本音と建前
1501年(明応10年) 2月 川俣正充
(話し声が聴こえる…誰だ?)
「良いか!六郎、四郎!弟が帰って来たらやはり確認せねばならんのだ!」
(……何の話だ?)
「最近の弟の行動は目に余るのだ!武家の人間でありながら好き勝手に行動し、私欲を満たす為に父や母を諭しているのだ!これは、許されざる事よ!」
「「そうだ!」」
(……)
「弟ならば、兄を立てるべきであろう?そして、兄である俺が次期当主として動くべきだ!それなのに、あの阿呆はそれを否定しおったのだ!」
(……!)
「次期当主というのは…兄たる俺が継ぐのが普通だろう!なのに、何故それが違うのだ!この伊勢にあるどの武家も兄が継いでいるでは無いか!」
(これが…噂の原因だったか……。しかし、お前を当主に渋らざる負えない原因は…お前が作っているのだ。それに気付かぬうちは…当主に出来ぬのだ。当主は感情的になってはならんのだ。どんな時でも、冷静でなくてはならんのだ)
「弟君は些か増長が過ぎましょうぞ!」
「そうだ!四郎の申する通り、某も同意に御座る!」
「よう言った!六郎、四郎!」
(野田四郎と河辺六郎か…内丸を煽動している原因はこいつらか。さて、どうしたものか…。二人共、我が家の重臣の嫡男……。ぞんざいに扱う事は許されぬ…)
「されど、後10年程で俺が当主となるのだ!それまでに家中を掌握すれば…もう、阿呆を好き勝手にはさせぬぞ!兄に口答えするなど…言語道断だ!」
「そうだ!」
「弟ならば兄が右を向けと言えば右を向くのか道理でありましょう!」
「ハハハ!その通りだ!俺達をこんな気持ちにする原因は…全て楠十郎に原因があるのだ!悪いのは楠十郎よ!」
(参ったな…どうにか和解の方向に持っていかねば……。何方が当主になっても血が流れるぞ。この溝が家臣団にまで広がる前に…なんとか終わらせねばならん。さて…どうしたものか……)
1501年(明応10年) 2月 川俣内丸
「内丸…ここに呼ばれた理由は分かるか?」
「い、いえ…分かりませぬ。」
(あの話し合いが終わって直ぐに…呼び出される等、聞いていたとしか思えぬ。まさか…聞いていたのか?どこから?)
「…そうか、では改めて言おうか」
ゴクリと唾を飲む音が鮮明に聴こえた気がした。
「単刀直入に言って、貴様は弟を誤解しているのだ」
(まただ…父上は何時になったら理解してくれるのだ。その話はもう何度もされた…楠十郎が伊勢神宮に行った時からずっとだ。何故、俺ばかりこうも言われ続けられなければならぬ)
「貴様の弟は、ただ…子供心で動いているのであって、内丸が嫌いな訳ではないのだ」
(では、どうして…楠十郎は俺にあの冷たい目を向けるのだ。まるで、俺を哀れな穢多であるかのような……蔑み、路傍の石を見るような目で!可笑しいではないか!そして、それを知らぬのは…父上の前ではそれをしていないからなだけよ!父上、楠十郎の本性を知らないのだ!)
「ただ…楠十郎の行動が子供心故に好き勝手に生きているように見えてしまって居るだけなのだ…。内丸にも、そのような時期はあったのだ。だから、多めに見てやってくれぬか?」
(……ふざけるな。そんなものは言い訳だ!では、俺のこの気持ちは…どうすれば良いのだ!)
