崩御
お久しぶりです。今回から朝廷や公儀が中心となる話を展開してまいります。
1501年(文亀元年) 5月 甘露寺元長
「帝が…お隠れになった……だと?」
「父上、大変な事になりましたな」
「我が父甘露寺宰相が身まかってから半年も経たぬというのに…我らは二本もの柱を失ったのか…」
「昨年の騒動を機に朝廷と公儀の溝は広まるばかりで、こんな時世ではあの阿呆共も銭を渋るのは必須…そうなれば帝の葬式が伸びてしまいますの」
「それだけではない、ここで式が遅れるという事は武士に頭を垂れる事になりかねぬのじゃ。そうすれば、奴らはつけあがり無理難題を要求するに決まっておろう」
「朝廷は…我らはどうなるのでごじゃりまするか、父上」
倅がか細い声で訪ねてきた。
(室町の公儀は最早折り合いという言葉が存在しない無秩序の府になりつつあるの。先の政変では管領が自らの権力を削ろうとした大樹に反発し帝が決めた役柄を捻じ曲げようとしておじゃった。これではまるで承久の乱後の朝廷への扱い方に逆戻りしておるの。今でこそ身分の低い者共は朝廷を欲しておじゃるが…朝廷を無視しだすのも時間の問題でおじゃろうて。そして、その期を量るのはまさに今でおじゃろう。公儀が首を一度でも横に振れば終わりよな。そうでなくとも、渋って答えを遅らせるだけでも危ないの。そうなれば、我らは決めねばならぬの…自尊心を傷つけてでも生き残るか、意地に任せて衰微するか…どちらにせよ、帝の御一家は何としても守らねばならぬの。万世一系の宝を失えば後世の者から誹られ続けるであろうの)
「厳しく、見極めねばなるまい。敵と味方をの…」
「ははっ!」
「しかし、最悪の事態は想定してしなくてはならないの…。倅よ、我が家…延いては朝廷にとっての最悪とはなんでおじゃろうかの?」
「それは…」
倅が少し俯いて考える素振りを見せた後に、一呼吸おいて答え始めた。
「まず、我が家にとっての最悪とは朝廷の面子に泥を塗る事でおじゃりましょう」
「ほう?」
「我らは公家におじゃりまする。そして、帝に仕える臣にごじゃりまする。とすれば、臣としての最大の恥辱は君の顔に泥を塗りたくる事にごじゃりましょうな。では、朝廷の恥とは何か?譲位や即位式が遅れる事は百歩譲って堪えられるでおじゃりましょうが…。帝の御一族の冠婚葬祭が…それも、親王、内親王だけでなく帝や次代の君たる皇太子に万に一つでもあれば…後世の子孫から後ろ指をさされ一族の恥とまで言われかねませぬな」
「恥…でおじゃるか」
「そう、現状ではどう転んでも恥をかく事は免れないでおじゃりましょう。ただ、違うのは恥に耐えるのが今か後かにごじゃりましょう」
「その為に、武士にこれ以上頭を垂れよと申すのか?」
「それは、嫌でおじゃりまするな」
「それは麿とて同じよ。されど、現状そうせざる負えない手札しか持ち合わせておらぬのじゃ…」
「父上、本当にそうでごじゃりましょうか?」
「…?」
(何の事だ?銭がない我らはどこからか工面して貰わねばならぬのじゃ…。さればこそ、誰に頭を垂れるべきか考えねばならぬはずじゃ。無い物を生み出すのは不可能なのじゃからな…)
「幸い、公儀は未だ朝廷が焦っているのを見て優越感に浸っているだけにおじゃりまする。ゆえに、積極的な工作や圧力をかけるなどはしておじゃりませぬ」
「その事実が何の役に立つのじゃ?」
「分かりませぬ」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「父上、今の我らにあるのは執行猶予期間なのでごじゃりまする。公儀に頭を垂れるまでの」
「それが」どうしてのじゃ」
「猶予があるという事はその間は我らが有利に立ち回れるという事にごじゃりましょう。幸い、兄上は万里小路を継いでおじゃりますゆえに昵懇衆の一角たる飛鳥井家からは嫁を貰っておじゃりまする。さればこそ、この縁を上手く利用して時を稼ぐのにおじゃりまする」
