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短編

聖女の真実

作者: 紺青

「ねぇ、いっそのこと、そんな力なくなったらいいと思わない?」


 目の前にあるのは、まるで神殿にある彫刻のように整った顔。神に仕える神官だというのに、髭を生やし神官服を着崩している。


「もし聖女の力を失う方法があるとしたら、どうする?」


 ああ、その言葉は教典の中に出てくる悪魔の言葉のよう。熟した果実のように甘さが滴っている。


 美しい造形の男から、差し出された手。

 聖女と呼ばれている少女は疲れ切っていた。思わず伸びそうになった右手を、自らの左手で押さえる。ただ頭を横に振るのが精いっぱいの意思表示。くすんだ金髪の三つ編みがつられて揺れる。


「ふぅん? くくくっ、おもしろい。なら、毎日誘惑することにするわ」


 本当はもうなにもかも投げ出したい。ここから逃げ出したい。

 体と心は限界だと悲鳴を上げていた。


 それでも洗脳されるように聖女の教えを叩きこまれたからか?

 神殿や王侯貴族が怖いからか?

 困っている人々を救いたいからか?

 大いなる力を神から授かった責任感からか?


 その甘言に乗ることはできなかった。


 ◇◇


 この国には元々、聖女などという存在はいなかった。


 聖女と呼ばれている少女はただの村娘だった。

 母親は少女を身ごもった時に恋人に捨てられたので、父親はいない。祖父母もすでにいなかった。

 住み慣れた村を出て行くわけにもいかず、そのまま出産し親子二人で身を寄せ合うようにして暮らしていた。


 なんとか暮らしていくことはできるものの、生活は厳しい。

 母親は身を削るようにして働いたため、よく体の調子を崩していた。

 ――早く治りますように。

 少女は熱を出して伏せっている母親の額に小さな手を添える。

 「ふふふっ、あなたの手は本当に気持ちがいいね……。この調子なら、あっという間に治りそうね……」

 そんな時、母親は嬉しそうに微笑んでくれた。


 特別な力があると気付いたのは、背の高さが母親の肩くらいまで伸びた時だろうか。

 畑仕事をしている時に母親の指先に出来た、ちょっとした切り傷。

 ――早く治りますように。 

 手を添えた部分がほんのり光り、たちまち傷口が塞がった。


 母親はいつものように微笑んでくれなかった。

 青ざめた顔をすると慌てて辺りを見回し、少女の腕をきつく掴んで家へと戻る。


「あなたには病気や怪我を治す不思議な力があるのかもしれない。二度と力を使ってはいけないよ。誰にも話してはいけない」


「なんで? だって、病気や怪我を治せるならお母さんも助かるでしょう?」


 村には薬草を育て煎じるおばあがいて、病気や怪我の時に手当をしてくれる。村人みんなに尊敬されて頼りにされている。その対価に食べ物やお金をもらっていて自分達より裕福な暮らしをしている。

 自分も村人の怪我や病気を治して稼げるようになれば、母親も楽になるだろう。


「怪我も病気も、死ぬことも抗うことはできないものなの。人の知恵や薬草の力ならいいのよ。なんの力かわからないものを使って人の運命を捻じ曲げてはいけないわ。人ならざる力は身を滅ぼす。だから、力を使わない。人には言わない。約束できる?」


 母親の話は難しく、少女は納得できなかったけど頷いた。これまでのどんな時より、母親の顔が真剣なものだったから。

 

 ◇◇


 少女は素直な質だったので、母親の言いつけを守った。

 その結果、流行病に倒れた母親はあっさり亡くなった。


 村長の家で下働きとして住み込みで働くことになった。少女の行く末を心配していた母が根回しをしてくれていたおかげだ。


 慣れない仕事や生活に必死になり、母がいなくなった悲しみに浸る間もなかった。


「誰か! 助けて下さい!」


 ようやく仕事に慣れた頃、村長の家に子供を抱えた村人が駆け込んできた。その腕の中には、ぐったりとした子供がいる。遊んでいる時に木から落ちて意識が戻らないらしい。


 すぐに薬師のおばあが呼ばれた。それでも静かに首を横に振るだけ。

 子供の顔色が失われていき、呼吸も弱々しくなっている。母親の泣き叫ぶ声だけが部屋に響き渡る。


 ――怪我も病気も、死ぬことも抗うことはできないものなの。

 母親の言葉が頭をよぎる。

 でもその言葉に従った結果、母親はあっさり亡くなった。


 なんで便利な力があるのに使ってはいけないの?

