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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

仮想世界での死の災い

作者: 結城 刹那

 2036年に実用化されたフルダイブ技術によって世界に革命が起きた。


 娯楽、芸術、スポーツ、仕事、食事とあらゆるものが仮想世界に移行し、2050年には全てのことが仮想世界でできるようになった。今では、仮想世界で過ごす割合が大部分を占めている。それだけ仮想世界での生活は快適であり、魅力的であったのだ。


『メタアース』。人々が生活する仮想世界のプラットフォームを我々はそう呼んでいる。

 

 1


 刑事課のひびき 正善まさよしは被害に遭った男性から話を聞いていた。


 テクノロジーの発達に伴って人類は『飢餓』と『疫病』を克服した。しかし、争いだけは今もなお人々を苦しめている。人は外界の危険を取り除くことができても、内に湧く危険までは取り除くことができない。それどころか外界の危険がなくなったことで、内界の危険が凶暴になっていた。


「恨みを買う人間に心当たりはありますか?」


「仕事のできない部下やゲームばかりしている息子に叱責をして恨みを買った可能性はあります。それ以外は思いつきません」


 正善はホロウウィンドウを開きながら男性の証言を聞いていた。彼の声を文字に変換してテキスト化しているのだ。


 証言を聞きながら正善は眉を潜めた。

 男性は昨夜、メタアースで何者かに背後からナイフで刺され、強制ログアウトした。


 フルダイブを行うカプセル型の『転移装置』はユーザーの健康状態を常時解析している。解析結果により心拍数や血圧が危険値に達すると転移装置はメタアースにいるユーザーをログアウトさせる。これを『強制ログアウト』と呼んでいる。


 男性の場合、刺されたことで発生したアバターの痛覚機能が実世界の脳機能に影響を及ぼし、強制ログアウトが発動した。


 彼はメタアースにおいて死亡したのだ。


「ご協力ありがとうございます。また何かあれば、ご連絡させていただきます」


 事情聴取を終えると正善は被害者に別れを告げた。相方の美城みしろ 純香すみかと一緒に次なる目的地へと向かう。


「重要な手掛かりになりそうなものはありませんでしたね。また捜査は行き詰まりですね」


 隣を歩く純香が正善に話しかける。彼を見るわけでもなく、顔は前を向いていた。

 今回の事件は男性に限ったことではない。同様の事件が数ヶ月間に数十件も起きていた。


 強制ログアウトした場合、すぐに現実世界の救急隊員に通知がいく仕組みになっている。心拍数や血圧が危険値に達しているので、早急な治療が必要と判断できるためだ。その通知がここ数ヶ月間は定期的に送られてきているとのことだった。


 傷害事件はメタアースでの生活が始まってから唯一上昇傾向にあった。研究では、心的余裕による傲慢性の向上、没入型ゲームの影響、アバターという仮想身体の軽視など様々な要因が挙げられている。


 しかし、ここ数ヶ月の事件数は明らかにおかしかった。

 刑事課では同一人物、もしくは同一団体による犯行とみて捜査を進めている。だが、現時点では、被害者の証言に統一性がなく、犯人の共通点となるものは見つけられていない。


 犯人の手口は非常に悪質だ。

 普通の傷害事件の場合、被害を受けたアバターには損傷が見受けられる。それにより傷害罪として訴えることが可能となる。


 だが、被害を受けたアバターが強制ログアウトしたとなると話は変わってくる。メタアースのアバターは再度ログインすると前に受けた傷は全て消え去ってしまうのだ。強制ログアウトされたアバターには損傷が残らないため、傷害罪として訴えることは非常に難しい。それをうまく利用して犯人は犯行に及んでいるのだ。


 一時期はアバターの視界にカメラを搭載し、ユーザーの視界情報をデータとして保存するという検討がされた。しかし、それは暗黒世界の構築になると見なされ、否決されることとなった。


