黒百合
1501年(明応10年) 2月 川俣楠十郎
目の前に、300人程の人間達が居る。
(忠宗から聞いては居たが…本当に、300人も居るとは…。さて、これをどう生かしたものか)
「忠宗、先日貴様に命じた命令を実行している人間をこの場から除け。そして、除かれた者は各自命令を遂行させよ」
「はっ!では、殿の命を受け持った組は責務を全うせよ」
(おぉ…やはり、この時代の忍も音もなく消え去るのか…。どの時代も忍というのは軽足だな。)
「忠宗、菊水忍軍はどのような組織形態をしているのだ?」
「はっ!されば…労役を行わぬ子供が凡そ50人おりまする故、その者達は楠城付近の林で現在訓練中に御座いまする。また、肉体的に動けぬ者や老人などの凡そ50人は子供達の育成を任せておりまする。よって、まず即座に命令可能な人間は200名に御座いまする。また、200名を10組に分けて1組20人とし、先の命令に6組程動いておりまする」
「ならば、即戦力は40人は程か?」
「はっ!」
(40人か…これに加えて権丸と楓に探させた者達を合わせれば…65人程か?確か、川俣氏の常備兵数は70人を少し超えるくらいだったな…。数で言えば同じくらいか。いや、菊水忍軍は相当の手練だ。伊勢の旅路で俺達を護衛した人間はこの家の中でも精鋭中の精鋭だったはずだ。それを音も立てずに気絶させたのだから…かなりの手練と考えて良い。そう考えると、実質兵数では少し劣る程度だが、実力的には今直ぐにでも粛清は可能であるという事だな。だが…ここで粛清をしたところで民の忠誠心が空ならば意味が無い。むしろ、内政をしつつ、外敵の恐怖に怯えながら過ごさねばならんという状態になりかねん。論外だな。となれば、物事の優先順位を明確化しておく必要がある)
「忠宗、俺の配下35名を貴様に預ける。子供らと共に俺の配下として恥じないような強き武人に育てよ」
「はっ!では、7の組_______」
「待て、これからは組ではなく隊という呼称にせよ」
「そうなると、7の隊に御座いまするか?」
「言い辛いな…7番隊で良いだろう。他もそのように呼ぶように通達しておけ」
「はっ!では、7番隊…改めて殿の配下をお連れして差しあげよ」
「はっ!」
「さて、残りは8,9,10番隊か…。では、8番隊には特命を与える」
「はっ!」
「堺、博多、美保関や坊津に出向き…"孫子"、"呉子"、"尉繚子"、"六韜"、"三略"、"司馬法"、"李衛公問対"の写本を見繕って来い。もし、無理ならば…夜陰に紛れて"借りて"きても良いぞ、その代わり写したら返すのだぞ?」
「はっ!」
「殿、"落ちている"ものでも問題は御座いませぬか?」
「好きにしろ。但し、責任は取らんぞ」
「ははっ!」
「行け!」
「そして、9番隊は…"闘戦経"の写本を見繕ってくるのだ。また、この日ノ本に点在する様々な職人を"銭で"交渉して連れ帰ってくるのだ。それと、出来れば愛洲日向守なる人物の行方を追って出来れば俺に仕えさせるように丁重に交渉せよ」
「ははっ!」
「あぁ…すまん、これも伝え忘れていた。念流という柔術を使う人間で強い者は出来るだけ連れ帰れ」
「はっ!」
「以上だ、行け!」
「そして、10番隊は俺が出した命令が一段落するまでは俺の護衛役として近習せよ。また、菊水忠宗には俺が元服するまでの間は俺の教育係を務めよ」
「はっ!」
(ふぅ…一片に多くの命令を出して、少し疲れたな…。しかし、これで今後数年はこの狂人達を放っていても問題は無いだろう。だが…それが逆に言えば俺がこいつらを完全に支配する仕組みを整えるまでの制限という事だ。じっくり…とは、行かぬな。なるべく迅速に進めねばならん。さて…どうしたものか)
1501年(明応10年) 2月 菊水忠宗
(目の前の童子が、次々に指示を飛ばしている。このお方こそ…見てくれは童子なれど、我らが父祖の主 楠木左衛門尉様である。3歳にしてこの頼もしさよ。これを、左衛門尉様と言わずして何と言う)
「そうだ、忠宗。佐渡守には姿を見せるなよ?家中の者には、俺が元服をするか…この家の実権を握るまではお前達の存在は秘匿しておきたいのだ」
「承知致しました。では、家中の者が近くに居る際は…勘づかれぬ場所にて待機しておりまする」
「うむ、頼んだぞ。10番隊もそのように頼む」
「はっ!」
