誤解
1501年(文亀元年) 6月 安富元家
「どういう事でおじゃるか!安富殿!」
「どうしたので、御座いますか…呼び出して早々に」
「嘘を申すな!貴殿であろう、朝廷に式の銭を流したのは!それ以外に、この短期間であれ程の量を集め運ぶ事の出来る大名は細川をおいて他におらぬであろう!」
「何の事に御座いまするか?某達は銭を朝廷には送っておりませぬぞ」
(この男は何を騒いでいるのだ?朝廷が式の準備をしているだと?どこにそのような銭があるのだ。もしあるならば、今までの銭の無心はどう説明するのだ?それでは完全に矛盾しているぞ、過去と今の言動が。そうなると、考えられる事は二つ程あるな。一つ目は、この男の気が狂ったか。二つ目は、支援者が現れたかだ。前者はいつもの事だから、適当にあしらえば良いが…後者ならばちと、不味いな。この男は細川単独で朝廷との関係性を疑った。という事は、この男の言葉から唯一信じられる事として…支援者がいるならばそれは一家、あるいは一人の商人が手を結んだという事になる。まず、後者ならばどんな事をしてでも手に入れる必要があるが…前者ならばかなりの脅威になりうるであろうな。そして、今推測出来る限りでは、大内と一向宗くらいだろうな。最も、あの散財癖が酷い一向宗にこのような事は出来ぬだろうな。譲位、即位、葬式の3つを1度で行おうとすれば…どれほど簡素にしても6千貫はくだらない。それ程の大金を貯める事は一向宗には無理な話だ。とすれば、大内だが…仮にそれが出来るならば今、鎮西に向いている目が此方に向けばかなりの損害は覚悟せねばなるまい)
「どうなのじゃ!」
(おっと、今はこの男と話し合いをしていたのだったな。適当に流して、直ぐに内衆で会合をせねばならんな)
「失礼に御座いまするが、勝仁親王殿下は当家に助けられたと一言でも申されましたかな?」
そう言うと、目の前の男は目を泳がせて「いや、それは…」と曖昧な返答をした。
「もし、御方の言質が無いのならば…とんだ言いがかりに御座る。そのような事を致す御方であったのならば、当家は以後…関係の継続を遠慮させて頂く」
「ま、待つのじゃ!人には記憶違いの一つや二つおるじゃろう?それで…」
「問答無用。このような重要な事を記憶違いと片付けてしまうような家は信用出来ぬ。信用出来ぬ者と、大事を語るなど以ての外!最早、それ以上でも、それ以下でも御座らん。では、某はこれにて」
(何か、声も聞こえるが…まぁ良かろう。公家程度銭を渡せば替えはいくらでもいる。あの家に拘る理由はないのだ。所詮、細川の血統に近いだけの男よ。ああも使えぬ男ならば味方として数える方が不利に働きかねん。そうなれば…いざという時に散々な目にあう未来しか見えぬわ。そうなる前に、切れて良かったわ。飼い犬は飼い犬らしく主人の言葉に従っていれば良かったものを…。誠に、頭の回らぬ公家だな。さて、一応変な逆恨みで立場を悪くする事を吹聴されても困るし…そろそろ、九条父子には退場して頂こうか。一応、式が終わった後に他の内衆に頼んであの書状を持参して、弁解してもらうか。それはそうと、大内の話だ。あの男の動向と銭がどれ程あるのか、遠征にはどれ程兵を寄越すのかなどの情報を早期に集めねばなるまい。鎮西の者達よ…今回ばかりは存分に抵抗してくれて構わぬぞ)
1501年(文亀元年) 6月 川俣楠十郎
「それで?式の方は滞りなく出来ているのか?」
「はっ、譲位の儀式が終わり…明日の朝より即位式をするように御座いまする」
「そうか、ならば一先ずは安心と言ったところか。では、もう少し工作の方を進めていくか」
「はっ、如何様にも」
「まず、畿内では細川と九条の蜜月が囁かれるようになり、式の銭は工面して貰えそうだとされている。これは間違いないか?」
「如何にも。そして、それを常盤井の宮様と鷹司様に功を取られたとも」
「うむ。では、次の段階として常盤井の宮様と鷹司様は大内が鎮西で勢力の拡大をする事や亡命した足利の一族を保護する事を承認したと流せ、そして銭を朝廷に送ったのは博多と堺の商人だともな」
「では、我々の存在は伏せるのですな」
「そうだ。伊勢国一国すら持たぬようでは、公には出来ぬ。返って危険を伴う。だから、忠尊にも書状で伝えたが…我が望みは一つ、年内に元服の儀を果たさせる事。二つ、元服後の政務は我が担う事。三つ、一家で我のみに楠木の姓を名乗る事。四つ、大楠公及び小楠公のみは特別に朝敵を赦免する事。五つ、今後、有事の際には鷹司の家紋である鷹司牡丹を掲げる事を許す事。これら五つを条件にしておたのだ」
