楓と幸
1501年(明応10年) 2月上旬 伊勢街道 和田権丸
「……」
(また、殿が憂鬱な顔をなされている…。殿出会ってからずっとそうだ…一人で居る時は何時も憂鬱そうに遠くを眺めておられる。非才の俺には、このお方が考えている事は分からぬ…だが、何とかして殿を元気付ける事は出来ぬのだろうか?俺とて、一人の武士だ。初めての主君に忠義を捧げたい気持ちは家中の者達で一番あるという自負がある。だが…どうやれば、忠義を捧げられるのだろう…?どうすれば、このお方に認められるのだろう?このお方の憂鬱を晴らす事が出来れば、認めてくれるのだろうか?だが…俺にはその憂鬱の原因が分からぬ…)
「…と、殿」
声をかけると殿が振り向いた。
「なんだ、権丸」
(しまった…何も考えずに声だけかけてしまった……。こういう時、何を言えば良いのだろうか…)
「殿、殿がこの旅路の前に申しておりました…皇大神宮とはどのようなところなのですか?」
「あぁ…そんな事か。そうだな、そもそも…皇大神宮とは伊勢神宮の内宮と呼ばれ…帝の父祖たる天照大御神様が祀られているのだ。多くの人間は…天照大御神が祀られているのは伊勢神宮だと誤解しているがな」
「そうでないのですか?」
「違う。伊勢神宮とは…皇室の父祖たる天照大御神を祀る内宮 皇大神宮と衣食住の守り神たる豊受大御神を祀る外宮 豊受大神宮の二つを主祭神としているのだ。故に、伊勢神宮とは国家鎮守の社として日ノ本の信仰の中心に存在するのだ。天照大御神を祀るだけならば…伊勢路にここまでの参拝客が現れる事は無いだろう」
「成程…」
「と言っても、皇室縁の社はそれだけでは無い。」
「そうなので御座いますか?」
「あぁ…。皇室の祖先を祀るのは伊勢神宮ともう一つあり、その二つを総称して宗廟と呼んでいるのだ」
「誠に御座いますか?」
「誠だ。もう一つは、石清水八幡宮だ。」
「石清水八幡宮?あれは…源氏縁の社では?」
「まぁ…それが、一般的だな。だが、石清水八幡宮は応神帝を祀っているのだぞ?鎌倉の公儀を開いた源大樹公の父祖に前九年・後三年で活躍した源陸奥守が元服した事で武神として陸奥守が武士の信仰の対象となった…故に、源氏の縁となった。そんなところだろう。この話を聞いて、何方が本来の信仰か…分かったであろう?」
「はい。無論、応神帝を祀り信仰するのが正しいかと」
「そうだ。まぁ…向こうでは、誉田別命と呼ばれていたりするがな。それに、他にも二柱が祀られていた記憶があるが…思い出せぬな。確か、一柱は皇族一の女傑と名高い神功皇后が祀られていた気もするが…思い出せぬな。」
「はぁ……相変わらずの博識ですな、殿」
思わず嘆息が出た。
「では、博識ついでにもう一つ教えてやろう」
(なっ!?まだ、あるのか…なんてお方だ。思わず3歳である事をわすれてしまいそうだ)
「伊勢神宮には内宮と外宮の二つあると言ったな」
「はい」
「現在の内宮は荒木田氏という宮司の氏族の嫡流である沢田氏を筆頭とした氏族が順繰りで宮司になっているらしいぞ」
「沢田氏…?」
「さて…我が母の旧姓は何だったかな?すまぬな…ド忘れしてしまって、教えてくれぬか?」
「はて…確か、沢田とか…。ん?沢田…?まさか_______」
殿が悪戯めいた笑みを浮かべた。
「その沢田だ。そう、俺の祖父は宮司一家の沢田の出身で、今の内宮の宮司なのだ」
「なっ…!?」
「側近の権丸には教えてやるが…今回の参拝はその辺りが関係しているのだ」
「と、申されますと…?」
「内宮と皇室…朝廷とは縁が深いのだ。そして、今の内宮は祖父…。それと、もう一つ言えば…沢田氏は荒木田家の嫡流だが…荒木田家は中臣という氏を先祖に持つ。そして、皇室を支える朝廷で絶対的な権力を有するのは御堂関白と呼ばれた…藤原道長公の血が流れる摂家だ。藤原家は元は中臣という氏を名乗っていた。何か見えて来ないか?」
「内宮…朝廷……そして、藤原…中臣、荒木田?まさか、殿は内宮の宮司を通じて朝廷に何か一計を案じているので御座いますか?」
また、殿が不敵な笑みを浮かべた。
「一つ…権丸に利がある話をするのならば、権丸が立派な俺の側近となった暁には…俺が家中の誰よりも早く官位と位階をくれてやる。それだけではない…貴様は俺の側近として帝の謁見時に連れて行ってやる」
「官位…位階……謁見」
呆然としてしまった。
(そんなものが…この俺に与えられるのか?一介の国人の家来の俺が……。それに…帝の謁見にご臨席させて頂けるのか!?それは…真だろうか…?だが、何故だろう。このお方の言葉なら信じられる気がする。このお方なら、きっと…俺が想像している以上の事を見せてくれるのだろう。現に、殿がお話してくれた事など…知らなかった。いや、家中でも…これだけの事をどれ程の人が知っていようか?)