 目の前の人を救えるのに使ってはいけないの?


 ドクドクと鼓動がやけに体に響く。それでも少女はなかなか決断を下すことができなかった。


「お願いします! 神様、どんなことでもします! この子を助けて下さい!」


 気づいたら子供の頭に手を添えていた。

 ――よくなりますように。

 少女の願いに呼応するように、手から光が溢れる。

 しばらくすると、子供のまぶたがゆっくりと開いた。


 歓声のあがる周囲をよそに、母親の言いつけを破ってしまった少女は呆然としていた。村長の瞳が鋭く光った気がした。


 ◇◇

 

 ぎっくり腰、食当たり、怪我。

 村長のお触れで集められた怪我や病気を持つ人々を、次々に治癒していく。村長は冷めた目で少女を見るとすぐに早馬を出した。


 村には似合わない上等な服を着た人が現れ、村長に金貨のずっしり詰まった袋を渡すと少女は領主の館へ連れて行かれた。


 体中を洗われて、上等な服を着せられた後、村でやったのと同じように怪我や病気の人を治癒させられる。

 神経質そうな領主が指示を出すと、今度は馬車で十日は揺られた。金貨と引き換えに三回ほど場所が代わり、行きついた先は王都の大神殿だった。


「どうやら君には人々の怪我や病気を治す力があるようだ。神殿は君を聖女と認定した。神から与えられた力を人々のために使いなさい」


 大神殿で一番偉いという大神官が厳かに告げる。

 この日、少女はただの村娘から聖女になった。


 ◇◇


 少女が思っていたより大事になってしまった。

 でも、待遇は悪くない。

 ふかふかのベッドに、肌触りのよい服。食べたこともない料理をお腹いっぱい食べられる。周りに人々が傅き、なに不自由ない暮らしを送れている。

 

 ――人ならざる力は身を滅ぼす。

 母親に言われた言葉がチクリと胸を刺す。

 でもきっと正しいことをしたのだわ。

 あの男の子も目を覚ましたし。母親も涙を流して喜んでいた。怪我や病気を治した人々も感謝してくれた。

 少女は母親の言葉に対して、反論の言葉を並べる。それでも、どこか後ろめたい気持ちがぬぐえなかった。


 初めは良かった。

「もう治ることはないと思っていたのに。ありがたいことだ」

 少女が治癒の力を使う度、感謝された。

「聖女様は命の恩人だ」

 と涙する者も多かった。


 人の役に立っているという実感があり、皆から感謝され尊敬の目で見られる。

 日常生活も快適で、治癒していない時は手の空いた神官達が文字や教典について教えてくれた。


 いつの間にか、母親譲りのよくあるこげ茶色の髪と瞳は金色に変わっていた。一年経つ頃には村娘の面影はなく、清楚な白いワンピースをまとう彼女は聖女に相応しい輝きを放つようになっていた。


 朝早くに起きて祈りを捧げ、朝食をとる。

 午前中は大神殿の前の広場で民達の怪我や病気を治癒する。お昼ご飯を食べて、午後は貴族の邸宅を回る。

 最初の頃はまだ時間にゆとりがあった。


 大神殿は治癒の力を持つ聖女が現れたことでどこか明るい雰囲気を漂わせていた。


 人々の怪我や病気を治せば治すほど、その評判は広がり人々が大神殿に押し掛けるようになった。王侯貴族からも次々に依頼が入る。

 元々、聖女という存在がいなかった大神殿はこの事態に混乱した。

 普段は人々に信仰を説き、冠婚葬祭などで必要な儀式をする。そんな静かな生活を送っていた神官達には手に余った。誰も取り仕切れる者などいない。


 欲に取りつかれた大神官の命で、少女は朝から晩まで、治癒の力を使い続けることになった。

 ゆっくりする時間はなく、ご飯は隙間時間に詰め込むように食べる。朝早くに起きて、夜遅くまで働いても捌ききれないくらい治癒の力を求める人で溢れていた。


「早くしろよ」

「前はもっと痛みが取れたのに。きちんと治療してちょうだい!」

「この前治してもらったのに、また腹が痛くなったんだがどうなってるんだ!」


 少女の治癒の力が当たり前のものになると、人々は感謝を忘れ要求はエスカレートし文句ばかり言うようになった。

 それは怪我や病気になっても、気軽に痛みも苦労もなく安価に治してもらえることも原因だった。

 神殿は王侯貴族からは対価として大金を求めたが、民に対しては神殿のイメージを良くするために安価に治癒の力を振る舞っていた。

 医術師による治療や薬師に処方してもらう薬草は高額だ。貴族はともかく民達は普段から怪我や病気に気をつけていた。しかし、聖女の登場で民達は怪我に気をつけなくなり不摂生するようになった。