「まったくだ。だが、そろそろ課長も痺れを切らす頃だ。そこがチャンスかもしれないな」


「何か秘策でもあるんですか?」


「ある。危険な駆け引きだが、やってみる価値は十二分にある秘策がな。先ほどの被害者が言っていた部下と息子に話を聞くぞ。少々乱暴な事情聴取をする予定だ。横口を挟むなよ」


 正善の物言いに純香は彼の方を向いた。彼は彼女を見向きもせず、顔を前に向けている。 彼の表情は先ほどとは打って変わって不敵な笑みを浮かべていた。


 2


 事情聴取を終え、正善はメタアースからログアウトして夕食を取ることにした。

 食卓に座っていると家政婦ロボットが夕食を配膳してくれた。今日のメニューは魚の煮付けだ。すでに魚の骨は抜かれており、食べやすくなっている。


 食文化はメタアースが構築されて以降、大きく変わった。実世界では、AIが転移装置で解析した健康情報を元に不足している栄養を補う料理を作ってくれる。逆に仮想世界では、加工食品やファストフードなど美味しいけれど健康に害のある食事を行っている。仮想世界の食物は実体の栄養分にはならないので、味のみを楽しむことができるのだ。


「捜査の方は順調?」


 玄米の入った器を片手に、魚に手をつけると向かいに座る妻の奏音かのんが正善に話しかける。後で夕食をいただくのか彼女の前には何も置かれていない。


「すっかり行き詰まっている。でも、今夜に少しばかりか進展があるかもしれない」


「そっか。無理しちゃダメだよ。仮想世界だからって疲弊はするものだからね」


 奏音の言葉が正善の胸を強く打つ。彼女の言葉だからこそ重みがあった。


「奏音こそ、体調はどうなんだ?」


「よくぞ聞いてくれました。今日、やっとメンターの先生とパーソナル・バーチャル・スペースで対面できたの」


 奏音は高校時代に『仮想不適合症』を患った。


 仮想不適合症は精神病の一種だ。仮想世界でのトラウマが原因で、ログインの際に心拍数や血圧に異常をきたし、強制ログアウトを受けてしまうというのが主な症状だ。奏音は成人男性からの強姦を受けて以降、仮想不適合症を患い、メタアースにログインすることができなくなっていた。


「そうか。よかったじゃないか。これでメタアースにログインできるまでもう少しだな」


「でも、ここまで来るのに10年弱もかかったからまだまだ時間はかかりそう」


「ゆっくり歩んでいこう。人生は長いんだから。それに、近々『リモートアバター』も施行される。そうなれば、前とは違えどまたメタアースを堪能できる」


 リモートアバターは仮想不適合症の患者のために作られた新しいアバターだ。メタアースの世界に没入して憑依する一般的なアバターと違って、レトロゲームのように現実世界でコントローラーを使って自分の視覚情報を移す画面を見ながら操作していくアバターだ。これによって、仮想世界に半ログインという形で生活することができる。


「そうだね。は〜、楽しみだな〜」


 明るい未来に思いを馳せる奏音を正善は優しい目で見つめた。

 奏音のためにも今回の事件をなんとしても解決する。正善は持っていた箸を強く握る。


 正善が刑事になったのは奏音の影響が大きかった。二人は同じ高校に通っており、正善は奏音のことが好きだった。強姦事件で仮想不適合症を患った彼女の見舞いによく行っていた。ひどく落ち込んだ彼女の様子を目の当たりにして、正善は仮想世界の治安を守るために刑事になることを誓ったのだ。もう二度と奏音のように人生に絶望する人を生ないために。


 夕食を食べ終えると正善は純香に連絡を取り、メタアースへと再ログインした。


 3


 今夜のメタアースは大層賑わっていた。繁華街にある飲食店では仕事を終えた大人たちが酒を交わしながらワイワイ騒いでいる。正善は彼らの様子を見ながら繁華街を歩いていた。


 昔は二日酔いという言葉があった。しかし、酒もまた仮想的な飲み物となったことで酔いはログアウトすればすぐに解消される。そのため酔いを翌日まで引きずるということは今の世界では起こらなくなった。だからみんな気兼ねなく酒を堪能している。今日が金曜日であるのも大きいだろう。大抵の社会人は水土日が休みのため、明日は休日の人間が多い。