「なるほど、では初陣も年内になさいますか?」
「戯け、財政を立て直してからじゃ。それに、恐らく初陣は急がずともせざるを得ない状況になると思うぞ?」
「……?ああ、なるほど」
「そういうことだ」
「しかし、殿も人が良い。細川と大内を互いに消耗させるつもりに御座る」
「褒めてないだろ、少なくともそれは…」
「滅相も御座いませぬ。ただ、某は殿の武略に感服致しただけに御座る」
「まぁ良い。それに、細川の相手は別に大内でなくとも良い。たとえば、六角、紀伊の畠山、南都北嶺の坊主、足利など…。とにかく、細川の目を此方に向けられるような余力を作らぬ事だ。少なくとも、伊勢、志摩、伊賀を取るまではな」
「細川程の大名を相手取るには最低でもそのくらいはないと話になりませぬな。しかし、それでも独力ならばかなり厳しい。いや、大軍を一気に向けられれば最悪は御座いまするな」
「そうだ。だからこそ、細川を撹乱せねばならん」
「承知致しました」
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(さて、ひと段落着いたか、それにしてもようやく新しい趣味を見繕えたか。この孫子と呉子は良いな。久々に見た気がする。これを見ているとあの頃を思い出すな。後醍醐帝が旗を上げた事を知り、俺も後醍醐帝……天子様と同じく鎌倉の公儀のやり方が気に食わなかったから天子様に加勢して、その時に必死になって天子様にお認めになられるように色々な教養や軍事の指南書などにも手を出して、とにかく覚えて頂けるように寝る間も惜しんで読んでいたな。それに、当時出回ってなかった書を偶々所有していた友に頭を下げて一晩借りた事もあったな。今では、良き思い出じゃ。そして、天子様と出会い初めて賛辞をいただいた時は…嬉しさの余り、涙で醜態を晒してしまった事もあったな。今見ている本は名前しか知らなかったが、これを読み進める度に…何故だか昔を思い出すな。いかんな、最近涙が来る事が多いな。歳だろうか?全く、幾ら肉体は若くても所詮は老人一歩手前の琴線か)
「…中毒だな。完全に」
(結局、私が過去の記憶を追憶出来る限り…寂しさは紛れぬのだな。幾ら昔の馴染みに似た顔立ちをする者に出会ってもだ。いや、出会う方が残酷であろう。そして、それを分かっていても……求めてしまう。無くなったものほど…人は美化する。それは、懐かしむという雑味が邪魔をして、自分が美化をしている事にほとんどが…気付けぬ。そして、気付いた頃には止められぬのだ。御堂関白殿やその子息は浄土を通じて来世に期待をして逝ったと聞くが…それは、自分で自分を縛る事と何ら変わらぬ。今よりも次はよく生きたい。救われたいと思ばこそ…その輪廻に囚われ、永遠に脱せられぬのだ。では…今世に絶望している者も期待する事は止めるべきか?絶望しているからこそ、救われたい。何かに縋りたい。そうでなければ、何故…道を歩いている隣の人間は私よりも幸を持っていて、私は少量…あるいは持たないのか。その現実の不平等さに気が狂う。だから、少しでもその気をなくしたい。誰かを気付ける前に。そうやって、人は皆…宗教に縋るのだな。一度の幸福を噛み締めるのではなく、比較の道具に使ったがゆえに。気持ちは分かる。かつて、私もその順路を辿った。だが、そうやって縋った宗教の大半は結局今世の輪廻から外れられないものばかりだった)
「大分、時間がかかったな」
(苦しみ、縋り、その先はまた同じ苦しみ。ならばこそ、決めるしかあるまい認めるしかあるまい。人は過去に囚われる生き物だと。そして、皮肉にも、万物の進化は過去の己を捨てる事であると。過去に囚われる者程無責任な事はない。過去に行けば行くほど…人は無知で無責任なのだから。そうやって、自分を知ってもなお…脱する事は困難なのだ)
「兄様、泣いているの?」
「幸か、居たなら声をかけてくれれば良いものを」
「ごめんなさい。でも、忠宗様が兄様のところに行けって」
「あの、阿呆…」
「どこか、痛いのですか?」
「少し、胸の奥がな。でも、気のせいだったよ。さ、遊びに行こうか。幸は何かしたい遊びはあるか?」
「貝合わせがしとう御座いまする」
「そうか、では先に行って貝を用意してくれるか?」
「はい」
そう言うと、幸は少しずつ遠ざかっていった。
「今も昔も、民の顔だけは変わらんな。そして、我ら武家も…」