「殿は…殿は、何故…それ程までに多くの事を知っているのですか?」
「……調べたからだ。己を敵を…そして、その両方を取り巻く全てをだ。そうしているうちに…自然と身に付いただけだ。元々、俺はこの日ノ本の歴史を調べていたのだ。そうしたら何故か…これだけの知を得たのだ。良いか、権丸。俺の家来になるなら、俺に役立つには何がいるか考え調べ、知れ。どうすれば役立つのか分からなければ聞け。貴様は俺の手足となってこの伊勢を…いや、東海道を動かす男となるのだ。」
(伊勢、東海道…想像が出来ない。いや、追いつかない。そんな事…伊勢の国人で考えている者は果たしてどれくらい居るのだろうか…?いや、殆ど居ないのでは無いだろうか?見たい…知りたい……このお方が何を見ているのか、その場所からどのような景色が見えるのか…。このお方に尽くせば、俺も…殿が見ているものが見えるのだろうか?)
1501年(明応10年) 2月上旬 伊勢街道 川俣雪
(また、あの子が籠の外で権丸と話している。権丸は最近、あの子を笑わせようとしてくれる。それは…嬉しい反面、何故か…手放しに喜べない。それはきっと、権丸に自分では行動する勇気が無かった事…でも、親としてしなければならなかった事を……子供の無邪気な無責任さ故か、実行出来ている事に…嫉妬、しているのね。)
「我ながら…小さい」
思わず小声で言ってしまった。
(子供に嫉妬してしまうなんて…でも、どうすれば良いのか分からないもの。子供らしくない子供。それでも、親としては元服を済ませていないのだから…子供として扱うべきなのでは?でも、嫌がりはしないだろうか?…拒絶されないだろうか?)
「はぁ…」
溜め息が漏れた。
(親なのに…子供の事が何も分からない。親なのに…知ろうとする事しか、出来ない。でも、知ろうとすればする程…分からない。どうして、大人でも知らない事を知っているの?藤原…中臣……荒木田。私は何も知らない。どうして、私に知らない事を知っているのか?どこでそれを知ったのか?そんな素振りは一度も見せなかったのに…その言葉が当たり前かのように淡々と喋り続ける。その言葉に寸分の狂いも無いかのように……。)
「私は…本当に親、なのかしら……」
(親として…子を見守りたい。でも、この子は私が見守ろうとした時には……もう、手が届かないくらいまでの先に居て…眺めている事しか、出来ない。どうして、こんなに近いのに…遠いの?)
「……」
(考えれば考える程…思考の渦に囚われる感覚…この子は何を考え、何を見ているのかしら?この子の見ている景色に…私は、居るのかしら?)
