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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第4章・王国編

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第96話・女神の円卓

 ノリコの墓となった高台からの景色に、ブリアンの城を見た。


 昨日の記憶だ。


 その城は丘になってる地下要塞の都市の頂上にあった。

 岩壁を内側に掘り込み、岩から城の形を削りだした強固な構造。


 赤い大扉と、テラスから垂れ下がる赤い旗。

 立ち構えるベージュの軍服と機関銃。


 それは、優雅そのものであった。



 それが今、窓が割れて煙が吹き出し、扉も破れて廃墟のようになっていた。


 僕は今、その城の入口へと立っている。


 赤い大扉はバキバキに砕けて床に張り付いている。

 既にエクリプスが内部に侵入している。


 砕けた扉の上には、巨大なニワトリが泥を歩いたような足跡がついており、エクリプスの足の硬さと踏み込みの重量を感じさせていた。



 扉を踏んで中へ入ると、目に飛び込んできたのは地獄絵図だった。

 破壊された壁、血の飛び散った床。戦場の跡。

 壁のあちこちに銃痕が刻まれ、床には引きずられたような赤黒い筋が何本も走っている。


 いくつかのエクリプスの残骸が転がっている。抵抗の後。

 人間の頭と胴体は落ちていないが、腕だけ、足だけなどが無惨に散らばっている。


 むごたらしい光景に思わず引き返したくなるが、この中にブリアンがまだいる。きっと怯えている。


 震えを抑えて周囲を見渡した。


 この城は広い。


 外からは壁に埋まってるように見えたが、見た目以上に奥行きがあった。

 入ってすぐの円形のホールは特に大きく、天井は高い吹き抜けになっている。


 吹き抜けのは五階まで続いており、各階には廊下と手すりがあり、吹き抜けを囲むような構造。

 上階の廊下にはホールを見下ろすための盾付きの見張り台と、固定の機関銃が付いている。

 まるでオペラハウスのようだが、戦争の為の防衛拠点であることを確かに感じさせていた。


 一階には誰もいないようだが、上の階からは絶えず銃声が響いている。



「上っすか……」



 天井を見上げたその瞬間、四階の廊下の奥から、影が手すりを飛び越えた。

 空中に身を乗り出した影は、ネオだった。

 ホットパンツに包まれた下半身を大胆に動かし、髪とジャンバーがなびいている。



「ネオさん!?」


 飛び出たのは見えたが、そのまま飛び出たように見えた。

 四階から落ちたらタダでは済まない。

 落下を想像すると毛が逆立ち、アゴに力が入った。


 しかし、ネオさんは空中で太もものホルスターからナイフを取り出して投擲、五階の廊下へと突き刺した。


 ナイフからはワイヤーが伸びており、ネオさんはそれにぶら下がって反対側の四階廊下へ移動。

 器用な身のこなしと専用アイテムで立ち回る姿に見とれた。



 ──直後。



 ドゴォォォォン!!