 初めは不治の病といわれる症状や深刻な怪我をしている者が多かったが、時間が経つにつれ聖女の力を借りずとも自然に治癒していくような軽い症状でも人々は押しかけてくるようになった。


 しかし、少女はそんな事情はわからない。民達に言われる文句を真に受け、自分の食事や睡眠を削り人々のために力を使った。


「え?」

「だから、このシミを取って欲しいの」


 王族に呼ばれたら、民に対応する時間であっても駆けつけなければならない。初めは片目の視力を失った王弟だった。それを治したことで力を認められたが、だんだんと用件は些末なものになっていき、しまいには怪我でも病気でもないものを治せと要求されるようになった。

 もやもやする気持ちを抱えたまま、王妃の頬に手を当てる。シミが取れ、若い娘のような白磁の肌になった王妃は上機嫌になった。


 翌日の民に対応する時間に、再び王妃の要請があったので断った。使者によると、どうやら昨日薄くしたシミが浮き上がってきたらしい。そして民の怪我や病気の治癒を続けた。


 その夜初めて大神官に殴られた。


「何様のつもりだ! 王妃殿下の要請を断るとは!」


「民達に治癒を施す時間でした。王妃殿下は病気ではありません。民達の中には深刻な症状の者もいます」


「……なにか勘違いしているようだな。人は平等じゃない。優先順位があるんだ。お前にはそれがわからないようだから、こちらの言う事に従いなさい」


 それだけ言うと、腹についた贅肉を揺らしながら大神官は去って行った。


 それから少女の待遇は目に見えて悪くなった。日当たりの悪い粗末な部屋に移され、食事も最低限の質素なもの。


 しばらくは少女は自分の信念に従った。王侯貴族の要請があった時には、その内容を聞いて優先順位を自分で決めた。


 少女の心が折れたのは、言いつけを破る度に大神官や神官に殴られるからではない。そうまでして優先した民達も彼女に優しくなかったからだ。


「お前のせいだ」

 民に治癒を施している時に、骨折を治した中年の男が血走った目でこちらを見てきた。

「俺達、薬師の仕事を奪いやがって。お綺麗な服を着て偉ぶりやがって……」

 絞り出すような声で言われる。

 少女の後ろには騎士が控えているので、少女にしか聞こえないような小さな声で。でもその目や表情から憎しみが溢れていた。

「俺はお前を決して許さない」

 そう吐き捨てると男は去って行った。後ろの行列からは「早くしろ!」「なにしてるんだ!」という罵声が飛んでくる。


 少女は何が正しいのかわからなくなった。自分の意思を放棄して、ただ言われるままに人形のように治癒を施す日々を送った。


 大人しく言う事を聞くようになっても、待遇が改善されることはなかった。固い黒パン一つに野菜くずの浮かんだスープ。疲れの取れない固い寝床。


 善良な神官はその待遇に眉をひそめ、こっそりと菓子などを差し入れてくれた。しかし自分に善くしてくれる神官が姿を消すことに気づいた少女は、人の親切を受け入れることはなくなった。


 ――怪我も病気も、死ぬことも抗うことはできないものなの。人の知恵や薬草の力ならいいのよ。なんの力かわからないものを使って人の運命を捻じ曲げてはいけないわ。人ならざる力は身を滅ぼす。だから、力を使わない。人には言わない。

 この頃には母の言っていた言葉の意味が理解できた。


 ただ目の前の人を救いたかっただけなのに。

 授かった大いなる力は人のために使うべきじゃないのか?

 自分が安易な気持ちでしたことで、もたらしたものはなんだろう?