「後ろの様子はどうだ?」


 正善は歩きながらもシークレットホロウウィンドウで純香と連絡を取り合っていた。

 一般的なホロウウィンドウは開いた画面が他者からも見えるようになっている。しかし、シークレットホロウウィンドウでは自分のみが画面を閲覧できるようになっているのだ。


 シークレットホロウウィンドウに映された純香とのチャットに、脳内で唱えた文字を起こす『脳内テキスト』で文字を入力する。


「今のところ不審な人物はいませんね」


 純香からの返事はすぐに来た。彼女は繁華街の外れにある公園に滞在し、正善が掛けてる眼鏡の耳当てに搭載された小型カメラを見ながら彼の背後の様子を窺っていた。 


 呼吸をするごとに白い吐息が現れる。コートを着ているのに外界の空気が肌に染みる。

 メタアースの現在の季節は冬。ファッションや植物の観点からこの国では四季が取り入れられている。


 街を歩く人は寒さのためか漏れなくマフラーに手袋、あるいはポケットに手を突っ込んでいる。これならば、すぐにナイフを取り出すためにポケットに手を突っ込んでいたとしても怪しまれることはない。


 繁華街を抜けると先ほどまで地面を照らしていた灯りはすっかり消え、暗い道が現れる。正善はそのまま純香のいる公園に向かって歩いていった。


「先輩、後ろから一人ついてきています」


 純香からのメッセージに正善は一人でに笑みを浮かべる。

 予想通り、餌をやったら魚が釣れて喜びを隠せなかった。


 被害にあった男性からの事情聴取を終えた後、彼が叱責したと言った部下と息子の元へと向かった。そこでは見るに耐えないほどの傲慢な態度で正善は彼らに事情聴取を行った。


 もし、二人の内どちらかが男性に被害を及ぼしたのであれば、正善の言動に腹を立てて同じ行動に出ると踏んだのだ。無罪側には良心が痛む行動だったが、背に腹は代えられない。


 正善は気づかないふりをしながら、公園に向けて歩いていく。道を歩く人がちらほらいるため犯行に及ぶのはもう少し経ってからだろう。


 忍耐との勝負。如何に気づかれずに相手を誘導できるかが勝負だ。刺されたとしても最悪の場合、純香が犯人を取り押さえてくれるはずだ。そう考えると心に余裕が生まれる。


 繁華街を外れて歩くこと五分。正善は公園へと入っていった。ここは木に囲まれているため死角ができやすく、人に見られにくい。しかも、公園は静寂に包まれ、人気は全くない。


「対象も公園に入りました。彼で間違いなさそうです。私もそちらへ向かいます」


 純香からのメッセージが届くとチャット内に動画が映し出される。正善の背後を映し出した映像だ。そこには、ロングコートを着た男性が正善の跡をつけていた。


 彼がここ連日の傷害事件の犯人か。正善は思わず眉間に皺を寄せた。

 犯人を捕まえる際は凶器となるナイフを出させる必要がある。傷害罪ではなく、銃刀法違反で逮捕するためだ。さらに、刺す様子を動画で撮れば、こちら側はかなり有利になる。


 二人の距離が少しずつ縮まっていく。犯人は公園に入ると正善の元へと足を早めた。正善は気づかぬふりをして歩く。


 緊張が走る。どこかで動向を見守っている純香もきっと同じ心情だろう。

 公園の中央辺りに来たところで犯人が動き始める。ポケットにしまっていた手を取り出すと街灯に反射した光物が見える。手は手袋でコーティングされており、指紋をつけないように工夫がされていた。


 光物を取り出したところで犯人が走り出す。正善はその瞬間にすぐに後ろを振り向いた。


 犯人の瞳孔が開くのがわかった。しかし、もう後には引けない。彼はそのまま正善の元へと走ってくる。正善は彼の差し出すナイフを華麗に避ける。伸びた腕を持ち、彼の背後に引っ張ると同時に足を引っ掛け、犯人を転ばせる。


