神託の童子
1501年(明応10年) 2月 川俣楠十郎
(祖父の前で…惨めな姿を晒してしまった。だが、大切な事を思い出させてくれた…。そうだ、将は揺れてはならんのだ)
「爺様、有難う御座いまする」
「良いのじゃ、楠十郎。それと、爺様などと…水くさい。儂はお爺と呼ぶが良いぞ」
「分かりました」
「それに、敬語も要らぬ」
「分かりまし……分かった」
「うむ。それと、渡したい物がある」
「渡したいもの?」
「これじゃ…」
「これは、勾玉…?」
「これは、沢田家に代々伝わる勾玉じゃ。その勾玉には天照大御神様の御魂が鎮魂されているという言い伝えがある」
「天照大御神の…」
「そうじゃ、一目で分かったぞ。楠十郎が神託にあった童子じゃとな」
「神託……?」
「そうじゃ、正確には…今朝みた夢じゃがな」
「夢?」
「まぁ、断片的にしか覚えておらんが…。取り敢えず、儂を尋ねるものに勾玉を渡さなくてはいけないという事だけは覚えていてな。それでじゃ」
「直感か」
「そうじゃ、直感じゃ」
「何とも、不確かなものに御座いますな」
互いに笑いあった。
(お爺にも…俺の生まれ変わった意味は分からなかったらしい。だが、その代わりにこの勾玉を手に入れた…。この白く光る勾玉には一体…何が隠されているというのだ。貴様なら…俺の知りたい事が知れるのか?)
「お爺、俺が元服したら楠城に着て一生に住まないか?」
「楠城か…。確かに、あそこは海も見えるしのう。良いぞ。楠十郎が元服する時に烏帽子親も儂が務めてやる」
「真に御座いまするか?」
「あぁ。爺に二言は無いぞ」
「有難う御座いまする」
「それと、楠十郎の従兄弟も紹介しておきたい。親正、宮丸を呼んで来い」
「はっ…!」
暫くして、軽快な足音が外から聴こえてきて、扉の近くで段々と静かになっていった。
「宮丸に御座います」
「入れ」
「はい」
「楠十郎。この者が、沢田宮丸じゃ。」
「お初にお目にかかりまする。沢田宮丸に御座いまする、以後…良しなにお願い致しまする。」
「此方こそ…。某は、川俣楠十郎に御座る。此方に控えるは家臣の下浦幸に御座いまする」
「幸に御座います」
「幸殿も、宜しくお願い致しまする」
幸が頭を下げた。
「爺、俺は少しこの社の下にある見世棚を見て回りたいと思うのだが…何か面白いものはあるか?」
「そうじゃのう……海老の弁当なんかはここら辺では珍味じゃぞ」
「成程、有難う…お爺。では、行ってくる。幸、ついて来い」
「は、はい」
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「ここが、見世棚か。時間をとって来るのは初めてだな。幸、見世棚は知っているか?」
「知りませぬ。兄様、見世棚とは何なのですか?」
「見世棚と言うのは、自分達が手に入れた物産や作ったものを見せて売り買いをするのだ」
「そうなのですか?」
「あぁ」
(ん?あの櫛……)
「幸、ちょっと待っていろ」
(あの櫛、幸に似合うやもしれぬな。それに、柄が良い。幾つか持って帰って量産出来ぬか考えよう)
「幸、この櫛をやる」
「良いのですか?」
「あぁ、お前のものだ」
「兄様、有難う御座いまする」
「うむ。幸、気になるものがあれば遠慮なく申してみよ」
「はい、兄様。では、あれは何で御座いますか?」
「布……?いや、これは…久しぶりにみたな。これは、越後上布という高級品だ。少し買っていくか」
(しめしめ、これを職人に研究させて…越後上布に似たものを楠城下で生産出来るように研究させられるな)
どこからともなく、腹の虫の音が聴こえて…その音がなった方向を向いた。
「幸、お腹が空いたのか?」
「あっ…いえ、これは……その、兄様……」
(なんと言うか…子犬みたいだな)
「良い、俺も腹が減ってきたところだ。どれ、どこかで飯を食うとしようか」
「はい……兄様」
幸の耳が微かに赤らんでいた。
「お…あれは、お爺の言っていた弁当では無いか?どれ、4人分買って来るか。」
「あ、兄様……」
「良い、これくらいは俺にやらせろ」
「……よし、買ってきたからあの木陰の下で食べるぞ」
「……頂きます」
割り箸の割れる乾いた音が空に響いた。
「……美味いな。どうだ、幸」
「美味しゅう御座います…こんなに、美味しいもの……初めて食べました」
幸の弁当に雫が零れた。
「これくらい、何度でも俺が食わせてやる。だから…今はたんと食え」
「……はい」
2月の寒空に少しの温もりが広がっていくのを感じた。
「なぁ……幸」
「ふぁい?」
「ははっ……食べてからでいいぞ。ゆっくり、よく噛むのだぞ?」
「……はい。何でしょうか、兄様」
「幸は、好きな事ややりたい事はあるのか?」
「……幸は、お人形を見てみとう御座いまする」
(……予想の斜め上を行くやりたい事だぞ。待ってくれ人形か……人形なのか?やりたい事が…人形?)