「どうした?」
「いえ、分かりました…。父上の言い付け通りに致しまする」
(もういいや…父上が理解するまでは……こうしておこう。どうせ、私が反論したところでそれは違うと言うのだろう。いざとなれば…母上ならば分かってくれるだろう。取り敢えず…後一週間もすれば母上がお帰りになる。それまでは…父上にバレる心配もあるだろう。ならば…暫しの間黙っていよう。あの者達にも言っておかねばな)
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「四郎、六郎…残念だが、父上に俺達の行動が勘づかれたらしい」
「なっ!?」
「そんな!某達は…何時も、バレないように上手くやっていたはず…」
「それでもだ…。バレていないかもしれぬが、そのような素振りをみせていたのだ。だから、今後は俺が誘うまでは心の内に控えておくのだ。今は…耐えるのだ。耐えれば、必ず時がやって来る」
「はっ!」
「必ずや…俺が当主となって、正当な人間が正当に褒められるようにせねばならんのだ。そして、不当な人間には鉄槌を下さねばならんのだ!」
「「ははっ!」」
(今は…精々、好き勝手にしておくのだな。必ず、貴様に鉄槌を下してやる…)
1501年(明応10年) 2月 野田右馬助充俊
「それで、相談とはなんじゃ…右馬助殿」
「それはだな…安房介殿」
(正面に居る河辺安房介賢秀殿には…何時も世話になっているな。故に、出来れば…迷惑はかけたくないのだが…こればかりは最早俺に捌ける問題ではないのだ)
「安房介殿、佐渡守殿…実は、某…内丸様の事で少々困っておりましてな」
「内丸様の事で何か?」
「最近、内丸様の周りで良くない噂が耐えなくてな…。守り役として、どうにかその噂を払拭出来ないかと思ったのだが……いい案が浮かばず、困っていたので御座る」
「噂と言うのは…やはり?」
「若殿が楠十郎様を敵視しておいでの噂に御座いまするか?」
「そうなので御座いまする…佐渡守殿。某は何度も、内丸様に確認致しましたが…そのような噂は事実無根であると仰っておいてででした。しからば、良くない噂は早急に消さねば…それが思わぬ火種となってしまうやも知れませぬ」
「確かに」
「内丸様と楠十郎様との間で争われては…やがて関氏に良いようにしてやられますぞ」
「安房介殿の言う通りに御座る。それは避けねばならぬのです」
「ならばこそ…慎重かつ、迅速に対処せねばなりませぬな」
「左様…そこで、何か良き事案は御座いませぬでしょうか?」
「申し訳ありませぬが今直ぐには出ませぬなぁ……」
「某、一つ思い付きましたぞ!」
「何と!誠に御座いまするか?安房介殿」
「武芸を某と共にすれば、きっと…疲れでそんな噂が立つような事はありませぬぞ!」
「成程…確かに、武芸をしていればそれを見ている者も多いはず。そうすれば、それが証拠となって噂のような事はしていないという証明にもなるやもしれませぬな!」
「では、一つ…ここは殿に奏上してみては如何か?」
「おぉ!確かに!では、直ぐに奏上してみましょうぞ!」
「あぁ……!申し訳ありませぬ!某、殿より仰せつかった命令が御座ったのをわすれておりました。今直ぐに楠城下に向かわねばなりませぬ故…申し訳御座らん!」
「良いのじゃ、そのような時もあろう?某は右馬助殿と共に奏上してくる故、佐渡守殿は殿のご命令を優先なされませ」
「…有難い、では…某はこれにて、御免!」
(しかし、良かった…これで内丸様の名誉を回復出来るぞ!この調子で、内丸様が立派な武士になれるようにしていかねばならんな)
1501年(明応10年) 2月 和田佐渡守充信
(やれやれ、付き合ってられんな。あの馬鹿殿を育てようなど無理な事よ。出来もしない事に頑張ろうとは…哀れな男達だ。そもそも、ろくに政務を鑑みようとしない人間に当主が務まる訳が無かろう。政務が苦手な殿とて…最低限はやってくれている。それでも…もう少し、励んで頂きたいという気持ちは…まぁ、あるが…。それでも、無い訳では無いのだ。だが、馬鹿殿は駄目だ。当主という権力に縋って真に好き勝手振る舞いたいと考えているのは内丸様本人である事に何故気付かぬ!それが気付かぬ以上は…殿とて、許しはしないだろう。それに比べて楠十郎様の飛躍振りは目を見張るものがある。全く、家中の者共は…目が節穴では御座らんか?悪い部分は補おうとするのではなく、切り離し…足りないところは良い部分を伸ばす事で補えば良いでは無いか。全く、何故そこに気付かんのだ)
「我らのような国人ならば当たり前の事であろうに…」