 少女の治癒の力は神殿に大金と名声をもたらし、神殿の上層部はどんどん腐っていく。

 そして人々は怪我や病気を恐れなくなり、不摂生し体に気をつけなくなった。

 医術師や薬師は仕事を奪われ、優秀な者は我先にと国外に逃げ出しているという。


「なぜ神はこんな力を私に与えたの……?」


「そんなん、いくら考えたってわかんねーよ。それよりこれを食え」


 神の像の前で頭垂れていると、紙袋が差し出される。食欲をそそる香ばしい匂いが漂う。

 最近、大神殿に赴任してきた神官は少女の隣に座ると紙袋からパンを取り出した。

 

「これ最近流行ってるらしいよ。魚のフライと玉ねぎをスライスしたのと卵を炒ったのが挟んであるらしい」


 ここは飲食禁止ですけど、と言っても彼には無駄だ。規則は破るものだと思っている。神官服を雑に着こなしている男を見る。いつ見ても神殿が似合わない男だ。


 少女も渡された紙袋から総菜が挟まれたパンを取り出してかぶりつく。


 彼は口が悪いけど親切だ。それに彼の親切は安心だ。

 腐敗した大神殿に、どこか悪辣な雰囲気のある彼はすぐに馴染んだ。上層部の人間とも気さくに話している。今まで自分に善くしてくれた神官達と違って飛ばされることはないだろう。


 彼が来てから、少女の待遇は少しずつ改善されていった。

 最初の頃のような貴賓室のような部屋ではないが、他の神官達が使っている標準的な部屋に移され食事も神官達と同じものをとれるようになった。


 王侯貴族や大神官をどんな手を使って丸め込んだのか、無茶なスケジュールは組まれなくなった。緊急時以外は急に予定が入ることもない。


 こうして時々、食べ物を差し入れてくれる。

 

「聖女辞めたらさー、こういうおいしいものを自由に食べられるようになるよー。それでも辞めたくない?」


 そして毎日、聖女の力を捨てないか? 聖女を辞めないか? と聞いてくる。

 黙って首を横に振る。

 怖い。いつか悪魔のような誘惑の言葉に頷いてしまいそうで。

 待遇は改善されたけど、力を搾取されて囲いこまれている状況に変わりはない。


 いくら神に問うても答えはないし、神が助けてくれることもない。

 だから誘惑に負けてもいい気もしている。でもその先に待つのは破滅だ。覚悟が出来たら手を取ってもいいのかもしれない。


 どれだけ大神官を丸めこんでいるといっても、金づるである聖女の力を奪ったと知れたら処刑だけでは済まないだろう。王侯貴族は怒り狂い、民の暴動が起こるかもしれない。


 もう間違えてはいけない。


 ◇◇


 ある朝、髪の毛の色がこげ茶色に戻っていることに気づいた。慌てて鏡を見ると瞳も金色からこげ茶色に戻っている。体に違和感はない。


 いつものように民の手をとる。

 ――よくなりますように。

 祈りを捧げるが、いつまで経っても光が出ることも傷口が塞がることもなかった。


 「今日はちょっと聖女サマの調子が悪いみたいで。治癒は中止しまーす」

 呆然とする聖女を悪徳神官が抱えるようにして、撤収する。民達のざわめきを背に、ただ引きずられるようにして自室へ戻った。


 突然、治癒の力が枯渇した。

 あっけない終わり。


「いいか? 自暴自棄になるなよ。突然降ってわいた謎な力だ。突然使えなくなってもおかしくない」

 

 自分でも持て余していた力。この力のせいで人生を狂わされたと言っても過言ではない。でもその力を失った今、どうしていいのかわからず戸惑う。


「しばらく、しんどいかもしれないけど耐えるしかない。聖女の力がなくなったって証明しないと奴らは気が済まないだろうからな……」


 石牢のような場所に移され、水分は与えられたが食事を抜かれた。鞭を目の前でちらつかされて、治癒の力を使うように言われる。怪我人や病人が運び込まれた。手を添えて祈るも力は発動しない。