 結果は何とも呆気ないものだった。動向を見守っていた純香がすぐにやって来ると犯人の両腕を手錠で拘束した。


 4


 正善と純香は犯人を連れて警察本部へとリープした。

 リープはメタアース特有の移動手段だ。マップで目的地をタップし、『リープ』と書かれたボタンを押せば、現在地から目的地へと一気に移動することができる。


 基本的にリープはアバターの持ち主しか使えない。しかし、警察は特権として他者のアバターをリープさせることができる。


「どうして、お前は俺を刺そうとした?」


 犯人を取調室へと運ぶと、正善は凶器であるナイフをテーブルに置いて尋問を始める。


「頼まれたんだ」


「誰にだ?」


「誰かは分からない。アカウントネームでの依頼だったから」


 どうやら犯人はSNSでやりとりをして犯行に及んだらしい。


「いつからこんなことをしている?」


「先週くらいだ。割のいい仕事があるって知人から教えてもらったんだ」


 正善は怪訝な表情を浮かべる。

 これまでの傷害事件に関して、彼は部分的にしか関わっていないのだ。主犯は他にいるということだろう。


「お前たちは複数人で行動しているのか?」


「複数人なんて表現をしていい数じゃない。刑事さん、復讐代行って知らないか? SNSやゲームで出会った知人に頼まれて、知人が恨んでいる相手に代わりに復讐するって仕事さ。アバターを破壊するだけで何万ももらえる。別に実際に誰かを殺すわけではない。破壊すれば傷害罪にはならない。低リスク高リターンの仕事ってやつだ」


「今回みたいにナイフを持った状態で捕獲されれば銃刀法違反というリスクがある。そうなれば数万なんかの罰金じゃ済まされないぞ。それは考えなかったのか?」


「刑事さんみたいにそこまで用意周到なやつはいねえよ。人気がないところで後ろから刺して去っていくなんてのは案外楽な仕事だぜ。場合によっては、依頼主に頼んで標的を泥酔させて油断させることだって可能だ」


 犯人の言う通りだ。今回のように犯人を誘導して動画で撮影するなんてことを日常的にはやらない。数十件も同一の傷害事件が発生している以上、『なんの前触れもなく標的を殺傷して強制ログアウト。そのまま逃走して証拠を隠滅』と言うのが普通なのだろう。


「その復讐代行っていうのは誰が運営しているのか知ってるか?」


 最後の砦は主犯格、運営をしているサイトを潰すしかない。復讐代行事態を壊滅させてしまえば、依頼が発生することはないのだ。


「運営なんてしてないよ。みんなそれぞれ個人個人でお願いしているのさ。復讐代行っていうのは概念みたいなものさ。その時その時で人が変わる」


 犯人の証言に正善は驚愕した。


「どこまでも舐めたことしやがる」と怒りで歯を力一杯食いしばった。


 しかし、これはとんでもないほどの非常事態だ。

 復讐代行という概念が全世界に知れ渡ってしまえば、大混乱は免れない。

 正善は頭を悩めた。大混乱が起こる前にこの事件の鎮圧方法を考えなければならない。


 だが、実態のない概念をどう鎮圧すれば良いのだろうか。

 この世界の在り方が問われる事象に正善は直面することとなった。


 5


 夜、正善は自宅のソファーでくつろぎながら白い天井を見上げていた。


 復讐代行を止める方法を思いつくことはなかった。

 犯人は事件ごとに変わっていく。最近の事件発生数を考えると、捕まえる速度よりも伝達される速度の方が早いのは日の目を見るほど明らかだ。


 傷害事件はメタアースでの生活が始まってから唯一上昇傾向にあったのだ。復讐代行が潰えることはおそらくないだろう。


 みんな誰かしらに恨みを抱えている。それをノーリスクで晴らすことができるのだ。手を伸ばさないはずはない。殺傷による強制ログアウトは『単独の言葉の暴力みたいなもの』だ。仮想不適合症などの精神疾患を患ってようやく捜査することができる。だがそれでは遅い。


