第9話 急ぐ旅でもないのだし
目覚めたら朝である。否、昼である。
「今日も寝坊した……っ」
すでに日は高く上り、午前10時くらいの雰囲気だ。
ただし、今日は隣のベッドでおじさんも寝ている。二人してお寝坊だ。原因は明らかに昨日の夜更かしだ。
昨日、私達は早めの夕食を済ませた後、早々に部屋に引き上げた。
夜はまだ長く、寝るにしてもまだ早いので、まずは私のマジックバッグを作ってもらった。既製品の鞄に魔法をかけるだけだったので、マジックバッグはあっという間にできた。
中を覗くと普通の鞄のように見えるけど、試しに服を入れてみるとスルスルと全部入っていく。なのに鞄の体積は変わらなかった。何とも奇妙な感覚だ。
しかも、一度ふたを閉めて別の物を入れようと開けると、さっき入れた服は影も形もない。この服を取り出そうと考えながらふたを開けると入っている。これ、何を入れたか忘れたら大変なのでは?
おじさん曰く「違う時刻に物を収納しているだけ」とのこと。1秒のところにはリボン、2秒のところには靴下、3秒から8秒にかけてスカート、みたいになってるらしい。使う時間を増やせば大きい物も入る、とのこと。だから、鞄の中では時間も経過しないらしい。なるほど?
一旦風呂休憩を挟んだ後は、私が文字も読めるようになったら便利だということで、g○○gleレンズのような物を再現できないかとあれやこれやと試行錯誤していた。
私がどんなものかを説明すると、おじさんはこの世界の技術や魔術で実現できそうな方法を考え出した。
「レンズ上に映像をオーバーレイして……網膜上で像を結ぶように……」
さすがにスマホみたいな装置を作るのは無理っぽかったので、とりあえず眼鏡型にして、そのレンズ上に翻訳を表示するという方向性は決まった。おじさんの手持ちの眼鏡のストックで試作してみたけれど、レンズが近すぎてぶっちゃけ何が映っているのかさっぱり見えない。
「調整が難しいな」
そう言って諦めて寝た時は、たぶん深夜12時をすぎてたんだと思う。時計が無いから正確には分からないけど。
そんなわけで、だいぶゆっくりと起きたのだけど、意外と体力は回復した気がしなかった。わりと全身がやんわり痛い。筋肉痛だ、これ。
きしむ筋肉を何とか動かして、おじさんが起きる前に着替えた。そういえば、クリーニングどころか普段の洗濯もどうするんだろう。あとでおじさんが起きた時に聞こう。
寝乱れたベッドを整えているうちに、おじさんも起きた。
「ああ、もうすっかり昼だな。アンは朝食はどうした」
「私も今起きたところだよ」
「では、女将に何か軽く用意してもらおう。それが済んだらここを立つとしよう」
「はーい」
チェックアウトしようと受付へ向かうと、昨日のお姉さんが本を読みながら控えていた。
「おはようございまーす」
「はい、おはようさん。よく寝ているみたいだったから起こさないでいたけれど、それでよかったかね?」
「ああ、構わない。そろそろ出ようと思うのだが、いくらだ」
おじさんが財布を手にする。
すると、お姉さんは困ったように首を振った。
「それがね、ちょっと今日は外に行かないでおくれと軍から要請があってね。ああ、追加料金はいいよ。軍の都合なんだから、そっちに払ってもらうさ」
「何かあったのか」
「邪竜退治だとさ。なるべく街に被害が出ないようにはするけども、万が一ということもあるから、今日は屋外に出ないで一日籠もっていろとのお達しさ」
そう言って、お姉さんは受付台の下からペラリと紙を取り出した。
「掲示するように依頼されたけれど、客なんて軍関係者以外はおたくらしか泊まってないからね。貼っても無駄さ。持って行ってもいいよ」
お姉さんがカラカラと笑う。
おじさんはその紙を受け取るとクルクル巻いて鞄に仕舞った。
「では、ここにもう一泊することになるか。急ぐ旅でもない、アンもそれで良いか?」
「いいよ、むしろ大歓迎かも」
全身筋肉痛がわりと痛いので。絶対、昨日山道をめっちゃ歩いたせいだ。
「承知した。ところで、食事は頼めるだろうか。食材の仕入れに支障はないか」