「…どれくらいでなせるのじゃ?」
「分かりませぬ。ですが、何もせずに子孫達に悪く言われるのは堪ったものではごじゃりませぬ」
「…ふぅ。焦って冷静さを欠いてしまうとは、潮時かの…。倅よ」
は
「なんでおじゃりましょうか?」
「式が無事に終わったら麿は退く、後は任せる」
「なっ!?父上、麿は未熟者にごじゃりまする!」
「老臣が与するは傾国の証よ。父を安心して表舞台から退かせてはくれぬのか?」
「…。今すぐには考えかねまする。日を改めて答えさせて頂きまする」
「うむ」
(あの童が…立派に育ったものよ。これで多少は父上のお悩みも杞憂に出来たというものよ。案ずるな、倅よ。麿の目が黒いうちは責は取ってやるゆえ、存分に成長するのじゃぞ?)
1501年(文亀元年) 5月 常盤井宮全明親王
あちらこちらから嘆息が聞こえる。
(無理もないの…)
「それで、帝の式の費用を工面する目途は立っておるのか?」
「公儀は先の政変の収拾を理由に回答を渋っておじゃりまする」
「なんと…」
(言葉も出ぬわ。貴様ら武家の勝手で帝は何度も譲位を断られ老骨に鞭を打っていたのに、死してなお鞭打つ気か!この痴れ者め!なんと、身勝手で愚かな者達なのだ…我らは国家安寧の為、民が安らげるようにと身銭を切って苦しい思いをしており、毎日民から絞った税で腹を肥やしている貴様らはこのような状況でなお腹を肥やすというのか!許せぬ事よ)
「ち、父上…?」
「なんじゃ?」
「い、いえ…険しいお顔をしておりましたゆえ…何事かと」
(いかん、顔に心が出ておじゃったか…麿も未熟よな)
「取り敢えず、先の話だが…引き続き朝廷と公儀の動きには注意しておくのじゃ、特に公儀が10日以内で首を縦に振らぬようならば伝えよ、その時はまた指示を出すからの」
「はっ!承知致しました、父上」
「それと、恒直よ」
「なんでおじゃりましょうか?」
「麿はこの式を最後に一線は退くつもりじゃ」
「なっ!?麿には父上が必要にごじゃりまする!」
「戯けが…いつまでも老いぼれに縋るな。見苦しい。良いか、人はいつか死ぬのだ。そして、麿は普通に考えれば恒直よりも早く逝く」
「父上!」
倅が否定するように叫んだ。
「聞け。そうなれば、いつまでたっても麿の傘に身を縮こめている倅に対して不満に思うだろうし、何より不安に思うでおじゃろうな。さればこそ、この老いぼれに不安が残らぬように成長した姿を見せるのが倅としての務めであろう?それとも、南朝最後の血統に泥を塗る気でおじゃるか!」
久しぶりに倅を一喝して微かに喉の辺りが痛い。
「いえ、出来まする!麿は父上の後を立派に継ぎとうごじゃりまする。なれど、麿が失敗すれば我が家の顔に泥を塗るのではないかと思えば…足が竦むのでおじゃりまする」
「戯けが、主にそのような価値などないわ!自惚れるのも大概にするのじゃ!」
「失敗して泥を塗るという言葉は成功して一族を反映させた者だけが語れる言葉よ。己の身一つで何もしていない小童が失敗など語るな!」
「なれど…!」
「黙れ小童!口を動かす暇があったら書状の一つや二つ出して他の公家達を仲間に引き入れてみせよ!それとも、そんな簡単なことすら出来ないと申すか?!」
「で、出来まする…!」
「では、自分の部屋に行って早くやってこんか!」
「は、ははっ!」
はじき出されたように廊下を駆けて行った。
(母を早くに失い、兄弟や歳の近い友人にも恵まれなく、麿にべったりなのには麿自身にも責任はあるが…ここは耐えて貰わねばならんのじゃ。一度は諦めた南朝一族の再興…楠十郎という心強い協力者が現れた以上、実現できねば死んでも死にきれんのじゃ。過去のようにとまでは望まぬが、確かに朝廷に影響ある存在にまでは押し上げぬと…父祖に申し訳がたたん。老いぼれの夢に巻き込む事、許せとは言わん。だが、我が一族の荒廃はこの瞬間に決まるのじゃ。ここで何の成果も得られぬようでは、衰退は免れんのじゃ)