「マサくん、そんな顔してどうしたの?」


 天井を見上げていると正善の視界に奏音の姿が映し出される。彼女はいつものように穏やかな笑みを浮かべてくれた。


「奏音、ごめん」


 正善は奏音の姿を見て、思わず謝ってしまった。彼女のために解決しようと決めた事件が解決不能な事件だと知って申し訳なく思ったのだ。


 まるで彼女の病が一生治らないと告知されたような感覚だった。


「まったく、らしくないな〜」


 奏音は困ったような表情をしながら正善の隣へと腰掛ける。正善は天井を見るのをやめて奏音の方を向いた。


「お前を守ろうと思って刑事になったのに、今回の事件ではそれは果たせそうにない」


「私は十分、マサくんに守ってもらっているよ。ねえ、私でよければ話を聞かせて」


 正善は奏音の願いに答えることにした。彼女に話すことで少しでも自分の中にある暗闇を明るく照らすことができると思った。


 今回の事件の概要、今日起こったこと、そして復讐代行という世界を脅かす存在について言える限り細かく彼女に伝えた。


 正善は話しながらも奏音に伝えたことを後悔した。彼女を仮想不適合症に追いやったのと今回の事件は類似している。場合によっては、彼女のトラウマを蘇らせる可能性があった。


 エゴのために大切な人に恐怖を与える話をしてしまった自分をみっともなく思った。

 しかし、奏音は一つも嫌な顔をせず、終始穏やかな表情で正善の話を聞いてくれた。それだけが正善にとって救いだった。


「今回の事件は、賭博や麻薬みたいなものだ。違法だと分かっていても欲望に負けて手を伸ばしてしまう。一番いい方法は復讐代行という存在を世間に知られないことなのだが、それももう叶うことはない。傷害事件が何度も起きれば、仮想不適合症患者を増やす要因になりうる。だからなんとしてでも解決したい。だが、一向に解決の糸口が見えないんだ」


「そっか。それはとても大変だね」


 奏音はそう言って、正善の体を抱きしめた。正善は奏音の温もりを感じ、自身もまた彼女の背中に手を添える。


「私ね、マサくんがいてくれて本当に良かったって思ってるんだ。すごく嫌な目に遭って、人なんて信じることができなくなっていた。でも、マサくんが毎日のように家に来て、私を元気付けてくれたから私はもうちょっと頑張ってみようと思ったんだよ。毎日コツコツと仮想不適合症の克服に向けて頑張れているのは、あの時のマサくんが毎日コツコツと私を元気付けてくれようとしたことに感化されてだと思うの。だから私は何があってもマサくんを幻滅したりなんてしない。すぐに解決できなくても、昔みたいに毎日コツコツ頑張ろうよ」


 彼女の言葉が正善の心を満たしていく。先ほどまで抱えていた闇が少しずつ消えていくのが分かった。正善にとって奏音という存在はいつまで経っても愛しく癒される存在だった。


「ありがとう。奏音にそう言ってもらえて嬉しいよ」


「これくらいのことしか私にはできないからね。せめて捜査に役立つ手助けができればいいのだけど、私はメタアースには入れないから」


 奏音は参った表情を正善に向けた。しかし、彼の意識は奏音へと向いていなかった。彼女の言葉に何か引っ掛かりを覚えたのだ。


 これまでの流れが正善の頭の中を永遠と駆け巡る。復讐代行の解決の糸口は今までの中に隠されていたのだ。


 点と点が徐々に線になっていく。正善は「そうか!」と思わず声を大にして叫んだ。部屋に響く彼の声に奏音は驚いた。


「ありがとう。そうだ、毎日コツコツやれば、きっと復讐代行を止められる」


 正善は驚いた彼女に構うことなく感謝した。今の彼は崩壊したパズルが完成したことの喜びに満たされていたのだ。


 6


 メタアースを照らす月明かり。星々が綺麗に輝く空とは真逆に、今日もまた不吉なことがこの世界で起ころうとしていた。


 人気のない夜道を歩く女性の後ろから迫り来る怪しい影。足音を立てないそれに女性が気づく様子はない。


 影はポケットにしまった手を外に出す。暗闇に光る白銀の刃。女性との距離を近づけるために足早になっていく。先ほどまで静かだった足音が鳴り始め、女性は自分とは違う足音の存在に気づいて身を凍らせた。