 彼女が飛び出てきた廊下で大爆発が起きた。その衝撃で床が揺れている。



 そしてネオさんが下に向かって思いきり叫んだ。



「一階のヤツ、逃げろ!!」



 一階のヤツ。

 僕の事だ。

 僕しかいない。


 気付けば僕は、落下するネオさんを受け止めるなんて出来るはずないのに、腕を出して円形ホールの中心まで進んでいた。


 するとネオさんが起こした爆発の煙の中から、黒い影がよろめいて落下してきた。


 ちょうど、僕の真上だ。


 それはワゴン車ほどの頭部を持つ、人型の漆黒の装甲。


「エクリプス……!!」


 4階で戦っていたネオさんが、爆発で倒したんだ。

 それは身体の端々が削れていて、火花を散らしながら旋回している。

 そしてトラック程の質量を持って、僕目掛けて一直線に落ちてくる。



「ドグマ開放───秘密の食卓ッ!!」



 咄嗟にドグマを天井へと掲げて、即座にちゃぶ台へと変形。


 無敵の盾で防ごうと思った。


 しかし展開されたちゃぶ台の大きさは50センチ。

 僕の指からヒジまでの大きさの盾だ。

 僕の頭は収まるが、肩が思い切りはみ出している。


 車のようなサイズのエクリプスの本体を止めても、折れ曲がったその破片が僕に突き刺さることは避けられないと思った。



「せっかく来たのに、コレじゃ……!」



 大口を開けて落下してくるエクリプスの速度がゆっくりに見えた。


 これは覚えのある感覚。死の悟った瞬間の超感覚だ。

 僕の本能は、この後起きる下敷きの死を予見していた。


 真っ黒な装甲の、開いた口が落ちてくる。

 目のない顔面、死の象徴。


 その口だけの顔面を見て、不本意にもヒメガミさんの姿を重ねてしまった。


 優しかったヒメガミさん。

 優柔不断すぎて、僕を傷つけたヒメガミさん。


 蜘蛛のエクリプスに拘束されて遺体を晒され。

 可愛い顔の上半分を真っ二つに切り取られていた可哀想なヒメガミさん。

 口を開いて血を吐いて、エクリプスと同化させられていた。


 ヒメガミさんは僕がプレゼントしたネックレスをつけてくれていた。

 そのネックレスを回収して、今僕が付けている。

 その豊満な胸の間で、このネックレスは彼女の体温を感じていたんだろう。



 エクリプスの巨体が迫る。

 上から迫る、死の重圧。


 この上、この敵の向こうにブリアンがいる。

 ヒメガミさんの生き写しがブリアンだった。


 ブリディエットに転移してきて、最初に二人で行動したのがブリアンだ。

 ホテルに入って、シャワーを浴びて、マッサージで親密になった。

 不本意にも寄り添ったり、抱き合ったりしてしまった。


 僕はブリアンを助けに来たんだ。


 そう考えると、ブリアンの感触がフラッシュバックした。

 僕はこの感覚を知っている。走馬灯というやつだ。


 その時の温度も、香りも、肌の感触も鮮明に覚えている。

 柔らかく、温かく、白くて、丸くて、デカいものに占有された。


 視界には、天井。エクリプスの黒。ドグマの盾の白。


 白くて、まるい、盾。


 こんな時に考えることじゃ無い。

 不謹慎だ。それは分かってる。

 どうして僕は死に直面すると不謹慎に走るのか。



 でも僕は、この盾をデカくしたい。

 デカくすれば、生きる。デカく、大きく!!


 僕はブリアンの特徴を『カタチ』として記憶していた。

 焼き付くほどに、脳が焦げ付きそうなほどの興奮とともに。


 だから否が応でも『出来る事』だと確信をしてしまったんだ。



 豊満な……


 白くて……


 デカい……!!


 ブリアンの……!!



 そうだ、出来る。


 ならばまずは、生き残れ。



「うああ! 僕のドグマは、デカくなる!!」



 そして……


 ズォォォオオン!!



