出来損いの第三王子だけど、笑わない許嫁を笑顔にしたい〜政略結婚のせいで愛する相手と引き裂かれた許嫁を笑顔にするたった一つの方法〜
──出来損ないの第三王子
陰でそう呼ばれていることを私は知っている。
第一王子は『武』に優れ、第二王子は『知』に優れ、第三王子は搾りカス。
そう揶揄されることもあるくらいだ。
兄たちとの関係は良好だが、私はずっと劣等感を抱えて生きてきた。
私には何もない。
そんな私に婚約者ができた。
ある時、王である父上から呼び出されて、
「ヴィリアム、お前にはそろそろ婚約してもらおうと思っている」
「承知しました」
「相手はダングレー侯爵家の令嬢、カトレアだ。防衛の要所にあるダングレー家との関係強化は必須であり、これはそのための婚姻だ。その意味を理解しているな?」
「はい、もちろんでございます」
「ならば、よし」
父上はここ数代の中でも特に優秀な王として名を馳せている。
そんな父上に逆らうという選択肢は私にはなかった。
こうして私はカトレア・ダングレー侯爵令嬢と婚約をすることになったのだ。
そして婚約の準備は粛々と進められ、ついにカトレアと対面することになった。
(一体どんなご令嬢なのだろう)
不安がないと言えば嘘になる。
だが、不安なのはカトレアとて同じ、いやそれ以上のものがあるだろう。
だから私はこれが政略結婚であっても精一杯カトレアを愛そうと決めていた。
絢爛豪華な馬車が王城の前に到着したのを私は窓から見ていた。
あの馬車にきっとカトレアが乗っているのだろう。
いよいよだ。
私は改めて襟を正した。
「カトレア・ダングレーでございます。ヴィリアム様、どうぞよろしくお願い致します」
「第三王子のヴィリアムだ。こちらこそよろしく頼む」
見た目からは凛々しさの宿る瞳と燃えるような赤髪、と気の強そうな印象を受けた。
しかし実際に完璧な貴族式の礼を示す姿は深窓の令嬢。
そう表現したくなるような儚げな雰囲気を纏っていた。
「遠い所から遥々やってきたのだろう? まずはゆっくりされるがよい」
「いえ、ヴィリアム殿下をお待たせするわけにはいきません。このまま予定を進めていただければ、と思います」
「……そうか。少しでも体調に異変があったならばすぐに申し出てくれ。なに、遠慮など要らない」
「はい、その時は」
カトレアは仮面を被ったように表情を崩さない。
それは緊張のせい……というより隙を見せまいとしているようだった。
その後私たちは机を挟んで歓談をし、共に夕食を取った。
次第に緊張感は溶けているように見えたが、それでも一歩以上は踏み込ませまい、と気を張っているように見えた。
どのような方であっても愛すると決めたのだから、少しは信用して欲しいと思いはしたが、境遇を考えると仕方ないのかもしれない。
時間ならたっぷりあるのだ。
少しずつ打ち解けていけばいい、焦る必要などない。
違和感に気が付いたのは数日が経ってからだった。
──カトレアが笑っているところを一度も見たことがない。
もちろん儀礼的な意味での微笑みを浮かべることはあったが、私は心からの笑みを一度も見ていない。
聞けば侍女や使用人の前でも仮面を被ったように表情を崩さずにいるらしい。
やはり望まぬ婚約だったのだろうか。
優秀な兄たちではなく、無能扱いされる私の婚約者となるのはプライドが許さないのだろうか。
それでも、王である父上の決定は絶対だ。
逆らうことなんてできない。
私はこの笑わない婚約者がどうすれば笑顔になってくれるのか、そればかりを考えるようになっていた。
※※ ※
「どうにかできないものか……」
深く悩んだ私は気分を変えるために夜風に吹かれにいこうと思い至った。
王城にあるバルコニー。
昔から何かに悩むことがあればそこで頭を冷やすのだ。
時間は深夜。
警備の兵がわずかばかりいるだけで人の目は少ない。
廊下を抜けてバルコニーへ。
すると普段は誰もいないはずのその場所に先客を見つけた。
「カトレア──」
声をかけようとして気が付いた。
彼女が一人、涙を流して遠くを見つめていることに。
視線に気づいたカトレアはすぐに涙を拭い去り、
「お見苦しい所をお見せしました」
とまた仮面を被る。
──どうして仮面を取って接してくれないのか。
その思いは募るばかりだった。
「カトレア」
「はい」
「貴女がここに来てから一度も笑っていないことを私は心配に思っているのだ」
「……ッ!」
カトレアは申し訳なさそうに目を伏せる。
「申し訳ありません」
「謝る必要などないのだ。私はただ……貴女に笑顔になって欲しい、そう思っているだけなのだ」
「ヴィリアム殿下は……お優しいのですね」
「優しくあろうとはしている」
私は一瞬話すべきか逡巡したが、思い切って話すことにした。
