南朝の亡霊SS-詔勅の裏では②-
後2-3話で〆ます。
1501年(文亀元年) 7月上旬 川俣雪
(殿…どうしてそんなに苦しそうなのに、私に打ち明けてくれないのかしら?妻である私に打ち明ける事がそんなに嫌な事なの?私は、ただ…貴方に頼って欲しいだけなのに。乱世だからこそ、契りを結んだ者同士…頼り合う事は出来ないの?)
「はぁ…」
(駄目ね。このまま溜息ばかり吐いていては気鬱の病にかかってしまうわ。今は殿の回復を祈るしか出来ないわね)
そう憂鬱な気持ちで縁側で夜風に当たっていると、不意に背後から声がした。
「母上、どうかなされましたか?」
「幸、まだ起きていたの?」
「はい、最近家中が騒がしく…何か起こるのではないかと思って中々寝つけないのです。それで、母上は何やら溜息ばかり吐いておいででしたが…如何致しましたか?
そう、娘が不安そうに言った。
「私も分からないの。ただ、殿が病に伏せる以前に…そう、数日前にとても悩んでいる顔をしていて……それが引っかかっているのよ」
「あの何時も元気で快活な父上が?一体何故?」
不思議そうに娘が言った。
「幸、実は…私にもそれが分からないの。私もそれが気になって聞いて見たのだけれど…邪険にされてしまったわ」
「母上と何時も仲の良い父が?」
娘が信じられないという顔をした。無理もない。この子は優しくて快活な父の顔しか知らないのだから。
「でも、家中の者達が騒然としているのは政に関する事らしいから…殿もきっと政に関する悩みを抱いていらっしゃるののじゃないかな?」
そう言ってその場を言い繕った。本当は分かっているのに。政ではなく、確実に楠十郎が関わっている何かだという事が。言葉では言い表せないけれど、きっと恐ろしく大きい何かが関係していて家が危険だという事も。
「もうお休みなさい、幸。眠れなくても、目を閉じているだけで違いますよ」
とにかく、一人になりたい。その一心から無理矢理、娘を寝かせた。
「はい、お休みなさい。母上」
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(ようやく、一人になれた。殿は何も語ってくれない。そうなれば、私は自力で何が起こっているか確かめなければならない。この家に何が起こっているのか。この騒然とした空気の正体を。そして…その渦中に居るであろう我が子の考えを。明日、問いたださねばいけない。場合によっては母として怒り、止めなければならない。家と子に危害が及ぶのだけはなんとしてでも回避しなくてはいけない。それは、この時代に生を受けた女としての矜持であり…子を持つ母としての矜持でもあるのだから)
「……」
ゆっくりと、息を吸って吐いた。心を落ち着かせるように、覚悟を決めるように。ここが、正念場なのだ踏ん張らなければならないとばかりに。目を閉じて心を落ち着けた。
(さ、明日に備え私ももう寝ましょうか。何時までも起きていては身体に毒ですからね。 ……明日は何としてでも、知らなければなりませぬ。もう、夫の言い付けだからといって黙っている訳には参りませぬ。妻として、母として…危険を察知したならば自分に出来る事を対処せねばなりませんね)
1501年(文亀元年) 7月上旬 川俣幸
(弟と母の話声が聞こえる。何処からだろうか?奥の方からする。昨日の母の様子もあった事だし、聞き耳を立ててみましょうか)
「それで、母上。話とは何で御座いましょうか?」
「家中の事に御座います。楠十郎、今の家中はかなり騒然としている事…知っておりますね?」
「はい、何やら家臣共は某と目を合わせたがらないという事だけは理解しておりまする。大方、何時もの通り某の陰口が露見して隠蔽でも試みているのではありませぬか?きっと、某が前に自分の陰口を言った者に手痛いしっぺ返しを食らわしたのが原因で御座いましょうな」
そう言って、弟はあからさまに話を逸らしていた。
(私でも、分かるわ。これは、話を逸らしているのね。最近まであの子が気味悪くて聞き耳を立てるくらいでしか話し声は聞いた事が無かったけど、この話し方は何時も母上に話を逸らしていると窘められている時の流れと一緒だわ)
「私は真剣に話をしているのよ、楠十郎。余り、母上を怒らせようとしないで」
(ほら、やっぱり。でも、何で母上は怒っていらっしゃるのかしら?)
「…母上には敵いませんな。そうですな…まぁ、某が家中の混乱の中心に居る事は間違いないで御座るが……。それを言えば、苦しみまするぞ。余計に。それも、最悪父上の二の舞になりかねませんぞ?そう、苦しまないために父上は母上の事を拒絶なさったので御座いまする」
(え?どういう事?弟が家中の混乱に大きく関係していて…その話を詳しく知ろうとすると苦しみ、最悪病になる?)
「どうしてそれを…いや、それよりも……。苦しむ?何故?」
「簡単に言えば家督問題が遂に表面化してしまったという事に御座いまする。後は、父上のお考えを聞かされた事を知る母上でしたら…どうして父上が苦しんでいるのかを理解すると思いますよ」
(父上のお考え?私は全く知らない。兄上と弟の間で何があったのか、父上が何に苦しんでいたのか。私には何も分からない。母上は何を知っているの?どうして私だけ除け者なの?)
