第1話 かくして異界の門は開かれた
異世界、というものを知っているだろうか。
そう。トラックに轢かれたり風呂で溺れたりして、気がついたら転生していたり召喚されたりしているアレである。多くは自称中世ヨーロッパ、実態はたぶん近世、の文明に良く似た、この世界とは異なる世界のことだ。
では、異世界が存在すると信じているだろうか。
たぶん、真面目に存在していると主張すれば「お前、ラノベの読みすぎでは?」と心配されること請け合いである。
しかし、うちの両親は主張してしまったのだ。
それもこれも、三年くらい前に私が拾ってきたペンダントのせいである。
金色で5センチメートルくらいの円盤のペンダントトップに刻まれた見たことのない文字を、翻訳してくれと母に渡したのが発端だった。
「杏ちゃん、これ、どこで拾ったの?」
「学校の近くの神社のとこだよ。あとね、それ拾ったんじゃなくて、突然目の前に現れたんだよ」
小学生だった私は、馬鹿正直にそれを見つけた時のことを母に話した。盗んだりしたものではないと主張したかったのだが、今にして思えば空間に突然現れるなど怪しみの極みである。
普通の親だったなら「そんなわけないでしょ、元の場所に返してきなさい」とでも言うのだろうけど、幸か不幸かうちの両親はワームホールの研究者だった。
空間から突然現れたという現象に、母は大いに食いついた。後に父も加わり、両親はペンダントの分析を始めた。
すぐに、見たことのない文字は、地球上に存在しない文字であることは分かった。しかし、デタラメではなく、規則性がありそうだということも分かった。
「もう少し、詳しく分析してみたいな」
そう言って、父は大学の研究室にペンダントを持って行った。分析器にかけたところ、おそらく純金製であろうことと、それにしては未知のノイズが多いという結果が得られた。
母の解析によると、電磁波ではない未知の波動が放射されているのではないかということだった。
「宇宙に存在する未知の物質をダークマターと呼ぶのに倣って、ダークウェーブと呼ぶことにしたわ。でも、これは何となく魔力波とか、そういうものじゃないかという気がするの」
ある日、母が内緒話をするようにそう教えてくれた。
そんなまさか、と私は思ったけれど、両親はだんだん取り憑かれたように、ペンダントの研究をするようになっていった。
親戚から聞いた話だけど、この頃にはもう両親は「異世界が存在する証拠を見つけた。あとはワームホールを繋ぐだけだ」と言っていたらしい。
やがて3年が経ち、そして、Xデーがやってきた。
やたらとサイレンがうるさいなとは思っていた。
両親の在籍している大学の、少し離れたところにある実験室で爆発があったと、夕方のニュースで知った。
その日、両親は帰ってこなかった。
後日、あのペンダントを両親の形見として受け取った。
両親の葬式に、遺体はなかった。
「変な研究してると思ってたのよ」
それが親戚から両親への評価だった。
「怪しい金属の円盤の研究ばっかりして」
「そうは言っても純金製なんでしょお? 売っちゃえば良かったのにい。なんであげちゃったのよお」
「あの子にとってはたぶん、ほとんど唯一の両親を偲ぶ物でしょう。渡してあげないと可哀想だわ」
「ここ一年くらいは平日は研究室に寝泊まりしてるって言ってたものねえ」
「それにしても、奇妙な事故だったわね。遺体どころか、着ていた服の欠片も見つからなかったのでしょう?」
遺体のない葬式を終えて、私は自室に戻った。階下では親戚達が集まって、何やら盛り上がっている。
「うちにはもう、育ち盛りの男子が二人も居て……」
「うちの子はお受験を控えていて……」
今は、私を今後どうするのか話し合っているのだろう。どこの家が引き取るか、ずいぶん長いこと結論が出ないでいるようだ。
男子よりは控えめだと信じたいが、育ち盛りの中学生女子である。あまり歓迎されないようだ。
「どこの家に行くことになるんだろう……」
ペンダントを手にしたまま、ベッドに仰向けに倒れた。母が生きていれば制服が皺になると怒られそうだ。
「母さんが、生きていたら……」
自然と両親が死んだと受け入れている自分にショックを受けた。
「いや、遺体もないのに納得できないよ……」
頭の中がぐるぐるしている。
その時、私は天啓を得た。
「うちの両親は、何の研究をしていた……金属板の研究じゃない……異世界へ行く方法の研究者だった……」
遺体がない。当たり前だ。きっと両親は異世界に行く実験に成功したのだ。だから、こっちの世界をいくら探したって遺体があるはずがない。
「『あっち』の世界に、お父さんとお母さんが、生きてる」
冷静な私が『あっち』ってどっちやねんと脳内ツッコミを入れているけど、でもそう思っていた方が、きっと良い。
きっとそうだ、とりあえず寝て起きれば冷静になれるはず、と私は目をつぶった。
それから何時間たっただろうか。
目を開くとそこは自室のベッドの上ではなく、どこか見知らぬ場所の草むらの上で、見知らぬ髭もじゃのおじさんが、私の顔を覗き込んでいた。