「ここだけの話だが、私は父上のことをあまりよく思っていないのだ。もちろん王として優れているのは理解している。だが、父上の政治には『心』がない。今回の婚姻だって私の意思でも、恐らく君の意思でもないだろう?」
「……はい」
カトレアは躊躇いがちに答えた。
苦渋の色を顔に浮かべながら。
やはりカトレアが笑顔を見せない理由はそこにあったのか、と私は納得した。
「これが僕の本音だ。しかし、困ったな。私がこのようなことを言ったなんて父上に知られたら大問題になってしまう……」
「誰にも話しません」
「でも信用はできないな。そうだ、だから代わりにカトレアの抱えている悩みを、秘密を私に教えてはくれないか?」
「秘密……ですか」
「そうだ、それでお互い今日の話は聞かなかったことにする。それでどうだ?」
「分かりました……ヴィリアム様の顔に泥を塗るわけにはいきません……全てをお話します」
カトレアは目を伏せたまま、ポツリと呟き始めた。
「私には……思いを寄せる相手がいたのです。バートレット辺境伯の長男、デニスと言います。私と彼は幼い頃からの付き合いで……将来を誓い合った仲でした」
「そうか……それで」
「お互いに結婚するのに相応しい年齢になって……いよいよ、という所で王よりヴィリアム様との婚約が持ち掛けられたのです」
王から直々の婚約の持ち掛け……それは提案という形をとりながら実質のところは命令であった。
「それは……申し訳なかった」
「いえ、ヴィリアム様が謝罪されることではないのです。私としても王家と関係を強化しておくことが我が家にとって大きな利益を生むことは存じております。だからこれは……仕方のないことなのです」
「カトレア……」
「申し訳ありません。ヴィリアム殿下の前で大変に失礼なことを申しました」
「気にせずとも良い、私から言ったことだ」
カトレアが笑顔を見せない理由……それは至極当然のものだった。
私は生まれて初めて、父への怒りが腹の奥底から湧き上がるのを感じていた。
こんなことがあっていいはずがない……。
王族に生まれた時から愛し合う相手と結ばれる、という幻想を抱いたことはないが、臣下の貴族はそうであって欲しくない。
もちろん政略結婚の必要性もそれが生む利益も理解している。
だが……それは愛し合う二人を引き裂いてまで手に入れる価値のあるものなのか?
私は決意した。
必ずカトレアを笑顔にしようと。
そして朧げながらそのための案も頭に浮かんだ。
だがそれは……行動に移すのはあまりにも穴だらけの計画。
所詮私は出来損ない、だが何も私一人で解決する必要などないのだ。
私には……力になってくれる頼もしい味方がいるのだから。
※※ ※
──それから数日が経ったとある日。
私は二人の兄と密談を行うことにした。
私が勝手に劣等感を抱いているだけで兄弟の絆は固く結ばれている。
どうしても相談したいことがある、と私が話せば二人の兄はすぐに予定を開けてくれた。
「なるほど……それで俺たちを集めたってわけか」
「ふふ、実に貴方らしいですね」
カトレアに関する事情を話せば、二人の兄上、オスカーとアーサーは好意的に受け止めてくれた。
「デニスの事なら俺は面識があるな。気骨のあるやつだったと記憶している」
そう言って頷くのが一番上の兄上のオスカー。
正装は堅苦しい、といって常に軽装でいる姿から豪快な武人として名を馳せている。
「でしたら、デニスとの密談を取り付けてもらえませんか?」
「おう、そんなことでいいなら任せてくれ」
王族とは思えないような気さくな所が、オスカーの魅力なのだろう。
兵からの人気も抜群に高いのがその証拠だ。
デニスの実家は防衛の拠点を任されるバートレット辺境伯家。
オスカーであれば面識があると考えたのだが、正解だったようだ。
「それで……私は何をすればいいのですか?」
オスカーとは対照的に落ち着いた様子で話を聞いてくれていたのがもう一人の兄上、アーサーだ。
若くから秀才として名を馳せ、今や国に欠かせない文官の一人となっている。
年が近いこともあって私に特に良くしてくれている、立派な兄上だ。
「私の計画ですが……どう思いますか?」
「正直言って穴だらけですね、特に貴方の評価が下がるのは見過ごせません」
「……私はそれでも構わないと思っています」
私がカトレアを笑顔にするための唯一の方法、それを実行すれば私の評判は更に落ちることになるだろう。
だが、そんなことどうだっていい。
跡継ぎは二人の兄上がいれば安泰だ。
今大事なのは私の些細な評判より、カトレアの笑顔を取り戻すことだ。
「かわいい弟の頼みです。私も微力を尽くしましょう、そうですね……ちょうど良い案が一つ浮かびました」