「まさか…。楠十郎、貴方」
暫くの間続いた沈黙を、何かに気付いた母上の一言が破った。
「何も、驚く事は御座いませぬ。乱世なのですから、仕方のない事です」
そう言った、弟の声は酷く冷たく感じた。
「貴方…自分が何をしたか分かっているの?!あの子から、これ以上奪ってどうするの!これまでは、何とか取り繕って来たけど、それは許せないわ!母として、今の状況を取り止めさせなければいけません!」
母上が怒っている声を初めて聞いた。そして、兄弟に怒っているところも。
「母上、無意味な事はお止め下さい。これ以上はお家を傾けまするぞ」
「何を言ってるの、家と子ならば子を選ぶのが必然でしょう!?」
(何の事?兄上から何かを奪った?弟が?それに、今の状態を止めさせる?母上は何故、楠十郎に怒っているの?楠十郎は何をしたの?)
「では、その相手が詔勅でも?詔勅を破って二度目の恥辱を被った挙句、他家から攻められる正当性を周囲にばら撒いても?」
「詔勅…貴方、何を言って……。まさか、嘘でしょ?そんな事って…」
「誠に御座いますよ。そして、もう…道は決まっているのに御座いまする。選んだところで大河の飛沫に御座いまする。流れは何も変わりませぬ」
(しょう…ちょく?どういう意味?でも、母上の声色からして何か大事な言葉に違いないわ)
「そこまでして…そこまでして、兄を蹴落としたいのですか?!楠十郎!」
「違いますよ。ただ、かつての主との夢を果たすのに不要な人間だったに過ぎませぬ。愚兄は」
(かつての主?どういう意味?楠十郎は昔誰かに仕えていたの?益々、分からなくなったわ)
「かつての夢だか、主だか知りませぬがそれが今の家族を切り捨てて良い理由にはなりえないのよ!」
「そう、思いたければ思えばよろしい。それで、家も家族も民も全て奪われて良いと申されるならば」
(ん?つまり、家や家族、民を失って良いなら兄上を切り捨てるなって事?それが、母上の立場?そして、弟は建前はどうであれそれが嫌だから兄上を切り捨てるって事?つまり、私の日常を存続させるには…兄上を切り捨てるしかないという事なのね)
「……どうして?どうして、そこまで追い込むの?」
そう、母上が力なく言った。
「…結局、こうなりましたね。母上、貴方は賢い。ゆえに、この話を知るべきではなかった。なぜなら、この話の本質は結局兄を失うならば早いが被害は少なくするか…遅いが被害は大きいの二択だと気付いてしまうのだから。最も、客観的に見えていれば…何方が良いかは一目瞭然ですが」
そう言って、襖を開けて隣の部屋から出て行く音がした。
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「ねえ、少し私と遊びましょ楠十郎」
「姉上…某は気分ではありませぬ」
そう、面倒臭そうに言った。
「ん?良い?ありがと、じゃ私の部屋に行こっか」
「ちょ、某の話を…」
「良い?弟は姉に従うのが当然なんだから」
(やったわね。逃さないわ。さっきの話、身がすり減るまで聞いてやるんですから。この子の話が本当で、兄上が原因でこの地に戦が起きるのならこの子の味方をしてあげても良いけど、嘘だと分かったら泣いても許さないんだから)
「はぁ、それで何して遊ぶので御座いまするか姉上?」
「ん?遊ぶなんて誰が言ったの?私は話が聞きたいの」
「えぇ…いや、それは姉上が……。それに、話とは何を?某に出来る話など御座いませぬぞ」
「私が知りたいのは母上との話。言っておくけど、しらばっくれても無駄よ。嘘を言ったら許さないから」
「はぁ…聞いておったのですか、はしたない。人様の会話を盗み聞きするのは如何なものなのですか、姉上。」
溜息をついて、心底面倒臭さそうにそう言った。
「あら、偶々聞こえただけよ。それで?実際どうなのよ。兄上は私の今を壊すの?」
「そうですな。壊しますな。ついでに言えば、このままだと良くて姉上の婚期がかなり遅れますな。普通に考えれば、結婚は無理かと。それに、結婚出来たところで高望みは出来ませぬな」
「え、それは嫌よ。最低でも10代までには結婚したいもの」
「そう思われるなら、この話には首を突っ込まず我関せずがよろしいかと」
「それで、結婚出来るの?」
「某が保証致しまする。それに、結婚する家の家格も保証致しまする」
「そう、なら良いわ。でも、何も知らないのは嫌よ。私だけ除け者なんて寂しいもの。だから、何もしないから何をする気か簡単に教えて」
「はぁ…結局そうなるのですね。言っておきまするが、余計な真似をしたらただではおきませぬからね?まぁ、余計な事をすればどうなるのかは直ぐにでも分かりますが。少なくとも、命の保証は致しかねますな」
そう冷たく言った。
「分かったわ」
楠十郎の圧に少し気圧されてしまった。
「端的に申せば、某の家督継承と家臣団の粛清。そして、兄含めた当家の元服を済ませていない男の追放に御座いまする。そして、それを断った者や反抗した者には朝敵の汚名を末代まで背負わされまする。そうして、某は今よりもこの国を豊かに致しまする」
「そう、政の事は良く分からないわ。でも、私は賛成よ。だって、兄上ったら暴力的で嫌いだもの。それに、年齢差のあり過ぎる貴方に当たるのは見ていて阿呆みたいだもの」
「へぇ?姉上とは余り話した事が御座いませぬが、気が合いますな」
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