1501年(文亀元年) 6月 鷹司兼輔
「改めて、礼を言おう常盤井の宮殿、鷹司丞相。そこで、朕としては双方に何かしたいのじゃが、希望はあるかの?」
「そうしますれば、常盤井宮家としては…帝の第一皇女たる覚鎮女王様を内親王宣下をして頂いた後に迎えたく存まする。無論、費用は麿が責任を持って出しまする」
「朕としては構わぬ」
「はっ、よしなにお願い致しまする」
「それとは別に、常盤井の宮殿には三品の位階と帥の宮としての地位を与えたいのでおじゃるが、良いかの?」
「はっ、有難き幸せに御座いまする」
「うむ。して、鷹司丞相はどうかな?」
「麿は従二位の位階が頂ければ十分に御座いまする」
「何と無欲な男じゃ。九条関白は……。良き機会じゃ、九条父子には職務怠慢として関白を降りるように取り計らうかの。それにそうすれば、少しは公儀も嫌がろうて。何せ、九条と公儀の蜜月は都で有名じゃからの」
「そうで御座いまするな」
「さればこそ、ちと乱暴ではごじゃるが九条から丞相に右府を渡したいものよ」
「しかし、決定的な証拠がない事には…難しいと思いまするぞ」
(第一、あの強情一家は梃子でも動かぬじゃろうて。それで、足利を引き合いに出されたら最悪じゃの…)
「そうじゃな、ならばそれは後で期限を設けてその期限内に確たる証拠があれば糾弾しよう」
「はっ」
「それで、銭はどのような出所から来たのじゃ?」
「されば、南朝の楠木一族の嫡流である川俣なる伊勢国の国人領主の次男坊が大楠公に憧れ、南朝を童ながら復興しようと考えておじゃりました。されど、南朝は最早この世になく。その血統も途絶えたと知り悲観しておじゃったのです。そのような時に、伊勢の大社に参拝の帰途にてとある商人と出会い。常盤井宮家という南朝の嫡流が宮家として生き残っていると知ったのです。そして、その話をした商人は元々大楠公に仕える武家でおじゃったが、湊川の敗戦後は備中国などに商人として身を隠して住んでいたのにごじゃりまするが、大楠公の死に際を知り必ず大楠公は蘇ると信じて150余年…銭を貯めて時を待っていたのにごじゃりまする。そして、その間は商人という立場を利用して、日ノ本に散らばる楠木の末裔の動向を探って大楠公復活を待ち侘びておじゃった。そんな折、伊勢国で川俣楠十郎なる神童が現れたと知り、会う事が叶ったのにごじゃる。そうして、話をすると商人はどんどんと楠十郎殿の魅力に惹かれ…商人の一族が楠十郎の居る楠城という城の城下町に居座り、楠十郎に仕えたのでごじゃる。そして、楠十郎は商人の銭で困窮する常盤井宮家をお救いなされ、我ら鷹司家も救ってくれたのにごじゃる」
「…童がそこまで朝廷に……なんと健気な事よな」
そう、帝が袖を濡らしながら仰った。
「それだけではありませぬ。麿が屋敷で楠十郎と話した折にその言葉の端々から朝廷への帝や皇の一族への勤王の心と忠誠心の高さが窺えたのにおじゃる。そして、これ程の勤王家は百年に一度現れるかどうかでおじゃろう。さればこそ、川俣楠十郎を朝廷の権威で庇護しなんとか楠十郎に協力したいのでおじゃる」
「そうじゃのう。楠十郎は銭を融通する際に何か朕に頼みたい事などは申しておじゃったか?」
「されば、条件は五つにごじゃりまする。一つ、年内に元服の儀を果たさせる事。二つ、元服後の政務は我が担う事。三つ、一家で我のみに楠木の姓を名乗る事。四つ、大楠公及び小楠公のみは特別に朝敵を赦免する事。五つ、今後、有事の際には鷹司の家紋である鷹司牡丹を掲げる事を許す事。以上にごじゃりまする」
「数はちと多いが、難しい事ではおじゃらぬの。五つ目に関しては、朕は良いのじゃが丞相は良いのか?」
「麿は末弟が楠十郎殿に仕える事になった時より、覚悟は出来ておじゃありまする」
「しからば、朕から次の御前会議で説得してみるかの」
「是非とも、よしなにお願い致しまする」
その言葉を聞くと帝は奥へ下がって行った。
「良かったでおじゃるの、丞相」
「誠に、これで楠十郎殿に多少は恩が返せたでおじゃろうな」
「ああ、それと折りを見て官位と位階の打診と奏上もしてみるかの」
「そうですな。しかし、何より麿は楠十郎殿と直接会って話してみたく思うの」
「きっと、気にいるでおじゃるの」
(さて、叔父上には良い報告が出来る。きっと、喜んでくれるでおじゃろうな)
読み方
覚鎮女王:かくちんじょうおう
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