 床から体を起こせないくらいに衰弱すると、やっと解放された。

 髪や瞳の色の変化と彼女の性質から嘘をついているわけではないと判断したようだ。


 聖女が治癒の力を失った。

 そこからは責任の押し付け合いが始まった。大神殿と王侯貴族の間で。

「神殿が聖女を酷使したからだ」

「王侯貴族が大したことのない用事で力を使わせたからだ」

 それはどちらも正論で。正論を戦わせたところで聖女の力が戻るわけでもなかった。


 聖女は自室に戻され、悪徳神官がなにくれとなく世話をしてくれたおかげで体調は戻って行ったが、自分がいつ処刑されるかとおびえる日々を送った。


 聖女の悪い予感は当たり、神殿と王侯貴族が言い争いをしている間に痺れを切らした民達が大神殿に押し掛けてきた。神殿を守る騎士達も数の暴力には勝てず、大神殿に民達がなだれ込みそうになった時に聖女は腕を掴まれ大神官に引きずり出された。


 大神殿の入り口に立ち、大階段の下に詰めかけている民達を前に聖女は顔を白くするだけで言葉が出てこない。


「……申し訳ありません。なぜかはわかりませんが、治癒の力を失ってしまいました。申し訳ありません……」


「ふざけるな!」

「怠慢だ!」

「祈りが足りないせいじゃないのか?」

「怪我を治してもらわないと、仕事に行けない!」

「子供の熱が引かないの、いつもみたいに治して!」

 聖女の必死の謝罪も民達の怒号にかき消される。


「治せ!」「治せ!」「治せ!」

 しまいには声を揃えて、治せと怒鳴り始める。


「大変申し訳ありません。聖女様は治癒の力を失いました。えー原因につきましてはただ今、調査中でして……」

 大神官が大柄な体を縮めて釈明する。


「それなら神殿が医術師や薬師に払う代金を払え!」

 民から大神官にヤジが飛ぶ。


「えー、今後は神殿は怪我や病気に関しては関与いたしません。今後は医術師や薬師を頼るようお願いします」

 そう締めくくると、聖女を置いて大神官は神殿の奥へと引っ込んだ。


「誰が責任を取るんだ!」

 民達の怒りは最高潮に達していた。このまま暴動が起こりそうな一発触発の雰囲気。


「聖女様の首を刎ねたら満足か?」

 大神官の代わりに現れた神官の言葉は思いのほか、よく響いた。


「ぜーんぶ、聖女様のせいにしたら満足か? これまで治癒の力を惜しげなく使った無辜の少女の首を刎ねるんだ?」

 さきほどまでの騒ぎが嘘のように場が静まり返った。


「言っておくけどお前達が払った少しばかりの金も、王侯貴族からふんだくった金も一切、聖女様の懐に入っていないぞ。見ればわかるだろう? やせ細って顔色も悪くて、着ている服も上等だけどいつも同じもの。休みもなく食事や睡眠を削って、治癒の力を使い続けていた。無理がたたったせいで、力を失ったとは思わないのか?」

 彼が言葉を重ねる度、民達から怒りが消えていくのがわかった。


「聖女様は命の恩人なのに? 怪我や病気を治してくれたのに? それなのに力がなくなったら用済みで、怒りや不満の矛先にして捨てるんだ? そんな自分勝手な人間のこと神様はどう思うんだろうね?」

 

 彼の説得力のある言葉のおかげで、民達は一人また一人と姿を消していった。


 最終的には神殿の責任になった。

 聖女のおかげで勢力を増していた神殿は、聖女が現れる前より力を削がれた。

 それでも冠婚葬祭などに関わる儀式などを行う場であり、生活に根付いているためなんとか生きながらえることはできた。

 王侯貴族は聖女に頼り切りだった十年間で、おろそかにしていた医療体勢についての巻き返しを図らないといけない。聖女が現れてから、仕事がなくなった医術師や薬師が地方や他国へ流れている。今回は民達の暴動は防げたが、対策をしないと民達の不満を抑えきれなくなるだろう。


 聖女の喪失で、混乱した国が落ち着くまでに十年の月日が必要になった。


 ◇◇


「あれだけ自分を犠牲にしたのに、こんな暮らしでいいの? こんな国出てってやるーとか、世界を旅したいとかないわけ?」


 聖女の生まれた村よりは少し規模の大きな村の片隅。

 神殿とも呼べない小さな家屋で、着任した神官が傍らに立つ女に問いかける。


「あなたこそ、それだけ悪知恵が働くなら腐敗した神殿で権力を握ることもできたのではないですか?

