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仏教

1501年(文亀元年) 5月 和田権丸



「では、忠宗。先に頼んでおいた事を頼むぞ」


「はっ!」


(今日は、月に一度の療養日だ。殿が我々を強くする為に教練してくれる者を雇ってくれた。それ自体は嬉しいのだが…月に一度しかまともに休めぬとは…中々厳しい事だ。しかし、その教練団には周辺の村から集まった子供達も参加している。その中には俺より幼い子供も多く居るのだ…俺が悲鳴を上げては示しがつかないというものだ。耐えねばならん。しかし、これを耐えれば…殿も俺の元服を許してくれるだろう。出来れば、12になる頃には元服がしたいものだな)


「されば、先ずは宗教に関する事からに御座いまする」


「うむ」


「禅宗に御座いまするが、これは…室町の公儀が3代大樹である北山殿が制定した五山・十刹の制という制度によってその格が定められておりまする」


「成程、それで…五山・十刹の制の詳細はどうなっているのだ?」


「はっ!されば…南禅寺なる寺が別格として頂点に君臨し、その下に五山と言われる5つの寺が都と鎌倉にありまする。そして、また、それぞれの五山の下に十刹という寺をおいていまする」


「五山と十刹はそれぞれどのような寺があてられているのだ?」


「はっ。されば、都の五山は天龍寺、相国寺、建仁寺、寿福寺、万寿寺の順で格がなっておりまする。また、鎌倉の五山は建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺に御座いまする。この格について現在分かっている事に関しましては…天龍寺が都の五山で最上位に位置するのは、室町の公儀の初代大樹公が深く関わっているからだと推測出来まする。また、相国寺が次点に来ているのは……足利氏の菩提寺である事や歴代の大樹公の木像が安置されている事が関係しているのでは無いかと……。鎌倉の五山に関しましては、建長寺、円覚寺の順で高位が決定されている背景には建長寺が鎌倉の公儀の5代執権殿が深く関わっており、円覚寺がその孫である事が関係しているのでは無いかと」


(成程、五山とはそういう事か。しかし…それは、あくまで禅宗だけの規定だ…。他の宗教、教えはどうやって管理するのだ?もし、弾圧でもしようものならば…その教えを信ずる者の反発を呼び、無駄な血が流れるだけでは無いのか?)


「どの時代も父祖信仰は変わらぬという事か。そして、父祖を子らより高位に見立てるのものな…。実に、下らぬ。実態の無いものに権威を紐付けるとは、愚かな事だ。そこに、何の実もなく……何が後世に残るというのだ?」


「はっ。全く、その通りかと」


「では、次の十刹を頼む」


「はっ。されば、十刹も同様に都と鎌倉に御座いまする。都の十刹は等持寺、臨川寺、真如寺、北禅寺、宝幢寺、晋門寺、広覚寺、妙光寺、大徳寺、竜翔寺に御座いまする。また、坂東の十刹は禅興寺、端泉寺、東勝寺、万寿寺、大慶寺、興聖寺、東漸寺、善福寺、法泉寺、長楽寺が御座いまするが…それは、至徳3年までの話に御座いまする」


「至徳3年とは凡そ何年前の話だ?」


「されば…115年近く前に御座いまする」


余りの壮大さ、遠さに呆然とした。


(115年……そんなに前の事なのか。いや待て、それまでの話?だとすれば…今は違うのか?)


「成程、では…今はどうなのだ?」


「されば…文明末年、つまり、凡そ15年前頃より…十刹を自称する寺が出た事で格は混乱している模様に御座いまする」


「成程。それで、どの寺が自称しておるのだ?」


「されば…清見寺、定林寺、崇禅寺、宝林寺、国清寺、興国寺、承天寺、乗福寺、光孝寺、天寧寺、円福寺、雲巌寺、東光寺、弘祥寺、興化寺、丹波国の安国寺、能任寺、光明寺、法雲寺、崇福寺、米山寺、海会寺、開善寺、大慈寺、正観寺、天福寺に御座いまする」


「成程…それは、記録をしておけ」


「はっ!また、十刹の下には諸山としてその他の禅宗の寺が置かれた事から…自称した寺は諸山であったという事も補足しておきまする」


「よく、分かったが…十刹の順位付けには何か意味があるのか?」


「されば、十刹の上位に位置するそれぞれの寺が五山の最高位の寺達の傘下あるいは由来がある事が格に影響していると思われまする」


「成程、では…その影響下にあるものは書き付けておけ」


「はっ」


「しかし、確か…曹洞宗派は政治に関与する事を極力否認していたはず…。されば、禅宗の五山・十刹とは臨済宗派に限るのでは無いか?」


「左様に御座いまする。臨済宗派に限られ、特に五山派とも呼ばれ…大徳寺などの一休宗純が出て活気があり、その門下の村田珠光や宗長、宗鑑などがおりまする」


「村田珠光…?確か侘茶というものの確立をしたはず。待て……」


(殿が深く考え込んでいる。侘茶とはなんだろう?後で調べておこう。だが、"茶"とつくのならば飲み物に関する事なのだろう)