「それで、早速で済まないが…俺は佐渡守のところに行ってくる。少し、呼ばれていてな」
「承知致しました。では、何かあれば直ぐに駆けつけまする」
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「_______という事だ、よって…楠十郎には特別に評定衆として、来月の評定からは参加して貰う事とする。良いな?」
「分かりました、父上」
「それと、お前に守り役をつける事にした。もしかしたら、内々に伝わっているやもしれんが…佐渡守を楠十郎の守り役とする。異論はあるか?」
「いえ、ありませぬ。」
「では、佐渡守よ。楠十郎を頼んだぞ」
「お任せあれ」
(これで殿は…名実共に政務に参加が出来る。さて、ここからは…殿にああは言われたが、文官として偽装すれば更に近くでお守りする事が出来よう。それと、文官を我が手中に収めておけば…殿の仕事も捗るというものよ)
「さて、動いたか…少し追うとしようか」
「_______それで、俺はどのような事をすれば良いのだ?」
「では、まず今年度の戸籍を調査するところからお願い致しまする。それが、終わったら…城の武器や兵糧、銭がどれ程備蓄があるか確認しておいて下され」
「成程、任せよ」
「では、某は今月の評定がありまする故…これにて」
「あぁ、終わったら報告書を書いておく」
(…行ったみたいだな)
「_______忠宗、居るな」
「…ここに」
(流石だ。殿の察知能力には舌を巻く思いだ…。やはり、我が殿は何においても万能だな。もう少し経てば武術の修練が出来る身体つきになろう。さすれば、強靭な肉体も手に入れ…一騎当千の軍神となろう)
「半日やる。7番隊に戸籍調査を行わせよそれと、終わり次第蔵の中も確認しておけ」
「はっ…7番隊に伝達。戸籍調査を行うべし、また…終わり次第城内の蔵の備蓄量を調べよ」
「はっ!」
「10番隊と正宗はついてこい」
「何方に行かれるので?」
「川俣領内をこの目で見回る。もし、今直ぐに敵が攻めてきたとして…たとえ、精兵100だろうが200だろうが居たとしても、地形が分からねば何処で敵を対処すべきか分からぬであろう?それに、それがなくとも…民を知る事は有事の助けになるのだ」
「成程…」
(流石は我が殿だ。左衛門尉様の生まれ変わりとして申し分ない……?いや、それ以上では無いのか?このお方が左衛門尉様ならば…政争には余り強くないと伝わっている。そう、ならば…長兄との政争にそこまで加担しないか、そうでなくとも…そこまで動けないはずだ。しかし、これ程早く…政治的な手を打ってくるとは……進化、しているのだな。それも…驚くべき早さで…。きっと、政治的な能力だけでは無いのだろう。過去に行い結果があった事と今の時代にある新しい事を混ぜ合わせて…自分の手札を左衛門尉様の頃より増やしておられるのだろう。なんと…疾いお方よ。俺も、振り落とされぬように…死ぬ気でついていかねばならんな)
1501年(明応10年) 2月 川俣内丸
「へ…?」
「今…なんと?」
「だから、楠十郎を評定衆に列したと言っておるのだ。それが、どうしたのだ」
「な、何故…楠十郎が……?」
(どういう事だ…?これは、いくら楠十郎でも…楠十郎だけでは出来ぬ事だぞ?何故、楠十郎が評定衆に列せられているのだ?それに、六郎に密かに父上と楠十郎、佐渡守の会話を聞きに行かせていたが…楠十郎からは何もしていなさそうだったはずだ。ならば…一体誰の差し金だ?まさか、楠十郎を支持する者が…この家中に居る?)
「要は、将来…この領内を背負っていく重要な人間の一人なのだ。であれば、政務をしておくのは早いに越した事は無かろう?」
「し、しかし…楠十郎には手が余りまする!」
「では、内丸ならば出来るのか?」
「そ、それは…」
「良いか、内丸は武に優れているのだ。ならば、武を伸ばして立派な武士となれば良かろう?楠十郎の事など気にする事はない。それに、政務など楠十郎に任せておけば良いのだ。そうすれば、内丸が憧れる楠木左衛門尉様のような武士になれるぞ?」
(嘘だ…そんな訳はない。当主とは政務も行うはずだ…。確かに、俺は政治はよく分からぬし…余り好かぬ。だが、それは…俺と楠十郎で当主の座を分けろと言う事だぞ?そうなるくらいならば…一度楠十郎に当主の座を渡してから奪い返した方が何倍もマシだ。そんなものは…生殺しではないか!)
