創作活動の先に見たもの
最近眠れない日がしばしばあります。
音楽だけで生きていくことがはなはだ難しいとされている今日、自分がこれから音楽を続けていく理由、このことを考えるたびに、大抵眠れなくなるのです。
そして、その度に決まってどうして私は音楽をやろうと思ったのだろうか・・・この事を考えさせられるのでした。
音楽をやっていったきっかけというのは様々あるのかもしれません。中学生の時にギターに触れる機会があったこと。受験中に見たショーに感銘を受けたこと、好きなアーティストがいたこと・・・
ただどれも、音楽をしてきた根本的な理由かと問われると、そうではないような気がしてならないのです・・・。
私がこれからも音楽と向き合い、それを続けていくには、どうしても音楽を続けていくための理由が必要で、そして、その答えを得るにはきっと、表面的な部分ではなく、もっと私自身の根幹的な何かに目を向ける必要がある、そう思いました。
だから、私がこれからも音楽を続けていくため、再度道に迷ったとき、その道しるべとするため、あのことを思い返し前に進み続けていくため、今日、ここに記しておこうと思います。
きっと、私の生い立ちは、一般的にみると、かなり特殊なものだったのやもしれません。
一般的な家庭というものが、どのようなものを指すのか、ということに関してはまぁ、正確な定義というものを私は存じ上げていないのですが、ただそれでも、きっと私はほかの人とは違う生い立ちをしていたのだろうなぁと私は思うわけです。
無論、幼少期の私は、その特殊性自体が当たり前だと思っておりましたので、中学になるあたりまでその現実を直視することはなかったのですが、学校の先生や周りの大人たちの私を見る目がほかの子供たちを見る目と若干違うことに、小学生のころの自分でさえも薄々感づいておりました(まあ、この部分に関しては、私自身が変わり者だったということも多分に含まれているかとは思うのですが・・・)
そのしこりというものを、多分に感じ取っていた私は、周りの人間にどうもなじめずに、他の子に比べ孤立していることが多くありました。現実世界において、私の居場所はなかったのです。
小学生から中学生、高校生へと年を重ねていくにつれて、私の中にあるしこりは強くなり、一人でいる時間が増えていきました。
そんな現実世界に居場所を見つけることのできない、一人ぼっちの私は、気づいた時には、空想の世界へと逃げこんでおりました。本の世界や音楽の世界だけは、現実世界において居場所のない私を、いつも優しく受け入れてくれた。その世界に入り浸っている瞬間は、私は寂しさを感じずにいられた。その世界の中にいる時だけは、世の中にある矛盾を考えずにいられた、だから私はよく一人で、本を読んでおりました。きっとそこだけが、私にとっての居場所でした。本を読めない学校の登下校中などは、いつも好きなアニメのオリジナルストーリーを一人で考えて、そうやって時間を過ごしていました。
つまり、私の安らげる居場所は、フィクションの中にしかなかったのです。
一つ、述べておかなければならないのは、私は決して両親のことが嫌いというわけではないということです。裕福ではないにしろ、よい家庭に育ったのではないかと思っております・・・。私自身よい家庭に生まれたぁと思っております。
ただ、それでも、私の生い立ちに関するこの一点のみにおいては、生涯において、きっと両親と分かり合えることはないのだろうなとも思うのでございます。
考えてみれば、私はそもそも自分の幸せのことも、他人の幸せのことも、はなっから願ってなどいないのですから、そのことにおいて分かり合えるはずもないのだろうと・・・そう思ってしまうのです。
だから今でも、ふとした瞬間、私は一人なんだなと思ってしまうのだと思います。
だから人と、笑顔で接する技術を身につけようとも、そこは居場所にはならなかったのだと思います。
でも、
だから今でも、フィクションの世界だけが私をやさしく受け入れてくれるのだと思います。
だからこそこれからも、私はこの世界の中に入り浸っていたいと思うのだと思います。
改めて、今回、自分がどうして音楽、そして小説という世界に入ったのかということを考え、自分の居場所がそこにあったからと思い出してみて、若干ですが、心の中の靄が晴れたような気がします。
金儲けのために音楽をしているのかと問われれば、なんとなく違うような気がして、有名になりたいのかと言われれば、なんとなく違うような気がして、ただただなんとなく、故郷にも帰らず、親族の所属する何かとも距離をとって、誰とも打ち解けず、漠然と何かを作り続けていた私は、それでもやめるかと思ったときに何故かやめたくないと思っていた私は、このことに気づいた今、少しだけ前に進めるような・・・そんな気がしました。
きっと、そこに居場所がある限りは、私は何かを作り続けていくのではないかと思います。
そして、できることならば、作り続けた先に・・・現実の中で私が私でいられるような・・・そんな居場所が見つかったらなと・・・そう思ってしまったのです。