「使えるかもしれぬな。忠宗、俺の影武者の用意と村田珠光が生きているかどうかを調べよ」


「はっ」


「生きているのならば、村田珠光の下に侘茶を師事して貰いたい」


(きっと、殿の事だ…何か民草の為になる何かを思い付いたのだろう。俺も、殿に課された規定を早く突破して殿をお支えしたいな)


「ふぅ…少し肩が凝ったな。権丸、少し俺の仕事を手伝ってくれるか?」


(何と…!俺も殿の仕事を助ける事が出来るのか!これは、殿に褒めて頂けるまたとない機会だ。是非とも、やり遂げ…殿に褒めて頂かなければなるまい)


「ははっ。喜んで手伝わせて頂きまする」


「うむ。されば、村田珠光について調べよ。期間は半年とする」


「承知致しました。では、半年後に報告致しまする」


「うむ、期待しておるぞ」


(殿に期待して頂けた!これは、必ず殿のご期待に沿わねばなるまい!)






1501年(文亀元年) 5月 川俣楠十郎

「では、某は書庫にて調べて来まする」


「うむ、頼んだぞ?」


「ははっ!」


(行ったか…。さて、権丸が熱心に忠宗の俺への報告を聞いていたようだが…分かったかな?まぁ、分からなくとも…あの眼差しならば分からない事は自ら納得するまで調べるだろうな。果たして何処まで調べきれるか、人を頼り切れるかが見所だな)


「忠宗、俺は将来的に貴様に匹敵する情報収集能力を持った人間がもっと欲しいのだ。故に、その候補の一人である権丸が現状…どのくらいの力を持っているのかが知りたい。故に、貴様も村田珠光について調べて来い。期間は5ヶ月と半月だ」


「ははっ!寸分の狂いもなく完璧な報告書をお作り致しましょう」


「う、うむ…」


(こいつ、変なところで張り合いがあるんだよな…。能力はあるんだが、俺が命ずるものに対して誰かと共同あるいは、競走させた時に…頑なに完璧と最速をやると言うのだが……流石に気張り過ぎでは無いか?やはり、狂人とは狂い過ぎていて日常生活も一般的で俺のような常識人のようには行かぬのか。全く、仕方がない奴め。俺が、しっかりと道を誤らぬように導かなくてはなるまい)


「さて、では次に聞きたいのだが…日ノ本の文化は歴史的に見て、仏教が牽引して来た…そうは考えられぬか?」


「はっ。確かに、日ノ本の国としての宗教は神道なれど、文化的なものは皆…仏教のものが多く見られまする。神道が文化を成した事が全くないとは言えませぬが…それは、仏教に比較すれば僅かだと言わざる負えませぬ」


「そうだ。さればこそ、鎌倉の公儀が健在であった世では」


「その通りに御座いまする」


「されば、先の五山派が新たな文化を開いたと考えられぬか?」


「その通りに御座いまする。そして、そう仰るであろうと見越した上で鎌倉の公儀が健在なうちに無かった文化について調べて参りました」


「ほぅ?俺の考えを予測するか、忠宗」


「臣下とは、主君の事を常に考え…何を望むか、何をして行くのかを予想し常に動くものに御座いまする。そして、主君の理想に共感した者が臣下として名乗りを上げ…それが許されたのならば、主の理想の為に粉骨砕身し時には…命すらも捧げる覚悟を示すのが従順なる臣下である我らの役目に御座いまする。そして、それを理解出来ぬ愚か者には臣下の資格など無いに等しいのに御座いまする」


(狂人は…それが由来であったか!俺の理想に共感し、その理想の為に身を捧げる。俺の夢の為ならば何もかも投げ出す事が出来る狂人さの根底にあったのは…俺への絶対的で歪んだ忠誠心があったからなのか!恐らく、それだけではあるまい。こうなったのにはな。しかし、俺の安寧が保たれているのは…俺がその志の為に進み続けられる時までなのでは?いや、その通りだろう!こいつは目的の為ならばどんな事をしようとも構わないと考えているのだ!ならば、目的の為に俺を暗殺する事も厭わぬのだろうな!危ないところであった…危うく、狂人に耳を貸し…信頼を寄せるところであったわ!気をつけねばな…)