神算鬼謀の兄上のことだ。
きっと私の穴だらけの計画に緻密な計算を上乗せしてくれることだろう。
「それでは兄上たち、よろしくお願いします」
密談はあっという間に終わった。
さすがは優秀な兄上たちだ。
これほど心強い味方がいれば……父上にだって反抗できる。
そして密談から程なくして、アーサーから計画の全容をまとめた手紙が届いた。
その内容を見て、
「さすがは兄上だ……」
と脱帽せざるを得なかった。
※※ ※
──そして迎えた私の婚約お披露目の儀。
国中から貴族が集まる中で、私とカトレアは壇上に立った。
カトレアは硬く、暗い表情をしていた。
目を閉じる姿からは諦念と覚悟を感じ取れた。
儀式はつつがなく進み、いよいよ正式に私とカトレアの婚約が発表されようというところで、
「少しだけ時間を欲しい」
と私は声を上げた。
父上も、貴族も、カトレアも。
皆の視線が私に集まる。
こうなれば、もう私に逃げ場はない。
あとは……全てなるように、なるがままに。
「この度のカトレア・ダングレーとの婚約は……破棄させてもらう!」
私は高らかにそう宣言した。
「彼女は私の妻となるには……不適当だ……!」
その宣言に、貴族たちは困惑し、ざわめきが起こる。
「何を言っておるのだ、ヴィリアムよ!」
「恐れながら陛下、私は本気です。カトレアと……彼女と過ごす中で、彼女は私の妻とするには相応しくないと判断しました」
「その意味……分かっておるのか!」
「分かっていますとも。どうして王族というだけで望まぬ結婚を強制されねばならぬと言うのでしょうか!?」
生まれて初めて父上に真っ向から反論の言葉を投げつけた。
予想外の展開に、人間味の薄い父上も感情を露わにしている。
ここで婚約破棄をぶつける意味……貴族たちの前で宣言することによって王家は恥をかくうえに、ダングレー家の面目を潰すことになる。
そうなれば、ダングレー家と王家の間に深い亀裂が入ることになる。
……普通であれば。
そして私は王家の責務を全うしない愚か者として罵られ、無能と陰口を叩かれるのだ。
王位継承権だって剥奪されるかもしれない……もとよりそんなものに興味はないが。
婚約破棄を大勢の前で宣言した以上もう取り返しはつかない。
「ヴィリアム様……一体どうして……」
カトレアが呆然としたように言葉を漏らす。
「君には愛する人が、デニスがいるのだろう? 婚約破棄をされたことで本来であれば貴女は嫁の貰い手を無くすことになる。だが、デニスはそれでも貴女を愛すると、私の前で誓ってくれたよ」
「そんな……いつのまに」
「だからどうかこの婚約破棄を受け入れてほしい」
「どうして……私のためにそんな……」
カトレアの目から大粒の雫が溢れ出す。
それはすぐに河となって頬を伝った。
「言っただろう。私はただ貴女に笑顔になってほしいだけなんだ。もう望まない結婚のことなんて考える必要はない……デニスと、幸せになってくるんだ」
婚約破棄。
それが私の思いついた策だった。
この婚約破棄でカトレアが笑顔になってくれるのなら……私の犠牲など安いものだ。
もっとも、私が犠牲になることなど兄上たちが許してくれそうにないが。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
カトレアが顔をくしゃくしゃにしながら、私の方を見つめてきた。
その顔は涙で濡れているというのに、笑っていた。笑おうとしていた。
──その顔が、貴女の笑顔が……私は見たかったんだ。
ぎこちなくも笑顔を見せるカトレアに私は優しく微笑み返した。
※※ ※
第三王子が婚約破棄をした、というニュースは瞬く間に国中に広がった。
人々は「ああ、あの王子はやはり無能だったのか」とヴィリアムのことを嘲った。
しかし、しばらくして社交界を中心に不思議な噂が流れ始めた。
──ヴィリアムがカトレアとデニスの真実の愛を守るために自らを犠牲にした
という噂が。
そしてその噂が広がりを見せ始めるのを謀ったかのように、デニスとカトレアの婚約が発表された。
そして人々はこの噂が事実だったと知ったのだ。
婚約破棄を行った直後、ヴィリアムたち三兄弟は首を揃えて王に謝罪し、王を諫めた。
「貴方の政治には欠点がある──『人』を思う心がないことだ、と」
王は自らの身を犠牲にしてまで臣下の真実の愛を守ろうとした姿勢に痛く感動し、己を顧みて、より良い政治を行うようになり歴史に名を残す名君となった。
その王には三人の王子がいた。
『武』に優れた第一王子と『知』に優れた第二王子と『優』に優れた第三王子が。
ありがとうございました。
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