 しかし、時はすでに遅かった。それに気づき、彼女が後ろを振り返る前に白銀の刃が彼女の背中を捉える。「うっ!」と女性は呻くと腹にゆっくりと手を添える。影は突き刺した刃を抜いていく。こぼれ落ちる赤い液体が彼女の手にも浸透していく。


 予感が実感に変わった時、彼女をひどい激痛が襲った。立つことがままならなくなり、ゆっくりと崩れ落ちていく。


 やがて彼女の体は光り、この世界から消えていく。彼女はこの仮想世界で死んだのだ。

 影は達成感を感じたのかその場に立ち止まる。


 今回で3回目となる復讐代行。徐々に人を殺すことに慣れていく自分に驚いていた。最初は刺すことすら躊躇っていたのに、今はそんな気は全く起こらない。仮想世界だからいいもののもし現実世界で同じことをしてしまったらと思うと鳥肌が立った。


 撤退しようと一息つくと刃物をポケットにしまった。

 刹那、彼の前が明るく照らされる。暗闇から唐突に光が漏れたことで、眩しさゆえに腕で顔を伏せた。その腕が何者かに掴まれる。


 反応した時にはすでに取り返しのつかないところまで来ていた。影の体が持ち上がり、手技を喰らう。背中を強く地面に打ち付けられ、声にならない叫び声が上がる。しばらく立ち上がることができなかった。


 もがいている影の前にもう二つの光が灯る。それはリープ時に出るエフェクトだった。


「貴様が復讐代行者だな。銃刀法違反、及び傷害罪で現行犯逮捕する」


 現れた刑事、響 正善はそう言って影である男性の両手に手錠をかけた。そして、彼は最初に現れた光に笑顔を向ける。


「ありがとう、奏音。お前のおかげで無事に捕まえることができた」


 そう。最初に加害者の元に現れたのは奏音の『リモートアバター』だった。


「どういたしまして。マサくんの役に立ててよかった」


 奏音は正善の表情に同調するように頬を緩めた。

 あの夜、正善が閃いたのは『リモートアバター』を使っての犯人の捕獲だった。


 奏音のような『仮想不適合症』の患者にメタアースのオブザーバーを担ってもらうことにした。強制ログアウトは救急隊員に通知される。その際にどこでログアウトしたのかをオブザーバーにも知らせるのだ。オブザーバーはログアウトした位置をログインの場所として『リモートアバター』でログインする。そして、コントローラーを使って、目の前にいるナイフを持った犯人を取り押さえるのだ。リモートアバターには知覚機能は存在しない。それゆえに多少の暴挙があってもユーザー自身が損傷を負うことはない。


 復讐代行を止める唯一の方法は刺したところを取り押さえ、銃刀法違反及び傷害罪で現行犯で逮捕することだった。これにより、復讐代行の報酬よりも高い罰金が加害者に課される。被害者が出てしまうのが難点ではあるが、これを続けていけば、復讐代行は高リスク低リターンになる。そうなれば、復讐代行をやろうなんて者は減ってくることだろう。


「これで10件目の逮捕だね」


「ここ最近は事件数も減少している。コツコツやれば、いずれ限りなくゼロになるはずだ」


 まだまだ道は長い。しかし、一歩ずつ確実に事件を抑制することができている。復讐代行が解消されるのは時間の問題だろう。


「私、また誰かの役に立ててすごく嬉しい」


 奏音を含めた仮想不適合症の患者も最近は活気に満ち溢れていた。皆、また社会貢献ができるようになって喜んでいる様子だ。


 こうして、正善はメタアースの治安を守ることに成功した。復讐代行の事件数は毎日少しずつだが、着実に減っていくこととなった。


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