〜シコッペッ流域〜
パキッ
パチパチッ……
火は、熾火となっていた。
いつの間にか寝入ってしまっていた様だ。
夜明けの薄明かりで周囲が見えてきた。
熾火が消え切る前に道中の無事を祈った。
そして完全に火が消えたのを確認してから出発をする。
相変わらず足元も悪く、周りを見ても同じ景色が続くので、さすがに疲れの色を隠せない。
ウタリテは、そんなカンナの様子に気づいた。
「これから向かうコタンは、チェプオハウがうんまぃんだぁ〜」
魚の他にフキやタケノコなど⾊々な⼭菜やキノコなどが入った食べ物だそうだ。
「そうだ!魚と言えば、これから行く場所なんだけども。こんな逸話があるんだよ」
昔々のお話。
とある神が、それはそれは美しい湖を作ったそうだ。
湖には何も住んでいなかったので、そこに魚を放したのだが
底の深い湖だったそうで、神はうっかり足を滑らせて溺れてしまい、驚いた拍子に股間を濡らしてしまった。
「…。」
「まぁ、聞けって」
渋そうな表情を浮かべるカンナに、ウタリテはおどけながら話を続けた。
魚たちはそれを見て思わず笑ってしまった。
怒った神は、全ての魚たちを海へと放り投げてしまった。
しかし
1匹だけ難を逃れた魚が居た。
その魚は大きく育ち、やがてウサギやキツネ、鹿、熊までも丸呑みするほどの大きさになったという。
船をも沈めてしまう巨大魚に
湖を渡りたいアイヌは、ほとほと困り果てていると、事態を見兼ねた別の神が金色の槍を持ってやって来て巨大魚を退治しようとした。
ところが
魚の力は強く、湖の底に引き摺り込まれていなくなってしまった。
アイヌたちは自分たちを救おうとしてくれた神は必ず戻ると信じて
毎日、湖に通って祈りを捧げていた。
いつの日か、湖の底から巨大魚がみじん切りになって浮かんできた。
すると、どうしたことか。
切り身は小魚に変わり、大きく育ちすぎることも無く散り散りになっていったと言う。
「その伝説の謂れとなったのが、このシコッペッ流域だ」
目の前に映ったのはとても広く大きな清流で、時折、パシャっと魚が跳ねた。
シコッペッ流域のコタンは
ウタリテの住むコタンより大きめで、チセ【家】の数も多い。
「お兄ちゃーん!」
遠くで手を振る人物が見える。
ウタリテは片手を振り返した。
「久しぶりね!お兄ちゃん。それと…?」
元気の良い声の女の人だ。
ウタリテの影に隠れてしまい、よく見えなかったがひょっこりと顔を出してこちらを見て首を傾げていた。
「あぁ、カンナだ。こっちは妹のアシカエッテ」
紹介されて小さく会釈をするが、彼女は名前を聞いた途端に眉間に皺を寄せて悩ましい表情へと変わった。
「カンナ…?貴方を名付けた人は相当見る目が無いのね。」
「どうして?」
名付けをしたのは兄のウタリテなのだが…雷が落ちた先で倒れていた人物ゆえにカンナ【雷】と言う安直な名前だからか?と、カンナも首を傾げてしまった。
「え?だってあのカンナカムイ【雷神】からの由来なのでしょう?カンナカムイと言えば、傲慢で強欲で短気。貴方の振る舞いから見て、まるで正反対なのよ? ……あんなに有名な伝承を知らないなんて…」
まぁ、見た目は派手ね。
彼女はカンナの頭の上から足の先まで何度も見回してそう呟いていた。
「傲慢で強欲で短気…。」
悪口の三拍子を聞いて、そんな神様の名前だったのかと、カンナは何とも言えない表情を浮かべながらウタリテを見た。
そんな2人のやり取りを見ていたウタリテは、妹の悪意のない手厳しい言葉と、カンナへの申し訳なさを抱えて心の中で謝っていた。
「ぁーうん。えーと…イヨノは今は不在…か?」
ウタリテは一生懸命話題を逸らそうとしていた。
「夫なら今は狩りに出てるわ。」
「そうそう!お兄ちゃんが来たら話そうと思っていたの!」
質問に答えてすぐに、ソレよりも先に話さなければならない事を思い出してつい大声が出てしまった。
「実は、ここしばらく狩りが上手く行っていないの。うぅん。狩りだけじゃない、魚もほとんど獲れないのよ」
「あー、皆んな弓の腕でも落ちたのか?」
「違うわよ!」
ハハハっと能天気に返事をするウタリテに対して、話を聞いて欲しそうにアシカエッテは怒っていた。
「このコタンではね、いつも狩りをする前にけもの道の先にある御神木にお祈りをしてから向かうのだけど…その御神木に黒蛇がすみついちゃったの。」
「はーなるほど。蛇の一匹や二匹、追い払ったってどうってことないんじゃ」
「それが出来ないのよ」
アシカエッテは困った表情を浮かべた。
『だって
御神木は無数の黒蛇に覆われてしまったんだもの。』




