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第10話・果てしなき生存本能。

 僕の寿命は残り30センチ。


 それが目に見えた。


 僕の命を終わらせるもの、アルハの手に握られた彫刻ナイフの鈍い刃が、着実に自分の喉元から命を削り出しに来ている。


 首の高さで30センチ手前を水平に、旋回する重機のように一定速度で迫るアルハの細くて白い左腕。そのキメ細かい皮膚と女子の体温を両手で握り込み、へし折る勢いで押し返そうとしていた。



「何もしなかったから殺すって、理由がめちゃくちゃなんすよーっ!!」


「だるいわね、私にとっては必要なことなのよ」


 僕は全力で戦いと殺し合いを否定した。そしたら味方を名乗るアルハが殺しに来ている。これは脅しじゃ無い。目的は僕を殺す事だ。


 必死の言葉も、アルハの決定の前には意味をなさなかった。腕を離せばアルハは高速で動き出す、掴み続けるしかない。僕は腕を掴んだまま、一歩、二歩と後ずさった。



 それは命の後退。



 狭いワンルームで壁までは1.5メートル、歩ける距離分が寿命が伸びた、しかしそれまでに何とかしなければいけない。


「やだ……もう、帰りたいっすよ……」


「どこに帰るのよ」


 涙をのんで這い出た言葉をアルハが短く断ち切った。ここは自分の部屋だ、天使さんの悪夢から抜け出して帰って来たというのに、ここまで来られては逃げ場など無い。


 すり足でジリジリと後退していくと、ふくらはぎに柔らかい感触を感じた。僕のベッドだ。ベッドに足を取られた、体勢を崩してしまいベッドに倒れ込んだ。アルハの腕はしっかりとつかんだままだった。彼女をベッドに引っ張り込む形になる。



 それが自分の寿命をさらに縮めた。



 残り寿命10センチ───



 自室のベッドの上で仰向けの僕の上にアルハが覆いかぶさる。アルハのナイフを持つ左手は、両手でしっかり掴んでいる。アルハの右腕は僕の脇に突き立てられて布団を掴んでいる。右も左も上もアルハの完全包囲。


 ナイフは変わらず無慈悲に一定速度で向かってきており、それを掴む両腕だけが、自分の命綱だった。



 僕の目に、涙が浮かんだ。


「話しましょうよ……! なにがあったのか……教えてくれなきゃ、こんな何も知らないで死ぬの、嫌っすよ……!」



 魂の懇願だった。時間的にもこれが最後の命乞いになる。伝われと、届いてくれと……ただ、願った。




「無駄だから断ります」


 即断。


 アルハのブレない決定、無慈悲な言葉が投げられると共に、アルハは体勢をさらに低くして、抱きつくように密着してくる。アルハのしなやかな髪が垂れ下がり、顔面をくすぐるが、そんなことを喜んでる場合じゃない。


 アルハの右腕が僕の脇から肩に抜けるように奥深くまで差し込まれ、その肘でわき腹をギッチリ押さえつける。胸と胸が当たってこすれ、アルハの柔らかい全身に包みこまれているようだった。アルハは膝の位置も微調整してきた、白い太ももが股をみっちりと封じ込めて押し上げてくる。



 カマキリに捕獲されて生きたま肉を貪られる小虫になった気分だった。身体をずらすような身動きは一切取れない、もう逃げ場はない。あとはナイフという異物を首の中まで運ぶだけ。


 そして首筋に冷たい刃先が触れた、反射的に頭を反らすと、首が動いて1センチほど寿命が延びた。しかしすぐさま追いつく、丸い刃先が首の皮をゆっくりと押し込んでくる。



 その冷たさはすぐに、熱さへと変わった。


 刃が皮膚を突き破る音が身体中に響いた。


 プツッ


 血の雫が風船のように静かに皮膚から湧き出した。



「あああああああ!!」



 痛い、痛い、死にたくない。



 腕に力を込め続けた代償が出てきた。命の危機にさらされた緊張感の結果、僕の顔は真っ赤に膨れ上がり、血管が浮き出ていた。涙は出るが流れ落ちず、眼球の上に水たまりとなって溜まり。視界がぼやける。



 生物が死に瀕したとき、体に起きる反応がある。


 それは、生物の長い進化の歴史の中で生き残った者だけが磨き上断てきた『生存本能』それが暴走しだした。



 まず起こるのは、アドレナリンの異常分泌。


 筋力のリミッターを一時的に解放する、いわゆる『火事場の馬鹿力』

 僕のしょぼい筋肉の限界値、そんなものはクレーンのようなパワーを持ったアルハの前では、ダム湖に焼け石を放り込む程度のものだった。



 アドレナリンは同時に、脳の異常な活性化を促す。


 生き延びるための方法は何? 脳がすべての情報を高速処理し始める。時間がスローモーションになり、過去がフラッシュバックして、自分の人生アーカイブから、生へのヒントを検索しだす『走馬灯』が見えた。