「…光栄ある南朝一族。ま、夢よの。それでも、追いかけてくなってしまうとは…麿も老いたの」
(倅にああいった手前、麿も何かしらはせぬとな。取り敢えず、楠十郎にも一報入れておくかの…。それにしても、童子一人の方が公儀よりも頼もしいとは、公儀も潮時かの。盛者必衰とは言うが…それにしても醜いの。そして、惨めじゃの…)
1501年(明応10年) 6月 川俣楠十郎
「殿、これを…」
「どうした、改まって……ん?殿下から…?妙だな」
(嘘…だろ、公儀が渋っているだと!?あの阿呆共、ついにやりやがったな!恩を仇で返す愚か者共が!一体誰のおかげで公儀が成り立っていると思っているんだ。朝廷なくして武家はなしという事を忘れたのか!)
「足利…許すまじ。奴らだけは我が命に代えても根絶やしにせよ…」
「殿、消しまするか?」
「いや、そんなに楽には逝かせぬ。貴様、これを読んでみろ!朝廷の…帝をなんだと思っておるのだ!朝廷の威を愚弄するにも程があるだろう!帝は!自らが悪いわけでもないのに、民が苦しむのには己が原因であるとして大層お苦しみなられ、民のために自らの生活をすり減らしていったのだぞ!それに対してあの家畜共はどうだ?民の税を絞れるだけ絞って腹を肥やして自らの権力の為に民の村を田畑を荒らしまわっておるのだぞ!そこに、大樹たる資格が奴らにはあるのか?国を治める資格があるのか?」
「いえ、ないでしょうな。政とは、民を豊かにし安心させそれを国の繁栄に結び付けるもの…されば私腹を肥やすだけの者に為政者の資格など御座らん」
「そうだ。だからこそ、今すぐにでも奴から奪うべきであろう!だが…今のままではこの小さな世界すら掌握出来ていない我が行ったところで無意味であろうな」
「そんな事は…」
「よいのだ。城一つ町一つ治める資格が未だない我の事を果たして誰が受け入れようか。情報を集めれば集める程、無力感と焦燥感に苛まれ続けるしかない我に何が出来ようか。結局、公儀に対して無意味な怒りを…ぶつけようのない怒りを持て余すくらいしか我にはないのだ」
「殿…」
「後7年だ、後7年は財源の確保に従事するのだ。そして、7年後が反抗作戦開始の時だ。それまで、我はこの苦渋に耐えねばならん。耐えて、耐えて…機が満ちるまで研がねばならんのだ」
「はっ!この忠宗、どこまでもお供致しまする。必ずや、奴らに報いてみせましょうぞ」
「ああ、そうと決まればじっとしてはおられんな。まずは、調練の視察から行くか。返事はそのあとにでもしよう」
「はっ!」
(そうだ、一歩ずつでいい。奴らの息の根を止める乾坤一擲の大勝負に備え、焦らずに着実に蓄えていこう。そして、綿密な反抗作戦の計画を基に滅ぼすのだ。必ず、なんとしてもだ)
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「お呼びでしょうか、殿」
「来たか、権丸。お前にはやって貰いたい事があるのだ」
「はっ!何なりとお申し付けください」
「まず、忠宗と相談して槍を30本と鍛冶師に頼んで楠刀30振を用意させよ。当然軽装の鎧も仕入れよ」
「ははっ!」
「そして、白い布に金の糸で縫った菊水の御旗を5本作れ」
「は…?」
「喜べ、宮家の許諾を得た上洛を行う」
「なっ…!?」
「もう耳にしていると思うが、帝に関する書状以外に実はもう一通後から時間差で届いてな。そこには、必要があれば上洛出来るように協力すると常盤井の宮家当主直々の手紙を頂いた」
「なんと…」
(権丸が絶句している。無理もない。国人の子息程度の身分に宮家当主から書状が届くのだからな。だが、これからは、貴様がその窓口となるのだから…いつまでも驚いてられんぞ?)