 地鳴りとともに、視界が一瞬で赤黒く染まった。


 血飛沫。肉片。焼けた鉄の臭い。



 滝のように流れ落ちる粘液。

 影、大きな物の影。


 僕の視界はハッキリと生きていた。


 僕の身体には何の衝撃もなかった。


 無事。成功していた。



 僕の頭上には、白くて、丸くて、大きい机が完成していた。


 ノリコのちゃぶ台『秘密の食卓』


 それが直径50センチの円から、直径2メートルの大きな白い円卓となっていた。

 そして、降ってきたエクリプスはその上で止まり、僕の全身は守られていた。


 上では潰れたエクリプスの残骸が形を失い、両腕が床へとだらりと垂れて、ピクピクと痙攣しながら赤黒い液体を垂れ流している。



「助かった......」 全身から力が抜けるようだった。緊張からの解放。

 しかし罪悪感があった。僕は遺品のネックレスを握り、神に祈るように頭を下げた。


「でもヒメガミさん、ごめんなさい」


 そして目を開き、頭上の白い円盤を見つめた。

「このデカい食卓は、女神の円卓。って事にしよう」


 しかし、拭えない申し訳なさに、冷や汗をかいていた。

「コレ、何をイメージして発現したのかは、僕だけの秘密にしないとな……」



 そんな感傷に浸っていると、上からネオさんの声が届いた。



「おい、それドグマか、もしかしてスゴミか!?」


「あ、ネオさん……!! よかったっすよ、ネオさーん!!」



 僕は円卓から飛び出して上を見た。

 彼女はワイヤーでぶら下がった状態から、四階の手すりの上へと登っていた。


 その顔は余裕の笑顔だ。



「おお、生きてたか。なんだその机、いつの間にそんなデカくしたんだよ……!!」


 彼女の実力と精神のつよさが、僕に少しの安堵を覚えさせた。


「コレはたった今、大きくなったんすよ。出来ると思ったんすよね! 名付けて女神の円卓って事に……」



「ははは! そうかよ! 白くて丸くて、まるでブリアンのケツみたいにデケェな!」


 ネオさんはかなり余裕そうに言って、僕のセリフをぶった切った。

 彼女なりのジョークというか、緊張の解き方なんだろうけど......