「……お願い」
(知りたい。でも、知る事が……怖い。本当に、私って駄目な母親。こんな事をして足踏みをするしかない私自身が…嫌になる。でも、それ以上に…息子を知ろうとする事を怖がっている私自身が憎い…)
「こんな時、どうすれば良いの…」
1501年(明応10年) 2月上旬 伊勢街道 川俣楠十郎
(やはり、誰かに話すのは良いな。それに、権丸も興味を抱いてきているみたいだし…俺の手足として使えるようになるまで数年かければそこら辺の武士よりかは使えるだろうな。)
「そう言えば、昨夜話した事だが…結果はどうだった?」
「結果から申しますと…無宿人の方はご期待に添えるような人はおりませなんだ。されど、穢多の方に御座いますれば…女という理由で捨て置かれた者が2名程おります。また、その内一人は2歳ばかりの弟を抱えておりまする」
「……女の年齢は?」
「弟が居る方が3歳、そうでない方が…某と同じ10歳になりまする」
「……そうか。それで、その者はどうしたのだ?」
「一応、着いて来させておりまする」
(さて、女二人と餓鬼一人か。それに、身分は穢多と…。本来ならばとんだ荷物だが…人材が居ない今の俺にとっては純新無垢な3人の人材を手に入れたというある種の利点もある。教育して、俺の欲しい人材になるなら良いのだが…世の中そこまで甘くない。それに、俺は人間を一目見ればどんな適性があるかを見抜ける程の慧眼は持ち合わせて居ない。となれば…どうしたものか)
「……取り敢えず、その女二人と餓鬼一人に会いたい。連れて参れ。それと、あの餅屋で一度休憩だ。」
「はっ!」
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「…表を上げよ」
(さて、弟を抱いている方は痩せて虚ろな目をしているな。もう一方は…痩せてはいるが比較的体躯が良いな。)
「名は、何と申す?」
「楓に御座います」
「私は……春、弟は…未だ名前がありませぬ」
「……楓と春、そして名も無き餓鬼か」
「殿」
権丸が窘めた。
(呼び方はどうでもいいのだ。重要なのは…雇うか否かを決める事であろう)
「貴様らは…何の為に権丸の話に乗った?」
「生きる為に御座いまする。もう、誰にも…自分の生まれが理由で他人から奪われたく無いからに御座いまする」
「何故、そう思う?楓よ」
「戦により親兄弟が召し出され、失うならば百歩譲って理解出来ましょうし、自分で自分に言い聞かせる事も出来ましょう。されど、戦で田畑は愚か故郷の家すら焼き払った武士に今度は無宿人というだけで一家全員が売りに出された挙句、穢多とい理由で試し斬りに扱われ全てを失ったのに御座いまする。これを、横暴と言わずしてなんと言えましょうか」
「…続けよ」
「私は武士が嫌いに御座います。憎う御座いまする。普段は民から税を絞れるだけ絞り、夜盗を野放しにする。戦となれば徴発し、負ければ見捨てられ内からも外からも怯える日々…」
「外に行こうとは思わんかったのか?」
「いいえ、無理に御座いまする。たとえ外に出ても、我らを受け入れるものなど御座いませぬ。見ず知らずの人を庭先に住まわせられる程、我らは互いを信じておりませぬ」
「それが、民の現実か?」
「悪夢であって欲しかった。でも、そう逃避するのは諦めましたゆえ」
「では、何故同じ武士に頭を下げ召し出される事を願った?」
「武士にならねば、奪う側にはなれませぬ」
「山城、加賀を見よ。土民が奪ったぞ?」
「加賀の事は知りませなんだが、山城のと同じ事を成そうにも立ち上がる人はいませなんだ。日ノ本の多くは諦めているのに御座いまする。平和というのを」
「では、泰平を諦めた貴様が求むは何事か?」
「武士として、武士から全てを奪う事に御座いまする」
「それが貴様の本心か…ハハハ!貴様、狂っているな」
「知っておりまするか?犬は蛆に食われるまでが死に目に御座いまする事を」
「それで?貴様に何が出来る?害獣を潰す為に」
「非才の私では火の粉に油を撒くくらいしか出来ませぬ」
「油…か。では、見せて貰おうか。貴様のやり方を」
「有難き幸せに御座いまする」
「そうだ。それで、もう一人の女…春。貴様は…どうして、弟を抱えてそんな姿をしている?」
「……私は元々、河内国に居ました。されど、父が戦争で死に、私は弟共に…売られ、そこから逃げ出してきました」
「……それで、一度穢多に成り下がったのか?」
「……はい。でも、弟に満足なご飯をあげられなくて…私も殆どご飯を貰えなくて……」
「…そうか」
「それで…それで、夜は寒くて…怖くて」
「……そうだったのか」
「朝は早いから…夜は早く寝ないとと思っていたけど……お腹が空いて…寝れなくて」
「……苦しかったな」
「弟は何時も…言葉は話せないから、"お腹が空いた"って喋る代わりに毎晩泣いて……それで、その……」