「そもそも、幸は人形が何か知っているのか?」
「はい、兄様。前にいたところの家で綺麗に飾っておりました」
「ふむ…」
「あれがもう一度見とう御座いまする」
「それならば…」
「あそこに売っているから探すといい。銭は気にするな」
「有難う御座いまする、お兄様」
「気にするな。決め終わったら屋敷に送っておくから、帰ったら遊んでいるといい」
「誠に御座いまするか?」
「あぁ、勿論だ」
「兄様、幸は嬉しゅう御座いまする」
「そうか、なら…良かった」
(今のところ…幸が政治や財政で役立ちそうにないが……まぁ、ゆっくりと考えれば良いか。焦って出てくるものでも無いしな)
1501年(明応10年) 2月 下浦楓
「権丸殿、そちらはどれ程人が集まりましたか?」
「此方は……無宿人で丈夫な男が10人程集まりましたが、其方は如何で御座ったか?」
「私の方は穢多の男が5人と非人の女が5人、無宿人の女が10人の合計20人集まりました」
「うむ、これならば殿もお喜びになるだろう。先程、殿より皇大神宮に戻ったと聞いたので…今日はこの辺にして報告に参ろうか」
「はっ!」
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「_______殿、以上が今日の成果に御座いまする」
「ようやった!権丸、楓!十分過ぎるぞ!」
(殿が大層お喜びになっている。良かった…喜んで頂けたみたいで…。幸もなんだか、ほくほく顔だし…きっと向こうでもいい事があったのね。後で話を聞きに行こうかな)
「その者達は今、何処にいる?」
「表の屋敷で待たせておりまする」
「そうか、ならば…今直ぐに会いに行く。全員、ついて来い」
「「「はっ!」」」
「それにしても、お前達二人にはかなり厳しい条件を行って幾つか試させたりもさせた筈だ…それなのに30人もの人間を連れて来るとは……。やるでは無いか、我が家臣として申し分ない働きよ」
「はっ!お褒めに頂き…恐悦至極に御座いまする」
(嬉しい。殿がとても喜んでいる。役に立てば…しっかりと褒めてくれる。前の主人とは全然違う)
「……この者達か」
「はっ!」
「権丸と楓の示した条件……そして、試練は苦しく辛かったと思う。それを耐えてでも…成し遂げたい事が、変えたい事が……貴様らにはあるのか?」
「おらは殿の元で腹いっぱい飯を食いたいだ!」
「おらもだ!」
「おらは、お武家様に成りてぇ!お武家様のように勇猛に刀を奮って……おらを追い出した奴らを見返してぇだ!」
(ふーん…?馬鹿な男)
「おらも、お武家様になりてぇだ!」
「なんだ…貴様らは武士になりたいのか?」
「はいだ!」
(男と女……合わせて20人、10人ずつか……。しかし、女が武士に成りたいとは…)
「女共、どうして…武士に成りたいと叫んだ?貴様らは何故…武士を志す?」
「おら達は…女は力がねぇだから、畑は耕せねぇって元いた村の村長に追い出されただ。それが…悔しくて、ならねぇだ。だから、見返してやりてぇだ」
(本当なら…武士は男の方が戦に仕えるが……今は、とにかく人が足らん。故に、男だろうが女だろうが…農民だろうが穢多だろうが志ある者ならば幾らでも欲しい)
「良かろう。ならば…我が手足となって存分に働け。男は権丸に従え、女は楓の元に従え。それと、その泥臭い服で家来を名乗られては叶わん。ここの風呂を使って良いから汚れを落として新しい服に着替えよ」
「はっ!」
「楓、権丸。それぞれの方に行ってこい」
「はっ!」
「あ、待て。すまん、代わりに幸…行ってこい。楓は暫し待て」
「それで、残る男5人と女5人。貴様らは…何の為にここまで死に物狂いでついて来た?」
「お、おらは…ひもじい生活から逃げれるなら、これくらいの事は屁でもないだ!ひもじい生活をもう二度としたくないだ!」
「そうか、他の男4人もそうなのか?」
「はいだ!」
「おらもだ!」
「そうか…ならば、同じ思いをする人間が今後増えぬように、俺の元でよく学び良い役人となるのだ」
「おらたちが…お代官様に……?」
「そうだ。そして、二度と…お前達のような人間を作らないような政治をするのだ。良いな」
「はいだ!」
「ならば、貴様らも着替えて来い」
(やはり、一番……訳ありの連中が最後に残ったか。さて、殿はどのように対処して行くのだろうか?)