 僕はギリギリ必死に生き残って、ちょっと格好つけようかと思ったのに

 真っ先に飛んで来たのがこの軽口。


 うっかり、言い返していた。


「違いますよ!! イメージしたのはお尻じゃなくて、姫様の胸ですからねっ!!」



 そのセリフを放った途端に、笑顔だったネオさんの顔はズゥンと暗くなっていった。



「は、お前、マジかよ……」


「あ……」



 完全に滑った上にドン引きされている。

 ネオさんは顔を押さえている。


 僕も目を反らして頭を押さえた。

 言うつもり無かったのに……



 しかし、こんな所で止まってる場合ではない。


「と、とにかく姫様を助けないとっすよ!! 上行きますね……!」


 そう言ってエクリプスが乗っかったドグマを回収した。


 乗っていたエクリプスの死体は事故車両のような音を立てて床面に落下。

 黒い液体がドグマの机の上に広がっていたが、回収時にはドグマは汚れを一切引きずらず、綺麗な形で戻ってきた。



 そして駆け出そうと思った。その時だった。


 ネオさんよりさらに上の階、五階から大きな声が聞こえた。



「姫様っ、廊下へ、廊下へ進んでくださ……うわぁあッ!!」



 男の声だった。おそらくは護衛の兵士。

 既に姫様の元まで敵が侵入している。



 そしてすぐに白い花のような人影が、五階の手すりに叩きつけられて腰を落とした。



「いやっ! いやああああ!!」



 それは純白のウェディングドレス、ブロンドのウェーブ髪。

 そしてその悲鳴ですぐに分かった。


 ブリアン姫だ。



 すぐさまネオさんはブリアンを見上げ、鬼気迫る声をあげた。


「ブリアン、そこで止まるな! 走れ!!」


 ネオが叫ぶと、ブリアンは吹き抜け側に振り向いた。

 ネオの声に反応してネオを見つけたんだ。


 しかし『走れ』の指示は聞かず、走らなかった。

 頼るように柵に手を突っ込んで手を伸ばしはじめる。

 まるで檻の中の囚人のように必死に叫ぶ。



「ネオ、ネオー!! 助けて、私……!」



 その直後、ブリアンの背後から異様な気配。

 天井を削りながら前進する、巨大な黒い影。


 エクリプスだった。


 その顔面の装甲は特殊だった。ここまで見て来たエクリプスの個体は、顔面は一枚の板だった。

 しかしブリアンに迫ってる奴は、顔が城壁のような凹凸になっている。

 その顔で白塗りにされた天井のコンクリートをガリガリと削り、まるで無風の中を歩くように歩いている。


 明らかに他よりも硬い構造だ。



 ブリアンはパニックして、逃げるでもなく泣き叫んでいる。



 すぐに追いつかれる。


 ネオは叫んだ。



「いいから走れ!! ブリアン左だ、『左側』へ走れ。すぐに行く!!」


 そう言いながら、ネオが指さしているのは『右側』だった。


 先程のネオさんが起こした爆発で、ブリアンのいる五階の左側の廊下が崩落していた。

 道が続いてるのは右側のみだ。


 ネオさんは右を指さして『左に走れ』と言った。


 それはパニック状態のブリアンから見て左という意味だ。

 彼女が錯乱して崩落側に走るとアウト。

 それを防ぐためのネオさんの咄嗟の工夫。

 ブリアン目線を考えて右へ走らせる為の的確な指示。


 そしてネオさんはブリアンの右側の少し行った所へとナイフを投げた。

 ワイヤーを使って上の階に登ろうとする準備をしていた。



 そこでブリアンは息を飲み、手すりを掴んで立ち上がった。



 だが、そこで後ろを振り向いてしまった。


 そこにいるのは、片腕をあげたエクリプスだ。


 その腕は他のエクリプスのように爪ではなく、巨大な一本のブレードになっていた。

 そのブレードが、天井のコンクリートを豆腐のように切り裂きながら振り下ろされている。



「左ねっ!!」



 ブリアンはそこで咄嗟に左に避けた。


 エクリプスのブレードはブリアンには当たらなかったが、手すりを切り裂いて床に深々と突き刺さった。



 結果。ブリアンが避けたのは廊下が崩落している左側だった。

 後ろに振り返ってしまったからだった。


 左右が反転して危険ゾーンに入るブリアン。


 ネオさんがすかさず叫ぶ。


「おいバカ、そっちじゃない!!」


 だが既に遅い。


 エクリプスが廊下に飛び出した事で、ブリアンは廊下ごと退路を断たれた。



「いやあ! 怖い、怖いのよぉ!!」



 ブリアンはパニックに支配されて、無我夢中にエクリプスから遠ざかる。

 腰に力が入らないようで、手すりをつかみながら、這いずるように。


 廊下の崩落には、気づいてすらいない。


 エクリプスは床からブレードの腕を引き抜くと、ブリアンを追うように体の向きを変えた。

 そしてズリズリと天井を削りながら歩き出す。


 そいつは猫背でうごめき、目はなく、血を滴らせた口元がニィ、と裂けている。


 天井を削る音が迫ると、ブリアンの動きも早くなっていく。

 



 そして……


「きゃあああああッ!!」


 ブリアンの足元の床が抜け、姫の足が宙を泳いだ。

 だが幸いにも、手すりにしがみついたままだったので、手すりの一本にぶら下がる形になった。



「待ってろ、今行く!!」


 ネオさんは一度投げたナイフを回収して、向かい直そうとしている。


 その声を聞きつけたのか、各階の廊下から、兵士たちが顔を出して声を張りだした。


「姫様!!」「姫様、しっかり!」

「五階に兵士は居ないのかっ!!」



 しかし、次の瞬間だった。


 今までゆっくりと天井を削りながら歩いていたエクリプスが、急に背を屈めて、一気に前進しだした。

 何としても姫を切り刻むつもりだ。

 手すりにぶら下がる姫に対して、その巨大なブレードで斬りかかった。


「いや! 無理よ、無理なのー!!」



 目を覆いたくなるような凄惨な光景を誰もが予想した。

 五階から振る、血の雨と、彼女の中身。


 しかし、エクリプスがブレードを振りぬいた時、そこにブリアンの姿は無かった。



 ブリアンは、自ら手すりを手を離していたのだ。


 次にブリアンを襲うのは、重力とコンクリートの床だ。

 誰もがその因果を分かっていた。


「いやぁぁああああ!!」



 純白のウエディングドレスが、真上へとなびいた。

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