」

 その瞬間、アルハが突如下唇を噛み、泣きそうな顔になった。

 しかし一度目を伏せると、すぐに殺意の高い睨みつけに戻る。


「私には関係ない。別に来なくてもいいわ、逃げるなら、明日また殺しに来る、今度はやめないから」


 そして、顔を近づけて人差し指を僕の唇の前に突き出した。


「でも、彼女の言うことは、聞くんでしょ?」


 その細い指に唇がムズムズする、キスを思い出して体が跳ねそうになる。


「うっ…!」


 耐えきれずに顔を落とすと、グイっと睨むように、下向きの視線に潜り込んでくる。その視線の追跡につい返事を返してしまった。


「わ、わかったっすよ! 学校行きます! 行きますから!」


「だったらいいのよ。学校に来れば次に行けるわ」


 眉間が緩み、無表情で腰を上げた。


 上がる一瞬、あまりに屈んだ影響で、破れたシャツの重なりが解け、襟首の隙間から見える胸の暗がりに、紺の下着をハッキリと見てしまった。


 僕は顔を強ばらせて視線を避けたが、彼女は気付いている素振りもなかった。


 そしてそのまま彼女は玄関へ向かった。

靴を履き、扉に手をかけ、振り返って一言。



「じゃあ明日、学校で会いましょう」



 キィイイ……ガチャン。カツカツカツ……

 扉が閉まり足音が遠ざかっていくのを流し聞きながら、部屋の隅に転がったアトラス人形を拾い上げる。



「ったく、何が物語だよ……」



 人形を棚に戻して立たせ、見つめる。


「アルハは無いとか言ってたけど、僕のドグマがあの野球ボールなら、ヒメガミさんが拾ってて、野球部が持ってるんすかね」



 戦士の人形は、誇らしげなポーズを変わらず続けていた。


「はあーあ」


 ため息を吐いてベッドに崩れ落ちると、首の傷がズキズキと痛む。


「学校、行きたくないな……」


 ポツリとつぶやくと、後はそのまま眠りに落ちた。


「…………帰りたい。もう帰りたいっすよ」



 逃げたら抹殺。逃げなきゃ彼女。

 二人の間に奇妙な契約が結ばれた。



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