失われた日常、繋がる絆
第三章 失われた日常、繋がる絆
――それは、かつての高校時代の記憶だった。
廃棄された施設の一角、薄暗い光の中で、真と雫は静かに並んで腰掛けていた。
黒のタイツに包まれた身体。目元だけが開いた、無個性な姿。
それでも、隣にいるのが雫だと、真にははっきりわかった。
「ねえ、真」
先に口を開いたのは、雫だった。
声は変わらない。全員が同じトーンの声になっていたが、彼女の語り口だけは、変わらない温かさを持っていた。
「私たち、あの頃、よく制服でいろんなところに行ったよね」
「……ああ」
真は静かに頷いた。
高校時代。まだ何もかもが自由で、未来に希望を持っていた時代。
真は学ランを、雫は紺色に白い三本ラインのセーラー服を着て、よく繁華街や映画館に遊びに行った。
「渋谷とかさ。あと、海も……」
「行ったな。あのとき、制服のままバス乗って、迷子になったよな」
「ふふっ、そうそう!」
二人は思わず顔を見合わせ、微笑み合った。
黒タイツに包まれた顔。表情はほとんど見えないはずなのに、心の中では、あの頃と何も変わらない笑顔が交錯していた。
「……私、あのセーラー服、好きだったんだ」
雫がぽつりと言った。
「紺色に白い三本ライン。なんか、誇らしかった。真と並んで歩くと、ちょっとだけ大人になれた気がして」
「……雫」
真は言葉を失った。
すると、雫が少しおどけた声で続けた。
「今の真にも……似合いそうだよ? セーラー服」
「なっ……!」
顔が熱くなるのを感じた。
確かに今の真の身体は、完全に女性そのもの。
背も少し縮み、腰も括れ、胸も膨らんでいる。
あのセーラー服だって、きっとサイズはぴったりだろう。
「か、からかうなよ……!」
「ふふっ、冗談だよ。……でも、ちょっと見てみたいかも」
雫は声をひそめるように笑った。
二人の間に、ふわりと暖かい空気が流れる。
この暗い世界にあって、唯一の救いのような時間だった。
――そのとき。
「ふふっ、楽しそうね」
優しげな声がかかった。
驚いて振り返ると、二人の女戦闘員が近づいてきていた。
「……430号、431号?」
真は警戒しながら身構えた。
だが、彼女たちは敵意など微塵もない様子で、ただ穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「ごめんなさいね、話してるところを邪魔しちゃって。でも、そろそろ自己紹介、しようかなって思って」
先に口を開いたのは、430号――彩子だった。
タイツ越しのため顔はわからないが、声音にはどこか母性的な優しさがにじんでいた。
「私、下田彩子っていうの。もともとは、ごく普通の主婦だったの」
そして、隣に立つもう一人が、少し緊張した様子で言葉を繋いだ。
「……オレ、いや、私は、下田聖斗。……中学生だった」
真は瞬きをした。
タイツに包まれた聖斗の身体も、他の女戦闘員と同じく成人女性と見紛うほどだった。
すらりとした肢体、均整の取れたプロポーション。
かつての少年の面影は、どこにもない。
「親子だったんだ。彩子さんが母親で、聖斗くんが息子」
隣で雫がそっと補足する。
「……こんな身体になっちゃったけど、母さんがいてくれたから、オレ……私は、ここまで持ちこたえられたんだ」
聖斗の声は、微かに震えていた。
彩子は、聖斗の肩にそっと手を添えた。
「聖斗は立派よ。あなたは、何も悪くない。……ね?」
その言葉に、聖斗は小さく頷いた。
真は拳を握りしめた。
(こんな現実、絶対に許せない……)
ノワールの非道。
自分たちが受けた屈辱。
そして、愛する者たちの変わり果てた姿。
それでも、こうして心を寄せ合いながら、彼らは生きていた。
それが、唯一の救いだった。
彩子と聖斗の自己紹介を受け、真と雫は改めて二人に向き合った。
「よろしくな、彩子さん、聖斗」
真は素直に頭を下げた。
この異様な状況下で、素性を明かすことにはきっと勇気が要ったはずだ。
その気持ちに応えたいと、自然に思った。
「こちらこそ、よろしくね、真さん、雫さん」
彩子は柔らかく微笑むように言った。
