公家の各当主の立ち位置及び状態一覧(文亀政変直前)名家・半家
これで、突然の公家紹介は終わりです。12時までには、最後の編集をして本編を投稿します。
☆名家
◯ 藤原北家日野流
日野高光
1489-
広橋守光
1580?-
柳原量光
1448-
烏丸冬光
1470?-
竹屋家:絶家
日野西家:絶家
◯ 藤原北家高藤流
甘露寺元長 正三位 権中納言
1456-
葉室頼継
1492-
勧修寺政顕 正四位下 参議
1452-
万里小路賢房
1466-
清閑寺家:1501年に当主が後継を決めずに死去したため絶家
中御門宣胤 正二位 権大納言
1442-
坊城俊名:継嗣が未だ出来ず、断絶の危機にある
1463-
☆半家
◯藤原氏
高倉永家 従五位下 侍従
1496-
富小路俊通 正四位下
1443-
◯清和源氏
竹内基治
1465?-
◯宇多源氏
五辻諸仲 六位蔵人
1487-
慈光寺家:絶家
◯花山源氏
白川忠富王 正二位 神祇伯
1428-
◯桓武平氏
西洞院家:絶家
◯菅原氏
高辻章長 文章博士
1469-
五条為学 文章博士
1472年
唐橋在名 無位無官
1493-
東坊城和長 従三位 参議
1460-
◯ 大中臣氏
藤波伊忠 神宮祭主
1468-
◯ 卜部氏
吉田兼倶 従二位 非参議
◯ 安倍氏
土御門有春:父祖が応仁・文明の乱の戦火を避けるために若狭国南部の遠敷郡名田庄に避難し、その後定住した事で同地にて生誕。応仁・文明の乱後多数の公家が度々その地に赴いたとか。
1501-
◯ 丹波氏
錦小路家:丹波氏嫡流だが絶家
日本史における貴族の定義は堂上家か地下家に属している事、あるいは軍事によって朝廷に奉仕している事などが挙げられます。そして、その中でも堂上家と地下家の違いは大雑把に言えば前者は上流・中流階級の貴族であり後者は下流階級の貴族である事が挙げられます。そして、作中に出てくるたとえば、内大臣や左右近衛大将、大納言などになれるのは原則堂上家である必要があります。勿論、堂上家内でも極官、即ち出世出来る役職の限界というのは存在します。今回の投稿では、室町時代に公家、つまり貴族達は貧困に喘いでいた。この作品をご覧になるような方でしたらこんな事はとうに知っておられる方は多いと思います。ですが、実際に貧困に苦しむと言ってもどれくらいの規模の貴族なのかまで理解しきっておられる方や知っておられる方は少ないように思われます。当然、読者の皆さんの中にはこの投稿に出てきた各堂上家の家格やどのような公家がいるのかを全てご理解されている方もおられると思います。そこで今回は、今後複雑になってくるであろう朝廷の権力争いや血統的背景などを知る機会、あるいは既に知っておられる方であればその復習も兼ねて、今後どのように血統的背景で物語が進行して、どの家同士が衝突するのであろうか?その辺に期待して頂ければ幸いに御座います。
なお、本編更新毎の活動報告では毎回更新毎の後書きのようなもの極力その日中に更新しているのでよろしければ是非ご覧になって頂けると幸いです。
TwitterID
@Akitusima_1547