「ああ、今朝事前に軍から頼まれたからね。今日の分はもう仕込み始めているさ。今からだとメニューは少なくなるけど、すぐ準備できるよ」
「では頼む」
「はいよ、では食堂へどうぞ」
促されて入った食堂は、昨日の印象より広く見えた。
「こんなに広かったっけ?」
「ああ、昨日は軍の連中がいたから、だいぶ印象が違うな」
がらんどうな食堂の大きなテーブル席に、おじさんから一つ席を空けて座る。ソーシャルディスタンス。
「ふだんはお客さんあんまりいないのに、なんでこんなに広いんだろう?」
「姪っ子ちゃん言ってくれるねえ。はい、メニュー」
今日は女将さんじゃなくて、受付のお姉さんがメニューを持ってきてくれた。
「宿の方はいつも閑古鳥が鳴いているけど、食堂の方は毎晩近所の連中が来て宴会やってるんだよ。メニュー見て、やたら酒の肴が多いと思わなかったかい?」
思わなかったです。だって文字が読めないから。
確かに、たぶん流暢にこの国の言葉を喋っているように聞こえたら、文字も読めるって思うよね。
どうしよう、と思っていたらおじさんが助け船を出してくれた。
「アンはマルクト王国出身なんだ。だから、セフィラム語は話せても、読めない」
また設定が増えた。しかも新しい単語が出てきた。何、マルクト王国って。おじさん、後で教えてよね。
すると、お姉さんはハッと悲しそうな顔をした。
「ああ、マルクト王国の……そりゃ悪いことを言ったね。メニューだけど、定食なら梅、アラカルトなら左半分のページのがすぐに出せるよ。ダアトのあく……おじさんなら読めるだろう?」
「ああ。しかしそれなら梅定食を二つ頼む」
「はいよ、しばしお待ちを」
お姉さんはメニューを持って「母さん梅二つー!」と言いながら厨房の方へ下がっていった。
お姉さんと女将さん、親子なんだ。
ふと、自分も両親が恋しくなった。本当に、私と同じようにこの世界にいるのかな。いたとして、見つかるのかな。
服の下に付けていた形見のペンダントを取り出して眺める。金色の反射が眩しい。
「それに彫った文字は、古代マルクト文字だ」
横を見ると、おじさんがこちらを見ていた。
私は視線をペンダントに戻す。
「ここに何て書いてあるのか知りたくて、お母さんに聞いたのが全ての発端だったの」
「間接的には、それを作った俺のせいだったか。すまない」
そう言って、おじさんは私の頭をグリグリと撫でた。やめて、髪が乱れる。
「そこに彫ったのは古い呪文だ。読むとまずいから、意味だけで許してくれ。より良き世界になりますように……そんな意味だ。まあ、おまじないだな」
「そっか……」
頭の上のおじさんの手をぺいっとはがして、髪を整える。
おじさんは、どんな『より良き世界』を望んでいたんだろう。そして、それは叶ったのだろうか。叶わなかったから捨てたのかな。
ちょうどそこへ、両手に定食を持ったお姉さんが戻ってきた。
「ほい、梅定食二つお待ちどおさま。おまけでプリンを付けておいたよ」
「ありがたい。アン、甘い物は好きか」
「好きだけど、太るからおじさんの分は自分で食べて」
「そうか……」
もしかして、おじさんは甘い物好きじゃないのかな。
……そんなことはなかった。定食の最後に、プリンまでちゃんと食べてた。
それにしても、この世界と地球は食文化が似ていて助かった。プリンはちゃんとプリンだった。
もしも口にするのに抵抗のあるビジュアルの食べ物だったら、異世界生活は早々に詰んでたかもしれない。
「さて、今日はどうするか。外に出られないなら、ぐるぐるレンズの続きでも考えるか」
「ぐるぐるじゃなくてg○○gle……ぐるぐるレンズでいっか。それよりも洗濯ってどうするの」
「ああ、それはな……」
おじさんは何か言おうとしたけれど、ハッと険しい顔をして急に私を抱きしめた。違う、覆い被さった。
次の瞬間には轟音が響いて、衝撃波が襲ってくる。
破片がパラパラと降ってくる中、おじさんの下からそっと顔を出すと、さっきまで壁だった所に空が見える。
「何が起きたの!?」
壁から天井にかけて大きく開いた穴から、いかにもドラゴンな見た目の大きな黒い生物が、こちらを覗いていた。