「お言葉ですが父上…それでは_______」
「あー良いのだ。みなまで言うな。大丈夫だ、心配しなくても。古来より武士というのは戦場にて戦いし者よ。なれば…武術を極め、早々に初陣を飾って武勲を立てれば…皆も認めよう」
(……今一つ、信じられぬ。本当に、父上は俺の為を思って言ってくれているのか?楠十郎を評定衆に列したのは父上なのではないか?本当は…俺の事が煙たくて、楠十郎に跡目を継がせたいのではないのか?分からぬ…だが、信用は余り出来ぬ。先ずは…誰が楠十郎を評定衆に推薦したのかを調べねばならん。恐らく、その人間が…俺の敵なのだ。それを見付けるまでは…暫しの辛抱だ。)
1501年(明応10年) 2月 川俣楠十郎
(…佐渡守が守り役か。書状で分かっては居たが…余り近付かれすぎても困るというものよ。やはり、あの帰路で考えていたが…権丸はともかく、佐渡守は恐らく俺に加担した暁にはそれなりの地位と領地を強請るだろうな。そうはさせぬ。土地は、全て当主のものにせねばならんのだ。そうせねば…律令制は復古出来ぬ。そして、認めるのは畑程度の私有地だけだ。だが、そうなれば…この家中の多くが反対するだろう。それは好都合だ。そこで全員粛清してしまえば、帝との夢にまた一歩近付くのだ。それを邪魔立てする者を浄土に送ってやるのだからな)
「……忠宗、預けた俺の配下には…くれぐれも褒美に土地を貰おうなんぞ考えるような人間にするな。褒美は金銭か、屋敷…あるいは家宝に成り得る高級品などだ」
「はっ!」
「それと…人を内丸の傍に置いておけ」
「殺しまするか?」
「いや、未だ…必要ない。あの人間には使い道がある」
「成程、それでは…監視で御座いますな?」
「そうだ。それで良い」
「ははっ!」
「忠宗、ここら一体には人気が全くないな。このような場所は…ここからどのくらいまで広がっておるのだ?」
「……されば、あの林までに御座いましょう」
「では、密かに、ここに砦を作れ」
「はっ!」
「良いか、バレないように時間を掛けて作れ。建物を隠す為に木々は伐採するな。それも、利用しろ」
「はっ!」
(良い土地が手に入った。ここを拠点とすれば、楠城を裏から攻め落とす事が出来る。……そうだ、一つずつだ。石を積み上げるように…慎重に、ゆっくりとだ。内丸よ、貴様には帝との夢の英霊となって貰おう。名誉に思うのだな…帝のご意志を実現する為に死ぬのだから。冥府でも自慢出来よう)
「殿、如何なされましたか?」
(不味い、笑いを隠せなかったか…。未だ、感情の制御が甘いな。それにしても、全く…可笑しくて仕方が無いよな?俺を憎めば憎む程、俺を評定衆に祭り上げた人間を知った時の絶望を…そして、それに誰が加担したのかを……。それを知った時、貴様は果たして自分の正気を保つ事が出来るか…?いいや、無理だな。俺への嫉妬と憎
悪がこれから燻っていくのだ。そして、自分を不快にさせ続けた人間が……それじゃあなぁ。だが、それをすれば…俺に大義名物を与えてしまうのだ。それを理解する程の冷静さがあったとしてもだ…貴様は果たして抑えられるのか?抑えられるのならば大したものだ。だが…抑えられたとしても、苦しみ…人を信じる事が叶わなくなるだけだ。その苦しみに…果たして耐えられるか?耐えられるなら耐えてみせよ。但し、壊れない事は保証せぬがな。まぁ、人を送った以上は何方に転んでも変わらん。己か、他かの違いだ。結局は…帝のご意志の為に冥府へ向かって貰うのだからな。楽しみだ…帝のご意志が実現出来る日が…。そして、それが日ノ本一体を包み込むのがな)
「フフフ……フハハハ……」
「あぁ…見よ、忠宗。閑散とした山の頂上に黒い百合の花が一輪咲いておるではないか」
「"孤高"の花に御座いますな」
「孤高か、確かに…こいつにはお似合いなのやもしれんな。よく、今年の雪に…"寒さ"に耐えたものだ。来年の雪にも耐えられるかな?」
「さぁ…どれ程"積もる"かにもよるのでは御座いませぬか?」
「…そうだな、まぁ…高みの見物と行こうではないか。耐えられるものならば耐えてみせよ、小花が」
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