「ついては、上洛の折に貴様も同伴させるが…くれぐれもこの事は他言するな」
「承知いたしました!」
(嬉しそうだな。まぁ、無理もあるまい。何せ地方の小領主の家来程度では都に行くのが一生にあるかないかなのだからな。はしゃぎ過ぎて馬鹿しなきゃいいんだがな)
1501年(文亀元年) 6月 安富元家
「それで?朝廷は何と申しておるのだ?」
「はっ!大層焦っておりますな」
「ふん、自分が困った時は縋ってくるくせに俺たちが困っている時は知らぬ顔で手も差し伸べん薄情者はそうやって踊っておればよいのだ」
「全くですな。我らの苦しみも知らずによくもまぁ抜け抜けと言えたもんですな」
「一月くらいは返事を遅らせてもバチは当たらんだろうな」
「そもそも、あの延暦寺ですら白旗を上げさせた我らに協力しないあの者共は自殺願望があるので御座いましょうか?朝廷など、強き武士の庇護なくして生きられぬというのに…」
「ハハハ!現実を見たら奴らの自尊心を傷つけるだけではないか」
主、細川九郎が笑い飛ばした。
「誠に、現実を見れば自尊心を傷つけ、見ねば苦しむ。なんと惨めな者達なのでありましょうな!」
「うむ!」
上機嫌に主が酒を飲み干した。
(フフ…愚かなのはどちらともである事に気付かぬとは…。やはり、この男は暗君であったな。最も、私としては好都合の限りだ。この男が愚かで私の配下の山伏達を自らの配下だと信じて疑わないだけでも滑稽だが、山伏との談笑ごときで政務をやっているつもりになるとは阿呆にも程があろう。それに、所詮失敗したとしてもすげ替え可能な首なのだ。最悪、内衆と共謀して大樹を担ぐ手立てさえある。この男の御機嫌取りをするだけで私の意のままに天下が、朝廷が踊るとは面白いものよ。全く、愚かな傀儡は見てて飽きぬな)
「おや…寝てしまわれたか…。愚かな御人だ、今なら寝首とて狩る事が出来るというのに…」
「誰かあるか」
「…ここに」
「御屋形様を部屋に届けよ。それと、ここも片づけておけ」
「ははっ!」
(今夜も月見酒とは…毎晩、酒が旨いな。さて、九条の坊やを使って暫し荒れさせておくか。いくら衰微した朝廷と言えど、最後に噛みつく事はある。抵抗できないように、内側からじっくりと締め殺してやろう。もう、立ち直れぬほどにな。九条の坊やに一通り荒らさせたら、始末しておくか。所詮、皆…私の脚本に沿って能を演じる役者にすぎぬのだ。出番を終えた者から順次退場してもらわねばなるまい)
作中での単語の基本的な読み方
武士→もののふ
頭→こうべ
TwitterID
@Akitusima_1547




