一揆の影
1501年(文亀元年) 9月下旬 楠城 楠木多聞丸
少年や少女が掛け声に合わせて槍を振るう。突き、払い…また突く。一定の間隔で同じ動作を繰り返す。それはまるで演舞のようにも見えるほど規則正しく正確に全員が同じ動きをしていた。
「殿、ここに居られたのですな」
「忠宗か。あの者達は次の戦で使えぬか?」
「いえ…難しき事に御座いまする。あの者達の多くは身体が出来上がっておりませぬゆえ、今は木刀や竹槍を振るっておりますが…本物の太刀や槍を扱うには膂力が足りませぬ」
「まぁ、そう簡単に人の身体は成長せぬよな。そうなると、何人が本作戦に投入出来ると考えるのだ?忠宗」
「ははっ、されば400人程が可能かと。しかし、今の兵装では女子は役にたちませぬゆえ…。実際に刃を交える事が可能なのは300人程度に御座いましょう」
「300か…勝てるか?」
「現在、各村々に工作を仕掛けておりまするが…それが成功すれば、少なくとも此方に牙を剥く事は御座いませぬ」
「そうなれば、後藤家と浜田家はどれくらいの規模を動かすと考えられる?」
「恐らく…両家合わせて100人を少し超えるくらいが現実的でありましょうな」
(両家合わせて100前後ならば…一家辺り50人を少し超えるかどうかと考えれば良い。そうなると、兵装が全て騎馬であっても耐え切れるか?いや、農民をぶつけている時点で50よりも削れていると考えるならば…なんとかなりそうだな)
「しかし、実際…両家の常備兵の三倍を有していてもその後を考えれば兵の不足は否めないというものだな」
「はっ、両家の土地を併合したところでその後の領地は凡そ5千石。領内を守るには最低限の人員で御座いますな」
(そうだ、その最低限度の人員の上に城を3つも保有するのは自ら自滅すると言っているようなものだ。第一、城を3つも維持する銭などありはしないのだ。そうすれば、浜田家の方の城は破却して役人が駐在する屋敷にでもするか。それと、破却した際に出た資材は楠城の拡張に使うか)
「5千石になったら、また人口数を考えねばな。忠宗」
「はっ」
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(さて、戦を始める用意が整って来たものの…やはり民を扇動して犠牲にせねば勢力を拡大出来ぬとは…。中々心苦しいな。失った民は帰って来ぬ。そして、民の絶対数が少ない当家には民一人辺りの価値が非常に高い。だからこそ、如何に民を犠牲にせずに行動するかが肝要であるはずが…。どう足掻いてもこの策しか無いとは心苦しい。それに、調略をしたところで…所詮武士なのだ。最初から剃りが合わぬ人間を使ったところで、返って面倒であろうな)
(では、上策はなんだ?それは、標的の財政や兵糧を極限まで減らした上で内部崩壊を誘いつつ民を調略して民を兵に駆り立てさせぬ事だろうな。そうなれば、敵はろくに城を守る事すら出来ぬどころか抵抗もまともに出来ん。これ程、上策な事はない。しかし、唯一欠点があるとすればそれは自らの勢力よりも弱い勢力に有効であるという事だろうな。これは、同じくらいの勢力にするには少し心許ない策ではある)
(第一、生来自分の戦の方針は負けぬ戦をする事にある。それゆえ、負けぬ為には負ける要素が少しでも入っている場合は対象との関係を極力悪化させないように外交努力を努めるに尽きるだろう。これは、乱世でなくても言える話だ。自分の優位を保つにはこれ以上の上策は無いからな)
(そうなれば、二家を倒した後の行動は…必然的に決まるな。後は、如何に友好的姿勢を保ちながら近隣の友人から絞りとって粕しか残さぬか。そして、その主犯が自らではないと主張し気取られないようにするかだな。まだまだ、やる事が多い。いつかは、一日中何も考えずに布団で寝ていたいものだ)
1501年(文亀元年) 9月下旬 後藤氏領内 鷹司忠尊
目の前に肉付きの良い男達がぞろぞろとやって来ては麿を含めて円を作るように座って行く。
「皆々方、お揃いになられましたかな」
「うむ…これで全員じゃの」
そう言って、麿が初めて行った村の村長が反応した。
「今夜、麿が皆様方をお呼びしたのは他でもごじゃりませぬ。皆様方の生活についてお聞きしたく呼ばせて貰ったのにごじゃりまする」
「生活?」「どういう事じゃ?」
麿の放った言葉に対して少し困惑しながらも他の村長達が反応する。
「これは…鷹司様。ここは儂にお任せ下され」
「そうでおじゃるな。ここは、麿よりもそちの方が色々と融通が効くでおじゃろうな。では、頼んだでおじゃるぞ」
そう言って、頷きながら頼んだ。
「それでは、改めて…。主ら、今のご当主様になられてから年貢は少しずつ高くなっていると思わぬか?」
「そうじゃの…」「生活は厳しくなるばかりじゃ」
各村長がそう口々に言った。
「そうであろう?そして、お役人様にその事を申しに行けば綺麗な服で拒否なさったと聞いたのじゃ。では、そのお役人様達の綺麗な服を買う銭はどこからやって来ていると思うのじゃ?」