 僕が見たのは、アニメとゲームに浸かった日々だった、幼い頃の人形遊び、魔法少女が魔法で敵を成敗する映像と、放置のゲームでレベル上げをするデイリーミッションだ。


 自室、自室、自室の映像の連続。何も積み上げていない人生を、あざ笑うかのような映像だった。


 そして……ほんのさっきの映像、天使さんが降臨した輝く姿…『綺麗だった』そして理不尽な力の前に僕は無力だった。それだけだ、意味はない。



 そして、感覚が鋭敏になる『超感覚』が起こった。


 上を見れば白い天井、夕暮れの光がうっすらと差し込む、薄くオレンジに染まった平面。昼間の暑さを残した部屋の中、フィギュア棚の端にはギリシャ戦士の人形。ベッドにこもる温度、外では遠くセミが短い命を消費ながら鳴いている。



 ミーンミンミン……



 あの鳴き声は求愛行動だと雑学動画で言ってた。7年の眠りから成虫になり、一週間でパートナーを見つけて子供を残す為の必死のコーラスだ。


 自分の上に覆い被さっているのは、さっき出会った女子生徒のアルハ。無愛想で、残酷で、鋭い目をした女。


 けれど、顔立ちは整っていて、フワッと艶やかな黒髪に白い肌、もみ合いの中で乱れた呼吸、鼻先をくすぐるのは、ふわりと香るシャンプーの匂い。僕は女子とここまで密着するのは初めてだった。


 そしてナイフは皮膚を破り、筋肉を押し込んでくる。その痛みまでもゆっくりと感じる。



 ──激痛。


 視線を下にずらせば、目の前には彼女の耳、迷路のように入り組んだ肉襞にくひだと、奥の見えない穴。髪の毛の一本一本が艶やかに光を反射して。夏服の背中に少し染み付いた汗が肌を透かし、スカートに包まれながら突き出されて揺れるお尻まで認識できた。




 バカか、死ぬんだぞ……僕は……何考えてるんだ……!



 柔らかい太ももが、股の間に入り込み、むっちりギッチリ押し上げてくる。死の間際だというのに、殺される寸前なのに。だがそれは必然的な生理現象でもあった。


 生にしがみつく遺伝子の悲鳴、命は最後まで命を求めている。


 カマキリは交尾の後にオスがメスに食われ、鮭は一度の繁殖で命を散らす。死に際ですら命を残そうとするように、自死しても、尚、命を繋ごうとする愚かな男の本能に……


 僕の脳は破壊された。


 ぐいぐいと押し上げてくる股下。

 抱き合いの彼女。密着の胸。鼓動の音まで聞こえ。

 シーツの擦れる音がする。

 ここは密室、ベッドの上だ。


 アルハは可愛い。


 考えるな……!



「あ......っ!」


 頸動脈を撫でる彫刻ナイフの刃。


 痛い、苦しい、怖い、無理。


 ……でも、アルハは可愛い。


 凛々しい瞳、密着、細い手首、小さな体、いい匂い、太もも。



 汗、汗、滑る汗……



 太ももが押し上げて、持ち上がる。



 男の生存本能。



 馬鹿野郎!!今じゃ無いんすよ!!



 なのに




「ああああああああ!!!」




 全身を駆け巡る!!男のパワー!!!




『OH YESオーイエス!! STRONGストロング!! BANANAバナーナ!!』



 イカれた妄想が脳内を貫いた。


 謎の絶叫。筋肉ムキムキのバナナの王様が、思考の全てを支配する。



「なんなんだよマジでコレ!! バカだろこの妄想……!!」



 バナナ王は光り輝くマッスルポーズをキメて高笑いをしてる。


HAHAHAハッハッハー!!」


「クソったれがー!!」


 あまりにも『イタイ』その発想に至ったこと自体が、最大の屈辱となり、それが口から飛び出していた。


「でも……! 仕方ないっすよね! 僕は男なんすからっ!!」


 ゼロ距離で胸に顔を付けたまま、汗を溜めてこちらに視線を向けるアルハ。



「……は? 何よいきなり」


「アルハさんが……!! アルハさんが勝手に引っ付いて来たんですからね!!」



「どういう事?」


 唖然とするアルハの腕を、僕はありったけの気持ちを込めて握った。僕の事を殺そうとするこの腕ですら、今の僕には可愛らしく、愛すべき欲情の対象と化していた。

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