「……成程な。貴様の忠誠心、よく分かったぞ。これからも、俺の為に全てを捧げよ」


「はっ! 」


「では、話を戻すが…新たな文化について調べた事を教えてくれるか?」


「はっ。されば、五山派に御座いますれば…水墨画と呼ばれる絵や漢詩文の創作物である五山文学というものが御座いまする。水墨画が有名なのは可翁なる禅宗の僧が描いた寒山図という絵、如拙なる禅宗の僧が描いた瓢鮎図という絵、周文なる禅宗の僧が描いた寒山拾得図なる絵、雪舟なる禅宗の僧が描いた四季山水図巻あるいは山水長巻と呼ばれる絵や同じ僧が描いた秋冬山水図なる絵などが有名に御座いまする」


「ほう?ならば、一度拝見してみたいものよ」


「盗ってきまするか?」


「……ふむ、いや…盗ってまで見たい訳では無い」


「左様に御座いまするか」


「あぁ。それで、文学の方はどうなのだ?」


「されば…義堂周信や絶海中津なる者達が過去に様々な文学を生み出したとか」


「成程。では、他の宗派はどのようになっているか大雑把に教えてくれるか?」


「はっ…されば五山派と同じく禅宗の曹洞宗は政治に関わらなかったものの、永平寺の瑩山紹瑾なる僧が現れて曹洞宗の中興の祖と呼ばれる働きをした模様に御座いまする」


(瑩山紹瑾殿か、生きている間に名は聞いた事があったが…会って話をする事は出来なんだ人だったな。生きている間に訪ねておけば良かったな。真、惜しい事をした)


「また、禅宗は禅宗でも五山派を叢林と呼び、それに対してそれ以外の禅宗を林下と呼び…叢林は坂東と都を中心に固まったのに対して、林下はそれ以外の地方に布教を努めていたように御座いまする。そのお陰で、民衆や地方の武家には林下の方が広まり、日ノ本全体で見ると林下の方が多いようにも感じまする。」


「成程」


(まぁ、それは当然の帰結だな。だが、今まで政治的に悪影響を及ぼしていないとは言え…叢林が都と坂東で固まってしまい過ぎるのは問題だな。それを解かねば…特に都での宗派としての教えが閉鎖的となり…将来的に同じ宗派同士で教えの解釈を巡って争いかねん。それこそ、天台宗の二の舞であろう。かと言って、坂東の方は混沌とし過ぎている感じは否めないな。やはり、宗派毎に本山とそれ以外の末山を確定させて、格の横並びではなく縦並びにする必要はありそうだな。たとえば、各宗派毎に本山を決め、そこから各国や郡にそれぞれまた本山をその下に儲け…郡より下のものは全て末山とし、末山の責任は全て本山に負わせる変わりに…本山がその宗派の最高意思決定機関という権限を与えれば、自己決定と自己責任によって自らを縛ってくれる可能性はあるな)


「また、浄土真宗に御座いますれば、蓮如なる坊主によって北陸や東海、近畿を中心にその勢力は拡大しておりまするが、各地方の大名達にとっては脅威でもあり味方でもあるという複雑な関係になっておりまする」


「一向宗は武器を持つと聞いたが、誠か?」


「はっ。されば、日蓮宗と呼ばれる法華宗と一向宗は武器を持ち、農民を極楽浄土の為と唆して戦に駆り立てまする」


「そうか、ならばよし…時を見て、一向宗及び、日蓮宗の中で武装を行っている寺は一つずつ焼き討ちにし、坊主共は根切りにせよ」


「はっ。」


(狂人よ。その時は出番だぞ?大いに期待している。国家に仇なす教えなど…帝の夢に必要なし。坊主は坊主の身分を弁え、教えのみを説くべきだろう。政治に口を出すだけでなく、武器を持ち民草を唆すなど言語道断だ桓武帝が何故遷都を行ったのか忘れたのか、糞坊主共め)


「また、延暦寺も同様に御座いまする」


「……笑止千万。仏教とは、刀を持って敵を殺し、その殺したという事実が善行であると曲解する教えであったか?」


「いえ、人を導き…救うものに御座いまする」


「ならば、刀を持ち…人を殺す事が善行と宣う者は坊主ではなく戦人ではあるまいか?」


「相違御座いませぬ」


「ならば、滅ぼせ。手始めに、俺の先の目標を長島の根切りとせよ。聞けば、長島は長く禁裏御料たる桑名を横領しているとか…。されば、それに加わった者は全て伊勢街道に沿って首を飾るべし」


「ははっ。では、その日を楽しみに待ちわびておりまする」

忠宗が口元を大きく曲げた。しかし、その目には確かに殺意が篭っていた。その先に見据える者は……

叢林はそうりんと読みます。

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