目元だけが露出している顔から、それが伝わる。
一方で聖斗は、まだどこか居心地悪そうにしていた。
それも無理はない。
かつて少年だった自分が、今はこんな姿になっているのだ。
思春期の心には、受け止めきれない葛藤もあるだろう。
「……あの」
聖斗が、ぽつりと口を開いた。
「……変なこと、言うかもしれないけど……オレ、本当は、男として生きたかった」
真と雫は静かに耳を傾けた。
「でも、今のオレは……『女戦闘員』として生きるしかない。だから、せめて……せめて強くなりたいんだ」
聖斗の言葉に、彩子がそっと寄り添う。
「あなたは、もう十分強いわよ」
「……母さん」
二人の間に流れる、静かな絆。
それを見た真は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
(俺も、強くならないとな……)
この場所で、生き抜くために。
そして、いつか自由を手にするために。
真は拳を握りしめた。
「なあ、聖斗」
ふと、声をかけた。
「俺たち、まだこんな格好だけどさ――訓練、一緒にやらないか?」
聖斗は驚いた顔をした。
だがすぐに、目元に少しだけ光が宿る。
「……いいの?」
「ああ。どうせなら、みんなで強くなろう」
「……うん!」
聖斗ははっきりと頷いた。
それを見た彩子も、優しく微笑んだ。
「ありがとう、真さん」
「別に、礼なんかいらないさ」
真は照れ隠しにそっぽを向いた。
だがその頬は、微かに赤く染まっていた。
隣の雫が、くすりと笑った。
「ふふ、真ってば、変わってないね」
「うるさい……」
そんな二人のやり取りに、聖斗と彩子も小さく笑った。
こうして、四人はささやかながらも、確かな絆を築き始めていた。
◆ ◆ ◆
次の日。
訓練場には、普段よりも活気があった。
女戦闘員たちは、黙々と体術や射撃の練習を続けている。
真と雫、彩子と聖斗も、それぞれのトレーニングメニューに取り組んでいた。
「真、こっち、手伝って!」
「おう!」
雫の呼びかけに応じ、真はすぐに駆け寄った。
今は互いに、かつての名前で呼び合うことにしている。
それだけでも、心が軽くなった気がした。
「それ、次はここに踏み込んで、膝!」
「了解!」
互いにコンビネーションを確認しながら、技を磨いていく。
その間、自然と昔の感覚が蘇ってくる。
「体育の授業、思い出すな」
真がぽつりと言うと、雫もふふっと笑った。
「そうだね。でも……あの頃より、ずっと息が合ってる気がする」
「まあ、今は命がかかってるからな」
「それもあるけど……真と一緒なら、何だってできる気がするんだ」
雫の真っ直ぐな言葉に、真は一瞬、言葉を失った。
タイツ越しで顔はよく見えない。
それでも、彼女の瞳の輝きは、まっすぐ伝わってきた。
「……俺もだよ、雫」
自然と、そんな言葉がこぼれた。
◆ ◆ ◆
休憩時間。
彩子と聖斗も加わり、四人で肩を並べて壁に腰掛けた。
「なあ、真」
聖斗がふいに話しかけてきた。
「高校って、どんな感じだった?」
「ん?」
真は首を傾げた。
「……オレ、中学までだったからさ。高校生活、ちょっと憧れてたんだ」
「ああ、そうか」
真は少し考え、そしてふっと笑った。
「まあ、思ったより自由だったな。制服で遊びに行ったり、部活サボったり……」
「真はサボってばっかだったよ」
雫が横から突っ込む。
「うるせぇ」
真は照れくさそうに笑った。
その光景に、聖斗も思わず笑う。
「……いいな、そういうの」
「……これからだって、できるさ」
真はぽつりと言った。
「こんな姿になっても、心まで奪われたわけじゃない。やりたいこと、見つければいい」
「……うん!」
聖斗は力強く頷いた。
その様子を見た彩子も、静かに微笑んでいた。
(必ず、取り戻す……)
真は心に誓った。
仲間たちと共に。
雫と、共に。
たとえどんなに遠回りしても――
必ず、自由を。
そして――
「……真」
隣で、雫が小さな声で囁いた。
「また、制服でデート……したいね」
「……ああ」
真は、そっと頷いた。
その約束が、いつか叶う日を信じて――