「まさか…」「そんな…」
(無理もないでおじゃるの。自分達が汗水流して生活を切り詰めながら納めた多くの年貢が自分達を守るためにはほとんど使われず。武家が楽しむために使いこまれていると知ったら、流石に耳を疑いたくなるのも仕方がないの)
「それを知った時、儂は口惜しくてならんかった。儂が若いもんのケツを叩いて倒れるまで働かせ、嫌われておるのは知っておった。じゃが、儂とて好きで若いもんのケツを叩いて酷使している訳ではおじゃらぬ。先代の亡きご当主様には他の武家に属する村と抗争になった時に助けて貰った恩があったのじゃ。だから、高くなる年貢もきっと我らを守る為に必要な事じゃと言い聞かせて……若者に嫌われる役を買って出たのじゃ。それなのに…この仕打ちは酷い事じゃとは思わぬか?」
「確かに…そう言われれば、年貢が増えた割に夜盗などを退治してくれる事が年々減って来ているような…」
「これは流石に、先代様のご恩があるからとは言え…もう無理じゃろうて」
「そうじゃ!儂らはもう先代様の御恩をしかと返したと思はぬか?そして…これ以上は、むしろ先代様を苦しめると思わぬか?あの優しいお武家様を!」
「そうじゃ!そうじゃ!」「これ以上は、あんまりじゃ!」
(ふむ…銭を与えた程度には存分に他の村長を扇動してくれたみたいでおじゃるな。殿に頭を下げて銭をふんだんに貰った甲斐があるというものでおじゃるのじゃ。後は、折を見て此方が支援する事を申し出れば完璧でおじゃるな。それにしても、何とも易き事にごじゃろう。扇が無かったら、顔で気取られていたかもしれぬの)
「最早、後藤様には従っておれぬ。そう思わぬか!」
「そうじゃ!」
その言葉を皮切りに、一同が次々に賛同の意を示した。
(頃合いじゃの。では…これで終わらせるとするかの)
「すまぬが、少し麿の話もして良いかの?」
「おお、そうじゃった。このお方は、最近税が軽く我らの事も考えて下さると噂の楠木様のご家来である鷹司殿じゃ」
「なんと、楠木様の…!」「おぉ…」
周囲から感嘆の声が漏れる。
(流石は殿でおじゃるの。ここに居らずともその名だけで…一瞬にして、場の空気をこちら側に持って来て下さったの)
「そうじゃ、麿こそが鷹司門下給事忠尊でおじゃる。そして、麿の君に従うのでおじゃれば…」
「四つ程、先に確約出来る事があるの。それは…一つ、税は四公六民と定める事。二つ、兵役は永世無効とする。3つ、望む者あれば一家の次男や三男などの嫡男を除く者全ての男女に食い扶持を与える。4つ、望む者あれば身分問わず役人として登用する事。以上の事が、当家に各村々が臣従してくだされば必ずお約束出来る事でおじゃるの」
「聞いたかの?今よりもとても住みやすく、我ら農民の事を考えているお武家様じゃ。このようなお方に従えば、我らはもう苦しまなくて良いのじゃ。儂は決めたぞ、楠木様に従うと。皆はどうするのじゃ?このまま苦しい思いをし続けるのかの?」
「嫌じゃ!儂の村も楠木様に従うのじゃ!」
この言葉を皮切りに全ての村が今宵、武家に反旗を翻す事となった。
「そうじゃ、そうじゃ!」
「では、一味心中の酒を持って来るのじゃ!」
「おう!」
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「では、一味心中。皆の目的は後藤様から楠木様にお武家様を鞍替えす事じゃ。これが成せぬ時は我ら共に自害して果てようぞ!」
一人の村長が、そう言って他の村長達を煽る。
「おう!」
そして、その扇動に皆が応える。
「我ら、一味心中!一献!」
そう言って、村長達の名が唐傘に書かれた紙をズタズタに割いて酒の中に入れ…飲み干した。
(これで、後藤家は当家に堕ちたの。後は、人質を取って帰城すれば一先ず終わりじゃの)
「では、明日用心には用心をして皆の娘をこの鷹司様に差し出し…楠木様の人質とするのじゃ。それと引き換えに楠木様から武器を無償で貸して頂ける事になっているのじゃ。そして、武器が人数分揃い次第。各村々でこの事を一斉に打ち明け、その翌日に後藤様に攻めかかるとするのじゃ!」
(さて、殿からは既に後藤家及び浜田家から両家で取れる兵糧の8割近くを買い占めたと書状が来ておる。それを、攻め寄せる際に持ち帰れば実質損害なしに城と民、年貢が得られるというものじゃ。後は、民が困らない程度の銭を放出して、商人から米を買わせ、商人には米と稼いだ銭をまた交換する。誠に、完璧な政でおじゃるの。殿は)
(これを浜田家にも同じ事をすれば年内は一段落じゃと、殿も仰っておじゃったし…年越しは城で越せそうじゃの)
(さて、今宵も深い。奥に引っ込んで寝るとするかの。それにしても、卸しやすいとは言え、調略というのは疲れるの。出来ればもうこれっきりにして、次は別の仕事がしたいのでおじゃるなぁ。まぁ、それを決めるのは殿でおじゃるが…)
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