 なぜ力を失った元聖女と結婚して、こんな辺鄙な土地に神官として赴任することにしたんですか?」


 女が首をかしげると、肩口で切りそろえたこげ茶の髪もさらりと揺れる。

 神官はなにかまずいものでも飲み込んだように黙る。聖女と呼ばれていた少女は、もう言われっぱなしではなく自分の意見を言える大人になったらしい。


「もともとただの村娘ですから。それに……この生活がいいんです」


 一度手離してしまって、二度と手に入ることはないと思っていた安穏とした日常。

 神官は初めて女の本音を聞いた気がした。


「あー、まぁ、俺もそーかな……」


 まるで悪魔のように誘惑してきた悪徳神官はただの村の神官に。

 まるで天使のように人々を救った聖女はその妻に。


 聖女には二度と治癒の力が戻ることはなかった。

 そして、静かに幸せに暮らしましたとさ。


 ◇◇


「なんだかんだ言って、上手くおさまっちゃったなー」


 この国に元々なかった聖女という存在。


 ある日、悪魔は思いついたのだ。

 ただの村娘に人々を治癒できる力を与えたらどうなるのか? と。

 一人の悪魔の「なんかおもしろそーだから」なんて軽いノリで聖女が爆誕してしまったのだ。


「あーあ。もっと国も王家も神殿も民もぐっちゃぐちゃになったら、おもしろかったのに……」


 予想通り、周りの者は目の色を変えて少女に群がった。

 村長から領主へ、領主から貴族へ、最後は神殿へ。大金と引き換えにされてたどり着いた。

 元々、名誉欲と物欲の強かった大神官の堕落具合はゲスくて、なかなか悪魔好みだった。

 民達には安価に治癒の力を提供して、人気を得る。王侯貴族には高額で取引して、大金を得る。

 神官の中には良心的な者もいたが、大神官や息のかかった腐った神官のせいで飛ばされた。


 民達もなかなか、おもしろかった。

 恐らく無意識だろうが妬みや嫉みもあったのだろう。自分達と同じただの平民が特別な力を得て神殿でちやほやされて、おもしろいわけがない。

 確かに心から感謝した瞬間もあったのだろう。でも人間は快適な状況にすぐ慣れてしまう生き物だ。感謝より不満や文句が増えた時、背中がゾクゾクした。

 あの悪辣な神官が出て来なかったら、きっと最後の場面で聖女は民衆に殺されていただろう。

 

 おもしろいくらい悪魔の予想通りに踊ってくれた。


 善良で人知を超える力を持つ者は搾取される一択だ。

 周りはこう主張する。自分は無力な存在なのだから、偉大な力を持つ者は皆に振る舞うべきだと。

 そして、その考えに胡坐をかき、それ以上考えることや努力をやめる。


 聖女も一人の人間なのに。

 ただの十代の女の子なのに。


 大きな力の恩恵を皆で受けるために、個人の幸せなど簡単に踏みにじってしまう。


「まだ、聖女を大事にしたり崇拝したりするなら、救いがあったんだけどな……」


 使うだけ使って、粗末にする。


 そりゃ、天使も助け船を出したくなるか。

 悪魔みたいな神官を。


 少女がボロボロの雑巾みたいになったところで、天使は孤児上がりの信心深いとはいえない神官に御告げを出した。聖女を救いなさい、と。


 少女が治癒の力を失うためには2つ方法があった。

 純潔を失うか、力が枯渇するまで使い切るか。


 あの悪徳に見える神官は自分が悪者になってでも、彼女を救うことを選んだ。結局、時間切れで力が枯渇しちゃったわけだが……。


「しかし、一生使っても使い切れないくらいの力を十年で枯渇させるって。人間の欲ってこえーよなぁ」


「あなたもやりすぎると、神に目を付けられますよ」


「へいへい。あーいいかんじに混沌としてきてたのにな……。お前が手を出すから」


「人間の国に干渉しすぎてはいけないというルールをあなたが破ったからです」


 悪魔も天使も、神の作った人間の世界(はこにわ)で普段は好きに動いている。


 悪魔は甘い誘惑を。

 天使はささやかな救済を。


 そして理不尽で不自由な世界を作り出し、神を楽しませる。


「さー、次はなににすっかな?」


「ほどほどにしてくださいよー」


 やりすぎない限りは天使も止めない。

 それが神の望みだから。

 神の箱庭で天使と悪魔が動き回りドラマを作り出す。神はただそれを眺めるだけ。


 悪魔の誘惑はそれとわからない形で日常に紛れ込んでいる。一見、正しい形をして。

 ほら、あなたの傍にも。

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