「もう、喋るな。良い…分かった」
弟共に抱き寄せた。
(思い出したよ。今がどんな時世で彼の国がどんな場所かを。ここは来世でも何でもない、ただの畜生だってな。弱者が奪われるのは日常だったな、あの時もそして今も。どうして、こんな当たり前の事を忘れていたんだかな)
「殿」
「黙れ、権丸」
(人の心を操ると…前に考えた事もあった。だが、こんな惨状にしてまで、依存させて人を操りたいとは思わぬ。何故、罪のない童子が…これ程までに苦しまねばならぬ?何故、この童子達がこれ程までに腹を空かせねばならぬ?全く、今考えて事が一寸先でひっくり返されるとは、やってられないな。しかし、後始末と責任は取って貰わねば割に合わんというものよ。そうだよな…)
「足利……!」
(あの愚か者共だ…あの馬鹿共が政治を乱し、民を苦しめるからだ。そのお陰で極楽浄土などを盾にして民を苦しめる者まで湧いてきやがった……。この蛆虫共が…!反吐が出る。この惨状に何ら有効的な政策を打ち出せぬ武士も…何より、この者らを救おうと決めているのに、それを救っていない同じ武士であり続けようとする己に……反吐が出る)
「…権丸、良いか。これが、足利の公儀のやり方だ。これが…足利の権威を認める武士のやり方だ。貴様は…こう成りたいか?そして、こんな人間を見ていたいか?」
「いえ、見たくありませぬ。成りたく……ありませぬ」
「ならば、足利の公儀を否定するしかない。足利のやり方を崇拝する愚か者共を…武士を根絶するしかないのだ」
「根絶……」
権丸が青ざめている。
「殿は、武士にはならぬので御座いますか?」
「…たとえ、武士が改心したとしても…後世もう一度愚行を繰り返さないとは限らない。故に、武士が政治を司る事を否定し…それを容認する人間達は……排除し、絶滅させねばならん」
「……」
震えている。楓も。
「その為には、長兄を殺す事も厭わぬ。そのような者が居るから…多くの民が苦しむのだ」
「一人の命と二人の命……何方が重い?無能で薄汚れた自尊心だけが高い愚者と純新無垢で痩せこけた人間……何方だ?」
「ふ、二人の命で御座います」
「そうだ、そして…我が道を阻む者……根切りにするのみ!」
「……」
変な匂いが漂った。
「躊躇うな。己の理想の為ならば…人を殺す事もな。それが、為政者であろうとするならば…尚更だ。これが、領主になる人間としての…俺の覚悟だ」
「は…ははっ!」
「春、名を新たに授ける」
「は、はい」
「幸と名乗れ。それと、楓と幸…貴様らは下浦の性を与える」
「「あ、有難う御座います」」
「では…この甘酒に貴様らの血を入れろ」
「血……?」
「どうした、主命を達成出来ぬか?」
「で、出来まする!……っ!痛っ……!」
「楓、貴様の忠義……見せて貰ったぞ。幸、貴様は出来ぬか?出来ねば…惨めな生活に戻るだけよ」
「で、出来まする!うっ…うぅ……」
「そうだ、良くやった。自らの道を…自由を豊かさを掴みたくば……自らの意思で時には己の血肉を犠牲にしてでも掴み取るのだ」
(そうだ……楓、幸…貴様ら自身が向き合い、進むのだ。そして、これは…戒めだ)
「ゴクッ……不味いな」
口の中に血の味が広がった。
「これで、貴様らの血を俺が啜った。この俺の身体には貴様らの血が少量でも入っておる……故に、貴様らはこれより俺の義姉弟・兄妹であるので_______」
「殿……私は、殿と呼ばせて下さい。殿が私の主人として前の主人を忘れさて下され」
(やはり…な)
「…許す」
「あ、あの…私は……に、兄様と呼んでも宜しいでしょうか…?」
「幸…そこは、兄上と_______」
「良いのだ、権丸。許す、幸」
「あ、有難う…御座います」
「なんだ、笑えるでないか…幸」
「はい!」
「それと……弟の方、名を付ければな。そうだな…河内丸という名を与える」
「あ、有難う…御座います……。良かったね、河内丸。兄様が名付けてくれたよ」
「それと、権丸…下の服……替えて来い」
「えっ……あ!も、申し訳御座いませぬ!」
「良い。直ぐにな」
「は…ははっ!」
(それにしても、3歳で敬語か…本当に、苦しい思いをしたのだな。普通、3歳の童子はここまで自在に敬語は使わぬぞ?)
「さて、貴様ら…服を脱げ」
「へ?」
「そんな汚い姿で俺の家来は務まらん」
「この服に着替えてこい。それと、着ている服は燃やしておけ」
「「は、はい!」」
「弟も、忘れるなよ?」
(これで…一段落か。さて、伊勢の往路ももう終わるな。祖父がどんな男か…この目で確かめねばならん。それと、祖父ならば……俺が何故、この世に生まれ変わったのか知っておるやもしれぬ)
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