(どれだけ、危険を減らして…実利を掴むかが生き残る最前の手段なのだ。そこに気付かん以上は…あの者達に待つのは破滅に近いものであろうな。世の中には、救えぬものもあるというのに気付くべきだ!全く…)
「まぁ…良いわ」
(どうせ、後一週間程度で楠十郎様は帰城するのだ…。そうだ、殿に掛け合って俺を楠十郎様の守り役にして貰おう。そうすれば…更に近付く事が出来る。こうやって、徐々に近付いていき…同時にそこではあたかも何も無いかのように偽装をしておく。ふん、家中の者達全員が敵に回って粛清されるならば好都合…その分だけ、事後の俺の立ち位置が上がるだけよ)
「さて、そうなれば…今直ぐに奏上しておくか」
「あ!佐渡守殿では無いか!もう、仕事は終わったのか?」
(チッ…面倒な奴が来たな)
「あぁ、存外に早く終わってな。何とか、上手く行ったぞ右馬助殿。其方の方はどうだった?」
「いやぁ……何とか、某の方も上手く行きましたぞ!」
「そうですか、では…某は報告があるのでこれにて」
「あぁ、そうでしたか…引き留めてすまなんだ」
「いえ、それでは」
(ふぅ…本当に面倒だった。意味の無い者の為に頑張ろうとする人間は本当に分からぬ。そんな者と同じ空気を吸っているだけてうつりそうだ)
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「殿、佐渡守に御座いまする。入っても宜しいでしょうか?」
「おう、佐渡守。如何した?」
「はい。殿に折り入って頼みが御座いまする」
「ほぅ?どうしたのだ…そんなに畏まって」
「某…出来ますれば、楠十郎様の守り役を務めとう御座いまする」
「ほぅ?それは、何故?」
「理由は幾つか御座いまするが…某は楠十郎様が居られる間は日夜共に政務に関しての話をしておりまする。そこで、楠十郎様と政務に関してもっと話してみたく…また、某が師事する事によって…どれ程成長するのか、見届けとう御座いまする」
「成程。しかし、守り役にするのは後3年か4年先で良いのでは無いか?」
(よし、出だしは悪くない)
「いえ、今からする事に意味があるので御座いまする」
「それは…何故だ?」
「政務を若い頃より経験しておけば、直ぐにでも殿のお役に立てるのでは御座いませぬか?そうすれば、政務を楠十郎様に任せ、殿は戦に専念が出来る…願ったり叶ったりでは御座いませぬか?」
「確かに…俺は政務よりも戦の方が得意だしな。それに、その方が気楽ではある。しかし、童子にそんな負担を背負わせて良いものなのだろうか?」
(よし、乗った!後は此方に手繰り寄せれば…釣れる!)
「その辺は某にお任せ下され、あくまで、元服するまでは簡単な事を楠十郎様にお任せ致しまするので…難しい事は某が処理を致しまする。そうすれば、楠十郎様は経験を積めてなおかつ、軽いものですので、そこまで責任を感じる事も御座いませぬでしょう」
「成程…確かに、それならば」
(よし、ここで、とっておきの秘策を叩き込んでやる!これで、決まったも同然よ!)
「それに、最近…若殿と楠十郎様のご関係が宜しくないという噂がこの城内に耐えませぬ。そこで、先程右馬助殿に聞いた話では御座いまするが…若殿に武芸を楠十郎様に政務をやらせる事で、一定両人共に忙しく疲れさせる事で…そもそも、喧嘩などが起こる事がないという状態にさせる事により噂も…根も葉もないというものになっていくでしょう。また、物理的な距離を話す事でも…お互いが冷静になる時間を作り出し…気持ちを整理して、お互いの和解を自ら進める第一歩になる"可能性"が御座いまする」
(そうだ、可能性だ。あくまで…可能性。ここで、失敗したとしても、言質をとらせない事で…責任から逃れる事は出来る!)
「ふむ……そうか、そこまで考えておったか……。ならば、そうよなぁ……」
「……」
(どうだ?最善の手は出し尽くしたが……どうか、上手く行ってくれ!馬鹿殿の後始末係だけは勘弁願いたいのだ。俺とて、武士なのだ…良い主君に仕えたいという気持ちはある。そして、馬鹿な主君に仕えたくないという気持ちもな……)
「まぁ、そこまで…考えているのならば、任せるとしよう」
「あ、有難き幸せに御座いまする!」
(良し!根は伸びた!この調子で、少しずつだ…。少しずつ、俺の居場所を移して行ければ良いのだ。さて、帰ったら楠十郎様に手紙を書いておこう。内容は…そうだな。今日も家中の者は何時も通りでありましたが…一つ変わった事と言えば、某が楠十郎様の守り役を拝命した事に御座いまする。こんなところか?さて……今日は酒が美味そうだ)
TwitterID:@Akitusima_1547