「貴様らは…何故、非人となったのだ?」
「……飯に困って、盗みを働いているうちに捕まったんだ、です…」
「そうか…それでは、賊を率いていた事はあるのか?」
「恐らく…今もある、です。後ろの4人はその時に居た仲間だ、です」
「そうか…では、聞くが、飯が十分に食えるならもう、盗みを働かないと誓えるか?」
「……誓えまする」
「根は、腐っていないようだな…」
「では全員、俺の直属の兵として召し抱える。名は、何と申す?」
(何と!直属!殿は思い切りが良いのだな…。私なら、怖くて、とても…そんな事は出来ない。)
「元…長の香。」
「鈴」
「夏」
「花」
「梓」
「そうか……では、貴様らにそれぞれ…城門成子、南城正子、北城夏野、東城信子、西城楠子の名を与える。そして、貴様らは菊水近衛衆として、常に俺に侍り…その性の如く、鈴、夏、花、梓は四隅にて俺を守れ。香は門として最後の砦を担え」
「……はっ!ご配慮、有難う御座いまする」
「気にするな。丁度、自由に使える護衛が欲しかったのだ」
「はっ……」
目の前で啜り泣く声が聴こえた。日が傾き出した冬の空に、殿の吐息が溶けていった。
1501年(明応10年) 2月 川俣楠十郎
「さて、残った者も全員湯浴みに行ったか」
「はい……。その、殿」
「なんだ?」
「どうして…殿はあの場で5人の非人を直属の兵士にしたのですか?」
「それはな…恐らく、賊をやっている段階で人をそこまで信用出来ていない可能性もある。つまり、信頼の範囲がとても閉鎖的であり…排他的である可能性がある。とするならば…殿の直属にして育てるのが吉だな。幸い…賊をするくらいなのだ。潜伏や腕っ節はその辺の農民達より強いだろうな。そうなると……他とそこまで群れない、直属の兵士が妥当なのだ」
「成程……そこまでお考えでしたか…!」
「そういう事だ。楓、貴様も湯浴みに行って来たらどうだ?」
「しかし…」
「護衛なら気にするな。楓が行った後で一人近くに置いておく」
「……でしたら、お言葉甘えさせて頂きまする」
「うむ」
(さて、行ったか。それにしても、よくもまぁ…これだけの人間を集めたものよ。これだけの人間がいれば…今は十分であろう。後は、どう育てるかだな。その辺の事を帰路で考えておかねばならん)
「……ふぅ」
(結局、御用商人になりそうな者は居なかったな。だが…情報はそれなりに仕入れたぞ。そして、この伊勢の勢力図も大体把握出来た。先ずは…3年かけて、俺の独力で小城一つ落としたいところだな。そして、落とした城を俺の居城としよう。良く考えれば…楠城程度は長兄にくれてやっても良いな。どうせ、煽動して潰すのだからな)
「しかし、それをやると……母上が悲しむよなぁ」
(はぁ…憂鬱だ。流石に、あの母にこれ以上の気苦労はかけたくない。だが…明らかに邪魔なんだよな。長兄は……。如何したものか。悩ましい…)
「まぁ…時間はあるのだ。それに先にやる事があるしな」
(そうだ。先ずは独自の兵力とそれを補うだけの財力が必要なのだ。それを得ずして言える事はない。幸い、楠城下に港を作れば舟の寄港地に出来そうだし…海運を発達させる事は可能そうだな。そうなると、輸送がかなり便利になって来る。そして、舟を使って人やものを楠城下に集めるのだ)
「では…」
(帰城したら…商品の提案と港を作る事を佐渡守に相談するとしよう。後は…どうやって、兵の方を育てるかだ。それと…俺の家臣団に武士という概念は戦のみを行う根っからの戦人…つまり、戦士で政務には関わらない事や報酬は全て土地以外にする事を伝えねばならん。いや、そもそも土地を報酬に出来る程自由に使える土地がないのが実情ではあるがな)
「土地以外……?」
(待て、土地以外ならば…一体何を禄にするのだ?……あるとすれば、銭や屋敷といったところか?銭は良いな。よし、俺の配下の報酬は全て銭に決めよう。どれくらいでどの程度貰えるかも名文化しておくと便利そうだな。その辺の事もやっておくのは有りだな。よしよし、思考が回って来たぞ)
「……」
(では、銭とするならば唐土からの輸入銭が大量に必要だな。まぁ…銭の使いどころが政策をする上での投資だったり、交易・貿易だけでなく、報酬もなのだからな。これは、当たり前だろう。と、考えれば…益々商業の重要性が浮き彫りとなって来るな)
「さ……に…さ…兄さ……兄様」
「_______っ!?」
「ひゃっ!?」
驚いて、刀を抜きかけてしまった。
「す、すまん!考え事をしてしまって…つい、驚いて敵かと思ってしまった」
「うぅ…兄様、酷う御座いまする。幸は敵ではなかとで御座いまするよ?」
「あ、あぁ…以後、気を付ける。すまなかった。」
「それで、何か用か?」
「あ、あの…夕餉の支度が整いましたので…」
「分かった。では、夕餉に行くか」
(未だ…考え足りない事もあるが、まぁ…夕餉を終えてからでもかまわないだろう。時間は未だあるのだから)
ちなみに、楠十郎が見世棚を見ている間は護衛二人が馬に楠十郎と幸を乗せています。また、香はかおりと読みます。
TwitterID:@Akitusima_1547